○五島美術館 平戸・オランダ通商400周年記念特別展『松浦家とオランダ残照』(2009年5月16日~6月21日)
ポスターを見て、五島美術館にしては変わったテーマだな、と思った。書画・茶道具など美術品が中心で、歴史資料を扱うのは珍しいと思ったのだ。私が長崎県の平戸を訪ねたのは2004年の冬の1回切りだ。けれども、長崎市には今年の2月にも行ったし、氏家幹人氏の『殿様と鼠小僧』で松浦静山のことを読んだばかりでもある。近世日本の対外交易史には、ずっと興味を持っている。ということで、この展覧会、ぜひとも行こうと思っていた。
23日(土)は14時から、松浦家41代当主の松浦章氏による「平戸・松浦家について」という講演が予定されていた。聞いてもいいし、聞かなくてもいいし、くらいのつもりで13時過ぎに到着したら、講演会場の前には長い列。「もうお席はないかもしれません」と言われると、俄然、並んでみたくなるのが人情である。ほんとに立席になるところ、替わってくれた人がいたので、隅のほうに座ることができた。講演では、まず平戸の名所をスライドで紹介。徐々に記憶がよみがえった。やっぱり、ご先祖代々の墓守りは大変なのですね。
松浦清(静山)の11女・愛子は中山氏に嫁して慶子を産み、慶子は孝明天皇の典侍として明治天皇を産んだ。そんな関係もあって、現在、松浦史料博物館となっている松浦家の屋敷は、明治維新のとき、何かあったら明治天皇を迎え取ることができるように作られており、さらに危険が迫ったときは天皇を呂宋に逃がす(!)計画があったという。ウソかマコトか、南北朝の再現、いや日本版鄭成功になっていたかもしれないのだな。
展示会場で印象的だったのは『孔雀之図』。写実と装飾性が同居する、南蘋派らしい作品。「徐皥晋」という作者名を見て、てっきり中国人だと思ったら、本名・久間貞八(1752-1813)という日本人だそうだ。『蛺蝶譜』という、きわめて精密な博物図譜も同じ作者の筆と推定されており、博物画と南蘋派の親近性を感じさせた。
オランダ語訳『日本誌』第2版は1733年刊行。著者のケンペル(1651-1716)は、出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師。没後、まず英訳版『日本誌』が出版され(ふーん、そうなんだ)、のち、フランス語、オランダ語、ドイツ語等に訳された。天明2年(1782)、長崎視察の折に同書を発見した清(静山)は、値を問わず、これを購入したという。そりゃあ、びっくりしたろうなあ。また、オランダ語(たぶん)の聖書注釈書『字議的・実践的聖書釈義』(1741年刊)は、こんなものが平戸藩に伝わっていることに私はびっくりした。いつごろ日本に入ったんだろう。寛永の禁書令(寛永7=1630年)は漢訳洋書の輸入を禁止しているはずなのに、洋書原本はよかったのだろうか?
『唐船持渡禁制書目』は、1枚紙に大きな文字で書かれた禁制書リスト。手元の出品目録に天明6年(1786)とある。冒頭の第1行には「天文略 十慰」とあり、これは2つの書名を列挙しているようだ。「十慰」は景教(ネストリウス派)に関連する文献らしいが判明せず。いろいろ調べていたら、中国語(簡体)の江戸時代の禁書に関するサイトが検索にひっかかってきて、親ページを探ると、日本史好きの中国人が作っているらしかった。興味深い。
展覧会に戻って、松浦静山描く『河太郎図』は黄桜の河童みたいでかわいい~。『百菓之図』では、今なお平戸の名物となっているカスドースに注目。この日は講演会のあと、松浦家を宗家とする鎮信流のお呈茶があり、お茶菓子にカスドース(蔦屋製)をいただいた。
ポスターを見て、五島美術館にしては変わったテーマだな、と思った。書画・茶道具など美術品が中心で、歴史資料を扱うのは珍しいと思ったのだ。私が長崎県の平戸を訪ねたのは2004年の冬の1回切りだ。けれども、長崎市には今年の2月にも行ったし、氏家幹人氏の『殿様と鼠小僧』で松浦静山のことを読んだばかりでもある。近世日本の対外交易史には、ずっと興味を持っている。ということで、この展覧会、ぜひとも行こうと思っていた。
23日(土)は14時から、松浦家41代当主の松浦章氏による「平戸・松浦家について」という講演が予定されていた。聞いてもいいし、聞かなくてもいいし、くらいのつもりで13時過ぎに到着したら、講演会場の前には長い列。「もうお席はないかもしれません」と言われると、俄然、並んでみたくなるのが人情である。ほんとに立席になるところ、替わってくれた人がいたので、隅のほうに座ることができた。講演では、まず平戸の名所をスライドで紹介。徐々に記憶がよみがえった。やっぱり、ご先祖代々の墓守りは大変なのですね。
松浦清(静山)の11女・愛子は中山氏に嫁して慶子を産み、慶子は孝明天皇の典侍として明治天皇を産んだ。そんな関係もあって、現在、松浦史料博物館となっている松浦家の屋敷は、明治維新のとき、何かあったら明治天皇を迎え取ることができるように作られており、さらに危険が迫ったときは天皇を呂宋に逃がす(!)計画があったという。ウソかマコトか、南北朝の再現、いや日本版鄭成功になっていたかもしれないのだな。
展示会場で印象的だったのは『孔雀之図』。写実と装飾性が同居する、南蘋派らしい作品。「徐皥晋」という作者名を見て、てっきり中国人だと思ったら、本名・久間貞八(1752-1813)という日本人だそうだ。『蛺蝶譜』という、きわめて精密な博物図譜も同じ作者の筆と推定されており、博物画と南蘋派の親近性を感じさせた。
オランダ語訳『日本誌』第2版は1733年刊行。著者のケンペル(1651-1716)は、出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師。没後、まず英訳版『日本誌』が出版され(ふーん、そうなんだ)、のち、フランス語、オランダ語、ドイツ語等に訳された。天明2年(1782)、長崎視察の折に同書を発見した清(静山)は、値を問わず、これを購入したという。そりゃあ、びっくりしたろうなあ。また、オランダ語(たぶん)の聖書注釈書『字議的・実践的聖書釈義』(1741年刊)は、こんなものが平戸藩に伝わっていることに私はびっくりした。いつごろ日本に入ったんだろう。寛永の禁書令(寛永7=1630年)は漢訳洋書の輸入を禁止しているはずなのに、洋書原本はよかったのだろうか?
『唐船持渡禁制書目』は、1枚紙に大きな文字で書かれた禁制書リスト。手元の出品目録に天明6年(1786)とある。冒頭の第1行には「天文略 十慰」とあり、これは2つの書名を列挙しているようだ。「十慰」は景教(ネストリウス派)に関連する文献らしいが判明せず。いろいろ調べていたら、中国語(簡体)の江戸時代の禁書に関するサイトが検索にひっかかってきて、親ページを探ると、日本史好きの中国人が作っているらしかった。興味深い。
展覧会に戻って、松浦静山描く『河太郎図』は黄桜の河童みたいでかわいい~。『百菓之図』では、今なお平戸の名物となっているカスドースに注目。この日は講演会のあと、松浦家を宗家とする鎮信流のお呈茶があり、お茶菓子にカスドース(蔦屋製)をいただいた。