見もの・読みもの日記

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身体への配慮と統御/禁欲のヨーロッパ(佐藤彰一)

2014-06-03 23:22:26 | 読んだもの(書籍)
○佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ:修道院の起源』(中公新書) 中央公論新社 2014.2

 これは面白かった。基礎知識の全くない分野に手を出して、こんなふうに面白い本が引っかかってくると、本当に嬉しい。Wikiによれば、修道院とは「イエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設」であり、修道生活は「4世紀頃、ローマ帝国による迫害の終焉に伴い、より徹底したキリスト教徒の生活を求めた人々によって盛んになった」とある。

 本書の記述は、3世紀末から4世紀はじめ、ローマ帝国においてキリスト教が公認(313年)される直前から直後の時代に始まる。エジプトの村々から、小アジアやシリアから、そして帝国ローマの貴族の館から、自らの欲望の克服を求める人々が、エジプトやトルコの荒野に旅立った。その心性の背景には、古代ギリシア・ローマの身体鍛練法の伝統が見てとれる。

 ここで、著者はさらに時代をさかのぼり、古代ギリシアから帝政ローマ初期における医学と養生法をひもとく。古代ギリシアでは、休息、睡眠、身体訓練、散歩、知的活動などともに、適度の性行為は理想の身体を保つための生活規範の一部だった。ところが3、4世紀のローマ帝国の官僚たちは極度に多忙となり、禁欲が唯一実践可能な養生法となる。

 自らの性活動を抑制する手段を求めて、西ローマの貴族たちは、エジプトの砂漠に暮らす修行者の後に続いた。彼ら(男性)禁欲的修道士は、女性を遠ざけるだけでなく、同性愛の過ちを避けるため、外界の人間との接触を一切遮断した。それでも執拗に襲ってくる肉体の欲望を克服するには、生存ぎりぎりの節食(断食)が良しとされた。

 ポスト・ローマの後期古代(4、5世紀)には、エジプト起源の修道規範が南ガリアに伝えられた(レランス修道院)。これは、院長を指導者とし、戒律に従う修道士(モナクス)の共住制修道院(モナステリウム)であった。一方、5、6世紀には聖人崇敬という新たな心性が民衆の中に育つと、聖人を祀る墓廟(バシリカ)が市壁内部に建てられ、聖人に対する崇敬を共有する者たち(フラテール)が集まって、バシリカ型修道院が誕生する。都市型・バシリカ型修道院における、緩和された禁欲実践は、知的で平和な僧院生活とバランスを保っていたが、6世紀の終わりには弛緩・世俗化が進み、混乱と騒擾の時代が訪れる。7世紀のガリアの修道制の再建に決定的な役割を果たす、アイルランド修道士・聖コロンバスの登場が予告されて、本書の記述は終わる。

 以上の骨組だけでも、ヨーロッパの基本的な心性が、ギリシア、エジプト、アイルランドなど、多様な文明の影響を受けつつ形成されたことが分かって面白いと思うのだが、骨の間の脂身にあたる、豊富な挿話はさらに面白い。

 たとえば、古代ローマの新生児は、美しい体形と頭形(丸いのが良しとされた)に矯正するため、身動きできないぐるぐる巻きのバンデージ状態で2ヶ月半以上を過ごしたという。ふええ。ローマに生まれなくてよかった。また、女性は12歳をもって成熟した女性と見なされ、父親が選択した夫に嫁がされた。男性は一般に非常に若い妻を望み、妻がすぐに妊娠することを欲した。ううむ、現代日本のロリコンを批難できない。しかし、ヨーロッパ文明はいつから少女愛好趣味をなくしたのだろう。否、なくしていないのかな? 若すぎる結婚・出産は、しばしば女性の身体と精神に害を残した。しかし、少なくとも一人の嫡子出産の義務を果たすと、女性にもある程度、行動の自由が与えられた。悪夢のようだが、究極の少子化対策もこうなるのだろうか。

 荒野の修道士が最後まで苦しんだのが「コミュニケーションの切断に対する肉体の抵抗」であったという記述にも考えさせられた。まあコミュニケーションが不得手だと、まともな人間に見られない社会もいかがなものかと思うが、テレビ、ネットはもちろん、雑踏の中で聞く他人の会話とか、広告の文字とか、一切の他者の気配のない世界で暮らす孤独がどのようなものか。性欲や食欲、睡眠欲までは克服できても、他者を見たり、見られたり、人の話を聞いたりする欲望を消すことは、根源的に困難なのだろう。日本の隠者生活は、自然の風物に心を動かされて、楽器をつまびいたり、和歌を詠んだり、楽しそうなんだけどなあ。

 ガリア地方に修道院が伝播していく過程の、聖人信仰と病人治癒の奇跡をめぐる論考も興味深かった。キリスト教を思想史・哲学史としてではなく、民衆の心性史として読むのはたいへん面白い。

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