○京都国立博物館 特別展覧会『狩野山楽・山雪』(2013年3月30日~5月12日)
5月14日現在、まだ残っている展覧会ホームページを開くと「狩野永徳展から6年。/永徳の画風を受け継ぎ、/京の地で花開いた『京狩野』誕生の物語を、/史上初の大回顧展でご紹介」という文句が流れる。
6年前の狩野永徳展、混んでたなあ。入館待ちの大行列が昨日のことのように思い出される。さすが狩野派随一のビッグネームである。それに比べると、この『山楽・山雪』展は空いていた。でも私は、永徳よりも山楽・山雪が好きだ。実は彼らのほうが、現代人が見て「分かりやすい」画家ではないかと思う。
少しWikiで復習。狩野山楽(1559-1635)は近江生まれ。浅井氏の家臣の子で、のち秀吉に仕え、豊臣方の残党の嫌疑をかけられるなど、波乱の人生を送る。永徳の養子となり、永徳様式を継承したといわれる。第1室、大覚寺の『牡丹図襖』は、桃山障壁画と異なる新しさを感じた。ポスターになっている妙心寺『龍虎図』のトラは、口の中まで写実的。言われてみると、虫歯予防のポスターみたいに、ちゃんと臼歯が描き込まれている。
狩野山雪(1590-1651)は肥前生まれ、狩野山楽の婿養子となる。最晩年に師・山楽の次男が起こした金銭トラブルで入牢する憂き目を見ている。近世画人の伝記って、それぞれ面白いなあ。京狩野代々の墓は泉涌寺にあるのか(拝観不可)。
山雪の人となりを知ったのは初めてだが、その作品は、長いこと気になっていた。辻惟雄先生の『奇想の系譜』にも取り上げられているし、山下裕二先生が『美術手帖』2008年6月号「京都アート探訪」で「障壁画BEST1」に推していたのも、狩野山楽・山雪筆の妙心寺天球院方丈襖絵だった。天球院は非公開寺院なので、いつか見る機会があったらいいなあと漠然と思っていたのだが、本展で『梅花遊禽図襖』および『朝顔図襖』(←美しい!)を見ることができて、大感激。米国メトロポリタン美術館蔵『老梅図襖(旧・天祥院障壁画)』は、2009年の妙心寺展で見たものだが、再会できて、嬉しかった。
しかし、山雪のイメージを、装飾的な襖絵・屏風だけでとらえていた私は、この展覧会でボロボロと目から鱗を何枚も落とすことになる。牧谿や等伯の描いたテナガザルを究極までキャラクター化した『猿候図』は、愛らしさと言い、薄墨の精妙な美しさと言い、若冲を思わせる。かと思えば、『寒山拾得図』(これも初見に非ず)の怪しい目つきは蕭白っぽく、いや、むしろ人の気配を徹底的に消した山水図のぞくぞくする「冴え」に蕭白を感じたり、これって応挙じゃない?とか、18世紀京都画壇の百花繚乱を準備した源泉が、山雪にはあると思った。「雪」へのこだわりも興味深い。
中国の故事・歴史画もずいぶん描いているけど、人の顔が定型化していなくて、魅力的だ。チェスター・ビーティ・ライブラリー(アイルランド)の『長恨歌図巻』見たかったんだ~。嬉しい! 古い絵巻物のように人物の大きさが一定でなく、ところどころモブシーンや、うんとカメラを引いたようなシーンがあって、面白かった。相撲協会相撲博物館所蔵の『武家相撲絵巻』もよくぞ掘り出してくれた。
出品リストを見ていると(博物館や美術館より)お寺の名前が目につく。こういう画家って、一般の美術ファンに認識されるのは難しいのだろうな。今回は、本当に貴重な展覧会だったと思う。
最後の部屋で『雪汀水禽図屏風』を見たときは嬉しかった。これ、リストを見ると京博の所蔵ではなくて個人蔵なのか。私は、2008年に京博の『暁斎 Kyosai』展を見に行ったとき、常設展示室でこれを見て、狩野山雪の名前を覚えた記念の作品なのである。大絶賛の展示キャプションを記録してあるので、参考までにどうぞ。→※記事
5月14日現在、まだ残っている展覧会ホームページを開くと「狩野永徳展から6年。/永徳の画風を受け継ぎ、/京の地で花開いた『京狩野』誕生の物語を、/史上初の大回顧展でご紹介」という文句が流れる。
6年前の狩野永徳展、混んでたなあ。入館待ちの大行列が昨日のことのように思い出される。さすが狩野派随一のビッグネームである。それに比べると、この『山楽・山雪』展は空いていた。でも私は、永徳よりも山楽・山雪が好きだ。実は彼らのほうが、現代人が見て「分かりやすい」画家ではないかと思う。
少しWikiで復習。狩野山楽(1559-1635)は近江生まれ。浅井氏の家臣の子で、のち秀吉に仕え、豊臣方の残党の嫌疑をかけられるなど、波乱の人生を送る。永徳の養子となり、永徳様式を継承したといわれる。第1室、大覚寺の『牡丹図襖』は、桃山障壁画と異なる新しさを感じた。ポスターになっている妙心寺『龍虎図』のトラは、口の中まで写実的。言われてみると、虫歯予防のポスターみたいに、ちゃんと臼歯が描き込まれている。
狩野山雪(1590-1651)は肥前生まれ、狩野山楽の婿養子となる。最晩年に師・山楽の次男が起こした金銭トラブルで入牢する憂き目を見ている。近世画人の伝記って、それぞれ面白いなあ。京狩野代々の墓は泉涌寺にあるのか(拝観不可)。
山雪の人となりを知ったのは初めてだが、その作品は、長いこと気になっていた。辻惟雄先生の『奇想の系譜』にも取り上げられているし、山下裕二先生が『美術手帖』2008年6月号「京都アート探訪」で「障壁画BEST1」に推していたのも、狩野山楽・山雪筆の妙心寺天球院方丈襖絵だった。天球院は非公開寺院なので、いつか見る機会があったらいいなあと漠然と思っていたのだが、本展で『梅花遊禽図襖』および『朝顔図襖』(←美しい!)を見ることができて、大感激。米国メトロポリタン美術館蔵『老梅図襖(旧・天祥院障壁画)』は、2009年の妙心寺展で見たものだが、再会できて、嬉しかった。
しかし、山雪のイメージを、装飾的な襖絵・屏風だけでとらえていた私は、この展覧会でボロボロと目から鱗を何枚も落とすことになる。牧谿や等伯の描いたテナガザルを究極までキャラクター化した『猿候図』は、愛らしさと言い、薄墨の精妙な美しさと言い、若冲を思わせる。かと思えば、『寒山拾得図』(これも初見に非ず)の怪しい目つきは蕭白っぽく、いや、むしろ人の気配を徹底的に消した山水図のぞくぞくする「冴え」に蕭白を感じたり、これって応挙じゃない?とか、18世紀京都画壇の百花繚乱を準備した源泉が、山雪にはあると思った。「雪」へのこだわりも興味深い。
中国の故事・歴史画もずいぶん描いているけど、人の顔が定型化していなくて、魅力的だ。チェスター・ビーティ・ライブラリー(アイルランド)の『長恨歌図巻』見たかったんだ~。嬉しい! 古い絵巻物のように人物の大きさが一定でなく、ところどころモブシーンや、うんとカメラを引いたようなシーンがあって、面白かった。相撲協会相撲博物館所蔵の『武家相撲絵巻』もよくぞ掘り出してくれた。
出品リストを見ていると(博物館や美術館より)お寺の名前が目につく。こういう画家って、一般の美術ファンに認識されるのは難しいのだろうな。今回は、本当に貴重な展覧会だったと思う。
最後の部屋で『雪汀水禽図屏風』を見たときは嬉しかった。これ、リストを見ると京博の所蔵ではなくて個人蔵なのか。私は、2008年に京博の『暁斎 Kyosai』展を見に行ったとき、常設展示室でこれを見て、狩野山雪の名前を覚えた記念の作品なのである。大絶賛の展示キャプションを記録してあるので、参考までにどうぞ。→※記事