見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年9月@西日本大旅行:四国へんろ展・高知編(高知県立美術館)

2014-09-16 22:16:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
高知県立美術館 『空海の足音 四国へんろ展』《高知編》(2014年8月23日~9月23日)

 九州への出張が決まり、ついでに宿願の白峯寺に参拝できないかと思って調べているうち、この情報を見つけた。四国霊場開創1200年記念四県連携事業『空海の足音 四国へんろ展』。四国4県の4つの美術館・博物館が「四国へんろ」という共通テーマのもとに、各県の特色をいかした展覧会を開催するというもの。巡回展ではないので、全貌を知るには、4県すべてを「お遍路」しなければならない。会場と日程は以下のとおり。

・高知編 高知県立美術館(2014年8月23日~9月23日)
・愛媛編 愛媛県美術館(2014年9月6日~10月13日)
・香川編 香川県立ミュージアム(2014年10月18日~11月24日)
・徳島編 徳島県立博物館(2014年10月25日~11月30日)

 とりあえず始まっている高知と愛媛に行ってみようと思い、無理を承知で旅の計画を練った。土曜の朝、新幹線で博多を発ち、岡山へ。高知行き特急「南風」に乗り換える。初めて渡る瀬戸大橋から眺める瀬戸内海が絶景。やがて山の中に入ると、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の渓谷美も楽しめて、とても贅沢な車窓風景だった。

 高知は2007年の夏に「絵金祭り」を見に来て以来、二度目。記憶よりも駅舎がきれいになっているような気がした。市電で高知県立美術館へ。2つの展示室を使って、約100件の資料が展示されている(一部は前後期で展示替え)。(1)空海とその時代、(2)霊地四国、(3)四国遍路の形成と定着・天界、(4)土佐の霊場の四部構成。あとで分かったが、他の館もだいたい同様のようだ。

 まず「空海とその時代」に着目するセクションでは、四国だけではなく、京都・東寺や和歌山・金剛峯寺など、空海ゆかりの寺院から貴重な文化財が出陳されている。東寺でもめったに見られない『御遺告(ごゆいごう)』や高野山の霊宝館で見たことがある唐代の『諸尊仏龕』(枕本尊)など。京都・安楽寿院所蔵の絵巻『高祖大師秘密縁起』も面白かった。

 高知県の文化財のうち、彫刻では、雪蹊寺の毘沙門天立像(鎌倉時代)が優品。典型的な「美男」毘沙門天である。小さな脇侍の吉祥天と善膩師童子(ぜんにしどうじ)は愛らしい。善膩師童子は、頭部がかなり磨滅して、小さな黒目が木肌に埋もれかけているが、みんなに撫ぜ愛しまれた結果、こうなったのではないかと思う。吉祥天は、超人的な美貌ではないが、優しい女人の姿を写実的にあらわしている。宋風彫刻のおもむき。

 最御崎寺の金剛力士像(江戸時代)は砂岩に刻まれためずらしいもの。細マッチョで暑苦しくないのがよい。同寺には、赤紫っぽい大理石造りの如意輪観音半跏像(年代注記なし)も伝わる。定朝様に通じる穏やかな容貌で「中央の作とする意見も根強い」とあったが、いや渡来仏じゃないかなあ。細くくびれた腰が色っぽい。背面もちゃんと彫刻されている。横から見た体躯は薄い。右膝を立て気味にし、その上に置かれていたかもしれない右腕は途中で失われている。左手は天衣の端を巻き付け、地面に下ろしている。髪は失われているが、ツインテールにして肩に垂らしていた様子。

 絵画では、金剛頂寺の『両頭愛染曼荼羅図』(鎌倉中期)が面白かった。向かって左向きに斜め横顔を見せる愛染明王像で、珍しいなあと思って眺めているうち、右側に黒い別の顔が載っていることにようやく気づいた。愛染/不動の両頭明王なのである。画面上部の左右には金剛界/胎蔵界の大日如来。画面下部には、向かって左に獅子の上で弓を構える童子、右に白象の上で弓を構える童子が描かれている。

 工芸では、香川県の善通寺から出陳の錫杖頭が白眉。唐代工芸の粋を感じさせる。表裏それぞれに、三尊+二天王を配する。主尊は釈迦如来と薬師如来かな。二天王は両面あわせて四天王になる構成。一体が横抱きにしている持物は琵琶だろうか?と思ったが、確認できなかった。

 なお、同展入場者に無料で配られている冊子「仏像のちょこっとばなし」はうれしかった。明るく、品のある色づかいが私好み。「編集、発行:高知県立歴史民俗資料館」とあるだけで作者名表記が見当たらないけど、職員の方の片手間しごと? それにしてはレベルが高すぎる。



 個人的にツボにはまったイラスト「如来の特徴」↓



 この素敵な冊子を貰えるのもあと1週間(なのかな?)。みなさん、高知へ急ぎましょ~。

 この日は、高知駅前から高速バスで松山へ。松山市内のホテルが取れなかったので、伊予鉄に30分ほど乗り、「見奈良」の天然温泉ホテルに落宿。いい温泉、いいホテルだったが、駅を降りたとき、あたりが真っ暗でびっくりした(たまにあること)。夜空に星座がよく見えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年9月@西日本大旅行:福岡市博物館

2014-09-16 01:07:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
福岡市博物館 常設展示+企画展示

 まず、福岡行きの顛末から。三連休直前の金曜日に博多(福岡)で仕事が入った。出張は嫌いじゃないが、貴重な三連休の1日を移動日でつぶされるのはありがたくない。そこで出張は往路のみで「打ち切り」にしてもらい、あとは自由に遊んでくることにした。

 木曜の午後に空路で札幌から福岡に向かう予定にしていたが、前日の深夜から記録的な大雨。朝の交通は大混乱で、昼になってもJR北海道の快速エアポートは止まったまま。リムジンバスは乗車まで1時間待ちの長蛇の列。タクシー相乗りで、なんとか空港にたどり着いたが、飛行機の離陸も30分ほど遅れた。辛かったのは睡眠不足。前夜はスマホに災害警報がひっきりなしに届いて、まともに寝られなかったのだ。飛行機が飛び立って、ようやく眠れた。

 さて金曜の仕事は午後からで、午前中はフリーだったので、福岡市博物館に行ってみることにした。一度来た覚えはあるが、2004年から書いているこのブログに記事がないところをみると、もう10年以上前になるのだろう。特別展『軍師官兵衛』を開催中だったが、江戸東京博物館で見ているので、常設展を参観する。いろいろ面白かった点を以下にメモしておく。

・まずは国宝金印「漢委奴国王」について。百姓の甚兵衛さん、よく正直に届け出たなあと思っていたが、まずは画商に見せて相談しているのね。本居宣長は「特に重要なものではない」という冷ややかな鑑定。国学者としては、日本の古代国家が漢に朝貢していたなど認めたくなかったのだろう。

・「地域差」が分かってくると古代史の展示が俄然面白くなってきた。やっぱり九州は朝鮮文化の影響を強く感じる。縄文土器も面白いが、弥生前期の土器もいいなあ。私の好きな備前焼の緋襷(ひだすき)って、弥生系なんだな。

・鴻臚館の説明を興味深く読む。11世紀には記録から消えてしまうのか。展示解説には、永承2年(1047)放火の記録を最後に、とあったと思うが、Wikipediaには、寛治5年(1091)宋商人李居簡が鴻臚館で写経した記述を最後に文献上から消えたとある。福岡城内にあった筑紫館(つくしのむろつみ・つくしのたち)とは別に太宰鴻臚館という記載も文徳実録にあるのだな。

・『策彦帰朝図』(複製)に目が留まる。「原本は妙智院所蔵」ってどこのお寺かと思ったら、京都の天龍寺の塔頭らしい。原本の(※画像)も見つけた。根津美術館で時々見る墨画の名品に似ていると思ったのだが、いまその作品が確認できないので、詳しくは後日。

・常設展示の最後、等身大のスクリーンに法被姿の小松政夫さんが現れて、出口に向かうお客を「博多一本締め」で見送ってくれる。関東一本締めの「ポン」とは全く違う手拍子で、愉快。

 続いて、常設展料金で入れる企画展の会場へ。『御用絵師の世界』(2014年8月19日~10月13日)では、黒田家にスカウトされた狩野昌運(本名・季信)を中心に紹介。同じ部屋に、黒田一成が着用したと伝える『銀大中刳大盔旗脇立頭形兜(ぎんおおなかぐりおおたてものわきだてずなりかぶと)』が展示されていた。いやちょっと待て、やりすぎだろ…。あまり大きくて旗指物と勘違いされたとか、大砲の目印にされたという逸話に苦笑した。

 もうひとつの企画展は『西鉄ライオンズと栄光の時代』(2014年7月23日~9月28日)。昭和31年から33年の日本シリーズ3連覇はさすがに私の生まれる前の話だが、豊田泰光さんのインタビュー映像を見ることができて、懐かしかった。私は、豊田さんのプロ野球解説が大好きだったのである。入団当時、戦後まもない博多は汚い町で、合宿所には布団もなく、夕食はご飯を2杯食べるとおひつにお米がなくなる状態だった。大変なところに来ちゃったなあと思いながら、それでも町に別嬪さんが多くてがんばろうと思ったとか、腹いっぱい食わせてくれる料亭のお父さんにお世話になったと振り返りながら、少し目をうるませていたのも印象的だった。貴重な賞状やトロフィーの数々が豊田さんから福岡市博物館に寄贈されていた。福岡の文化財として、大切にしてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする