見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年5月@関西:南山城の古寺巡礼(京都国立博物館)+チベットの仏教世界(龍谷ミュージアム)ほか

2014-05-12 23:23:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『南山城の古寺巡礼』(2014年4月22日~6月15日)

 南山城、すなわちいまの京都府南部、木津川流域の寺院に伝えられた仏像・工芸品・書跡・絵画などを紹介する展覧会。この地域は、交通の便がよくなかったり、拝観に予約が必要な寺院が多いので、なかなか訪ねる機会がないが、けっこう好きだ。

 仏像だけかと思っていたので、冒頭に椿井大塚山古墳出土の三角縁神獣鏡(四神四獣鏡)や高麗寺跡出土の瓦など、考古資料が豊富に展示されているのを興味深く眺める。その後は、ひとつずつ寺院を取り上げていく。最初は海住山寺。小柄でシャープな十一面観音立像や四天王像はもちろん来ていらっしゃる。解脱上人貞慶の画像も懐かしく眺める。続いて磨崖仏のある笠置寺。ここは気になりながら、まだ行ったことがない。『笠置寺縁起絵巻』は同寺に伝わる室町時代の絵巻で、見た記憶がない作品だったが、すごく楽しい。1巻ずつ展示替えなんてケチなこと言わないで、全部見せてくれればいいのに。

 浄瑠璃寺と岩船寺を経て、順路中央の大展示室に入る。まず南山城の寺院や史跡の写真があって、その中に宇治田原町の信西首塚があったのにはハッとした。ここも行ってみたい。私は孫の貞慶上人の肖像を見ると、信西もこんな顔立ちかなあと考える。あと橘諸兄も、この地域を語るとき、忘れてはならない人物だ。

 大展示室には、仏像の名品が集められており、最もよいポジションをもらっているのが寿宝寺の千手観音立像。規格化された多くの脇手が、きれいな円を描いている。脇手以外の六臂、特に腹の前で碗を捧げ持つ二本の腕の曲線も円弧を強調しているようだ。寿宝寺には一度だけ行ったことがあって、三山木の駅から近い便利な場所にあったこと、自然光の下でしばらく拝観させていただいたあと、小さなお堂(収蔵庫)を暗くすると、赤い唇が浮き上がるようで、驚くほど印象が変わったこと(ね、がらりと変わりますでしょ、と案内のおじさんが嬉しそうだった)、ご朱印をお願いしたら、いや書けるかな、と困った顔をしながら書いてくださったことなどを断片的に覚えている。

 禅定寺(宇治田原町)というお寺の、文殊菩薩騎獅像、地蔵菩薩踏下像、十一面菩薩立像はどれもよかった。特に文殊菩薩を乗せた、坊主頭みたいな獅子はあまりにも異相。ううむ、このお寺も行ったことがない。神童寺(木津川市)も、古拙でいい仏像があるなあ。いま、場所とアクセスを確認しながら書いている。

 蟹満寺の銅像釈迦如来、観音寺(大御堂)の十一面観音立像は、ちょっと期待していたのだが、写真パネルしか来ていなかった。やむなし。最後は酬恩庵一休寺。原在中の絵がこんなに伝わっているとは知らなかった。

龍谷ミュージアム 『チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊』(2014年4月19日~6月8日)

 西本願寺の第22代宗主・大谷光端の命を受け、チベットで長期の留学生活を送った青木文教(あおき ぶんきょう、 1886-1956)と多田等観(ただ とうかん、1890-1967)に関する写真・資料、ゆかりの仏像・仏画など展示。見ものは、ダライラマ13世から多田等観に贈られた『釈尊絵伝』25幅だろう。あまりに色彩が鮮やかなので、19-20世紀の作品かと思っていたら、17世紀頃のものだという。チベット仏教美術の年代推定は全然できないな。多田等観の資料は、戦時中、弟が住職をしている寺に疎開させていた関係で、花巻市美術館に伝わっているそうだ。奇縁を感じる。

大阪歴史博物館 特別展『上方の浮世絵-大坂・京都の粋(すい)と技(わざ)』(2014年4月19日~6月1日)

 前日、見損ねた展覧会がどうしても気になるので、もう一回大阪に戻って見て行くことにした。一般に「浮世絵」というと、江戸で活躍した葛飾北斎や歌川広重、東洲斎写楽などが描いた「江戸絵」が想起されるが、これは18世紀末に大坂や京都で生まれた「上方絵」の展覧会。「美人画はあまりなく、作品の多くが役者絵だった」「役者を美化した江戸の作品とは異なり、写実的に描く特徴がある」というのは、展覧会サイトの解説。なるほど。私は、最も「江戸絵」らしい国芳の作品が大々好きであることはひとまず置き、全般的にいうと、当時の美意識で理想化された美女・美男子揃いの「江戸絵」よりも、どこか癖のある上方の役者絵のほうが好きかもしれない、と思った。

 古代の難波宮から近代の大大阪まで。駆け足で見た常設展示も面白かった。大阪の歴史、もっと知りたい。
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2014年5月@関西:松(黒川古文化研究所)+山の神仏(大阪市美)

2014-05-12 01:46:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
黒川古文化研究所 第111回展観『松-美と徳の造形』(2014年4月19日~5月18日)

 三館(黒川古文化研究所、大和文華館、泉屋博古館)連携企画『松・竹・梅』展をこれでコンプリート。しかし、他の二館で押してもらったスタンプラリーのシートを、この旅行には忘れてきてしまった。別に賞品のミュージアムグッズのために回ったんじゃないもんと冷静を装いながら、ちょっと悔しい…。

 松の描き方は、竹・梅に比べて、はっきりした流派というか沿革があるのが面白かった。まず唐風の松は、枝の上に笠状の葉群が乗った松。北宋の李郭派は松葉を車輪形に描き、これが南宋の院体画を経て、明の浙派、日本の室町時代に影響を与える。一方、笠形の松は豊かな茂りを表現しやすいため、後世も吉祥画などで用いられた。なるほど、私にとって「描かれた松」の原体験は、栄太郎飴の商標や錦松梅の包み紙、千歳飴の紙袋など、いずれも「笠形の松」だったなあ、と思いながら展示を見る。

 作品では大和文華館で何度も見てきたはずの『聴松図巻』の左端の蔦の靡き方、松の枝のたわみ方に初めて目が行き、風の存在を感じ取る。おじさんのひとりピクニック『坐石聴松図巻』もよいなあ。文人は竹も聴くが、松も聴くのだ。室町時代の水墨画『松雪山房図』は、格調高い賛の戒めに比べて、やや稚拙な絵なのが微笑ましくて、好きになった。あと日本には、絵画・文学ともに「姫小松」(子の日の松)を愛でる伝統があるが、これは中国や朝鮮にはないのかな?というのが気になっている。

大阪市立美術館 特別展『山の神仏(かみほとけ)-吉野・熊野・高野』(2014年4月8日~6月1日)

 行こう!ということは早くから決めていたが、どのくらいの規模の展覧会なのか、詳しい情報を入手できていなかった。それで、午後の早い時間に入れば、もう1ヶ所回れるかも、などと甘いことを考えていたら、とんでもなかった。1階の左右が「吉野・大峯」と「高野山」、2階の片側が「熊野三山」で、全館の4分の3を使っている。出品総数150点(ただし30点程度は展示替えあり)。ポスターのビジュアルが彫刻作品だったので、彫刻中心に考えていたら、絵画や工芸、考古資料も豊富だったのは嬉しすぎる誤算。

 まず「吉野・大峯」に入って、多数の蔵王権現像(等身大以上の巨像はなし)、役行者像を見る。上目づかいの前鬼、寄り目の後鬼は、玉眼の使い方にも芸が細かい。後鬼の足指の曲げ方、前鬼の肩の後ろの筋肉の盛り上がりなどにも感心する(この展覧会は、360度全方向から見られる彫像が多い)。

 大和文華館所蔵『大峯山全図』で気になったのは、見たことのある「南葵文庫」(旧紀州藩主・徳川頼倫が設立した私設図書館)らしき所蔵印が押されていたこと。あとで図録解説を確かめたら、やっぱりそうだった。吉野曼荼羅図は、南北朝(14世紀)~室町(15世紀)時代の作品が多く出ていたが、衣冠束帯の男神像は正体を定めがたいところがあるようだ。

 そして、単独の和装の女神像『吉野子守明神像』に再会して驚く。2013年の『大神社展』のメインビジュアルだった女神像だ。南北朝時代(14世紀)。しかし、もっと古い時代の図像は唐風装束が一般的で、近世にはまた唐風装束に戻っているので、何かこの南北朝時代って、思想的に特殊だったのかなあ、と考えさせられた。

 桜本坊に伝わる釈迦如来坐像(白鳳時代)は小さな金銅仏だが、たっぷりしたロングスカートみたいな下半身が珍しく、改鋳?と疑ったが、図録解説には「白鳳期造像の多様性を示す異色な作例として重要」とあった。吉野水分神社の獅子・狛犬は賢そうで強そう。金峯山寺の聖徳太子像と二王子像(山背大兄王、殖栗王と言われる)は、厳しい怒りを含んだ表情で怖い。これも鎌倉という時代が作り出したビジュアルか。

 「高野山」は、初めに四社明神を中心とする神像(絵画)。埼玉・法恩寺(越生町)に和装・横向きの丹生明神(女神)を描いた絵画が伝わっていることに驚く。金沢文庫所蔵の『金剛峯寺地形図』も、東国人として、なんとなく懐かしく眺める。三谷薬師堂の木造女神坐像・童形神坐像と瓜二つの銅像には覚えがあった。2012年、和歌山県立博物館の『高野山麓 祈りのかたち』でも見たもの。慈尊院の『弥勒菩薩像』(絵画)は、細い三日月眉、赤い唇が優しい女人を思わせる。

 仏像では、僧形の『伝龍猛菩薩立像』(和歌山・泰雲院)が印象的。解説に「平安時代の僧形像あるいは地蔵菩薩像には、本像をはじめとする異形とも称すべき造像がみられる」という。私が思い出したのは、奈良博によく出ている弘仁寺の明星菩薩像。画像検索してみたけど、少し表情が似てないかな…。天野社伝来のスリムな大日如来坐像も好きだ。同じ天野社伝来でも、両頭愛染明王坐像は、肩の上に愛染明王と不動明王の両頭を並べる異形仏。そんなに古くないだろうと思ったら、解説に「平安時代に真言宗の僧侶によって新しく作られた明王像」とあって、十分古い。

 ここまででぐったり消耗したので、カフェで一息(昼食抜いていたし)入れて、最後の「熊野」に臨む。神像多数。熊野参詣曼荼羅、熊野観心十界図のバリエーションが楽しい。参詣曼荼羅には、那智の瀧が必ず右端に描き込まれており、そのそばにあるのが金色の日輪であることを思うと、根津美術館の『那智瀧図』に描かれているのは、やっぱり日輪(太陽)じゃないかなあ、と思った。

 「熊野」第1室に入ると、細長い会場の出口の奥に、第2室に据えられた熊野速玉大神坐像の姿が見えていて、ドキリとする。そして、暗い通路をくぐって、その正面に進み出るのは、かなり勇気がいる。なんだか冥界の王ハデスに魅入られて、冥府に下りていくようで、足取りがふわふわしてしまった。そのくらいの迫力と魅力を感じる展示だった。余計な背景(色)とか装飾・解説を、一切剥ぎ取ったところがいいのだろう。

 あと気になったのは、和歌山・阿弥陀寺の釈迦如来立像。袖の中で両手を拱手している? 最後に、以前から見たかった京都・檀王法林寺の『熊野権現影向図』が見られて満足。見たい見たいと思っていると、思わぬところでかなうものだ。
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