■東京藝術大学大学美術館 東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年『法隆寺-祈りとかたち』(2014年4月26日~6月22日)
前日の東博に続き、再び上野へ。公式サイトは「法隆寺の至宝を総合的に紹介する、東京では約20年ぶりの大規模な展覧会」をうたっているが、先に見て来た友人は「スカスカだよ」とあまりよい評価を下していなかった。展示品リストを見ると、まあそうかなと思ったが、「岡倉天心にはじまる東京藝術大学とのかかわり」をひもとくという視点が面白そうなので、いちおう見てきた。
冒頭から、岡倉天心の調査ノートと今に伝わる仏像・書画を対比させた展示になっているのが興味深い。自分のための覚え書きだからか、率直に「二級品」と記載されている寺宝もあって、天心先生、口が悪い、と苦笑してしまった。二曲一隻の『蓮池図』(鎌倉時代または南宋)は、奈良博などで見た覚えがあって、私の好きな作品。たおやかに揺れる蓮の花群の蔭にオシドリとサギがつがいで隠れている。天心のノートに「蓮ノ線金岡風アリ」という。巨勢金岡のことだろうが、どのへんをいうのだろう。
東京美術学校および東京藝術大学の関係者が制作した法隆寺ゆかりの美術品をまとめて見る、というのも面白い体験だった。平櫛田中制作の聖徳太子摂政像は、法隆寺に奉納されている。彩色は前田青邨。森鳳声制作の聖徳太子摂政像は、尺を片手に持って掲げるポーズが変わっている。石帯の留め方も他と違う(背中で曲げて帯に挟まない)。
和田英作の『金堂落慶之図』は、まず、帯とか袈裟とか香炉とかの小道具に、正倉院宝物や法隆寺献納宝物の実在の品のイメージを利用しているのが面白い。もうひとつ、登場人物にはきっとモデルがいるんだろうな、と思って、図録の解説を読んでみたら、聖徳太子を先導する止利仏師は高村光雲、太子は徳川頼倫、蘇我馬子と思われる人物は東京美術学校の校長・正木直彦という説があるそうだ。
しかし一番驚いたのは、鈴木空如による『法隆寺金堂壁画模写』。私は初めて知ったが、鈴木空如は秋田県大仙市の生まれ、明治から昭和初期にかけて活躍した仏画家。法隆寺金堂壁画には、東京美術学校関係者を中心とした、公的プロジェクトとしての模写制作(集団制作)が何度か行われているが、空如は明治末から昭和初期にかけて、三組の模写を全てひとりで完成させたという。こういう画家がいたんだなあ…。背景を含めた壁全体の現状模写ではなくて、尊像だけを切り取るように模写しているので、その姿が把握しやすい。作品は郷里の大仙市に所蔵されている。いろいろ調べたら、2011年3月18日から大仙市で「鈴木空如模写・法隆寺金堂壁画展」が開催される予定だったが、直前の大震災で中止になっている。ともかくも作品が無事で、こうして公開に至ってよかった。
■東京藝術大学大学美術館・陳列館 『別品の祈り-法隆寺金堂壁画-』(2014年4月26日~6月22日)
藝大に法隆寺展を見に行くなら、忘れず訪ねてほしいのが、こちらの展示(無料)。1949年に焼損した法隆寺旧金堂壁画を、最先端の複製技術(立体感のある和紙に複写する)と人の手+芸術的感性(藝大生が自ら彩色)をミックスして、全面原寸大で復元し、展示する。展示室に入ったときの息を呑むような感動は圧倒的。これまで絵葉書や画集では気づかなかった細部が、いろいろ目に入って面白い。線の消えかかった象の姿とか、足元のイヌらしき小動物とか。朱塗りの扉にも、うっすら絵の痕跡が見える。
文部科学省および科学技術振興機構「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM, COI-T)」の研究課題だという。めったにしないことだが、この研究補助に関しては、文部科学省に感謝。受付の方に「この展示期間のあとはどうするんですか?」と聞いてみたら、「しばらく海外に持っていく話もありますが、その後はまた公開したいと思っています」とおっしゃっていた。東京でも奈良でもいいので、常設で公開してもらえたら、何度でも行くなー。
■東京都美術館 特別展『バルテュス展』(2014年4月19日~6月22日)
久しぶりに「洋もの」も見ていこうと思い、東京都美術館にまわった。私が、挑発的でエロティックな少女像を描く画家バルテュスを知ったのは、80年代の初め、澁澤龍彦のエッセイによる。実はそれしか知らなかったので、『朱色の机と日本の女』のような日本美術(浮世絵)の影響の見られる作品(それにしても浮世絵の造形感覚から離れすぎ!)があったり、晩年は山間の田舎町に隠棲して農村風景を描いていたことなど、感慨深かった。比較的有名な『地中海の猫』が、パリのシーフード・レストランの店内装飾のために描かれたというのも初耳。なんだか嬉しかった。
■三菱一号館美術館 『ザ・ビューティフル-英国の唯美主義 1860-1900』(2014年1月30日~5月6日)
1月末からやっている展覧会だから、もう空いているだろうと思ったが、まだ入場規制をされるくらい賑わっていた。日本人の好みに一致するところがあるのだろう。実際、70~80年代の少女マンガで育った私には、懐かしく、分かりやすい「美の世界」であるような気がする。しかし、英国美術史における「唯美主義」の立場が本当に分かるかといえば、自信はない。約束事や物語を離れて、ただ美のための美を描くというけれど、日本人である私は、「唯美主義」の作品にも物語性や神話性を感じてしまい、それが伝統的絵画とどう違うのか、実はよく分からない。可愛い女性から反抗的で意志的な女性へ、という転換は、確かに表面的には感じられる。漱石の女性像もこういう思潮の影響のもとに現れるのだろうな。
前日の東博に続き、再び上野へ。公式サイトは「法隆寺の至宝を総合的に紹介する、東京では約20年ぶりの大規模な展覧会」をうたっているが、先に見て来た友人は「スカスカだよ」とあまりよい評価を下していなかった。展示品リストを見ると、まあそうかなと思ったが、「岡倉天心にはじまる東京藝術大学とのかかわり」をひもとくという視点が面白そうなので、いちおう見てきた。
冒頭から、岡倉天心の調査ノートと今に伝わる仏像・書画を対比させた展示になっているのが興味深い。自分のための覚え書きだからか、率直に「二級品」と記載されている寺宝もあって、天心先生、口が悪い、と苦笑してしまった。二曲一隻の『蓮池図』(鎌倉時代または南宋)は、奈良博などで見た覚えがあって、私の好きな作品。たおやかに揺れる蓮の花群の蔭にオシドリとサギがつがいで隠れている。天心のノートに「蓮ノ線金岡風アリ」という。巨勢金岡のことだろうが、どのへんをいうのだろう。
東京美術学校および東京藝術大学の関係者が制作した法隆寺ゆかりの美術品をまとめて見る、というのも面白い体験だった。平櫛田中制作の聖徳太子摂政像は、法隆寺に奉納されている。彩色は前田青邨。森鳳声制作の聖徳太子摂政像は、尺を片手に持って掲げるポーズが変わっている。石帯の留め方も他と違う(背中で曲げて帯に挟まない)。
和田英作の『金堂落慶之図』は、まず、帯とか袈裟とか香炉とかの小道具に、正倉院宝物や法隆寺献納宝物の実在の品のイメージを利用しているのが面白い。もうひとつ、登場人物にはきっとモデルがいるんだろうな、と思って、図録の解説を読んでみたら、聖徳太子を先導する止利仏師は高村光雲、太子は徳川頼倫、蘇我馬子と思われる人物は東京美術学校の校長・正木直彦という説があるそうだ。
しかし一番驚いたのは、鈴木空如による『法隆寺金堂壁画模写』。私は初めて知ったが、鈴木空如は秋田県大仙市の生まれ、明治から昭和初期にかけて活躍した仏画家。法隆寺金堂壁画には、東京美術学校関係者を中心とした、公的プロジェクトとしての模写制作(集団制作)が何度か行われているが、空如は明治末から昭和初期にかけて、三組の模写を全てひとりで完成させたという。こういう画家がいたんだなあ…。背景を含めた壁全体の現状模写ではなくて、尊像だけを切り取るように模写しているので、その姿が把握しやすい。作品は郷里の大仙市に所蔵されている。いろいろ調べたら、2011年3月18日から大仙市で「鈴木空如模写・法隆寺金堂壁画展」が開催される予定だったが、直前の大震災で中止になっている。ともかくも作品が無事で、こうして公開に至ってよかった。
■東京藝術大学大学美術館・陳列館 『別品の祈り-法隆寺金堂壁画-』(2014年4月26日~6月22日)
藝大に法隆寺展を見に行くなら、忘れず訪ねてほしいのが、こちらの展示(無料)。1949年に焼損した法隆寺旧金堂壁画を、最先端の複製技術(立体感のある和紙に複写する)と人の手+芸術的感性(藝大生が自ら彩色)をミックスして、全面原寸大で復元し、展示する。展示室に入ったときの息を呑むような感動は圧倒的。これまで絵葉書や画集では気づかなかった細部が、いろいろ目に入って面白い。線の消えかかった象の姿とか、足元のイヌらしき小動物とか。朱塗りの扉にも、うっすら絵の痕跡が見える。
文部科学省および科学技術振興機構「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM, COI-T)」の研究課題だという。めったにしないことだが、この研究補助に関しては、文部科学省に感謝。受付の方に「この展示期間のあとはどうするんですか?」と聞いてみたら、「しばらく海外に持っていく話もありますが、その後はまた公開したいと思っています」とおっしゃっていた。東京でも奈良でもいいので、常設で公開してもらえたら、何度でも行くなー。
■東京都美術館 特別展『バルテュス展』(2014年4月19日~6月22日)
久しぶりに「洋もの」も見ていこうと思い、東京都美術館にまわった。私が、挑発的でエロティックな少女像を描く画家バルテュスを知ったのは、80年代の初め、澁澤龍彦のエッセイによる。実はそれしか知らなかったので、『朱色の机と日本の女』のような日本美術(浮世絵)の影響の見られる作品(それにしても浮世絵の造形感覚から離れすぎ!)があったり、晩年は山間の田舎町に隠棲して農村風景を描いていたことなど、感慨深かった。比較的有名な『地中海の猫』が、パリのシーフード・レストランの店内装飾のために描かれたというのも初耳。なんだか嬉しかった。
■三菱一号館美術館 『ザ・ビューティフル-英国の唯美主義 1860-1900』(2014年1月30日~5月6日)
1月末からやっている展覧会だから、もう空いているだろうと思ったが、まだ入場規制をされるくらい賑わっていた。日本人の好みに一致するところがあるのだろう。実際、70~80年代の少女マンガで育った私には、懐かしく、分かりやすい「美の世界」であるような気がする。しかし、英国美術史における「唯美主義」の立場が本当に分かるかといえば、自信はない。約束事や物語を離れて、ただ美のための美を描くというけれど、日本人である私は、「唯美主義」の作品にも物語性や神話性を感じてしまい、それが伝統的絵画とどう違うのか、実はよく分からない。可愛い女性から反抗的で意志的な女性へ、という転換は、確かに表面的には感じられる。漱石の女性像もこういう思潮の影響のもとに現れるのだろうな。