見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2023年7月関西旅行:聖地南山城(奈良博)ほか

2023-07-21 22:47:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

法相宗大本山興福寺 国宝館

 朝から暑い1日。南円堂でご朱印をいただき、9:00開館の国宝館を久しぶりに見ていく。いつもの名品が揃っていたが、初見のように思ったのは絵画の『尋尊像』。目鼻の小さい丸顔で、気の弱そうな肖像だった。名前に記憶があったのは呉座勇一氏の『応仁の乱』に取り上げられていたためだと思う。

東大寺ミュージアム

 2020年7月から戒壇院の四天王像が展示されていたが、本年秋頃の戒壇堂拝観再開に向けて四天王像を移動するため、同館は8月28日から9月30日まで休館になるという。戒壇院で以前のように安置されるなら、拝観に支障はないので焦る必要はないのだが、今の状態をもう一度見ておこうと思って寄った。ちょうど四天王像の向かい側に、もと四月堂の千手観音の脇侍となった日光菩薩・月光菩薩がいらしたが、かつては三月堂の不空羂索観音の脇侍だった、なんていうのも、もはや老人の昔話かなあ、と思った。

奈良国立博物館 浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念・特別展『聖地 南山城-奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-』(2023年7月8日~9月3日)

 南山城(京都府の最南部)とその周辺地域の寺社に伝わる仏像や神像を中心に、絵画や典籍・古文書、考古遺品などを一堂に展観し、この地に花開いた仏教文化の全貌に迫る。私は「南山城」と聞いて、浄瑠璃寺・笠置寺くらいしかイメージしていなかったのだが、西の精華町、京田辺市、北の城陽市、宇治田原町など、かなり広域にわたり、観光ガイドに載らないような小さな寺院・神社も丹念に取り上げていて、とても面白かった。奈良博の広報キャラクター「ざんまいず」が茶摘みの姉さんルックだったのは、このあたりがお茶の産地であるためらしい。知らなかった。

 わずかな回数だが行ったことがあり、なつかしかったのは、海住山寺、蟹満寺、寿宝寺など。むかしから知っているのに行けていないのは笠置寺。素朴絵ふうの『笠置寺縁起絵巻』(室町時代)かわいいなあ。初めて知ったのは、禅定寺(宇治田原町)。海坊主かオットセイみたいな獅子に乗った文殊菩薩騎獅坐像にまた会いたい。常念寺(木津川市)からは『仏涅槃図』(鎌倉時代)や釈迦如来および両脇侍像(普賢・文殊)が来ていた。前日、京博で十王像を見たお寺である。大智寺(木津川市)の『悉達太子捨身之図』は曾我蕭白『雪山童子像』の典拠ではないかと推定される作品。

 浄瑠璃寺からは「その1」と「その8」の2躯がいらっしゃっていた。お顔立ちの違いがよく分かるチョイスである。ぐるりと背後にも回れる配置で、光背は外して壁際に展示されていた。同一規格のもと複数の工房が請け負い、競い合って創作したのではないかという想定がおもしろかった。もと浄瑠璃寺に伝来し、今は静嘉堂文庫が所蔵する十二神将立像が揃って「里帰り」していたのも嬉しかったが、せっかくなら短期間でも浄瑠璃寺に戻してあげたかった。

大和文華館 特別企画展『追善の美術-亡き人を想ういとなみ-』(2023年7月7日~8月13日)

 人々がどのように身近な「死」と向き合ってきたのか、その結晶として生み出された多様な美術品を通して、亡くなった人々の供養をめぐるいとなみを紹介する。はじめに中国の俑・明器、日本の埴輪など、直接に死者に捧げられた美術品の数々。次に「死と向き合う」とまとめられた六道絵、十王図など。中国・元時代の絹本着色『六道図』は、マニ教絵画として知られるものである。最上段はマニ教の天国で、建物の中に男女二神の姿が見える。その下にやや大きく描かれているのがマニで、左右に赤衣と白衣の侍者を伴う。さらに下では平等王が亡者を裁いており、雲に乗った処女神ダエーナの姿がある。また『病草紙断簡』(鍼治療を受ける男性)や『平治物語絵巻断簡』(敗走する源義朝、隣りに金王丸、前方の若武者は頼朝?)も見ることができて嬉しかった。後者の解説に「馬に疲労の色が見える」とあって、遠目には分からなかったが、画像を探して見ると、そうかもしれない。

 『子守明神像』や『笠置曼荼羅図』、桃山時代の『婦人像』は、追善のために制作されたのではないかと推定されていた。『柿本宮曼荼羅図』も同様に追善供養の作だというが、全体にのんびりとやわらかい色合いで、絵本の「ちいさいおうち」のような宮の様子が微笑ましかった。滋賀・西教寺蔵の『前田菊姫像』は特別出陳。幼い子どもの追善はちょっと辛い。

中之島香雪美術館 企画展『唐(から)ものがたり 画(え)あり遠方より来たる』(2023年6月17日~7月30日)

 これまでまとまった形で展示されることがなかった、村山龍平コレクションの中国絵画を一挙に公開する。ただし見る価値があるのは、因陀羅筆『維摩居士図』くらいか。「伝〇〇筆」という立派な名前が冠せられた作品は多いが、だいたいは後代の作か、時には中国絵画ですらないこともある。伝徽宗筆『梔小禽図』とか、よくも言ってのけたと呆れてしまったが、今と違って写真も複製もない時代、人々が「唐もの」に抱いた憧れを笑うことはできない。

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