見もの・読みもの日記

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図譜から抽象画まで/植物と歩く(練馬区立美術館)

2023-07-12 22:42:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

練馬区立美術館 コレクション+『植物と歩く』(2023年7月2日~8月25日)

 同館のコレクションを中心に植物がどのように作家を触発してきたかを探る。いま、朝ドラ『らんまん』を面白く見ているので、牧野富太郎の植物図も出ていると聞いて、さっそく見てきた。

 冒頭には、東京帝国大学理科大学植物学編纂の『大日本植物志』第1巻第2集(明治35/1902年)。とても大きな版型だ。青い表紙で、タイトルや著者・出版者表記は全て英語。周囲をさまざまな植物、アジサイ、フジ、ユリ、アヤメなどの線画が囲んでいる。もちろん石版印刷。それから全部で6枚、この『大日本植物志』所収の図版が個別に展示されていた。私は目が悪いこともあって、花びらの湾曲した内側とか、尖った葉先とか、一瞬、墨のぼかしを使っているように見えたのだが、よく近づいてみると、細い線を密にに重ねて影の濃淡を表現していることが分かった。マンガでいう網掛けの技法と同じである。これらは「個人蔵」の注記がついていたが、いったいどなたの持ち物なんだろう。

 それから東京大学総合研究博物館が所蔵する植物標本も10点ほど出ていた。だいたいA3サイズの台紙に植物が貼り付けられている。「ホウキギ」の場合、元来の手書きの東京大学(帝国大学だったかもしれない)のラベルのほかに「Herbarium Universitatis Tokyoensis」(東京大学標本のラテン語?)と書かれたバーコードラベルが貼られていた。さらに「Brooklyn Botanic Garden」のラベルがあり「det. Steven Clemants, 1996」と読めた。調べたら、Steven Earl Clemants は、アメリカの著名な植物学者だった。「det.」は「Determinated by」で種名を同定したの意味(※植物標本のつくり方)。これは牧野博士の採集ではないが、イトザクラやヘビイチゴなど、牧野博士が採集したものもあった。「Coll.」は「Collector」の意味。「leg.」は難解だったが、ラテン語の「legit」を略したもので、英語の「collected by」と同じだという。

 「クサイ(草藺)」の標本は「Leg. T. Makino」で、採集地が「東京大学本郷構内」なのが可笑しかった。「バショウ」の採集地は「土佐高知」。「タカサゴユリ」は1896年、採集地は「台湾」である。牧野博士は台湾に外遊したのか、と思って調べてみたら、「台湾で『愛玉』オーギョーチーを見つけた日本の植物の父・牧野富太郎と、彼を描いた池波正太郎」(サライ、2020/10/8)という気になる記事を見つけたので、ここに記録しておく。

 牧野以外にも写実的な「図譜」寄りの植物画を残した画家として、岩崎常正(灌園)の『本草図譜』(大正版)や竹原嘲風の作品が紹介されていた。倉科光子は「tsunami plants」と題して、東日本大地震の津波浸水域に生えた植物を描き続けている。津波の後、それまでなかった植物が芽生え、一時的に繁茂して、また消えてしまう場合もあり、環境に適応して成長を続ける場合もあるという。災害と生命の関係について、いろいろ考えさせられる。

 2階の展示室には、何らかの意味で植物を描いたさまざまな作品が展示されていた。知らない画家が多かったが、とても楽しかった。本展のキービジュアルになっている、緑の茂みの中に1羽ずつ取り残された2羽のウズラ(たぶん)を描いた佐田勝の『野霧』はとても好き。よく見ると深い緑の中で目立たない花をつけている野草の姿がある。早川芳彦は、桃山の風俗画みたいな屏風絵あり、洋風の美人画あり、どちらもよい。佐藤多特は、1949年に尾瀬沼で水芭蕉を見て以来、40年以上水芭蕉を描き続けた。ただし、黒を背景にした同心円の円弧が小さな赤い玉でつながれている『水芭蕉曼荼羅(黄104)』など、極端に抽象化した姿である。このひとの作品がもっと見たい、と感じるものが多かった。

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