見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

唐三彩そのほか/松岡美術館

2004-11-08 00:36:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○松岡美術館『中国唐王朝の華 唐三彩展』

http://www.matsuoka-museum.jp/

 港区白金(東大医科研の真向かい)に移転オープンしたのが2000年の4月だというから、まだ新しい美術館である。ちょっと前から名前は聞き知っていたが、今回、初めて出かけてみた。

 企画展の「唐三彩」は約50点、全て館蔵品だという。特に三彩馬は数が多かった。体色、ポーズ、馬具、たてがみのかたちが様々で、比べて見ると面白い。人物俑では、細い目に静かな微笑を含ませた女人像が愛らしかった。今にもすっくりと立ち上がりそうで、澁澤龍彦ふうに人形愛をテーマにした短編小説でも書いてみたくなる。

 1階の常設展では、ガンダーラ・インド彫刻が楽しめる。おおらかな生命力のみなぎるヒンドゥー教の神像が多い。展示品の間に「皆様のお賽銭は○○募金に寄付しました」という告知板が立っていて、見ると、神像や仏像の台座に、ときどき、10円玉や1円玉がさりげなく積んである。笑ってしまった。でも気持ちは分かるな。私も、中国請来の仏像の頭部が友人のひとりに似ていたので、挨拶代わりに少しお賽銭を置いてきた。

 なお、玄関を入ってすぐ、1階ロビーに置かれた小さな彫刻、ジャコメッティの「猫の給仕頭」がかわいい。どうぞお見逃しなく。

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清朝末期の戦乱

2004-11-07 10:27:01 | 読んだもの(書籍)
○小林一美『清朝末期の戦乱』(中国史叢書)新人物往来社 1992.12

 最近、「清末から民国初期」がマイブームである。しかし、まだまだ知らないことが多い。書店でたまたま目にした本書は、日本人になじみの薄い少数民族の反乱を含め、比較的淡々と事実の記述に努めていることに好印象を持って購入した。

 章立ては以下のとおり。「アヘン戦争」「アロー号事件」「太平天国の反乱」「捻軍の反乱(安徽)」「回民蜂起(陝西・甘粛・新疆)」「広東天地会の蜂起」「雲南、貴州の少数民族と民衆の反乱」「清仏戦争」「日清戦争」「義和団戦争」。

 アヘン戦争、太平天国、義和団戦争などは世界史上の事件に数えられているから、日本人でも概略は知っている。しかし、あらためて詳細を読んでみると、帝国列強の残虐さ、清朝官僚の無策ぶり、民衆の犠牲の大きさに慄然とする。

 もっとも、中国の民衆は、ただ犠牲になっていただけではない。この時代、広範な地域にわたり、多数の犠牲者を生む壮大な民衆蜂起が次々に起きる。特に、日本ではあまり知られていないが、乾隆帝の末年から徐々に顕在化する、少数民族の蜂起は苛烈で、清軍の鎮圧も容赦のないものだったようだ。

 雲南省に行ったとき、少数民族の尊重や、漢民族との融和が謳われていたけれど、これってかなり臭い歴史にフタをしているんだな。また、台湾も様々な蜂起や動乱の舞台となった。中国の最新TVドラマ『滄海百年』は、そのへん、どんなふうに描いているんだろう。気になる。

 著者は「あとがき」に自分のコメントをまとめている。「なぜ中国民衆の戦いはあれほど壮大なのか」「日本民衆のあのつましい百姓一揆の狭さと小ささとこまやかさはどうしてなのか」。確かに、本書を読み終えた読者なら、この疑問にうなづくだろう。

 著者はひとつの答えを用意している。日本の場合、封建領主の生存の基盤は、領地と領民である。孫子の代までその土地に根を張ろうとすれば、領民の生産力が零になるまで、徹底的に搾取し尽くすわけにはいかない。むしろ、領民と共同で強い国(=藩)を作ってこそ、他国との競争に勝利できる。

 これに対して、中央集権制の発達した中国の支配者は、1、2年で他所に移るだけの官僚であるから、任地の人民を徹底的に収奪しようとする。いったん人民が蜂起すると、国家(皇帝)と天下を争う直接対決になるので、中国民衆の戦いは、かくも激しいのではないか。

 以上、簡単にまとめてしまったけれど、とにかく、「個人」と「国家」の関係が、日本と中国って違うのである。たぶん、今日もなお。どちらが合理的(近代的)で、どちらが非合理的かという差異ではなくて。引き続き、考えてみたい。
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初期伊万里/サントリー美術館

2004-11-06 00:27:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○サントリー美術館『初期伊万里展-染付と色絵の誕生』

http://www.suntory.co.jp/sma/japanese/index.html

 今年は陶磁器をずいぶん見た。いい展覧会が多かったためだと思う。この「初期伊万里」は、これだけ単独の企画だったら、行かなかったかもしれないが、先立って、出光美術館の「古九谷」展を見て、「古九谷・古伊万里論争」があることなど、新知識を仕入れたばかりだったので、早々に足を運んでしまった。

 「初期伊万里」の中でも早期の、1610~1630年代の作品は、白磁に藍の染付がほとんどである。中国磁器の影響を強く受けたということだが、う~ん、中国磁器って、もっとシャープな文様が主じゃなかったかしら。初期伊万里を見て、素人にも分かる特徴は線のやわらかさである。

山水図は、遠近法が上手くないためか、雲や霧に隠れているはずの遠くの山が、山頂だけ、宙に漂っているように見える。ルドンとか、近代ヨーロッパの幻想絵画のようだ。植物も動物も、龍も獅子も、子供の悪戯書きみたいにたどたどしく、そこが魅力になっている。

 1630~1640年代になると、肩の力の抜けた味わいを保ちながら、デザインが洗練され、2つ以上の釉薬を組み合わせるなどの技法も用いられるようになる。

 そして1650年代になると、古九谷でいう「青手」作品が登場する。初心者の私は先後関係がよく分からないので、とりあえず図録を買って帰って、「古九谷」展の図録と並べてみた。そうすると、九谷の1号窯の開窯は1955年頃だという。ふーん、そうすると「古九谷」のほうがおそいのかな?

 デザインは「初期伊万里」展に出ている作品のほうが、やや「手が込んでいる」という印象を受けた。「古九谷」は、海老なら海老、瓜なら瓜という実体を、ガツンと即物的に描いている、その大胆さが魅力だが、「伊万里」の場合は、配色やデザインに対して意識的である(双蝶文とかね)。それから「伊万里」のほうが皿が深いように思った。いや~でも微細な差異だなあ。見分けがつかないものもあるし。そもそも見分ける必要もないのかしら?

 もともと私は仏像から古美術趣味に入り、仏画から一般絵画に開眼した。どうやら、今度は、陶磁器という新しい分野に踏み込みつつある。なお、この「初期伊万里」展の監修者のおひとりは、出光博物館の学芸員の荒川正明さんだった(「古九谷」展と同じ)。今後もしばらくお世話になりそうなので、お名前を覚えておこう。
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建築の中国/JA

2004-11-05 08:43:23 | 読んだもの(書籍)
○雑誌「JA」Autumn, 2004『Works of Japanese Architects in China - 中国に建つ日本人建築家の作品』

 「中国の建築」というより、「建築の中国」。いっそ、そう呼びたくなるくらい、中国では建設ラッシュが続いている。なぜ建築ラッシュが続くのか、その裏にある中国の経済状況、歴史文化的背景については、本書の冒頭で、数名の専門家が分析を行っている。

 素人が今の中国に行って驚くのは、SF映画の中で見たような、巨大で未来的なフォルムの建築が、実体化していることの凄さである。省都クラスの地方都市なら、必ずと言っていいほど、奇想の博覧会のような建築現場に突き当たる。時には聳え立つ世界樹のような、時にはひしゃげた宇宙船のような...とにかく何でもありなのだ。君たち、四千年の伝統にトリビュートする気持ちはないのか!?と、愛国者さながら(?)憤激を禁じえないこともある。

 しかし、実は近年、中国のモニュメンタルな建築は、ほとんどが国際コンペによって設計者を決めており、日本人建築家の作品も相当数入っているという。初耳だった。

 本書によれば、国家の威信がかかる(のではないかと思う)北京のオリンピック公園計画、あるいは、国会図書館関西館も顔負けのデジタル国家図書館、蘇州市水族館、天津博物館、北京市金融街中心区など、全て日本人建築家の作品なのだ。文革時代の混乱が尾を引いて、いま、働き盛りの建築家が育っていないという理由はある。しかし、この中国建築市場の開放性は驚くべきものではないか。

 一方で、中国は、国内の建築家の育成にも力を注いでいる。その代表格が、清華大学、同済大学など、建築学科を持つ有名大学で、それぞれ大学に設計院を持ち、建築学科と一体となって設計活動を行っているという。

 建築家の千田満氏は、これと比較して、日本の国立大学の惨澹たる現状を憂い、「キャンパス整備をそれぞれの大学で自立的に行えなくて、競争力がもてるだろうか」「日本は85%公共施設の発注を設計入札で行っている。お金の多寡で設計者を選んでいる国はまったく創造性を喚起しない」と断じている。この意見、聴くべきであろう。

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岩佐又兵衛/千葉市美術館

2004-11-04 12:23:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○千葉市美術館『伝説の浮世絵開祖 岩佐又兵衛-人は彼を「うきよ又兵衛」と呼んだ-』

http://www.city.chiba.jp/art/

 岩佐又兵衛は「浮世絵の開祖」と呼ばれる江戸初期の画家。私が初めてこのひとを意識したのは、橋本治の『ひらがな日本美術史3』(新潮社 1999)が、伝岩佐又兵衛筆「豊国祭礼図屏風」という作品を論じているのを読んだときだと思う。

 あまり上手い画家だとは思わない。描かれている人物が、どう見ても不細工なのだ。男も女も顔がデカイ。顎が長くてエラが張っていて下膨れである。それから手足が太くて長すぎる。だから、見ていてうっとりするような絵ではないのだが、ものすごくパワフルであることは認める。

 岩佐又兵衛は少年ジャンプの魅力に似ている(ほら、北斗の拳の絵に似てるでしょ)。決して上手くないのに、作品のパワーに圧倒されると、不細工なヒーローも男らしくカッコよく見えてくるし、そのヒーローが惚れ込んでいるヒロインだから”絶世の美女”ということで納得してしまう...というのが、この展覧会の見るまでの、私の又兵衛に対する認識であった。

 今回、虚心坦懐に又兵衛の絵を眺めてみて、実は思い込みほど下手でないと初めて気づいた。水墨画の竜虎、伝統的な画題である唐土の名勝風景、自由にアレンジされた歌仙絵や和漢故事の図など、登場人物の表情がやや下世話にすぎることを除けば、いずれも手堅い技量を感じさせ、あれっ?という印象だった。

 私にとってなじみの又兵衛を強く感じたのは「山中常盤物語」「小栗判官物語」「浄瑠璃物語」「堀江物語」などの絵巻が並んだコーナーである。中でも圧巻は「小栗」だ。美少年・小栗に懸想して池の中から姿を現した龍神の、紙面を突き破るような迫力。緑の鱗と赤味がかった蛇腹が色っぽい。

 小栗が人喰い馬の鬼鹿毛を乗りこなす場面では、従者たちの食い入るような視線と大仰なポーズが、絵巻を鑑賞する者の視線を、すばやく、小栗の姿に運んでいく。映画のようなスピード感。鬼鹿毛は、馬とは思えないほど巨大な姿に描かれている。後半、痩せ黒ずんだ餓鬼の姿に変えられた小栗自身も、ほかの人間よりずっと巨大に描かれており、この感覚も”少年ジャンプ”っぽい。

 「浄瑠璃物語」は、御曹司・牛若と浄瑠璃姫の華麗な恋愛絵巻である。金屏風と四季の植物(本物か装飾か判然としない)に飾られた王宮の奥まった一室で、若い二人は愛を確かめあう。この世ならぬ豪奢・華麗・艶治な贅沢感が、見る者を陶然とさせる。

 このほか、合戦図や各種のモブシーンがおもしろい。「きれい」な美術ではないのだが、確実に臓腑に応えるパワーがある。この展覧会でファンが増えるといいな。もっと詳しい情報は『芸術新潮』10月号(先月号)で。

http://www.shinchosha.co.jp/geishin/bn.html
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宋元の漆器/根津美術館

2004-11-03 20:00:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館 特別展『宋元の美 ―伝来の漆器を中心に―』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 中国の漆器? そうなのだ。陶器と同様、漆器をつくる技術も、もともと日本は大陸から学んだはずだ。しかし、中国にはずいぶん行っているが、向こうの博物館で漆器を見た記憶はあまりない(長江流域の考古資料の中には、ときどき見かける)。

 不思議なことに中国では、漆器に対する興味が、どこかで途切れてしまったらしいのだ。一方、日本には、鎌倉時代以降に請来された宋元時代の唐物漆器が大切に伝えられてきたのである。今回、出品されているものはほぼ全て国内の所蔵品で、しかも個人蔵が圧倒的に多い。

 雰囲気は鎌倉彫によく似ている(所蔵者としても鎌倉の寺社の名前をいくつか見た)。漆黒と暗朱が基本色で、時に木地の薄茶が加わる。また、光線の具合で漆黒がグレーに見えることがある。いずれにしてもわずかな色数を使って、明晰で精緻な文様を刻む。幾何学文様の繰り返しだったり、具体的な花鳥や山水楼閣のこともある。いわゆる成金的中華「悪」趣味とは異なる、シックな大人の中華趣味である。

 こんな器が手元にあったら、どれだけ生活が豊かになるだろう、と思うと、実際に欲しくてしかたがなかった。でも、これって、大福や月餅を盛ったら、文様の窪みにくずが残ってしまって掃除が大変だろうなあ、水洗いできるのかしら...などと、つい貧乏性なことを考えてしまうのが悲しい。

 それから、螺鈿(らでん)もいくつかあった。螺鈿というものは、正倉院展や法隆寺献物で見たことがあるが、これほど美しいと思ったのは初めてである。文様を構成する1つ1つの粒が細かい。見る位置によって、微妙に、ではなく、明らかに色が変わる。龍の体が、本当に七色に変わるのである。1人の職人が、ほとんど一生をかけて1つの作品を造ったのではないかと思う。螺鈿は贅沢すぎるという理由で、たびたび禁令が出たのも分かる気がする。

 とにかく眼福のひとときであった。
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宮内庁書陵部展示会

2004-11-02 00:31:12 | 行ったもの(美術館・見仏)
○宮内庁書陵部 特別展示会『儀式関係史料』

 週末、宮内庁書陵部の展示会に行ってきた。毎年、この時期に行われるイベントである。ただし、書陵部の組織は、図書課・補修課・陵墓課に分かれており、文献関係の展示と陵墓関係の展示が、交互に行われているらしい。





この展示会に入るには書陵部からの招待状が必要である。だから、来訪者の大半は、大学の先生と、先生に引率された学生である。私は学生時代に一度だけ来たことがあるが、今回、とあるルートで招待状を手に入れ、久しぶりに出かけた。

 今年のテーマは「儀式関係史料」とのことで、「西宮記」「北山抄」「江家次第」など、学生時代、国文学の演習でお世話になった題名の資料がたくさん並んでいた。絵画史料では、「年中行事絵巻」の江戸時代書写鷹司本というのが、筆に生気のあふれた白描で、楽しかった。

 「公事録」という江戸時代の宮中行事図(彩色)では、正月の行事「四方拝」の図が出ていた。「四方拝」って、学生時代にさんざん目にした言葉だったのに、具体的に何をどのようにする行事かは全く想像したことがなかった。だから、屋内から庭のまんなかに向けて長い絨毯(?)が延びていて、その先端の御座をぐるりと屏風が覆っているという不思議な光景を見て、かなりショックだった。こんな感じである↓

http://www011.upp.so-net.ne.jp/yuusoku/anual/anual-01/Jan.html

 それから「礼儀類典」という儀礼関係の類書(江戸時代)に、天皇が即位に際して着用する礼服の図があった。これがまあ、不可思議きわまりない文様であった。両袖に龍、両肩に日月のほか、胸から裾にかけては、華虫(雉)、山、火、トラと白猿などが行儀よく整列している。ネット上にいい図版がないので、とりあえず、「西宮記」の文章を載せているサイトを参考までに次に挙げておこう。

http://evagenji.hp.infoseek.co.jp/0402nisijin007.htm#5

 展示会には大正天皇の即位礼の写真など、近代の史料もいくつか出ていた。そのなかで目をひいたのは「憲法発布式之図」と、そのあとの宴会を描いた「豊明殿御陪食之図」という2枚の水彩画。作者の床次正精(とこなみまさよし)は、司法官を努めるかたわら、独学で洋画を学んだそうだが、はっきり言って下手なのだ。空間は歪んでいるし、人間に立体感がないし、小学生の水彩画である。だけど、なんともいえない味わいがある。あっそうか、長新太の「おしゃべりなたまごやき」の絵に似てるんだ!!

 というわけで、いろいろと楽しい1日であった。
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