○愛媛県美術館 『空海の足音 四国へんろ展』《愛媛編》(2014年9月6日~10月13日)
連休2日目(日曜日)、朝から松山城下の城山公園に赴き、9:40の開館と同時に愛媛県美術館前に入る。一部展示替えを含めて約100件の展示で「空海と弘法大師信仰」のセクションから始まる。
冒頭の弘法大師坐像(佛木寺・鎌倉時代)は、愛媛編のメインビジュアルになっている木像。素木の木目が美しい。そうか、弘法大師だったのか。言われてみれば他にあり得ないが、どこか「らしくない」のだ。奈良・元興寺の弘法大師像が衣の前をくつろげているのに比べると、佛木寺の大師像はきっちり襟を合わせている。空海って、こんなにお行儀よくないだろう、と苦笑してしまった。
愛媛編では絵画の名品に多く出会えた。光林寺の『稚児大師像』は白い月輪の中に、おかっぱ頭の利発そうな稚児が座っている。白い袴。オレンジ色の摺り衣にはタンポポのような草花が散っている。稚児大師像の最古本は香雪美術館にあるとのこと。表具も美しかった。『高野大師行状図画』巻九は白鶴美術館からの出陳。入定した空海が奥の院に運ばれていく場面だった。そのあと、木の枝にひっかかったような棺の図の意味が分からなかったのだが、調べたら、空海に葬儀の導師をしてもらうことを約束していた嵯峨天皇は、棺を嵯峨野の木の上に置いておくように遺言した。やがて赤い衣の天人たちがあらわれ、棺を担いで雲の中に登っていった、という伝説があるそうだ。面白いなあ。
『一遍聖絵』巻二は複製しか見られなかったが、よいことにしよう。愛媛県内の岩屋寺の険しさを、写実を飛び越えた構想力で描いたもの。と思うのだが、本当にこんな風景だったらどうしよう。太山寺に伝わる二曲一双屏風には、室町時代の絵巻か草紙『阿弥陀の本地』が貼り付けてある。少ない色彩のベタ塗り、単純化された形態など、素朴だがしっかりした描写力である。江戸時代に奈良・田原本の絵師が描いた『中国四国名所旧跡』という旅のスケッチブックも面白かった。海や岩屋の風景が、子供のように自由な発想で絵画化されている。
彫刻では、すまないけれど、三角寺の文殊菩薩坐像及び獅子に笑ってしまった。ロボットみたいな文殊菩薩もたいがいだが、人面犬みたいな、団子鼻の獅子ときたら…。太山寺の十一面観音立像と栄福寺の菩薩立像は、さながら美人姉妹。なお太山寺には、後冷泉から近衛までの歴代天皇(白河天皇を除く)から勅納された六体の十一面観音像が安置されている(本尊の十一面観音像は秘仏)。太山寺での安置状態は、図録に写真があって一目瞭然。
工芸では、熊野速玉大社から『唐花唐草蒔絵手箱』が出ていたのが眼福。蒔絵箱にはめ込まれた螺鈿の大きいこと、あやしくも美しいこと! 徳島・長楽寺の絹本刺繍『弘法大師行状曼荼羅』(江戸時代・天保)も工芸に入れておこう。全4幅で、高知編に1幅(前期にも1幅)、愛媛編に2幅が展示されていた。台湾故宮博物院展に出ていた刺繍画にも負けない名品だと思う。
「四国遍路」に関しては、江戸時代の絵図や案内記だけでなく、明治の古写真、戦前の英語版(外国人旅行者向け)お遍路案内など、多様な資料が展示されていた。旧制松山中学のドイツ語教師だったオーストラリア人のボーナーは、夫婦でお遍路を体験し、昭和6年に四国遍路の研究書を刊行している。女性史研究家・高群逸枝による大正時代のお遍路記も。若い娘のお遍路は好奇の目で見られたと解説にいう。
展示会場の最後にたどりついて、ふと後ろを振り返ると、香川・善通寺の地蔵菩薩立像と香川・観音寺の涅槃仏像に見送られていた。善通寺の地蔵菩薩は、造形的に優れた像だが、愛想のない顔つきで、隣りの涅槃仏はそっぽを向いて目を閉じているし(当たり前だが)あまりにツンデレな見送りにちょっと笑えた。
なお、この四県連携事業の図録は、各館が制作・発売している。あと2館、2冊入手したいが、11月に来られるかなー。
連休2日目(日曜日)、朝から松山城下の城山公園に赴き、9:40の開館と同時に愛媛県美術館前に入る。一部展示替えを含めて約100件の展示で「空海と弘法大師信仰」のセクションから始まる。
冒頭の弘法大師坐像(佛木寺・鎌倉時代)は、愛媛編のメインビジュアルになっている木像。素木の木目が美しい。そうか、弘法大師だったのか。言われてみれば他にあり得ないが、どこか「らしくない」のだ。奈良・元興寺の弘法大師像が衣の前をくつろげているのに比べると、佛木寺の大師像はきっちり襟を合わせている。空海って、こんなにお行儀よくないだろう、と苦笑してしまった。
愛媛編では絵画の名品に多く出会えた。光林寺の『稚児大師像』は白い月輪の中に、おかっぱ頭の利発そうな稚児が座っている。白い袴。オレンジ色の摺り衣にはタンポポのような草花が散っている。稚児大師像の最古本は香雪美術館にあるとのこと。表具も美しかった。『高野大師行状図画』巻九は白鶴美術館からの出陳。入定した空海が奥の院に運ばれていく場面だった。そのあと、木の枝にひっかかったような棺の図の意味が分からなかったのだが、調べたら、空海に葬儀の導師をしてもらうことを約束していた嵯峨天皇は、棺を嵯峨野の木の上に置いておくように遺言した。やがて赤い衣の天人たちがあらわれ、棺を担いで雲の中に登っていった、という伝説があるそうだ。面白いなあ。
『一遍聖絵』巻二は複製しか見られなかったが、よいことにしよう。愛媛県内の岩屋寺の険しさを、写実を飛び越えた構想力で描いたもの。と思うのだが、本当にこんな風景だったらどうしよう。太山寺に伝わる二曲一双屏風には、室町時代の絵巻か草紙『阿弥陀の本地』が貼り付けてある。少ない色彩のベタ塗り、単純化された形態など、素朴だがしっかりした描写力である。江戸時代に奈良・田原本の絵師が描いた『中国四国名所旧跡』という旅のスケッチブックも面白かった。海や岩屋の風景が、子供のように自由な発想で絵画化されている。
彫刻では、すまないけれど、三角寺の文殊菩薩坐像及び獅子に笑ってしまった。ロボットみたいな文殊菩薩もたいがいだが、人面犬みたいな、団子鼻の獅子ときたら…。太山寺の十一面観音立像と栄福寺の菩薩立像は、さながら美人姉妹。なお太山寺には、後冷泉から近衛までの歴代天皇(白河天皇を除く)から勅納された六体の十一面観音像が安置されている(本尊の十一面観音像は秘仏)。太山寺での安置状態は、図録に写真があって一目瞭然。
工芸では、熊野速玉大社から『唐花唐草蒔絵手箱』が出ていたのが眼福。蒔絵箱にはめ込まれた螺鈿の大きいこと、あやしくも美しいこと! 徳島・長楽寺の絹本刺繍『弘法大師行状曼荼羅』(江戸時代・天保)も工芸に入れておこう。全4幅で、高知編に1幅(前期にも1幅)、愛媛編に2幅が展示されていた。台湾故宮博物院展に出ていた刺繍画にも負けない名品だと思う。
「四国遍路」に関しては、江戸時代の絵図や案内記だけでなく、明治の古写真、戦前の英語版(外国人旅行者向け)お遍路案内など、多様な資料が展示されていた。旧制松山中学のドイツ語教師だったオーストラリア人のボーナーは、夫婦でお遍路を体験し、昭和6年に四国遍路の研究書を刊行している。女性史研究家・高群逸枝による大正時代のお遍路記も。若い娘のお遍路は好奇の目で見られたと解説にいう。
展示会場の最後にたどりついて、ふと後ろを振り返ると、香川・善通寺の地蔵菩薩立像と香川・観音寺の涅槃仏像に見送られていた。善通寺の地蔵菩薩は、造形的に優れた像だが、愛想のない顔つきで、隣りの涅槃仏はそっぽを向いて目を閉じているし(当たり前だが)あまりにツンデレな見送りにちょっと笑えた。
なお、この四県連携事業の図録は、各館が制作・発売している。あと2館、2冊入手したいが、11月に来られるかなー。