○中曽根康弘『保守の遺言』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2010,5
私は中曽根康弘という政治家が好きだったことは一度もない。にもかかわらず、何を血迷って本書を読もうと思ったか。
中曽根のライフワークは憲法改正であり、「日本列島=不沈空母」発言をし(ただし発端は誤訳だったことを本書の中で述べている)、「防衛費1%枠」を撤廃して防衛力増強をはかり、靖国神社に公式参拝し、愛国心を強調して教育基本法改正に意欲を見せた。この中に私の共感できる材料はひとつもない。中曽根が首相だった1980年代、当時20代の私は、嫌なジジイだと思って彼をみていた。
それから時が過ぎて、新自由主義とポピュリズムが結びついた小泉政権下で、長老・中曽根は引退を勧告された。いまどき、中曽根の「老いの繰言」を真面目に聞いてみようとする若手政治家は、自民党内にも多くないだろうと思われる。そうなると、アマノジャクな私は、敢えて今さらこんな本と言われそうな本書を読んでみることにした。
結果は…まあ、やっぱり駄目なものは駄目だ。アメリカに依存しない、真に独立自存の日本をつくろうとした情熱は分かる。そのためには、自前の軍備が必要だという主張もスジが通っている。また、実はアジア重視の外交ビジョンを持っていたこともよく分かった。特に中韓と良好な関係を保つことの重要性はよく理解していて、自分の靖国神社参拝によって、中国の胡錦濤氏が窮地に立たされていることを知ると、すぐに参拝を中止したという。彼の場合、「公式参拝した」イメージが強すぎて、「中止した」決断が忘れられているのは残念なことだ。
それから、首相は自国の歴史を学び、伝統と文化を体現している必要がある、という主張にも賛成する。しかしなあ、その結果が「わび、さび、もののあはれ」と「天皇」だというところが私にはガッカリなのだ。そういう日本史観・日本文化論が、決して普遍的・客観的なものではなくて、特定の時代思潮の影響を受けた「流行」に過ぎない、という反省を、なぜ持てないかなあ、と思う。自戒として、老いて一時代の「流行」に囚われないためには、若い頃から何でも博く学んでおくことだと思った。
私は中曽根康弘という政治家が好きだったことは一度もない。にもかかわらず、何を血迷って本書を読もうと思ったか。
中曽根のライフワークは憲法改正であり、「日本列島=不沈空母」発言をし(ただし発端は誤訳だったことを本書の中で述べている)、「防衛費1%枠」を撤廃して防衛力増強をはかり、靖国神社に公式参拝し、愛国心を強調して教育基本法改正に意欲を見せた。この中に私の共感できる材料はひとつもない。中曽根が首相だった1980年代、当時20代の私は、嫌なジジイだと思って彼をみていた。
それから時が過ぎて、新自由主義とポピュリズムが結びついた小泉政権下で、長老・中曽根は引退を勧告された。いまどき、中曽根の「老いの繰言」を真面目に聞いてみようとする若手政治家は、自民党内にも多くないだろうと思われる。そうなると、アマノジャクな私は、敢えて今さらこんな本と言われそうな本書を読んでみることにした。
結果は…まあ、やっぱり駄目なものは駄目だ。アメリカに依存しない、真に独立自存の日本をつくろうとした情熱は分かる。そのためには、自前の軍備が必要だという主張もスジが通っている。また、実はアジア重視の外交ビジョンを持っていたこともよく分かった。特に中韓と良好な関係を保つことの重要性はよく理解していて、自分の靖国神社参拝によって、中国の胡錦濤氏が窮地に立たされていることを知ると、すぐに参拝を中止したという。彼の場合、「公式参拝した」イメージが強すぎて、「中止した」決断が忘れられているのは残念なことだ。
それから、首相は自国の歴史を学び、伝統と文化を体現している必要がある、という主張にも賛成する。しかしなあ、その結果が「わび、さび、もののあはれ」と「天皇」だというところが私にはガッカリなのだ。そういう日本史観・日本文化論が、決して普遍的・客観的なものではなくて、特定の時代思潮の影響を受けた「流行」に過ぎない、という反省を、なぜ持てないかなあ、と思う。自戒として、老いて一時代の「流行」に囚われないためには、若い頃から何でも博く学んでおくことだと思った。