見もの・読みもの日記

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いまの時代の予言の書/三酔人経綸問答(中江兆民)

2014-05-19 00:14:45 | 読んだもの(書籍)
○中江兆民著、鶴ケ谷真一訳『三酔人経綸問答』(光文社古典新訳文庫) 光文社 2014.3

 連休に旅先で読む本が切れてしまい、郊外の私鉄の駅ビルにある書店に寄った。売れ筋の棚にある本の質がげんなりするほど良くないので(最近はどこの書店もそうだ)どうしようかと困っているとき、本書を見つけた。中江兆民についての本は何冊か読んだことがあって、『三酔人経綸問答』という作品の存在も知っていたが、読んだことはなかった。明治人の漢文訓読体は、読み始めてしまえば意外と頭に入ってくるものだが、やっぱり敷居が高い。本書は平易な現代語新訳で、あとで気がついたが、詳しい解説・兆民年譜と、さらにルビつきの原文も一緒に収められており、非常に親切な編集である。

 さて「三酔人」の冒頭に登場するのは南海先生。大酒飲みで政治論議が大好き。そこに二人の珍客が訪れる。一人は目元すずしい洋装の洋学紳士。もう一人は絣の着物に短い袴をつけた豪傑君。ここで兆民は、本文の欄外に「民主主義者と侵略主義者が南海先生を訪れる」と記す。漢籍でいう「眉批」というやつだ。原文では「民主家と侵伐家と南海先生を訪(と)う」の表記になっている。

 以下、まず民主主義者の洋学紳士が弁舌さわやかに世界各国の歴史をひもとき、持論を展開する。洋学紳士によれば、ヨーロッパ諸国は、専制政治→立憲制→民主制へと「進化」を遂げてきた(この「民主制」は、むしろ「共和制」と訳すほうがよいかもしれない)。

 君主宰相の専制の国では、人間と呼べるのは王侯貴族だけだったが、立憲制になってはじめて、民衆は独立した人格となった。しかし立憲制ではまだ(王制や貴族制が温存されているため)権利や自由の度合いが人によって異なる。さらに平等が加わって、政治制度は初めて完成する。「民主制」の究極の完成形では、国境も国どうしの争いもなくなる。なぜなら、イギリス、ロシア、ドイツなどというのは「国王の所有地の名」であり、それをもとに他人と憎み合うのは王制の残した弊害に過ぎないからだ。このへん、空想的に過ぎると腹を立てる読者もあるかもしれないが、志の高い文章は気持ちがいい。論理展開の力強さに引っ張られて、ぐんぐん読み進んでしまった。

 そして、著者は、洋学紳士の理想主義にのっかりながら、どこかで醒めているところもある。それは、そもそも洋学紳士の人となりを「思想という部屋に暮らし、道理という空気を呼吸し(略)現実の曲がりくねった道筋に踏み入ることなど考えもしない哲学者にちがいない」と紹介していることにも表れている。

 理想主義者の洋学紳士は、軍備撤廃による平和主義をも主張する。「地球上の強国の多くは(略)兵隊を集め、軍艦をつらねて、かえって身を危険にさらしている。弱小の諸国は、なぜ自発的に兵隊を撤廃し、軍艦を手ばなして、安全をはからないのでしょうか」と。ここで豪傑君が「もし凶暴な国があって、わが国が軍備を撤廃するのに乗じて、軍隊を送って来襲してきたら、どうしますか」と応じるには当然のこと。ええ、これって、本当に明治20年(1887)の著作なんだよね? 今日、戦後の日本国憲法をめぐって繰り返されている議論を、兆民は百年以上前に思考実験しているのである。

 思考実験は机上の空論にとどまらない。現実世界に立脚する豪傑君は、「軍備に頼って国を救おう」という立場で、兵を集めて「例の大国」に宣戦布告する目論みを語る(ただし、その目的は大国の冨と領土を手に入れることと同時に、自分を含めた国内の「古いもの好き」を滅ぼすことによって、祖国の癌を切除するという、屈折したものだ)。

 これを聞いた南海先生は、豪傑君のいう「例の大国」が中国を指すことを暗に認めつつ、「やたらに武器を用い、軽率に隣国を挑発し、無実の民の生命を砲弾の犠牲にするなどは、考えるべきではないはずです」と釘をさす。「国土が広く人口の多い中国は、じつにわが国の一大販路であり」という分析も冷静だし、「たとえこちらが礼を尽くして友好を深め、交流を結ぼうとしても(略)中国はつねに怒りをもってこちらに対し」云々という論者に対しては「われわれがむやみに外交の神経症を起こさなければ、中国もまた、われわれを敵視することはないはずです」と述べる。このあたり、外交の要諦、そして輿論(むしろ世論か?)を形成する報道の重要性を説いており、至言である。

 しかし、どうして百年前の言論が、目前の現実にこれほどリンクしているのか、本当に不思議だった。よい本の現代語新訳が出たものである。今こそ、多くの人に読まれてほしい。永田町の先生方にも。
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