〇大澤正昭『妻と娘の唐宋時代:史料に語らせよう』(東方選書 55) 東方書店 2021.7
中国の唐宋時代(7~13世紀)の妻と娘、つまり女性史や家族史に焦点を当てた7編の研究を紹介する。もともと学部の新入生向けに書いたものが主で、平明な文章で、興味を引く内容を取り上げている。
著者が用いる史料は多様である。ひとつは絵画史料。しかし現実に忠実だと考えられがちな絵画資料も、実はバイアスがかかっている。たとえば『清明上河図』に描かれた人物の性別は「千男一女」であるが、他の当時の史料には、街なかにいる女性が記述されている。つまり『清明上河図』の画家には、女性は外を出歩くべきでないので、家の中にしかいないことにする、という意図があったと考えられるのだ。おもしろい。同様に『耕織図詩』の、畑仕事は男性、機織りは女性という性別分業図も、現実の反映でないことを、壁画墓の図様を反証に挙げて説明する。
文献史料も、もちろんバイアスから自由ではない。それを意識した上で、著者は、裁判記録(清明集)や家訓(袁氏世範)や小説(太平広記・夷堅志)の中から、注意深く当時の女性たちの姿を取り出してみる。すると、一般に儒教思想の本場である中国では、古来女性の地位が低く、何の権利も認められていなかったように考えられているが、必ずしもそうでない実態が見えてくる。
たとえば唐代は離婚・再婚が多く、寡婦が財産を持って再婚するのは普通のことだったし、妻の側から離婚を求めることもあった。当時の小説史料には、いわゆる不倫関係がおおらかに描かれてさえいる。この価値観が逆転し始めるのは宋代だという。
男女関係が自由であることは、夫婦の結びつきが弱く、妻の立場が弱いことも意味していた。唐代の妻は嫉妬を武器として、自分の地位を確保すべく戦わなければならなかった(日本の平安時代の女性を思わせる)。唐代は宗族的つながりが強固で、家族の姿がよく分からないが、宋代になると、夫婦を核とした小家族の自立度が高まる。唐代では「一夫一妻多妾」だったものが、徐々に「一夫一妻プラス多妾」制へ変化し、妻と妾の権限が明確になるのだという。これは、宋代の庶民(上流階級だけど)の夫婦を主人公にした中国ドラマ『知否知否応是緑肥紅痩(明蘭)』を思い出さずにいられない。なるほど、ドラマで正妻の子か側室の子か、という出自が何度も取沙汰されるのは、こういう時代背景があるのだな。
女性史から少し外れるのだが、唐代後半期から宋代にかけて「豪民」と呼ばれる人々が活躍した。塩・紙・鉄・石炭など物資の流通に関与して経済力を蓄えるとともに、地域社会のもめごとを裁き、紛争を解決する私的な裁判所として機能していた。ここで著者は、日本の近世社会なら村落共同体が成立しており、村人が支持する指導者たちが紛争の調停をおこなったが、中国に村落共同体はなく、宋朝政府か豪民かの選択になった、と書いている(この差はよく分からないので後で考える)。なお、豪民の活動も寡婦の生業の選択のひとつだったという。『水滸伝』などの女侠のイメージかな。
また最終章で、唐宋時代の「家族」の平均人数を推定する試みも面白かった。敦煌文書の戸籍を用いたり、正史である『旧唐書』『新唐書』『宋史』の地理志を用いたり、小説史料を用いたりして、その数値を比較している。だいたい平均的な家族は4~5人で、経済力のある上流階級のほうが、やや子供の数が多い(貧乏人の子だくさんではないのだな)。特徴的なのは男女比の不均衡で、女児殺し(溺女)の習俗は根強く、明清時代にも引き継がれた。その結果は、独身男性の嫁不足を引き起こし、妻を売り(売妻)、貸し出し(租妻)、質に入れる(典妻)慣習が広がっていたという。岸本美緒氏に「妻を売ってはいけないか?」という、すさまじい題名の論文があることを知ったのは収穫だった。読んでみたい。
なお、私は著者が読者(特に年配の?)に想定しているような「圧倒的な男性本位という中国史のイメージ」を全く持っていないので、それを丁寧に解きほぐそうとする著者の努力には敬意を払いつつ、まだこんなことを語らなければいけないかあ…と思ったことも事実である。著者が家族関係の史料として紹介している小説や裁判記録は興味深いものが多く、全編を読んでみたいと思った。