○黒田俊雄『寺社勢力:もう一つの中世社会』(岩波新書) 岩波書店 1980.4
年末に神田の三省堂で見つけた「アンコール復刊」の1冊。平安時代の中頃から戦国時代の末まで、600年間にわたり、「中世とともに興隆し、中世とともに衰退した」寺社勢力の実態について論ずる。私は、日本中世史に詳しくないので、難しいかなと思ったが、読み始めたら、時間を忘れるくらい面白かった。
読み終えて、あらためて表紙を見て「もう一つの」って何だっけ?と首をひねった。「まえがき」に戻ってみたら、「今日一般になされているように中世の社会と国家のしくみを武士と農民を主軸に理解するのでなく、とかく社会の例外的な存在と扱われがちな寺社勢力」の歴史を「もう一つの異なった中世として描き出そうとした」と説明されていた。そうかー。本書の刊行された1980年には「武士と農民を主軸」とする日本史が圧倒的に主流だったんだな、ということを、しみじみ感じた。今日では、ずいぶん違っているのではなかろうか。
私は学生時代に「武士と農民を主軸」とする日本史を、あまりきちんと学んでこなかった。そのため、今でも武家政権の指導者とか画期的イベントについての知識は、情けないほど乏しい。その一方、寺社詣好きと古美術好きが幸いして、本書を読んでいると、ところどころで知っている人名(僧侶)・地名(寺社)に出会うのが、楽しくてしかたなかった。
ただし、本書は、著名な人物のエピソードを掘り起こしながら語るタイプの歴史書ではない。「中世前史」を語る冒頭こそ、9世紀初頭、渡唐して、新しい仏教をもたらした空海・最澄にスポットを当て、両者の個性の違いに言及するが、その後はむしろ「寺院大衆」とはどういう集団であったか、「真言宗」「天台宗」「南都諸宗」などの教団にどんな個性と特色があったか、寺院内あるいは寺院相互の抗争の類型はいかなるものであったか、寺院における決定(大衆僉議=だいしゅせんぎ)」では、具体的にどのような手続きが取られたか、等々が語られていく。僧侶たちの装束、所作、言葉(定型化した応答)などが、目の前に生き生きと浮かぶようで楽しい。
「寺社勢力」が興隆をきわめた10世紀から12世紀、南都・北嶺を中核とする大寺院の周縁部に「聖」という言葉で総称される寺院外の宗教家の活動があったこと、また顕密仏教の内部からの改革運動や、異端的な宗教運動があったことにも、本書は目配りを怠らない。空也、法然、貞慶、高弁(明恵)などの活動は、この段で語られる。また、地方の寺院、貴族の氏寺、村堂・町堂、別所・草庵、さらに寺院と結びついた大小の神社にも、それぞれの生活があり、帰依者や篤信者があった。
本書を読むと、中世とは、もちろん生きていくには大変な時代だったろうと思うのだが、大小さまざまな集団が共存し、学僧などある種の人々(あくまで「例外的な存在」なのかな~)は、意外と自由に往来していたように思われ、一面では、律令制の古代よりも、幕藩体制の近世よりも、のびのびした空気が感じられる。
時代を追っていくと、13世紀末から14世紀は、公武の政治的安定が保たれ、寺社もその平穏に浴していた時代。叡尊、忍性、一遍など革新の第二波が現れる一方、禅宗の繁栄など、変容と混沌の兆しが見え始める。14~15世紀には、福神信仰、神秘主義の流行。寺院勢力に決定的な打撃を与えたもののひとつは一向一揆であり、もうひとつは戦国大名の領国支配と軍事支配だった。そして、最終的に信長・秀吉の登場により、天下は「統一権力の制圧下」になり、「一切の中世的社会勢力は滅亡」したと本書は結ばれる。著者の「中世」に対する愛着と哀惜が強く感じられる一文である。
短い「あとがき」は、多くの問題を読者に投げかけているが、ここには一つだけ引いておこう。「寺社勢力は新しい権力にとって、その支配体制に組みこむことのできない異質の、独立的な存在であった」という指摘。そうであれば、寺社勢力とは、最も中世らしい勢力であったと言えるかもしれない。近世初期、多くの寺社が再建され、幕藩体制に照応した宗教体制が確立した。しかし、それを、中世の寺社勢力の末裔と見誤ってはならない。本書は、厚い霧の彼方に去ってしまった中世という時代を、しばし身近に引き寄せてくれる1冊である。
年末に神田の三省堂で見つけた「アンコール復刊」の1冊。平安時代の中頃から戦国時代の末まで、600年間にわたり、「中世とともに興隆し、中世とともに衰退した」寺社勢力の実態について論ずる。私は、日本中世史に詳しくないので、難しいかなと思ったが、読み始めたら、時間を忘れるくらい面白かった。
読み終えて、あらためて表紙を見て「もう一つの」って何だっけ?と首をひねった。「まえがき」に戻ってみたら、「今日一般になされているように中世の社会と国家のしくみを武士と農民を主軸に理解するのでなく、とかく社会の例外的な存在と扱われがちな寺社勢力」の歴史を「もう一つの異なった中世として描き出そうとした」と説明されていた。そうかー。本書の刊行された1980年には「武士と農民を主軸」とする日本史が圧倒的に主流だったんだな、ということを、しみじみ感じた。今日では、ずいぶん違っているのではなかろうか。
私は学生時代に「武士と農民を主軸」とする日本史を、あまりきちんと学んでこなかった。そのため、今でも武家政権の指導者とか画期的イベントについての知識は、情けないほど乏しい。その一方、寺社詣好きと古美術好きが幸いして、本書を読んでいると、ところどころで知っている人名(僧侶)・地名(寺社)に出会うのが、楽しくてしかたなかった。
ただし、本書は、著名な人物のエピソードを掘り起こしながら語るタイプの歴史書ではない。「中世前史」を語る冒頭こそ、9世紀初頭、渡唐して、新しい仏教をもたらした空海・最澄にスポットを当て、両者の個性の違いに言及するが、その後はむしろ「寺院大衆」とはどういう集団であったか、「真言宗」「天台宗」「南都諸宗」などの教団にどんな個性と特色があったか、寺院内あるいは寺院相互の抗争の類型はいかなるものであったか、寺院における決定(大衆僉議=だいしゅせんぎ)」では、具体的にどのような手続きが取られたか、等々が語られていく。僧侶たちの装束、所作、言葉(定型化した応答)などが、目の前に生き生きと浮かぶようで楽しい。
「寺社勢力」が興隆をきわめた10世紀から12世紀、南都・北嶺を中核とする大寺院の周縁部に「聖」という言葉で総称される寺院外の宗教家の活動があったこと、また顕密仏教の内部からの改革運動や、異端的な宗教運動があったことにも、本書は目配りを怠らない。空也、法然、貞慶、高弁(明恵)などの活動は、この段で語られる。また、地方の寺院、貴族の氏寺、村堂・町堂、別所・草庵、さらに寺院と結びついた大小の神社にも、それぞれの生活があり、帰依者や篤信者があった。
本書を読むと、中世とは、もちろん生きていくには大変な時代だったろうと思うのだが、大小さまざまな集団が共存し、学僧などある種の人々(あくまで「例外的な存在」なのかな~)は、意外と自由に往来していたように思われ、一面では、律令制の古代よりも、幕藩体制の近世よりも、のびのびした空気が感じられる。
時代を追っていくと、13世紀末から14世紀は、公武の政治的安定が保たれ、寺社もその平穏に浴していた時代。叡尊、忍性、一遍など革新の第二波が現れる一方、禅宗の繁栄など、変容と混沌の兆しが見え始める。14~15世紀には、福神信仰、神秘主義の流行。寺院勢力に決定的な打撃を与えたもののひとつは一向一揆であり、もうひとつは戦国大名の領国支配と軍事支配だった。そして、最終的に信長・秀吉の登場により、天下は「統一権力の制圧下」になり、「一切の中世的社会勢力は滅亡」したと本書は結ばれる。著者の「中世」に対する愛着と哀惜が強く感じられる一文である。
短い「あとがき」は、多くの問題を読者に投げかけているが、ここには一つだけ引いておこう。「寺社勢力は新しい権力にとって、その支配体制に組みこむことのできない異質の、独立的な存在であった」という指摘。そうであれば、寺社勢力とは、最も中世らしい勢力であったと言えるかもしれない。近世初期、多くの寺社が再建され、幕藩体制に照応した宗教体制が確立した。しかし、それを、中世の寺社勢力の末裔と見誤ってはならない。本書は、厚い霧の彼方に去ってしまった中世という時代を、しばし身近に引き寄せてくれる1冊である。