○日本民藝館 『朝鮮時代の絵画-19世紀の民画を中心に』(前期:2011年9月13日~10月16日、後期:10月18日~11月23日)
先々週末、今日が前期の最後だった!と気づいて、慌てて行って来た。そして、先週末には、始まったばかりの後期にも。なので、前後期まとめてレポートする。伝統的な描法や合理的な構図に捉われない、明快で大らかな魅力に満ちた「朝鮮民画」約100点を展示。
まず前期。2階の大展示室に入って、あーなるほど、と思う。展示されているのが、いわゆる絵画作品だけでないのだ。屏風や軸物の間に、木工品や石像や陶磁器が、混然と並んでいる。本展の出品リストからは、それらは省かれているが、実際に鑑賞する際は、陶磁器に描かれた草花や動物も「民画」の一種として眺めていくことになる。リストに載っている作品にも、刺繍があったり、ガラス絵があったり、粉板(牧童図)があったりして、絵画と工芸の区別は曖昧である。ちなみに「粉板」とは、粉をこねるのに使うのかと思ったら、そうではなくて、習字の練習板だそうだ。
面白かったのは、手書き・色絵入りの『占書』2冊。手に持って読むことを想定していないのか、やたらとデカい。1冊は漢文、1冊はハングルだった。手書きの縦書きハングルって、満州文字やモンゴル文字に似ていると思う。これは、刺繍の『狩猟図』を見て、朝鮮って両班(ヤンバン)文化だけでなくて、騎馬民族文化もそれなりに継承していたんだな、と感じた影響もあるかもしれない。
大展示室を出ると、大階段の裏側には、金庾信(ユシン)墓の十二支像画像石の拓本5点(巳、酉、午、丑、龍)が展示されていた。驚くほど明瞭な拓本である。日本民藝館って、こんな資料も持っていたのか。ほか、大津絵や泥絵など、日本の絵画も味わいのある絵画資料が展示されていて面白かった。
2階の第3展示室が、大展示室を補うかたちで、「鑑賞画と記録画」を中心とした朝鮮絵画の特集になっていることに気づく。さりげなく李巌の『花下狗子図』(16世紀)が出ていたりして、驚いた。これも日本民藝館の所蔵なんだなあ。同館では、ほとんど見たことがない。伝・李巌筆『猫蝶図』も好き。いま調べたら、中国では、猫と蝶に長寿を祝う意味があるそうだ(以上は前期のみ)。
さて、後期である。一般の展示はほとんど変わっていないが、『朝鮮時代の絵画』に関しては、総入れ替えに近い。ただし、元来が無記名の民藝(民画)であるから、雰囲気はさほど違わない。注目は『天下図』(折本?)。前期は、朝鮮国内の地方図が展示されていたが、後期は、天下図・日本国図・琉球図・中国図・それに朝鮮全図(我国)の5図が開かれている。その天下図(世界図)があまりに稚拙で、ええ~19世紀でこれかよ~と思うと可笑しくて仕方ない。日本国図・琉球図もかなりテキトー。中国図は、さすがに主な地名の位置関係は正しく把握しており、文人の教養として、黄鶴楼とか岳陽楼とかまで正確なのが、また可笑しい。
こんな書き方をすると朝鮮絵画を貶めているようだが、私は「どうしてこうなった」的な『瀟湘八景』とか、「朝鮮民画」の破壊力が大好きなのである。
後期にも紙本の『狩猟図』が出ている。でも弓矢でなく、青龍刀や二刀流で、虎や猪を追いつめるって有り? 三国志演義や水滸伝の版本から、構図を借りてきているのではないかと疑う。馬上の人々は、お椀に毛皮を巻いたような帽子をかぶり、満州族の風俗に見える。余談だが、朝鮮民画の虎図って、前脚を交差させたポーズが多いのはなぜなんだろう。文字絵は前後期とも多かったが、後期に版画(墨摺)の『孝悌忠信』というのがあり、ふと谷中安規の作品を思い出した。谷中さん、一時期、朝鮮に渡っていたことがなかったっけ。
第3室もすっかり入れ替わった。李巌の『架鷹図』が見られる。若冲の『鸚鵡図』を思い出す人もいると思う。『青紫聯芳図』は茄子と瓜の図。「中国・明時代(伝・朝鮮時代)」と成立時期・国が訂正されている。まだまだ、中国/朝鮮/日本絵画の整理って、これから進むんだろうな、と思う。『文官肖像』は、西洋絵画の学習を思わせる異色の写実画。でも、やっぱり民画のほうが好きだ。
先々週末、今日が前期の最後だった!と気づいて、慌てて行って来た。そして、先週末には、始まったばかりの後期にも。なので、前後期まとめてレポートする。伝統的な描法や合理的な構図に捉われない、明快で大らかな魅力に満ちた「朝鮮民画」約100点を展示。
まず前期。2階の大展示室に入って、あーなるほど、と思う。展示されているのが、いわゆる絵画作品だけでないのだ。屏風や軸物の間に、木工品や石像や陶磁器が、混然と並んでいる。本展の出品リストからは、それらは省かれているが、実際に鑑賞する際は、陶磁器に描かれた草花や動物も「民画」の一種として眺めていくことになる。リストに載っている作品にも、刺繍があったり、ガラス絵があったり、粉板(牧童図)があったりして、絵画と工芸の区別は曖昧である。ちなみに「粉板」とは、粉をこねるのに使うのかと思ったら、そうではなくて、習字の練習板だそうだ。
面白かったのは、手書き・色絵入りの『占書』2冊。手に持って読むことを想定していないのか、やたらとデカい。1冊は漢文、1冊はハングルだった。手書きの縦書きハングルって、満州文字やモンゴル文字に似ていると思う。これは、刺繍の『狩猟図』を見て、朝鮮って両班(ヤンバン)文化だけでなくて、騎馬民族文化もそれなりに継承していたんだな、と感じた影響もあるかもしれない。
大展示室を出ると、大階段の裏側には、金庾信(ユシン)墓の十二支像画像石の拓本5点(巳、酉、午、丑、龍)が展示されていた。驚くほど明瞭な拓本である。日本民藝館って、こんな資料も持っていたのか。ほか、大津絵や泥絵など、日本の絵画も味わいのある絵画資料が展示されていて面白かった。
2階の第3展示室が、大展示室を補うかたちで、「鑑賞画と記録画」を中心とした朝鮮絵画の特集になっていることに気づく。さりげなく李巌の『花下狗子図』(16世紀)が出ていたりして、驚いた。これも日本民藝館の所蔵なんだなあ。同館では、ほとんど見たことがない。伝・李巌筆『猫蝶図』も好き。いま調べたら、中国では、猫と蝶に長寿を祝う意味があるそうだ(以上は前期のみ)。
さて、後期である。一般の展示はほとんど変わっていないが、『朝鮮時代の絵画』に関しては、総入れ替えに近い。ただし、元来が無記名の民藝(民画)であるから、雰囲気はさほど違わない。注目は『天下図』(折本?)。前期は、朝鮮国内の地方図が展示されていたが、後期は、天下図・日本国図・琉球図・中国図・それに朝鮮全図(我国)の5図が開かれている。その天下図(世界図)があまりに稚拙で、ええ~19世紀でこれかよ~と思うと可笑しくて仕方ない。日本国図・琉球図もかなりテキトー。中国図は、さすがに主な地名の位置関係は正しく把握しており、文人の教養として、黄鶴楼とか岳陽楼とかまで正確なのが、また可笑しい。
こんな書き方をすると朝鮮絵画を貶めているようだが、私は「どうしてこうなった」的な『瀟湘八景』とか、「朝鮮民画」の破壊力が大好きなのである。
後期にも紙本の『狩猟図』が出ている。でも弓矢でなく、青龍刀や二刀流で、虎や猪を追いつめるって有り? 三国志演義や水滸伝の版本から、構図を借りてきているのではないかと疑う。馬上の人々は、お椀に毛皮を巻いたような帽子をかぶり、満州族の風俗に見える。余談だが、朝鮮民画の虎図って、前脚を交差させたポーズが多いのはなぜなんだろう。文字絵は前後期とも多かったが、後期に版画(墨摺)の『孝悌忠信』というのがあり、ふと谷中安規の作品を思い出した。谷中さん、一時期、朝鮮に渡っていたことがなかったっけ。
第3室もすっかり入れ替わった。李巌の『架鷹図』が見られる。若冲の『鸚鵡図』を思い出す人もいると思う。『青紫聯芳図』は茄子と瓜の図。「中国・明時代(伝・朝鮮時代)」と成立時期・国が訂正されている。まだまだ、中国/朝鮮/日本絵画の整理って、これから進むんだろうな、と思う。『文官肖像』は、西洋絵画の学習を思わせる異色の写実画。でも、やっぱり民画のほうが好きだ。