○ウー・ホン;中野美代子監訳・解説;大谷通順訳『北京をつくりなおす:政治空間としての天安門広場』 国書刊行会 2015.10
全402ページのハードカバー。重くて持ち歩きには向かないが、正月休みに寝転がって読むには最適の本だった。米国シカゴ大学で中国の美術(古代~現代)を研究している著者が、北京の天安門広場について論じたもの。社会学、人類学、建築、都市計画、歴史、さらに政治の領域にも踏み込むが、中心テーマは「アート」である。
本書の第一の魅力は、ページをめくるごとに目に飛び込んでくる多数の図版である。普通の日本人が見たことのないような珍しいものも多い。たとえば、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したとき、見ていたはずの天安門広場の古い地図。当時はまだ清代の官庁の配置が色濃く残っていた。あるいは1989年の学生デモの生々しい写真。文字どおり天安門を埋め尽くした人々の頭。まだ人民帽姿が多い。学生たちが広場に建てた「民主の女神」が政府の戦車で破壊される場面の、ぼやけた連続写真もある。歴史をさかのぼって、1925年6月や1947年5月の天安門広場でのデモの写真も掲載されている。前者は日本の侵略、後者は中華民国政府に対するもので、広場の政治性の長い伝統をあらためて感じ、原武史さんの『皇居前広場』を思い出した。
それから、共産党の威信を表現するためのアートとモニュメントの数々。建国後、天安門広場を中心とする北京の旧市街は一気に作りかえられた。中国歴史博物館や人民大会堂を含む「十大建築」は、1958年9月の決定から約1年で設計・建設・竣工が行われた。これだから中国の建築って、今でも無理を押し通すんだな。北京の街は、その後も成長と発展を続け、さまざまな新建築が加わっているけれど、実は天安門広場には、1977年に毛主席紀念堂が完成して以来、いかなる永久的建築構造物も加わっていない。なるほどそうだ。私が初めて北京を訪ねたのは1980年代のはじめで、考えてみると、北京の街はどこもかしこも恐ろしい変貌を遂げているのに、天安門広場のたたずまいだけは変わっていないのだ。
中国には、一方にプロパガンダ的な官製アートがある。天安門上の毛沢東を描いた董希文の『開国大典』や孫滋渓の『天安門前』。天安門に今も掲げ続けられている毛沢東の肖像画(これ、当初は毛沢東の顔の向きなどに試行錯誤があり、正面向きで固定してからも毎年描きかえられてきたのか)や人民英雄紀念碑のレリーフなど。その一方、中国には明確な「対抗(カウンター)アート」が多数存在するということも本書から学んだ。書店で本書のページを開いたとき、これら毒にあふれた中国現代アートとパフォーマンスの迫力に心をつかまれて、私は本書を買ってしまったのである。個人的には王勁松の『天安門前』とか洪東禄の『チュンリー』とか、明るい毒のある作品が好き。
あらためて述べておくと、著者ウー・ホン(巫鴻)は、中華人民共和国の建国(1949年)少し前の生まれと思われる(1955年に北京郊外の小学校四年生だった、と文中にある)。本書は、客観的で学術的な記述の間に、ところどころ著者の私的な回想の断章が挟まれている(両者は視覚的なレイアウトで区別できる)。「大躍進」を背景に原始的な溶鉱炉で鉄を溶かすことに夢中になった中学時代。国慶節パレードの興奮。ソ連展覧館の感動。「ソ連の今日は、われらの明日」だった時代。客観的にはイデオロギーとプロパガンダに支配された時代であっても、少年時代の思い出には独特の甘酸っぱさがつきまとう。そして、文化大革命の恐怖と憂鬱。中央美術学院の学生だった著者は「人民の敵」と認定される。刑務所生活を経て、1972年に北京に帰った著者は、故宮博物院の職員としてしばらく紫禁城の内で暮らした。1976年、天安門広場に周恩来首相を哀悼する人々が集まったときは、著者もその中にいた。1979年、渡米し結婚。1989年の天安門事件をアメリカで知る。こうした著者の個人的な閲歴は、時系列のとおりには語られない。まず主題としての天安門広場があり、学術的なアプローチに応じて、明るい幼年時代や、つらく苦しい文革時代の思い出が、ランダムにフラッシュバックする。
1977年1月、中国歴史博物館で周恩来の命日を記念する写真展覧会が開かれた。前年の天安門広場における大衆集会「四・五運動」は反政府運動というレッテルを貼られたままだったが、展覧会(政府後援)の最後の部分に約20枚ほどの大衆集会の写真が掲示されていた。このエピソードは著者の「回想」部分で語られてるが、自分の抱いた感情については注意深く言及を避けている。にもかかわらず、抑制された叙述からは、抒情とも憂愁ともつかない文学的な情緒が流れ出していて、現代中国の良質な映画を見ているように感じた。
1989年の天安門事件(六・四運動)のあと、中国の外に住む何人かのアーティストは迅速に反応した。劉虹の『トラウマ』も印象的な作品。これは大きな壁画らしいので、実物を見ると感じがまた違うだろうな。その後は冷笑的なアーティストと、学生デモの悲劇を深刻に受け止め続けるアーティストに対応が分かれていく。後者からは、奇想天外な(←ほめている)実験パフォーマンスの数々も生み出されている。巨大な権力、過酷な政治文化とアートの関係について、いろいろ考えることはあるけれど、まずはその一端を知ることができて、貴重な経験だった。
全402ページのハードカバー。重くて持ち歩きには向かないが、正月休みに寝転がって読むには最適の本だった。米国シカゴ大学で中国の美術(古代~現代)を研究している著者が、北京の天安門広場について論じたもの。社会学、人類学、建築、都市計画、歴史、さらに政治の領域にも踏み込むが、中心テーマは「アート」である。
本書の第一の魅力は、ページをめくるごとに目に飛び込んでくる多数の図版である。普通の日本人が見たことのないような珍しいものも多い。たとえば、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したとき、見ていたはずの天安門広場の古い地図。当時はまだ清代の官庁の配置が色濃く残っていた。あるいは1989年の学生デモの生々しい写真。文字どおり天安門を埋め尽くした人々の頭。まだ人民帽姿が多い。学生たちが広場に建てた「民主の女神」が政府の戦車で破壊される場面の、ぼやけた連続写真もある。歴史をさかのぼって、1925年6月や1947年5月の天安門広場でのデモの写真も掲載されている。前者は日本の侵略、後者は中華民国政府に対するもので、広場の政治性の長い伝統をあらためて感じ、原武史さんの『皇居前広場』を思い出した。
それから、共産党の威信を表現するためのアートとモニュメントの数々。建国後、天安門広場を中心とする北京の旧市街は一気に作りかえられた。中国歴史博物館や人民大会堂を含む「十大建築」は、1958年9月の決定から約1年で設計・建設・竣工が行われた。これだから中国の建築って、今でも無理を押し通すんだな。北京の街は、その後も成長と発展を続け、さまざまな新建築が加わっているけれど、実は天安門広場には、1977年に毛主席紀念堂が完成して以来、いかなる永久的建築構造物も加わっていない。なるほどそうだ。私が初めて北京を訪ねたのは1980年代のはじめで、考えてみると、北京の街はどこもかしこも恐ろしい変貌を遂げているのに、天安門広場のたたずまいだけは変わっていないのだ。
中国には、一方にプロパガンダ的な官製アートがある。天安門上の毛沢東を描いた董希文の『開国大典』や孫滋渓の『天安門前』。天安門に今も掲げ続けられている毛沢東の肖像画(これ、当初は毛沢東の顔の向きなどに試行錯誤があり、正面向きで固定してからも毎年描きかえられてきたのか)や人民英雄紀念碑のレリーフなど。その一方、中国には明確な「対抗(カウンター)アート」が多数存在するということも本書から学んだ。書店で本書のページを開いたとき、これら毒にあふれた中国現代アートとパフォーマンスの迫力に心をつかまれて、私は本書を買ってしまったのである。個人的には王勁松の『天安門前』とか洪東禄の『チュンリー』とか、明るい毒のある作品が好き。
あらためて述べておくと、著者ウー・ホン(巫鴻)は、中華人民共和国の建国(1949年)少し前の生まれと思われる(1955年に北京郊外の小学校四年生だった、と文中にある)。本書は、客観的で学術的な記述の間に、ところどころ著者の私的な回想の断章が挟まれている(両者は視覚的なレイアウトで区別できる)。「大躍進」を背景に原始的な溶鉱炉で鉄を溶かすことに夢中になった中学時代。国慶節パレードの興奮。ソ連展覧館の感動。「ソ連の今日は、われらの明日」だった時代。客観的にはイデオロギーとプロパガンダに支配された時代であっても、少年時代の思い出には独特の甘酸っぱさがつきまとう。そして、文化大革命の恐怖と憂鬱。中央美術学院の学生だった著者は「人民の敵」と認定される。刑務所生活を経て、1972年に北京に帰った著者は、故宮博物院の職員としてしばらく紫禁城の内で暮らした。1976年、天安門広場に周恩来首相を哀悼する人々が集まったときは、著者もその中にいた。1979年、渡米し結婚。1989年の天安門事件をアメリカで知る。こうした著者の個人的な閲歴は、時系列のとおりには語られない。まず主題としての天安門広場があり、学術的なアプローチに応じて、明るい幼年時代や、つらく苦しい文革時代の思い出が、ランダムにフラッシュバックする。
1977年1月、中国歴史博物館で周恩来の命日を記念する写真展覧会が開かれた。前年の天安門広場における大衆集会「四・五運動」は反政府運動というレッテルを貼られたままだったが、展覧会(政府後援)の最後の部分に約20枚ほどの大衆集会の写真が掲示されていた。このエピソードは著者の「回想」部分で語られてるが、自分の抱いた感情については注意深く言及を避けている。にもかかわらず、抑制された叙述からは、抒情とも憂愁ともつかない文学的な情緒が流れ出していて、現代中国の良質な映画を見ているように感じた。
1989年の天安門事件(六・四運動)のあと、中国の外に住む何人かのアーティストは迅速に反応した。劉虹の『トラウマ』も印象的な作品。これは大きな壁画らしいので、実物を見ると感じがまた違うだろうな。その後は冷笑的なアーティストと、学生デモの悲劇を深刻に受け止め続けるアーティストに対応が分かれていく。後者からは、奇想天外な(←ほめている)実験パフォーマンスの数々も生み出されている。巨大な権力、過酷な政治文化とアートの関係について、いろいろ考えることはあるけれど、まずはその一端を知ることができて、貴重な経験だった。