〇五島美術館 館蔵・古鏡展『めでたい鏡の世界』(2023年6月24日~7月30日)
館蔵品から中国や古墳時代の古鏡約60面を展観する。軽い気持ちで見に行ったら、解説が充実していて、想像よりも面白かった。同館が古鏡の展覧会を開催したことがあっただろうか?と考えたが、思い当たるものがない。調べたら(「観仏三昧」のアーカイブによれば)2003年に『中国の古鏡展』を開催しているようだ。
中国では「かがみ」は古くは「鑑」と書いたが、戦国時代から「鏡」を使うようになった。漢代の鏡は種類が豊富で、化粧道具として流布したほか、吉祥、魔除け、贈答品としても用いられた。冒頭に展示されていた『草葉紋鏡』(前漢時代・紀元前2世紀)の文様は、天に向かって伸びる宇宙樹を現わしたものだというが、簡略化されたデザインはアールデコふう。周縁を囲む連弧文は漢代の終わりまで用いられた。銘文には「見日光、天下大陽、服者君卿、延年益寿、敬毌相忘、幸至未央」とあり、おめでたそうな文字が並ぶ。本展のキャプションは、全て銘文を活字に起こして付けてあり、大変ありがたかった。
漢代の鏡の「鏡式(きょうしき)」には、このほか「螭龍紋鏡(ちりゅうもんきょう)」「虺竜文鏡(きりゅうもんきょう)」「八禽鏡」「獣帯鏡」などがある。広い地域で長い期間用いられた鏡式もあれば、一定の場所や時期と結びついたものもある。「連弧紋鏡」は黄河より北に分布し、倭人に好まれ、倭鏡では「内行花紋鏡」と呼ばれている。「三段式神仙鏡」は五斗米道の展開と軌を一にして広まり、その終焉とともに制作されなくなったという。おもしろい。
後漢時代の「浮彫式獣帯鏡」に「李氏作…」という銘文があり、もと官営工房の「尚方」に属していた鏡師の李氏で、図様には仙薬をつく兎、仙人など、新しい要素が多数見られるという。ほかにも「侯氏作」「石氏作」など鏡師の名を記すものはいくつかあった。
三国時代の鏡は、だいたい漢代の鏡式を復活再生させたものだという。隋唐の鏡は華麗なこと、繊細なこと、この上ない。ロココの美学にも通じる。正倉院展で見るのもこの系統だ。でも、どこか呪術的な漢の鏡に私は惹かれる。
日本では、紀元前4世紀頃から大陸の鏡が日本に将来されるようになった(はじめは北九州)。2世紀中葉から3世紀前半には機内が中心となる。3世紀中葉から4世紀には、大量の中国鏡(三角縁神獣鏡)がヤマト王権によって分配された。中国鏡が不足したため、機内では倭鏡の制作が始まったが、5世紀には下火になり、倭の五王が南朝の宋へ使者を送ったことで、再び中国鏡が流入した。威信財としての中国鏡は面数が重視されたが、倭鏡は大きさが価値を決めたというのもおもしろい。6世紀、前方後円墳が作られなくなると、倭鏡の制作も終焉した(展示解説から、ざっとメモ)。
古墳時代(3~6世紀)に制作された倭鏡も多数出ていた。漢代の鏡に憧れ、必死にそれを模倣しているが、やっぱり技術的に追いついていない。文字を知らない工人が制作していたのか、文字の体をなさない「偽銘」が刻まれているものも多い。江戸時代、西洋絵画に憧れて横文字を真似てみた絵師たちのことを思い出した。このほか「鏡を愛でた人々」と題して、楊守敬や羅振玉、宇野雪村などの旧蔵品も展示。また、水禽埴輪や新羅時代の金銅馬具類が、古代への雰囲気を盛り立てていた。
展示室2では大東急記念文庫の「書き入れ本と自筆資料」を展示。藤原頼長の識語のある『因明論疏』を久しぶりに見た。あやしい説話を含む『酉陽雑俎』に、謹厳なイメージのある林羅山が識語を残しているのも興味深い。すごいなあ。古鏡と書き入れ本、圧倒的に楽しかった。