〇大塚英志『大東亜共栄圏のクールジャパン:「協働」する文化工作』(集英社新書) 集英社 2022.3.22
戦時下、いわゆる大東亜共栄圏に向けてなされた宣伝工作である「文化工作」の具体的な姿を追う。短い序章では、戦時下の「文化工作」の特徴として(1)多メディア展開 (2)内地向けと外地向けの差、および地域ごとのローカライズ (3)官民の垣根を越えた共同作業、特にアマチュアの能動的参加、の3点を示す。最後の点に関連して、文化を含む翼賛体制構築のための実践の基本原理が「協働」である、と指摘されている。余談だが、私は長年、文教関係の公的セクターで仕事をしているが、現在もこの言葉はよく使われており、4月に入職した職場の一室に「協働スペース」の看板が掲げられているのを見つけて、苦笑している。
本書が扱う分野(メディア)には、まんが、映画、アニメがある。新興の表現、マージナルな表現ほど(承認欲求のゆえに)動員されやすかったという指摘は、現代に通じる問題として記憶しておきたい。まんがについては、まず、前著『「暮し」のファシズム』でも紹介されていた『翼賛一家』を取り上げる。新日本漫画家協会の作家たちが制作し、アマチュアの参画を目論んだ、翼賛体制の宣伝と啓蒙のための作品である。本書では、この作品が、華北・台湾・朝鮮でどのようにローカライズされたか、誰が制作に関わったかを見ていく。
次に、外地に赴き、まんが教育をおこなった2人の漫画家を検討する。「のらくろ」の田河水泡と「タンクタンクロー」の阪本牙城である。特に満州の開拓団や義勇隊をまわって少年たちにまんがの描き方を指導しながら、その過酷な実態を見てしまい、体験の一部を作品やエッセイに残した阪本牙城の話が興味深かった。戦後は漫画の筆を折り、阪本雅城として水墨画に専心したというのも知らなかった。
映画に関する文化工作は、最も生臭く、キナ臭い物語だった。戦時下の上海では、日本軍と東宝が現地映画人を巻き込み、「光明影片公司」という偽装映画会社を立ち上げ、中国大衆向けの「文化工作」映画を製作していた。ところが、この映画会社にかかわっていた台湾出身の劉燦波が(おそらく漢奸=裏切者として)暗殺されてしまう。翌年(1941年)東宝と中華電影は、劉の死を題材にした映画『上海の月』(成瀬巳喜男監督)を製作し、公開する。『上海の月』のフィルムは失われてしまったそうだが、当時の新聞広告のコピーがすごい。「抗日女スパイの暗躍に抗して敢然起つ 文化戦士の血みどろの挑戦」とか…俗情におもねるとはこういうことか。
また、中華電影に籍のあった多田裕計は、劉の死を思わせる描写のある『長江デルタ』を発表する。そして同作は同年の芥川賞を受賞する。当初、佐藤春夫、宇野浩二ら審査員の評価はあまり高くなかったが、これをひっくり返したのは横光利一である(ちなみに多田は横光の狂信的なファンだった)。選考過程の記録がきちんと残っているところは、公明正大というべきかもしれないが、それにしてもまあ…。
最後はアニメ『桃太郎 海の神兵』について。「桃太郎」を日本軍の表象とし、鬼を敵国に見立てるという発想は、なんと日露戦争時代からあるそうだ(アール・ヌーヴォー様式の桃太郎!)。一方で桃太郎を侵略者、鬼を侵略される側として描くことも、尾崎紅葉『鬼桃太郎』(1891年)など早くからあり、大正末期から昭和初期には「桃太郎に軍国主義・侵略主義を説くこと」が「インテリの観念」となる。ところが、日中戦争期に入ると、これが反転し、桃太郎は「南方侵略肯定」のアイコンとなる。宝塚歌劇では「日出づる国」からやってきた植民地解放者として描かれるのだ。
関連して、柳田国男『桃太郎の誕生』の冒頭が、1931年版と1942年版で全く違うことも初めて知った。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を見て、海から来る神々のイメージを想起した旧版が、南方の島々に日本と共通の記憶を探す、大東亜共栄圏的関心に書き換えられているのである。
そして、名作の誉れ高いアニメ『桃太郎 海の神兵』であるが、実は印象的なシーンの多くは、先行する記録映画、ディズニー、戦争画、プロパガンダ雑誌などの視覚表現の「引用」であることが検証されている。いや、別に引用だから価値がないというわけではないが、戦時下には、こうした戦時表象の「引用の織物」が多数つくられていたのである。