○モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産:捃拾帖』(メディア・ファクトリー新書) KADOKAWA 2014.6
標題の『君拾帖(くんしゅうじょう)』というのは、幕末から明治期に活躍した博物学者、田中芳男(1838-1916)が残したスクラップブックである。本当は『捃拾帖』と書くのだが、捃[手へん+君](集めるの意)の字は表示されにくいので、以下『君拾帖』の表記を用いる。
『君拾帖』は38帙96冊で、ほかに『外国君拾帖』というのもある。田中芳男の蔵書は、関東大震災で多くが焼失してしまったが、残った蔵書約六千冊を孫の田中美津男氏が東京大学に寄贈した。『君拾帖』『外国君拾帖』は、現在、東京大学総合図書館の貴重書庫に収められている。
というような前段は、読みとばしてもいいので、とりあえず本文を開くと、「幕末」から「明治維新」「文明開化」「鹿鳴館時代」「憲法・選挙・日清戦争」「殖産興業」「そして20世紀へ」という、およその時代区分に沿って、全編カラー写真図版満載で『君拾帖』の中身が紹介されている。
貼り込まれているものは、たとえば、引札(今でいう宣伝チラシ)。象の見世物興行の引札、フランス人サーカスの引札、西洋衣服仕立の引札など。あるいは、商品のラベルや包み紙。代用コーヒーのラベル、蕃茄(あかなす)水煮のラベル、大船軒(いまもある!)の旅行用サンドウィッチの包み紙など。幕末・明治の社会の具体相を伝える、こうした「モノ」「図像」好きには、たまらない資料集である。
慶応3年(1867)のパリ万博には幕府から、明治6年(1873)ウィーン万博には明治政府から派遣された田中芳男は、滞在先でも精力的に「紙ゴミ」の類を拾い集めている。ホテルカード、会食メニュー、領収書(?)、ロブスターの缶詰のラベル、ストーブの広告等々。石鹸の拓本もある。なるほど、立体物はこうして「拾い集め」れば、貼り込みできるんだな。
田中芳男本人の写真入り「パリ万博入館証」も貼ってある。森有礼の訃報とか、佐野常民からの電報とか、伊藤博文名義の観桜会招待状とか、同時代の名士たちが、突然、固有名詞で立ち現れるのも面白い。鶏卵ラベルの上に貼ってある朱書きの「内務卿大久保利通」は何だったんだろう? 町田久成の筆跡を見た著者(モリナガ・ヨウさん)が、面倒くさそうな人物、と評していたのには笑ってしまった(いま、その箇所が見つからないけど)。
内国博覧会や博物館に関する資料が豊富なのはもちろんだが、大学南校(東京大学の前身のひとつ)の資料が混じっているのは意外な発見だった。物産局関係のみならず、「大学南校入学者保証人証書書式」(庚午だから明治3年?)なども。明治18年(1886)の駒場農学校獣医学科の成績表もあった。探せば、もっと東大沿革史料が出てくるかもしれない。
「恵比須ビール」と並んだ「大黒ビール」のラベルの解説によると、大黒ビール(大日本東京大黒社)は横浜で明治22-23年に創業されたビール会社で、自力製造はせず、他社の製品を買って大黒ラベルをつけて販売していた(え?)。また、日本麦酒醸造会社は、当初、大黒ビールという名前で販売を予定していたが、先に出されてしまったので、急遽「恵比須ビール」に変更した。というような「小ネタ」も本書から仕入れることができる。実に、楽しみ方はいろいろ。
しかし、この『君拾帖』、「本物が見たい」と言って、東大総合図書館に申し込めば、誰でも拒否はされないはず(たぶん)。マイクロフィルムや電子化資料などの複製物がある場合は「特別の理由がない限り、そちらを利用してください」と断り書きされてされているが、『君拾帖』の複製物は確認できない。別にこれまでも『君拾帖』の存在は隠されていたわけではないが、本書によって、その面白さが一挙に広まってしまって、大丈夫なのか?と他人事ながら気になる。
標題の『君拾帖(くんしゅうじょう)』というのは、幕末から明治期に活躍した博物学者、田中芳男(1838-1916)が残したスクラップブックである。本当は『捃拾帖』と書くのだが、捃[手へん+君](集めるの意)の字は表示されにくいので、以下『君拾帖』の表記を用いる。
『君拾帖』は38帙96冊で、ほかに『外国君拾帖』というのもある。田中芳男の蔵書は、関東大震災で多くが焼失してしまったが、残った蔵書約六千冊を孫の田中美津男氏が東京大学に寄贈した。『君拾帖』『外国君拾帖』は、現在、東京大学総合図書館の貴重書庫に収められている。
というような前段は、読みとばしてもいいので、とりあえず本文を開くと、「幕末」から「明治維新」「文明開化」「鹿鳴館時代」「憲法・選挙・日清戦争」「殖産興業」「そして20世紀へ」という、およその時代区分に沿って、全編カラー写真図版満載で『君拾帖』の中身が紹介されている。
貼り込まれているものは、たとえば、引札(今でいう宣伝チラシ)。象の見世物興行の引札、フランス人サーカスの引札、西洋衣服仕立の引札など。あるいは、商品のラベルや包み紙。代用コーヒーのラベル、蕃茄(あかなす)水煮のラベル、大船軒(いまもある!)の旅行用サンドウィッチの包み紙など。幕末・明治の社会の具体相を伝える、こうした「モノ」「図像」好きには、たまらない資料集である。
慶応3年(1867)のパリ万博には幕府から、明治6年(1873)ウィーン万博には明治政府から派遣された田中芳男は、滞在先でも精力的に「紙ゴミ」の類を拾い集めている。ホテルカード、会食メニュー、領収書(?)、ロブスターの缶詰のラベル、ストーブの広告等々。石鹸の拓本もある。なるほど、立体物はこうして「拾い集め」れば、貼り込みできるんだな。
田中芳男本人の写真入り「パリ万博入館証」も貼ってある。森有礼の訃報とか、佐野常民からの電報とか、伊藤博文名義の観桜会招待状とか、同時代の名士たちが、突然、固有名詞で立ち現れるのも面白い。鶏卵ラベルの上に貼ってある朱書きの「内務卿大久保利通」は何だったんだろう? 町田久成の筆跡を見た著者(モリナガ・ヨウさん)が、面倒くさそうな人物、と評していたのには笑ってしまった(いま、その箇所が見つからないけど)。
内国博覧会や博物館に関する資料が豊富なのはもちろんだが、大学南校(東京大学の前身のひとつ)の資料が混じっているのは意外な発見だった。物産局関係のみならず、「大学南校入学者保証人証書書式」(庚午だから明治3年?)なども。明治18年(1886)の駒場農学校獣医学科の成績表もあった。探せば、もっと東大沿革史料が出てくるかもしれない。
「恵比須ビール」と並んだ「大黒ビール」のラベルの解説によると、大黒ビール(大日本東京大黒社)は横浜で明治22-23年に創業されたビール会社で、自力製造はせず、他社の製品を買って大黒ラベルをつけて販売していた(え?)。また、日本麦酒醸造会社は、当初、大黒ビールという名前で販売を予定していたが、先に出されてしまったので、急遽「恵比須ビール」に変更した。というような「小ネタ」も本書から仕入れることができる。実に、楽しみ方はいろいろ。
しかし、この『君拾帖』、「本物が見たい」と言って、東大総合図書館に申し込めば、誰でも拒否はされないはず(たぶん)。マイクロフィルムや電子化資料などの複製物がある場合は「特別の理由がない限り、そちらを利用してください」と断り書きされてされているが、『君拾帖』の複製物は確認できない。別にこれまでも『君拾帖』の存在は隠されていたわけではないが、本書によって、その面白さが一挙に広まってしまって、大丈夫なのか?と他人事ながら気になる。