関西旅行2日目(5/3)午後は奈良へ。大和文華館に行く予定にしていたのだが、京都の友人から「この時期は万葉植物園がおすすめですよ」という情報をもらって、気を変える。私は藤の花が大好きなのだ。
■万葉植物園
万葉植物園には、春日大社の社紋「下り藤」にもちなんで、20品種、約200本の藤の木が植栽されている。
↓ひときわ高い芳香を放つ「麝香藤(じゃこうふじ)」。
■春日大社宝物殿 『特別公開 華やかな屏風と祭礼図』(2013年4月17日~7月15日)
隣りの宝物殿も面白そうなので寄っていく。16世紀の『競馬図屏風』が目を引く。乗り尻(乗り手)たちの自由気ままな様子が、いかにも体育会系男子の集団っぽくて、微笑ましく楽しい。ふと自分のブログを調べたら、2011年歳末に奈良博の『おん祭と春日信仰の美術』展でも見ていた。
春日祭や春日若宮御祭を描いた江戸時代の絵巻も面白かった。記録資料として描かれたものだが、素朴な味わいには、美術品としての魅力もある。『春日権現記絵巻』は、冷泉為恭模写本の巻二と春日本の巻四が出ていた。前者は寛治御幸の図で、車の中に白河院の姿がある。顔は見えない。後者は、藤原忠実が出家を前に暇乞いに訪れたところで、第三殿の祭神が童形で現れ、やがて氏の長者となる忠通と頼長について託宣したという場面。え、どんな託宣だったのか、本文が読みたい。保元の乱を予見しているんだろうか。
春日大社本殿に参詣。名木「砂ずりの藤」も見ごろだった。
■東大寺三月堂
若草山のふもとを抜けて、手向山八幡宮から三月堂(法華堂)へ。そろそろ拝観が再開されると聞いたような気がしたので、様子を見に行った。
まだ扉は鎖されていて、中から電動ノコギリの唸るような音が聞こえていた。前面の立て看板に曰く、「平成22年度から行われていた法華堂須弥壇・諸尊像修理事業が本年3月末で終了しました。但し拝観再開のための準備作業が5月中旬までかかります。法華堂の拝観再開は5月18日(土)からです。今しばらくお待ち下さい」。味わいのある書き文字にしばし見とれる。
東大寺のホームページには「安置される諸尊像は、本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰です」とある。「日光・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王」は東大寺ミュージアムから戻ってこないのか。不空羂索観音と日光・月光菩薩は、私の記憶の中ですっかり一体化しているので、もう一緒に見られないのかと思うと悲しい。しかし、2010年秋の時点では、四天王像も戻ってくるかどうか分からない状態だったので、まあ良かったのかもしれない。
最後の奈良博はまた別稿。
■万葉植物園
万葉植物園には、春日大社の社紋「下り藤」にもちなんで、20品種、約200本の藤の木が植栽されている。
↓ひときわ高い芳香を放つ「麝香藤(じゃこうふじ)」。
■春日大社宝物殿 『特別公開 華やかな屏風と祭礼図』(2013年4月17日~7月15日)
隣りの宝物殿も面白そうなので寄っていく。16世紀の『競馬図屏風』が目を引く。乗り尻(乗り手)たちの自由気ままな様子が、いかにも体育会系男子の集団っぽくて、微笑ましく楽しい。ふと自分のブログを調べたら、2011年歳末に奈良博の『おん祭と春日信仰の美術』展でも見ていた。
春日祭や春日若宮御祭を描いた江戸時代の絵巻も面白かった。記録資料として描かれたものだが、素朴な味わいには、美術品としての魅力もある。『春日権現記絵巻』は、冷泉為恭模写本の巻二と春日本の巻四が出ていた。前者は寛治御幸の図で、車の中に白河院の姿がある。顔は見えない。後者は、藤原忠実が出家を前に暇乞いに訪れたところで、第三殿の祭神が童形で現れ、やがて氏の長者となる忠通と頼長について託宣したという場面。え、どんな託宣だったのか、本文が読みたい。保元の乱を予見しているんだろうか。
春日大社本殿に参詣。名木「砂ずりの藤」も見ごろだった。
■東大寺三月堂
若草山のふもとを抜けて、手向山八幡宮から三月堂(法華堂)へ。そろそろ拝観が再開されると聞いたような気がしたので、様子を見に行った。
まだ扉は鎖されていて、中から電動ノコギリの唸るような音が聞こえていた。前面の立て看板に曰く、「平成22年度から行われていた法華堂須弥壇・諸尊像修理事業が本年3月末で終了しました。但し拝観再開のための準備作業が5月中旬までかかります。法華堂の拝観再開は5月18日(土)からです。今しばらくお待ち下さい」。味わいのある書き文字にしばし見とれる。
東大寺のホームページには「安置される諸尊像は、本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛紳(秘仏)の10躰です」とある。「日光・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王」は東大寺ミュージアムから戻ってこないのか。不空羂索観音と日光・月光菩薩は、私の記憶の中ですっかり一体化しているので、もう一緒に見られないのかと思うと悲しい。しかし、2010年秋の時点では、四天王像も戻ってくるかどうか分からない状態だったので、まあ良かったのかもしれない。
最後の奈良博はまた別稿。