関西旅行2日目は花園の法金剛院へ。この時期は、早朝7時に開門する「観蓮会」が行われている。そんなに早起きはできなかったが、朝から同寺に向かう。池には白蓮、庭に並んだ植木鉢には、ピンクや白や八重の変種など、さまざまなハスが咲き誇る。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。…てことで、こんなふうな未敷蓮華とか、すっかり花びらが落ちて剥き出しの芯にも目を向ける。
ぼろぼろの散りかけとか、
暑さにへばって、くたった花にも。(湯上りの楊貴妃みたいで色っぽい)
さらに琳派や、彼らがお手本にした中国絵画を思い出し、泥水の中に魚の影を探し、
水に落ちた枯れ葉に、諸行無常を感じる。
法金剛院は、平安初期の右大臣・清原夏野の山荘を寺としたものだが、私の中では、鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子が晩年を過ごした寺としての印象が強い。系図的には、崇徳天皇、後白河天皇の母親である。近年は「花の寺」として名高いらしいが、見仏も十分に楽しめる。特に、坐高2.27メートルの巨大な阿弥陀如来坐像がいい。飛天や宝珠を配した華麗な光背を負う。宇治の平等院や日野の法界寺と同系統の定朝様の阿弥陀像である。
むかし、というのは、高校生~大学生の頃は、天平仏や鎌倉仏の力強さ、率直な造形に惹かれた。でも酸いも甘いも嚙み分けて、少し疲れた大人になってみると、定朝仏のぼんやり曖昧な表情に、不思議な安らぎを感じるようになってきた。「絶対救ってやる!」という決意の表情でないのが、却っていいのだ。こっちも曖昧な覚悟のまま向き合うことができて。さて、70歳、80歳になる頃には、どんな仏像を好きになっているのだろう。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。…てことで、こんなふうな未敷蓮華とか、すっかり花びらが落ちて剥き出しの芯にも目を向ける。
ぼろぼろの散りかけとか、
暑さにへばって、くたった花にも。(湯上りの楊貴妃みたいで色っぽい)
さらに琳派や、彼らがお手本にした中国絵画を思い出し、泥水の中に魚の影を探し、
水に落ちた枯れ葉に、諸行無常を感じる。
法金剛院は、平安初期の右大臣・清原夏野の山荘を寺としたものだが、私の中では、鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子が晩年を過ごした寺としての印象が強い。系図的には、崇徳天皇、後白河天皇の母親である。近年は「花の寺」として名高いらしいが、見仏も十分に楽しめる。特に、坐高2.27メートルの巨大な阿弥陀如来坐像がいい。飛天や宝珠を配した華麗な光背を負う。宇治の平等院や日野の法界寺と同系統の定朝様の阿弥陀像である。
むかし、というのは、高校生~大学生の頃は、天平仏や鎌倉仏の力強さ、率直な造形に惹かれた。でも酸いも甘いも嚙み分けて、少し疲れた大人になってみると、定朝仏のぼんやり曖昧な表情に、不思議な安らぎを感じるようになってきた。「絶対救ってやる!」という決意の表情でないのが、却っていいのだ。こっちも曖昧な覚悟のまま向き合うことができて。さて、70歳、80歳になる頃には、どんな仏像を好きになっているのだろう。