不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

三島の愛した童心と古典/文楽・鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)

2010-09-23 23:11:56 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 9月文楽公演『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』『鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)』(2010年9月20日)

 最初の演目『良弁杉由来』は、東大寺の初代別当・良弁上人の出生伝説(鷲の子育て)に取材。しかし、作品自体は『三拾三所花野山』として明治20年に初演されたというから、完全な近代戯曲だ。ええ~そうなのぉ。確かに古い戯曲と比べると、善悪理非のスジが通り過ぎているかもしれない。聴きどころは「桜宮物狂いの段」の鶴澤清治さんの三味線。昨年の『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』ですっかりファンになってしまったので、彼が床に上がると、舞台(吉田文雀さんが人形を遣っているのに!)に目もくれず、清治さんの撥さばきを注視し続けた。彼の音色は、私には「口説き」の連続に聴こえる。情念の深さがタンゴみたい…と形容したら、突拍子もないかしら。

 文雀さんをさすが、と思ったのは「二月堂の段」で「の老婆」に身をおとした渚の方が、おそるおそる、良弁上人(実は鷲にさらわれた我が子、光丸)に身の上を語り出す下り。短い片袖を舞台に掛けるなど、小さな所作にも神経が行き届いていて、ほんとに落涙してしまった。綱大夫さんの語りは、聴きやすくていいなあ。三味線は鶴澤清二郎さん。

 『鰯売恋曳網』は、三島由紀夫の新作歌舞伎として昭和29年初演、現在も人気演目のひとつだそうだ。これを、織田紘ニ氏(国立劇場理事 ※理事なのに仕事してるんだなー)が文楽の台本に改め、豊竹咲大夫、鶴澤燕三が「いかにも文楽の古典らしい曲調で」節付けしたものが、本公演で初公開となった。ううむ、文楽って攻める芸術だなあ。これだけ人気があるのだから(ほんとにチケットが取れない)、伝統的な演目を繰り返し公演していてもよさそうなものを、果敢に新作(新しい伝統)の創出に挑むチャレンジ精神に敬服する。

 三島の戯曲は、お伽草子や奈良絵本で愛読された『猿源氏草紙』の物語をもとにしているそうだ。私は『猿源氏草紙』の物語を知らなかったので、鰯売りの猿源氏が惚れた美女・蛍火が、上臈女房でなく遊女であるというのも、蛍火の憧れが鰯売りの女房になることだったというのも、三島の「ひねり」だろうと思った。そうしたら、少なくとも前者は原作のままらしい。当時の読者にとって、遊女=ヒロインは問題なしなんだな。後者は、三島らしいウィットに富んだ展開で好きだ。東国の大名に化けて、蛍火を騙しおおせたはずの猿源氏は、慌てて自分が正真正銘の鰯売りであることを打ち明け、ハッピーエンドになだれ込む。

 男女の機微をいとおしむ繊細さはロココふうで、晴れやかで確固とした結構は古典的な人間喜劇が楽しめる。人形の振付は藤間勘十郎が手がけたそうで、ところどころ、なるほどと思わせる美しい所作が見られる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都いまむかし/私の日本地図・京都(宮本常一)

2010-09-23 20:44:51 | 読んだもの(書籍)
○宮本常一『私の日本地図(14)京都』(宮本常一著作集別集) 未来社 2010.2

 著者が「何回おとずれたか思い出せぬほどである」という京都の思い出を語った本。原本は昭和50年(1975)の刊行だが、大正末年の「参観者の姿をほとんど見かけなかった」ひっそりした国立博物館の様子とか、柳田国男先生から「詩仙堂はいいよ」と勧められた話とか(私もあそこは好きだ)、戦前は清水寺の音羽の滝で水垢離をとる中年の女性が多かったとか、さまざまな古物語が採録されている。

 昭和2年の秋(著者20歳の頃か)、丹波に住む友人の死に遭って、墓参に出かけた帰り、さびしさに堪えかねて嵯峨野で列車を下り、清涼寺(釈迦堂)を訪ねて、友人の供養を願い出ると、すぐに7、8人の僧が支度を整えて本堂で読経してくれた、という話は特に感慨深かった。本来、寺の役割ってこういうことだから、驚くことではないのだろうけど…信仰が生きていた時代のエピソードだなあ、と思った。

 日本の一般民衆は、生涯に一度は「伊勢参り」をするものとされ、同時に京都・奈良・高野山にも参詣した。昭和20年代の関東(湯河原)の聞書でも、ムラの老人たちは、京都には行ったことがあるが、江戸には行ったことがない、と答えていたそうだ。面白い証言だが、この当時、既に若者の意識は「東京」に集中していたのではないかしら。少し世代間格差があると思う。

 著者は、二条城があまり好きでないらしい。いかめしい堀と石垣は、京都の開放的な街衆文化には合わないと見ていたようだ。秀吉が築いたお土居も漸次壊された。「京都市民にとって大切なのは、土居を築いて防衛体制をかためることではない。戦争のない町をつくることであった」という記述には、本書の書かれた「戦後」の影が落ちているような気がする。

 また著者は、京都の町衆が「仮名」を通じて宮廷文化を咀嚼し、全国の民衆にそれを広める役割を果たしたのに対し、「漢文脈」(中国思想)をバックボーンとする江戸文化は武士だけのものだった、というような説明をしている(単純化すれば)。面白いけど、ちょっと整理され過ぎた仮説じゃないかと思う。

 広い見聞と学術的な仮説によって、古代から近現代までを自在に行き来する本書の記述であるが、ほぼ毎ページに(200点以上?)掲載されている白黒写真は、1960~70年代の京都の風景である。寺院の境内や史跡・名勝の様子はあまり変わっていないのに、ちらっと写り込んだ町の様子や人々の服装が、既に古写真っぽくて面白い。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西よくばり旅行(2):藤田美術館、湯木美術館など

2010-09-23 00:54:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
藤田美術館 平成22年秋季展『季節を愉しむI 秋~新春の美術』(2010年9月11日~12月12日)

 週末旅行、2日目も欲張る。藤田美術館へは、今年の春季展に初めて訪ねて、一目で好きになってしまった。展示施設は、二階建ての古い蔵をそのまま転用している。歩くとギシギシ音がするし、空調設備がないため、真夏と真冬はさすがに開館できないらしいが、厚い壁に守られているので、意外と涼しい。収蔵品は、まだ全貌を掴んでいないが、かなり奥が深そう。今回の注目、ひとつは『両部大経感得図・龍猛(りゅうみょう)』(国宝)。内山永久寺の障子絵だったものだ。日本的な山水を背景に立つ小塔の戸口で、一夜の宿を借りにきた風情の龍猛と、狭い塔内にひしめく阿吽の金剛力士、甲冑姿の天王?が、お伽噺のようで微笑ましい。

 『玄奘三蔵絵』(国宝)は、一目見て、あ、高階隆兼だ!(春日権現験記絵巻の)と分かるような場面が出ていた。第3巻第3段、粉雪舞う天山山脈越えのシーンである。人々の足元低く飛ぶ極彩色の鳥が、想像を絶する異国の山の高さを感じさせる。深海を思わせる緑色の山襞が眩惑的。平安時代の鬼面(追儺)面も興味深い。裏面に「寛平六年」の墨書あり。

適塾(旧緒方洪庵住宅)(大阪市中央区北浜)

 『福翁自伝』を読み、さらに昨年、ドラマ『JIN-仁-』を見て以来、適塾の遺構に一度行ってみたいと思っていた。五姓田義松描く緒方洪庵先生と妻・八重さんの肖像画があった。大阪の町屋建築を体験することができ、蘭和辞書の系統図(ヅーフハルマ=長崎ハルマとハルマ和解=江戸ハルマ)や、洪庵抄訳『扶氏医戒之略』について学べたことも収穫。なお、同じ一角に残る土塀に囲まれた重厚な木造建築は、府内で最も古い大阪市立愛珠幼稚園である(個人ブログ:混沌写真)。現役の幼稚園のため、ふだんは内部を見ることはできない。

湯木美術館 平成22年秋季特別展『上方豪商の茶道具』(2010年9月11日~12月12日)

 適塾遺構から徒歩10分圏内。オフィス街の一角にある湯木美術館を初訪問。『吉兆』の創業者、湯木貞一氏の茶の湯コレクションを公開している。今回の展示では、茶道具の説明に加えて、それを伝えた「○○家」について、創業年や家業の変遷を記しているところが面白い。道入の赤楽茶碗「銘・是色(ぜしき)」が印象深かった。

野村美術館 秋期特別展『一楽二萩三唐津』(前期:2010年9月4日~10月17日)

 京都へ移動。やはり初訪問の野村美術館へ。永観堂の真向かいなので、門前までは何度か来たことがあるはず。茶人好みのやきものを列挙した「一楽二萩三唐津」の言にしたがって、楽焼、萩焼、唐津焼の名品を展示。ひとくちに萩焼と云い、唐津焼と云っても、いろいろあるんだなあ、と思う。その点、一子相伝の楽焼は、なんと言うか筋が通っている。ノンコウ(道入)の「向獅子香炉(銘・極楽)」が、か、可愛い…。

■西福寺(左京区南禅寺草川町)

 南に下り、上田秋成の墓を訪ねたことは別掲

泉屋博古館 創立50周年記念特別企画『住友コレクションの中国美術』(2010年9月4日~10月17日)

 Uターンして北上し、前日に続き、「安晩帖リピート入館券」で同館を再訪。この日(9/19)は1枚ページが進んで「叭々鳥図」が公開されていた。ふわふわの羽毛、人間臭すぎるポーズがいとおしい。これで私は『安晩帖』22面のうち、
・「瓶花図」2007-10-05記
・「蓮翡翠図」2009-03-24記(※粟の穂に雀かと思っていた)
・「魚図①」2010-09-22記
・「叭々鳥図」2010-09-23記
やっと4面を見たことになる。22面を制覇できるのはいつの日か。これって一度に全面を広げられる折本じゃないのね…と、うらみがましく装丁を眺める。

 以上で、仏像・絵画・茶道具・近代建築まで、欲張り尽くした週末旅行は終了である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする