○高原明生、前田宏子『開発主義の時代へ:1972-2014』(岩波新書:シリーズ中国近現代史5) 岩波書店 2014.8
年代別構成の1-5巻としては最終巻である。文化大革命まっただ中の1972年から、習近平体制の今日までを一気に駆け抜ける。一般に中国の改革開放政策は、小平指導下の1978年に始まったとされているが、本書はその認識を取らない。
文革の最中も毛沢東やその他の共産党の指導者は、経済発展の必要性を忘れていたわけではなかった。1972年初め、国務院は化学繊維、化学肥料などのプラント輸入を再開する。「文革は中国経済を破壊したというイメージが強いが、実は文革期に中国の経済は成長していた」ということを、著者は『中国経済年鑑』から作成したGDPと経済成長率のグラフをもとに述べている。ふうん。文学的なイメージに惑わされないようにしなければ。「毛沢東は多面性を有する複雑な人物であり、経済を最重視しながらも、経済発展の必要性を決して忘れていなかった」というのは、私にも分かる。
そして、文革の収束、毛沢東の死。後継者に指名されたのは華国鋒であったが、「二つのすべて」(毛主席の行った決定をすべて擁護し、毛主席の指示にすべて従う)以外、何ら新機軸を打ち出せなかった華国鋒との政治路線闘争に勝利した小平は、改革・開放を推し進めていく。外交、内政の相次ぐ危機。ずっと後のページに出てくるのだが、小平が南方講話の中で「右も左も社会主義を滅ぼすことができる。中国は右を警戒しなければならないが、主には左を防止することだ」と言い残しているというのは印象的だった。「生産力と国力、そして生活水準の向上にとって有利な制度や政策であればそれは社会主義である」という「三つの有利」論というのも、よく言ったものだなあと思う。
1992-2002年は、小平の衣鉢を継いだ江沢民、朱鎔基と(共産党の)保守本流・李鵬のせめぎ合いの時代。私の記憶にも新しく、なつかしい。2002年、江沢民は「三つの代表」論を発表し、共産党は「先進的生産力の発展、先進的文化の前進、最も広範な人民大衆の根本的利益」の三つを代表しなければならないと述べた。これによって中国共産党は階級政党から国民政党に転換したとみることができる。
2002-2012年は、胡錦濤、温家宝の時代だが、党および国家機関に江沢民の影響は根強く残った。外交面において、ソフトな国際協調路線を掲げる胡錦濤に対し、それとは相容れない動きがたびたび起きたのも、背景に党内の政治的対立、外交政策をめぐる主導権争いがあったためと考えられる。2012年に誕生した習近平政権については、まだラフスケッチしか語られていないが、中国にも新しい世代の指導者が出て来たという印象は受けた。あらためて考えてみると、近年、日本のニュースが内向きになって、中国の政治的な動きをあまり報道しなくなったような気がする(些末な、センセーショナルな報道はあっても)。嬉しくない傾向である。
これは、本書の著者の関心のせいかもしれないが、全体を通して強く感じたのは、中国の政治家たちが「経済」を強く重視していることだ。路線対立というのも、計画経済か市場経済か、同じ改革派でも生産重視か財政金融重視か、などに帰着する。そして、いったん経済政策が決まると、全てがその実現のために設計される。80-90年代の全方位的な国際協調路線も、それが中国経済の発展に有利と考えられたから採用された。また、1997年のアジア金融危機を通じて、中国の指導者は「経済安全保障」という概念を学んだともある。当時の銭其琛副総理の「地域と世界との金融協力を強化し、国際投機資本の攻撃を共同して防御しなければならない」という談話には感心した。経済にうとい私でも近年の世界情勢を見ていると、その意味が理解できる。安全保障といえば、台湾の李登輝さんも本書にちょっと出てくるのだが、「デモクラシーは軍事力にまさる安全保障手段である」という発言が心に残ったので、書きとめておく。
具体的な経済政策において、物価の安定を取るか景気の刺激を取るか、失業者が増えると社会が不安定になるから雇用対策を優先すべき、いや、インフレは広範な人民の生活を圧迫する、といった近年の路線対立の構図を読んでいると、意外なくらい、日本社会と問題の質が変わらないなあと感じた。それどころか、中国の少数民族問題には、大学入試や一人っ子政策で優遇され、多額の経済支援や教育支援を受けている少数民族が「恩」を仇で返すのが納得いかない、と考える漢族の人々もいるそうで、ううむ、どこかの国で見た風景だ、と思ってしまった。
日本の近現代政治史も、ドロドロした小説仕立てではなくて、一度こういう政策本位のスマートな記述で読んでみたいと思った。それだけの内実があれば。
年代別構成の1-5巻としては最終巻である。文化大革命まっただ中の1972年から、習近平体制の今日までを一気に駆け抜ける。一般に中国の改革開放政策は、小平指導下の1978年に始まったとされているが、本書はその認識を取らない。
文革の最中も毛沢東やその他の共産党の指導者は、経済発展の必要性を忘れていたわけではなかった。1972年初め、国務院は化学繊維、化学肥料などのプラント輸入を再開する。「文革は中国経済を破壊したというイメージが強いが、実は文革期に中国の経済は成長していた」ということを、著者は『中国経済年鑑』から作成したGDPと経済成長率のグラフをもとに述べている。ふうん。文学的なイメージに惑わされないようにしなければ。「毛沢東は多面性を有する複雑な人物であり、経済を最重視しながらも、経済発展の必要性を決して忘れていなかった」というのは、私にも分かる。
そして、文革の収束、毛沢東の死。後継者に指名されたのは華国鋒であったが、「二つのすべて」(毛主席の行った決定をすべて擁護し、毛主席の指示にすべて従う)以外、何ら新機軸を打ち出せなかった華国鋒との政治路線闘争に勝利した小平は、改革・開放を推し進めていく。外交、内政の相次ぐ危機。ずっと後のページに出てくるのだが、小平が南方講話の中で「右も左も社会主義を滅ぼすことができる。中国は右を警戒しなければならないが、主には左を防止することだ」と言い残しているというのは印象的だった。「生産力と国力、そして生活水準の向上にとって有利な制度や政策であればそれは社会主義である」という「三つの有利」論というのも、よく言ったものだなあと思う。
1992-2002年は、小平の衣鉢を継いだ江沢民、朱鎔基と(共産党の)保守本流・李鵬のせめぎ合いの時代。私の記憶にも新しく、なつかしい。2002年、江沢民は「三つの代表」論を発表し、共産党は「先進的生産力の発展、先進的文化の前進、最も広範な人民大衆の根本的利益」の三つを代表しなければならないと述べた。これによって中国共産党は階級政党から国民政党に転換したとみることができる。
2002-2012年は、胡錦濤、温家宝の時代だが、党および国家機関に江沢民の影響は根強く残った。外交面において、ソフトな国際協調路線を掲げる胡錦濤に対し、それとは相容れない動きがたびたび起きたのも、背景に党内の政治的対立、外交政策をめぐる主導権争いがあったためと考えられる。2012年に誕生した習近平政権については、まだラフスケッチしか語られていないが、中国にも新しい世代の指導者が出て来たという印象は受けた。あらためて考えてみると、近年、日本のニュースが内向きになって、中国の政治的な動きをあまり報道しなくなったような気がする(些末な、センセーショナルな報道はあっても)。嬉しくない傾向である。
これは、本書の著者の関心のせいかもしれないが、全体を通して強く感じたのは、中国の政治家たちが「経済」を強く重視していることだ。路線対立というのも、計画経済か市場経済か、同じ改革派でも生産重視か財政金融重視か、などに帰着する。そして、いったん経済政策が決まると、全てがその実現のために設計される。80-90年代の全方位的な国際協調路線も、それが中国経済の発展に有利と考えられたから採用された。また、1997年のアジア金融危機を通じて、中国の指導者は「経済安全保障」という概念を学んだともある。当時の銭其琛副総理の「地域と世界との金融協力を強化し、国際投機資本の攻撃を共同して防御しなければならない」という談話には感心した。経済にうとい私でも近年の世界情勢を見ていると、その意味が理解できる。安全保障といえば、台湾の李登輝さんも本書にちょっと出てくるのだが、「デモクラシーは軍事力にまさる安全保障手段である」という発言が心に残ったので、書きとめておく。
具体的な経済政策において、物価の安定を取るか景気の刺激を取るか、失業者が増えると社会が不安定になるから雇用対策を優先すべき、いや、インフレは広範な人民の生活を圧迫する、といった近年の路線対立の構図を読んでいると、意外なくらい、日本社会と問題の質が変わらないなあと感じた。それどころか、中国の少数民族問題には、大学入試や一人っ子政策で優遇され、多額の経済支援や教育支援を受けている少数民族が「恩」を仇で返すのが納得いかない、と考える漢族の人々もいるそうで、ううむ、どこかの国で見た風景だ、と思ってしまった。
日本の近現代政治史も、ドロドロした小説仕立てではなくて、一度こういう政策本位のスマートな記述で読んでみたいと思った。それだけの内実があれば。