■太田記念美術館 特別展『江戸妖怪大図鑑』(2014年7月1日~9月25日)第2部:妖術使い(8月30日~9月25日)
この展覧会のおかげで、全然縁のない街だと思っていた原宿に、7月、8月、9月と連続して通ってしまった。第3部が「妖術使い」。なるほど、日本の伝奇・伝説には、妖怪でも幽霊でもない「妖術使い」のキャラクターがこんなに多いんだな。そして、多くの妖術使いは、特定の動物を使う。鬼童丸の蛇、児雷也の蝦蟇、清水義高のネズミなど。
冒頭に大好きな国芳の「相馬の古内裏」があって嬉しかった。この種本『善知烏安方忠義伝』のストーリーが、私はまだよく分かっていないのだが、平将門の遺児・滝夜叉姫は、筑波明神に百日詣をして妖術を授かる(または筑波山の蝦蟇の毒気にかかって変心する)らしい。人工都市・つくばの古層に、そんな伝説がひそんでいたのかと嬉しくなった。
それにしても浮世絵の中の妖術使いたちは、みんな過剰で、パンクで、ファンキーで、いいなあ。やっぱり国芳と芳年は、抜群のセンスで目を引くと思っていたのだが、思いのほか、印象に残ったのが、歌川国貞(三代豊国)である。なんだろう、抑えた表現なのに、じわじわ来るのだ。7月に買って帰った図録では、朝夕眺めていても気持ちが動かなかったのに、実作品を見たら急にファンになってしまった。これは10月から始まる『歌川国貞』展も見なければ…。
■根津美術館 新創開館5周年記念特別展『名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち』(2014年9月20日~11月3日)
長い年月をかけて伝わった古美術品について、「経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています」という視点からとらえ直す展覧会。こういう知的操作、もしくは歴史的視点の入った展覧会は、わりと好き。
冒頭には、牧谿筆『瀟湘八景図』の「漁村夕照」。あ、これと揃いの「遠浦帰帆図」を京都国立博物館の『京へのいざない』展で見てきたばかりだ。解説によれば、足利義教の自邸・室町殿に後花園天皇が行幸したとき、28室にわたっておびただしい唐絵・唐物を並べた記録が『室町殿行幸御飾記』にあるそうだ。数奇?成金の悪趣味? 今でも寺院で行われる曝涼みたいなものだろうか。そして、展示の便宜のため、巻物を切断して軸物に改装したと考えられている。まあこのくらいは許せる。
しかし玉澗筆・自賛の『廬山図』はないなあ。原図では、丸い山頂を寄せ合う山容の中央から、絞り出すように「廬山の瀧」が流れ落ちていた。ところが、右端の玉澗の賛を重んじた所蔵者は、瀧を全く残さずに画面をぶった切ってしまう。武家茶人・佐久間将監真勝(実勝)が狩野探幽と合議の上で切断したものというが、ううむ、こういう暴挙はいけません。
馬麟筆、理宗賛の『夕陽山水図』は記憶になかったが、2009年に『根津青山の茶の湯:初代根津嘉一郎の人と茶と道具』展で見ていた。小品だが、味わい深い作品。古筆では「石山切」が5件も出ていて感激した。やっぱりきれいだ! 西本願寺(大谷光瑞)が「女子大学設立の資金に当てるために分割売却された」というのはよく聞く説明で、私はずっと大谷女子大学かと思っていたら違うのね(こちらは東本願寺派)。現在の武蔵野大学のこととWikiにある。本願寺本三十六人家集は、白河法皇の六十賀の後宴で、白河法皇から主催者の鳥羽天皇に贈られたものと考えられている(久曾神昇氏の説)。院政期って、日本の美意識のピークのひとつだったんだなあ、と思う。
絵巻には『鳥獣戯画』の断簡が登場。現在は甲乙丙丁の四巻本として伝わっているが、天文16年(1547)細川晴元らによって高山寺が焼き払われたときに焼損している。現在の甲巻は二巻、さらに以前は三巻構成だった可能性があるとのこと。2007年、サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた』展も、原本再構成の探究に触れていたが、全体を見るのが初めてで、よく理解できなかった。
『病草紙』断簡2件(個人蔵)は、画面を円形に切り取った珍しいもの。図録解説によれば、近年、佐野みどり氏によって紹介された。もとは屏風に貼り交ぜられていたが、近年、2幅対の掛物に改装されたという。鑑賞に耐えるよう、傷んだ部分を切り取って円形にトリミングしたのは、このとき(掛物に改装時)のことかな。画面のひとつは室内で、乳鉢で薬を練っている(?)若い男と、縁先からそれを覗き込む男、さらに細目に開けた襖障子の奥に女性二人の姿が見える。うん、言われてみれば、確かに『病草紙』の描画だ。もうひとつは網代垣に立てかけた牛車のそばで休む従者と、その脇を通り過ぎる老婆。こちらは、破損劣化がより激しくて、何ともいえない。
『平治物語絵巻・六波羅合戦巻』からは個人蔵の断簡が2件。後期に別の2件が出陳される。これだけまとまって見られる機会はないのではないか、と思ったが、全体では「14葉の色紙形」が残存しており、しかも昭和18年(1943)に分割されるまで『武者絵鑑』という1冊の帖で伝来していたという。ええ~。どうして分割されたんだろう。不幸にして大部分は失われてしまったが、わずかな断簡からも殺気立った躍動感がひしひしと伝わってくる。
あまりにも有名な『佐竹本・三十六歌仙絵』は、女性ベスト3といわれる「斎宮女御」「小大君」「小野小町」が華やかに競演。すごーい。佐竹本と上畳本の「小大君」を見比べることもできる。図様はほぼ同じなのに、色の塗り分けが異なる(ように見えるのは、劣化のせいか?)
展示室2も特集テーマの続きで、伝・俵屋宗達筆『源氏物語図』(末摘花・手習)一巻(MOA美術館)が面白かった。「末摘花」でくつろいで筆を執っている源氏が可愛い。紫の上の前で、わるふざけ気味に末摘花の姿を描いてみせているところか。もとは五十四帖全ての画面を貼り交ぜた(というより貼り尽した)屏風の状態で伝わったという。その写真図版も参考で展示されていた。「馬蝗絆」など、茶碗や茶入の切り継ぎ・修復に関する名品も並ぶ。意図的に割ったものもあり、不慮の災難に遭遇したが、修復でよみがったものもあり、さまざま。
書画はかなり展示替えがあるので、できれば後半にもう一度行きたい展覧会である。
この展覧会のおかげで、全然縁のない街だと思っていた原宿に、7月、8月、9月と連続して通ってしまった。第3部が「妖術使い」。なるほど、日本の伝奇・伝説には、妖怪でも幽霊でもない「妖術使い」のキャラクターがこんなに多いんだな。そして、多くの妖術使いは、特定の動物を使う。鬼童丸の蛇、児雷也の蝦蟇、清水義高のネズミなど。
冒頭に大好きな国芳の「相馬の古内裏」があって嬉しかった。この種本『善知烏安方忠義伝』のストーリーが、私はまだよく分かっていないのだが、平将門の遺児・滝夜叉姫は、筑波明神に百日詣をして妖術を授かる(または筑波山の蝦蟇の毒気にかかって変心する)らしい。人工都市・つくばの古層に、そんな伝説がひそんでいたのかと嬉しくなった。
それにしても浮世絵の中の妖術使いたちは、みんな過剰で、パンクで、ファンキーで、いいなあ。やっぱり国芳と芳年は、抜群のセンスで目を引くと思っていたのだが、思いのほか、印象に残ったのが、歌川国貞(三代豊国)である。なんだろう、抑えた表現なのに、じわじわ来るのだ。7月に買って帰った図録では、朝夕眺めていても気持ちが動かなかったのに、実作品を見たら急にファンになってしまった。これは10月から始まる『歌川国貞』展も見なければ…。
■根津美術館 新創開館5周年記念特別展『名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち』(2014年9月20日~11月3日)
長い年月をかけて伝わった古美術品について、「経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています」という視点からとらえ直す展覧会。こういう知的操作、もしくは歴史的視点の入った展覧会は、わりと好き。
冒頭には、牧谿筆『瀟湘八景図』の「漁村夕照」。あ、これと揃いの「遠浦帰帆図」を京都国立博物館の『京へのいざない』展で見てきたばかりだ。解説によれば、足利義教の自邸・室町殿に後花園天皇が行幸したとき、28室にわたっておびただしい唐絵・唐物を並べた記録が『室町殿行幸御飾記』にあるそうだ。数奇?成金の悪趣味? 今でも寺院で行われる曝涼みたいなものだろうか。そして、展示の便宜のため、巻物を切断して軸物に改装したと考えられている。まあこのくらいは許せる。
しかし玉澗筆・自賛の『廬山図』はないなあ。原図では、丸い山頂を寄せ合う山容の中央から、絞り出すように「廬山の瀧」が流れ落ちていた。ところが、右端の玉澗の賛を重んじた所蔵者は、瀧を全く残さずに画面をぶった切ってしまう。武家茶人・佐久間将監真勝(実勝)が狩野探幽と合議の上で切断したものというが、ううむ、こういう暴挙はいけません。
馬麟筆、理宗賛の『夕陽山水図』は記憶になかったが、2009年に『根津青山の茶の湯:初代根津嘉一郎の人と茶と道具』展で見ていた。小品だが、味わい深い作品。古筆では「石山切」が5件も出ていて感激した。やっぱりきれいだ! 西本願寺(大谷光瑞)が「女子大学設立の資金に当てるために分割売却された」というのはよく聞く説明で、私はずっと大谷女子大学かと思っていたら違うのね(こちらは東本願寺派)。現在の武蔵野大学のこととWikiにある。本願寺本三十六人家集は、白河法皇の六十賀の後宴で、白河法皇から主催者の鳥羽天皇に贈られたものと考えられている(久曾神昇氏の説)。院政期って、日本の美意識のピークのひとつだったんだなあ、と思う。
絵巻には『鳥獣戯画』の断簡が登場。現在は甲乙丙丁の四巻本として伝わっているが、天文16年(1547)細川晴元らによって高山寺が焼き払われたときに焼損している。現在の甲巻は二巻、さらに以前は三巻構成だった可能性があるとのこと。2007年、サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた』展も、原本再構成の探究に触れていたが、全体を見るのが初めてで、よく理解できなかった。
『病草紙』断簡2件(個人蔵)は、画面を円形に切り取った珍しいもの。図録解説によれば、近年、佐野みどり氏によって紹介された。もとは屏風に貼り交ぜられていたが、近年、2幅対の掛物に改装されたという。鑑賞に耐えるよう、傷んだ部分を切り取って円形にトリミングしたのは、このとき(掛物に改装時)のことかな。画面のひとつは室内で、乳鉢で薬を練っている(?)若い男と、縁先からそれを覗き込む男、さらに細目に開けた襖障子の奥に女性二人の姿が見える。うん、言われてみれば、確かに『病草紙』の描画だ。もうひとつは網代垣に立てかけた牛車のそばで休む従者と、その脇を通り過ぎる老婆。こちらは、破損劣化がより激しくて、何ともいえない。
『平治物語絵巻・六波羅合戦巻』からは個人蔵の断簡が2件。後期に別の2件が出陳される。これだけまとまって見られる機会はないのではないか、と思ったが、全体では「14葉の色紙形」が残存しており、しかも昭和18年(1943)に分割されるまで『武者絵鑑』という1冊の帖で伝来していたという。ええ~。どうして分割されたんだろう。不幸にして大部分は失われてしまったが、わずかな断簡からも殺気立った躍動感がひしひしと伝わってくる。
あまりにも有名な『佐竹本・三十六歌仙絵』は、女性ベスト3といわれる「斎宮女御」「小大君」「小野小町」が華やかに競演。すごーい。佐竹本と上畳本の「小大君」を見比べることもできる。図様はほぼ同じなのに、色の塗り分けが異なる(ように見えるのは、劣化のせいか?)
展示室2も特集テーマの続きで、伝・俵屋宗達筆『源氏物語図』(末摘花・手習)一巻(MOA美術館)が面白かった。「末摘花」でくつろいで筆を執っている源氏が可愛い。紫の上の前で、わるふざけ気味に末摘花の姿を描いてみせているところか。もとは五十四帖全ての画面を貼り交ぜた(というより貼り尽した)屏風の状態で伝わったという。その写真図版も参考で展示されていた。「馬蝗絆」など、茶碗や茶入の切り継ぎ・修復に関する名品も並ぶ。意図的に割ったものもあり、不慮の災難に遭遇したが、修復でよみがったものもあり、さまざま。
書画はかなり展示替えがあるので、できれば後半にもう一度行きたい展覧会である。