見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

夏のコレクション展/遊び(京都国立博物館)

2013-07-24 22:54:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展観『遊び』(2013年7月13日~8月25日)

 あまりお客がいなかったのは、金曜の夜間開館が定着していないためだろうか。「午後8時まで」って、京都人にも旅人にも、かなりありがたいサービスだと思うのだが。本展は、美術品の中に見る「遊び」の姿を、9つのセクションに分けて提示する。テーマは「神々から人へ」「酒宴のたのしみ」「年中行事」「遊山」「遊興」「清遊」「動物のたわむれ」「室内の競技」「子供の遊び、雑技、曲芸」の9つ。

 基本的には同館のコレクションで構成されているようだが、初公開品や初見の作品があって、あなどれない。一番、おっ!と驚いたのは、長沢蘆雪の『群猿・唐子図屏風』の右隻(群猿図のほう)。油絵のような、こってりした色彩(赤と黒)の岩山と、水墨でさらりと描いた猿たちの対比が、まるで近代日本画のような小憎らしさ。所蔵者表記がないけど、個人蔵なのかな…。

 日本美術が中心だが、ときどき中国美術が紛れ込んでいる。私は清・曽衍東筆『賭場図』の密度の高い人間臭さをとても面白く見た。明代の『楊妃撃丸図』はポロの図。女性チーム×男性チームなのだろうか。嫋嫋とした美女の楊貴妃が、まさに柳眉を逆立て、髷を傾け、馬を駆ってボールを追う。髭の男たちがそれを取り囲み、追いつめる。どことなくエロい。そして、遊園地の乗り物みたいな斑馬がかわいい。

 小袖・振袖・法被などの装束類は、ふだん熱心に見ることが少ないので、面白かった。『七夕文様帷子』は涼やかで、細身の美女に羽織らせたい。『賀茂競馬文様小袖』は私が欲しい。あと『片身替蒔絵螺鈿双六盤』(京都・三時知恩寺蔵)には、やっぱり反応してしまうなあ。筒が伝わっていないのが残念。

 見終わって、まだ外が明るかったので、法住寺に寄っていく。御陵もお寺も閉門していたが、それとなく後白河院に挨拶していく自己満足。

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神戸史跡散歩・平氏ゆかりの地を歩く

2013-07-24 00:55:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
2泊3日で関西に行ってきた。札幌→神戸空港入りだったので、初日は福原京と平氏ゆかりの史跡めぐり。たまたま見つけた兵庫県のホームページに掲載されていた「福原京コース」と「大輪田泊コース」を、ほぼ忠実に歩いた。

■福原京コース

地下鉄「大倉山」駅から市バスですぐ「平野」下車。神戸に全く土地勘がないので、自分のいる位置がどのへんなのか、まだよく分からない。しかし、バスを降りるとすぐ、全身緑色の浄海入道清盛像を見つけたので、なんとなく幸先がよいと思うことにする。



こんなキャラクターの看板も。「宝地院」へはあとで戻ってくるが、まずコースマップに従い、北上する。



この一帯「平野」は、まさに平氏ゆかりの「福原」の中心地であったらしい。折しも「ひらの清盛祭り」の行灯が、商店街に下がっていた。



↓東福寺。清盛が居を構えた上伽寺(じょうがじ)を受け継ぐと言われる。



↓祇園神社。姫路の広峯神社の分霊を祀る。Wikipediaを読むと、京都の祇園社(八坂神社)との関係は、やや複雑。このあたりは、かなりの高台である。



↓川沿いに下って、湊山温泉という小さな温泉を通り過ぎ、住宅地の中を抜けていくと、清盛の別荘と言われる「雪見御所」の石碑が立つ。写真から想像していたより、ずっと巨大な碑で、表通りに面した湊山小学校の校門の並びにあった。なお「雪見御所跡」推定地の案内は、小学校の裏手の校庭のほうにある。



だらだら坂を上がって氷室神社(境内に氷室の旧跡があって、確かに吹き抜ける風が冷たい)→再び下って、熊野神社(迷って行きつけず)→荒田八幡神社(頼盛の山荘跡とも)→宝地院(安徳天皇の菩提を弔うために建立。幼児がたくさん遊んでいて微笑ましかった)→新開地の厳島神社→JR兵庫駅へ出る。

■大輪田泊コース

引き続き、海岸に近い「大輪田泊コース」を歩く。↓来迎寺。震災の影響かなあ、どのお寺も「お寺らしからぬ」新築の外観デザインなので、住宅地の中で見つけにくい。



同寺の境内には、経ヶ島築造の際に人柱となった松王丸の墓(石塔)と妓王・妓女の墓がある。



さらに経ヶ島築造にゆかりを持つ金光寺を経て、能福寺へ。日本三大大仏(ほんとか?)と呼ばれる兵庫大仏がある(露座)。大きさは板橋区赤塚の東京大仏(乗蓮寺)くらいか。平家一門の祈願寺に定められ、往時は大伽藍が建設されて大いに栄えたという所縁により、昭和55年(1980)、平清盛の八百年忌を記念して「平相国廟」が作られた。大河ドラマのポスターが色褪せながらもまだ張ってあったり、松山ケンイチ氏と井戸神戸市長が仲良く談笑する写真が飾ってあったりして、嬉しかった。



↓しばらく歩くと真光寺。広い境内に、清盛ゆかりの弁財天堂があるが、それよりも「一遍上人示寂之地」の碑に驚く。そうか、ここだったのか、あの『一遍上人絵伝(遊行上人伝絵巻)』の最後の感動シーンの舞台は。境内に大きな石塔あり。



↓大輪田橋のたもとに、清盛塚十三重塔、清盛像、さらに「琵琶塚」と彫られた巨石の石碑が並ぶ。



重盛の仮屋敷跡とも伝わる魚御堂礎石(池の中に安置)を経て、道を戻る。↓萱の御所(かやのごしょ)は、清盛が後白河法皇を幽閉した地。私は一本御書所跡も行ったし、鳥羽殿跡も訪ねたけど、あちこちで幽閉されまくりじゃないか、後白河法皇。つくづく数奇で大変な人生を送られた人だと思う。



最後に巨大な弁財天社、和田神社に寄って、散策終了。いわゆる「福原京」というのが、意外と高台にあるという印象を持った。鎌倉の八幡宮~由比ヶ浜の距離感(高低差)とはずいぶん違うんだな。当時からこんなに海岸線と離れた「山の上」にあったのだろうか。水害には強いだろうけど、土地の確保(開墾)には苦労したことだろうと感じた。

平安京探偵団「福原の夢」
毎度お世話になっているこちらのサイトで、じっくり復習。
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