見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

岩崎家のコレクション/三菱が夢見た美術館(三菱一号館美術館)

2010-09-09 23:54:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○三菱一号館美術館 『三菱が夢見た美術館-岩崎家と三菱ゆかりのコレクション』(2010年8月24日~11月3日)

 建物の話から始めたい。

 本年4月に開館した同美術館が次第に姿を現し始めた頃、たまたま周辺を通りかかり、見慣れぬ風景の出現にびっくりした記憶がある。2009年4月竣工というから、2008年の晩秋くらいの出来事だったろうか。同館は、1894(明治27)年、三菱が建設した日本初の洋風事務所建築である。老朽化のため、1968(昭和43)年に解体されたが、このたび40年余りの時を経て、原設計に忠実に復元された。すごい。「保存」や「補修」ではなく「復元」というところがミソ。「創建当時と同じ約230万個の赤煉瓦を積み上げるなどして」と書かれたサイトもあった。

 気になって、復元前の姿をネットで探したら、次のような写真が出てきた。

デジカメ散歩・ブログ版(2004年12月20日)
取り壊し前の三菱商事ビル・古河ビル・丸の内八重洲ビル。そうそう、私のなじみの丸の内風景はこれ。

デジカメ散歩:丸の内界隈建築散歩(2005年)
三菱一号館の復元に伴い、取り壊しの決まった「丸の内八重洲ビル」の写真多数。これもいい建築だったのに残念…と思ったら↓

夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所(2009年5月16日)
かろうじて残ったみたい。よかった。

ケンプラッツ建築・住宅(2008年3月11日)
工事の始まっている施工現場。

※参考:織部製陶「三菱一号館復元プロジェクト」
明治煉瓦の復元について。

 さて、本展は、三菱&岩崎家ゆかりの静嘉堂、東洋文庫所蔵の名品、さらに三菱系企業と個人所蔵の作品を紹介するもの。個人的には、第1室の山本芳翠描く「十二支」シリーズの3点『丑(牽牛星)』『午(殿中幼君の春駒)』『戌(祇王)』に魂を抜かれてしまった。「三菱重工所蔵」って、えええ、どういうこと?と思って、図録を買って読んでみたら、芳翠の親友の海軍造船士官・若山鉉吉の妻が後藤象二郎の三女で、岩崎弥之助(弥太郎の弟)と姻戚関係にあったという。なるほど。黒田清輝の『裸体女人像』(1901年)は、”警察が下半身を布で覆った”というエピソードをすぐに思い出したが、この迫力ある裸体画が静嘉堂にあるって、不思議だなあ。

 その静嘉堂からは、曜変天目茶碗のほか、重文「徒然草」写本や慶長勅版「日本書紀」など和漢の見慣れた典籍が出品されていた。唯一、おや見慣れない、と思ったのは、あまりうまくない岩崎弥太郎の一行書。「東山散人」と署名されている。

 東洋文庫の所蔵品は、あまり見たことがないので興味深かった。笑ったのは、土佐海援隊蔵板の『和英通韻以呂波便覧』で、封面(だっけ?)に「蟹行字(※横文字の意)阿蘭陀人書」ってあるけど、これって目録に取るのかな(と首を傾げたが、NACSIS Webcatで検索したら、みんな、ちゃんと取っている)。アムステルダム版『ターヘル・アナトミア』は、日本語版『解体新書』を何度も見たことがあるのに比べて、めずらしかった。蔵書印が「藤井」と読めたので、誰かと思ったら、医学史家・藤井尚久の旧蔵本だという。展示キャプションには、こうした解説がないので、カタログを買わざるを得なかった。

 こうした典籍や工芸品、日本絵画に比べて残念なのは、岩崎家が所蔵していた西洋絵画コレクションは、関東大震災や東京大空襲で被災、失われた可能性が高いということ。残念である。カタログや写真類から、これこそ「復元」できないものだろうかね。
コメント
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