〇蜂屋邦夫『中国の水の物語:神話と歴史』 法蔵館 2022.5
昨年、とても面白く見た中国ドラマ『天下長河』が、いまWOWOWで『康熙帝~大河を統べる王~』のタイトルで放映中だ。清・康熙時代の黄河治水を描いたドラマである。SNSの感想を覗きに行ったら、ドラマに登場する陳潢と靳輔に関する記述が、この本にあると書いている人がいたので読んでみた。本書は、中国の洪水や治水の神話をはじめとして、水利史や古代都市の防洪・排水問題、黄河や長江の流態など、現実の歴史に即した問題も一書にまとめたものである。著者は文学博士で、専門は老荘思想・道教とのこと。
はじめに神話。中国の神話は、帝王・伏羲から始まると思っていたが、『韓非子』には、木の上に巣をつくることを教えた有巣氏、火を使うことを教えた燧人氏の伝承があるのだな。伏羲兄妹(妹は女媧)がひょうたんに入って洪水から助かる話はいかにも神話的だ。『史記』「三皇本紀」には共工という水神が登場する。共工は人面蛇身の悪神だが、もとは苦心して洪水を治めた者だという記憶がかすかに残されており、おそらく「洪水を防ごうと奮闘して失敗した者」ではないかと著者は考える。堯帝の時代に治水事業を担当して失敗した鯀(こん)も同じ。失敗した共工や鯀の治水は「堙(いん)」(埋め立て)方式であり、成功者として知られる禹の治水は「疏」(水路を切り拓いて海や長江に流し込む)方式だった。中国の治水方式は「堙」から「疏」へ発展してきたとも言える。
続いて遺物や歴史に基づいて考える。私は中国の歴史が大好きだが、太古の時代(新石器時代)については詳しく学んでこなかったので、仰韶時代、龍山時代の暮らしぶりなど、興味深く読んだ。太古の時代、人々は集落のまわりを空壕(からぼり)や濠で囲んだ「環壕集落」に住んだ。これは軍事上の防衛というより、野獣の侵入や家畜の逃亡を防ぐためだったと考えられる。本書には、ぼんやりした円形を描く城壁と壕溝に囲まれた城頭山古城(湖南省)の空撮写真が掲載されているが、古典的な中国の古城のイメージとは全く違っていておもしろい。城内にはパッチワークのように水田が広がっている。さらに湖北の馬家院古城、河南の平糧台古城と殷・偃師古城、山東の斉・臨淄古城も紹介されているが、城壁の目的のひとつが「防洪」であったというのは、目からウロコのように思った。もちろん同時に排水・進水施設も重要だった。古代の水利施設で最も名高いのが、長江流域にある都江堰(四川省)と霊渠(広西省)である。都江堰には、むかし一度足を運んだはずだが、記憶が薄い。
次に大きく時代を跳んで、明の潘季馴と清の陳潢による黄河治水を紹介する。16世紀中頃、黄河の下流は東南方向に向かい、淮陰(いまの江蘇省淮安市)で淮河と合流し海に注いでいた(にわかに信じられない!)。南北を結ぶ大運河も淮陰のあたりを通るので、黄河が氾濫すると漕運に影響が及ぶため、歴代の治水担当者は黄河をいくつにも分流させ、洪水の脅威を軽減しようとした。潘季馴は、この方式を抜本的に転換し、堅牢な堤防を築いて水流をまとめ、水流の力で、川床に堆積した泥砂を排除しようとした。さらに治水上重要な地点には減水ばい[土貝](あふれた水を再び本流に戻す施設)を設けた。陳潢は潘季馴の方式を継承するとともに、流量の計算方法を発明するなど、進化させた。
さらに話題は現代へ。黄河は1950年代から90年代まで、しばしば「断流」を起こしていた。そういえば、90年代には聞いたことがある。流水量の減少に対して、用水量の増加、水の浪費も原因だったようだ。しかし、水資源の利用が総量規制されるようになり、制度化、規範化が進められた結果、1999年以降、断流は起きていないという。よかった。中国も捨てたものじゃない。
長江の三峡ダムが着工したのも90年代で2009年に全体工事が完成し、2012年には発電所が稼働しているという。三峡下りには結局、まだ行けていない。一度行ってみたいものだ。なお、長江流域に黄河文明に匹敵する文明が生まれなかったのはなぜか。豊富な水をコントロールすることが原始人類の能力を超えていたこと、湿潤な風土ゆえに風土病の発声しやすい土地だったことを著者は挙げている。
最後にもうひとつ、本書で知ったこととして、抗日戦争時代の1938年、国民党軍が日本軍の前進を阻むため、黄河の南堤を人為的に切って、大洪水を起こしたという話を書き留めておく。まるで古代か中世のような戦いが繰り広げられていたことに驚いた。
※7/16追記:本書には、中国北部の水不足を解消するため、長江の水を黄河上流に引く「南水北調」計画(1989年の朝日新聞の記事)が紹介されている。まさかこんな夢物語の計画、と思っていたら、本日付けで以下のような報道がネットに流れていた。
CRI(China Radio International)日本語:「長江の水を黄河へ 「引漢済渭」プロジェクトが西安へ送水開始」(2023/07/16)
すごいなあ。現代の陳潢と靳輔みたいな人が関わっているのだろうか、と想像した。