○日本橋高島屋 萬福寺 開創350周年記念『隠元禅師と黄檗文化の魅力』(2011年12月27日~2012年1月16日)
明けましておめでとうございます。2012年もどうぞよろしく。
今年は1月2日から東博の特別展が始まったり、いろいろ気になる展覧会があったのだが、大好きな万福寺(※以下、この表記で)の東京出開帳(?)ということで、初詣がわりに行ってみた。ネットの情報で、韋駄天立像が来ることは分かっていたが、あとは書画中心かな~と思っていた。デパートの催しだし。
そうしたら、広い会場の一角は寺院のお堂を模し、手前には、礼拝用の楽器、奥の須弥壇ふうの展示台には、韋駄天立像と華光菩薩像が並んでいた。おお、華光菩薩に初詣ができるなんて(中華ファンとしては)ラッキー!と心の中で叫んだ。でも、万福寺では、全く離れたお堂に安置されている韋駄天と華光菩薩が、こうして並ぶのは珍妙だよなあ、と苦笑したが、あとで、日野の正明寺にも同じような並びがあったことを思い出した。
二像の並び(外側)には、巨幅の『達磨像』と『関羽像(関聖帝君像)』。がきデカのこまわりくんみたいな悪相の関羽像は、2009~2010年の『道教の美術』展で見逃し、2011年、九州国立博物館の『黄檗』展で、ようやく見ることのできた因縁の作品。全く期待もしていなかったデパートの会場で再会してしまうのだから、妙なものだ。大きな靴の一方を掲げた達磨像は、すっかり「再会」のつもりでいたが、実は初見だった。『黄檗』展の図録の印象が、あまりに強烈だったもので。
さらに両脇には、万福寺大雄宝殿の十八羅漢像から左右に3体ずつ。展示台が低いので、間近に眺めることができて嬉しい。迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者というのでしょうか、足を崩した遊戯坐(ゆげざ)が優雅。でもこれは、膝のあたりに本(折本だな)を持ち、学問にいそしむ姿なのだそうだ。託迦(はんたか)尊者は、左手に掲げた鉢の中から龍を呼び出すところ。身を屈めた小さな龍が、フィギュアっぽくてかわいい。尊者の右手にあるのは、龍から取り上げた玉なのだろうか。
会場内に流れる梵唄(ぼんばい)を楽しみながら、書画のセクションへ。ここでは、隠元禅師や黄檗僧の書画もさることながら、万福寺にゆかりの深い若冲にスポットが当たっていたのが、予想外だった(高島屋のサイトにはそんな情報はなかったので)。
万福寺23世住持の肖像『蒲庵浄英像』は、若冲が還暦以後、改元ごとに年齢を加算した典拠とされる作品だが、写実と省略の共存が、絵画としてもすごく面白い。草堂寺の『隠元豆・玉蜀黍図』も出ている。隠元豆は、まさに隠元禅師が17世紀に持ち込んだもの、トウモロコシもWikiを見たら16世紀末の伝来で、本格的に栽培されたのは「明治初期」だというから、ずいぶん異国風な野菜だったんだろうな、若冲の時代には。
若冲に影響を与えたといわれる鶴亭や蘭渓(河村)若芝の作品もたくさん出ていて、面白かった。若芝の『石灯籠図』、気持ちわるい絵だけど、気になる。
地味なところで、あ、宝蔵院(万福寺の隣)の鉄眼版一切経の版木だ、と思ったら、『旧鉄眼版一切経版木』(愛知・長福寺)というキャプションがついていた。なぜ愛知に?と思って、いま調べているけど謎である。
それから、隠元禅師の年譜を見ていたら、このひとは62歳で日本に来て、ついに本国には戻らず、82歳で没している。すごいな、この決断と行動力。元旦に、さまざまなセカンド・ライフに踏み出した先輩たちの年賀状を眺めたり、私も「現役」時代があと10年を切ったなあ、定年後はどう過ごそうか、などと考えたりしていたので、余計に感慨深かったのだ。
※残念だったのは、会場内に設けられた煎茶席がお休みだったこと。詳しくは高島屋のサイトで。
明けましておめでとうございます。2012年もどうぞよろしく。
今年は1月2日から東博の特別展が始まったり、いろいろ気になる展覧会があったのだが、大好きな万福寺(※以下、この表記で)の東京出開帳(?)ということで、初詣がわりに行ってみた。ネットの情報で、韋駄天立像が来ることは分かっていたが、あとは書画中心かな~と思っていた。デパートの催しだし。
そうしたら、広い会場の一角は寺院のお堂を模し、手前には、礼拝用の楽器、奥の須弥壇ふうの展示台には、韋駄天立像と華光菩薩像が並んでいた。おお、華光菩薩に初詣ができるなんて(中華ファンとしては)ラッキー!と心の中で叫んだ。でも、万福寺では、全く離れたお堂に安置されている韋駄天と華光菩薩が、こうして並ぶのは珍妙だよなあ、と苦笑したが、あとで、日野の正明寺にも同じような並びがあったことを思い出した。
二像の並び(外側)には、巨幅の『達磨像』と『関羽像(関聖帝君像)』。がきデカのこまわりくんみたいな悪相の関羽像は、2009~2010年の『道教の美術』展で見逃し、2011年、九州国立博物館の『黄檗』展で、ようやく見ることのできた因縁の作品。全く期待もしていなかったデパートの会場で再会してしまうのだから、妙なものだ。大きな靴の一方を掲げた達磨像は、すっかり「再会」のつもりでいたが、実は初見だった。『黄檗』展の図録の印象が、あまりに強烈だったもので。
さらに両脇には、万福寺大雄宝殿の十八羅漢像から左右に3体ずつ。展示台が低いので、間近に眺めることができて嬉しい。迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者というのでしょうか、足を崩した遊戯坐(ゆげざ)が優雅。でもこれは、膝のあたりに本(折本だな)を持ち、学問にいそしむ姿なのだそうだ。託迦(はんたか)尊者は、左手に掲げた鉢の中から龍を呼び出すところ。身を屈めた小さな龍が、フィギュアっぽくてかわいい。尊者の右手にあるのは、龍から取り上げた玉なのだろうか。
会場内に流れる梵唄(ぼんばい)を楽しみながら、書画のセクションへ。ここでは、隠元禅師や黄檗僧の書画もさることながら、万福寺にゆかりの深い若冲にスポットが当たっていたのが、予想外だった(高島屋のサイトにはそんな情報はなかったので)。
万福寺23世住持の肖像『蒲庵浄英像』は、若冲が還暦以後、改元ごとに年齢を加算した典拠とされる作品だが、写実と省略の共存が、絵画としてもすごく面白い。草堂寺の『隠元豆・玉蜀黍図』も出ている。隠元豆は、まさに隠元禅師が17世紀に持ち込んだもの、トウモロコシもWikiを見たら16世紀末の伝来で、本格的に栽培されたのは「明治初期」だというから、ずいぶん異国風な野菜だったんだろうな、若冲の時代には。
若冲に影響を与えたといわれる鶴亭や蘭渓(河村)若芝の作品もたくさん出ていて、面白かった。若芝の『石灯籠図』、気持ちわるい絵だけど、気になる。
地味なところで、あ、宝蔵院(万福寺の隣)の鉄眼版一切経の版木だ、と思ったら、『旧鉄眼版一切経版木』(愛知・長福寺)というキャプションがついていた。なぜ愛知に?と思って、いま調べているけど謎である。
それから、隠元禅師の年譜を見ていたら、このひとは62歳で日本に来て、ついに本国には戻らず、82歳で没している。すごいな、この決断と行動力。元旦に、さまざまなセカンド・ライフに踏み出した先輩たちの年賀状を眺めたり、私も「現役」時代があと10年を切ったなあ、定年後はどう過ごそうか、などと考えたりしていたので、余計に感慨深かったのだ。
※残念だったのは、会場内に設けられた煎茶席がお休みだったこと。詳しくは高島屋のサイトで。