見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

展覧会拾遺・東京芸大美術館と東京国立博物館

2009-05-17 22:43:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
 連休前後に出かけて、報告の機会を逃していた展覧会を簡単に。

東京芸術大学大学美術館 『皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界』(2009年4月14日~6月14日)

 尼門跡(皇女や貴族の息女が住職となる寺院)に伝えられてきた伝統文化を紹介する展覧会。本展は、大聖寺、宝鏡寺、曇華院、光照院、円照寺、林丘寺、霊鑑寺、中宮寺、法華寺、三時知恩寺、 慈受院、宝慈院、本光院の13の寺院を取り上げる(Wikiの「尼門跡」には、もう1ヶ所、近江八幡の瑞龍寺が挙がっている)。中宮寺に伝わる「天寿国繍帳裂」(国宝)が見たくて、4月中に出かけた。他は特に期待していなかったのだが、尼僧たちの画才や学識に驚く。徳厳理豊尼の「涅槃図」は、広い庭にパラパラと散った動物たちが可愛い(花を捧げ持つサルの姿あり)。尼門跡に禅宗が多いことも意外だった。10歳未満で入寺して生涯を信仰と学問に捧げるって、過酷な運命だなあ、と思った。

■同上 『芸大コレクション展 春の名品選』(2009年4月14日~6月14日)

 前期(~5月17日)を見てきた。白鳳の銅造・菩薩立像は華やかな造形で、後ろ姿が可憐。木造・不空羂索観音立像はトルソー状態で、ギリシャ彫刻のようにリアルな表情をしている(→以上、収蔵品データベースに画像あり)。面白かったのは『古図抄出』と題された巻子本。硯とか不机とか、具体的なテーマを決めて、さまざまな古絵巻に描かれた図像を集めて、模写している。要するに、図像のレファレンス・ツールを作ろうとしているのである。

東京国立博物館 特集陳列『平成21年新指定国宝・重要文化財』(2009年4月28日~5月10日)

 若冲の『菜蟲譜』(栃木・佐野市立吉澤記念美術館)が出ていたので見に行った。昨年、栃木県立美術館の『朝鮮王朝の絵画と日本』では「菜譜」が開いていたが、今回は「虫譜」が見られて、楽しかった。祝・重文指定。赤楽茶碗(乙御前)もね。意外とよかったのは、栃木・輪王寺蔵の『木造天海坐像』。江戸モノも、いいものはいい。

■同上 特集陳列『黒田清輝のフランス留学』(2009年3月3日~4月12日)

 だいぶ前に見に行ったものだが、絵画作品よりも、父宛ての書簡が興味深かったので書いておく。法律家を志してフランスに渡った黒田が「今日ハ已ニ法律家も多キ世中」「又今日ハ獨逸學ノ世ニ御座候」と、時勢の変化に翻弄され、将来の進路に悩む有様が読み取れた(→原文)。
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死者は誰のものか/靖国の戦後史(田中伸尚)

2009-05-15 00:10:39 | 読んだもの(書籍)
○田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書) 岩波書店 2002.6

 タイトルのとおり、終戦から本書刊行当時までの歴史が時系列順に整理されており、「靖国問題」の基礎文献として役立つ。ただし、本文中に記述されているのは、2001年8月13日、小泉純一郎が敢行した「現職首相公式参拝」(1996年の橋本龍太郎以来、5年ぶり)と、その直後の影響まで。「あとがき」が、本書執筆中の2002年4月におこなわれた小泉首相2度目の公式参拝にわずかに触れているのみ。その後の日中・日韓関係の冷え込み、特に中国における2005年春の大規模な反日デモなど、多くの日本人の目をあらためて「靖国」に向けさせた国際的な動きは、残念ながら本書の範疇に入っていない。

 あのとき――というのは、2004年頃から(かな?)「靖国問題」に関して中国・韓国が態度を硬化させるにつれ、一般の日本人の間には、反発と戸惑いが広まった。しかし、本書を読んでみると、戦後の「靖国」は、政教の癒着、少数者の権利に対する抑圧など、重大な国内問題であったことが分かる。本書には、僧侶、キリスト者、あるいはそのどちらでもない一般市民からの「靖国合祀」「公式参拝」に対する多数の異議申し立て、訴訟とその結末が詳しく語られている。にもかかわらず、多くの日本人の下してきた態度、「大した問題じゃない」という放置が、グローバル化の時代(1999年~)に至って、周辺諸国との軋轢を生んだのだと思う。

 「靖国問題」は、「死者は誰のものか」という問いに集約されると思う。国家のものであるよりは、肉親のものであるだろう。けれども、「死」は個人のものであり、「死者」は近親者だけのものである、という答えも、どこか近代主義に毒されているような気がする。今後、急速に少子化が進む中で、死者の祭祀に関する期待や禁忌のかたちは、大きく変わっていくのではないか。

 本書を読んで獲得した視点は、「合祀事務強力」の名のもと、国家(厚生省)から靖国神社に多くの個人情報が、当然のように提供されていたことだ。今後は、むしろこっちのほうが問題になるように思う。
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男性ドラマの王道/映画・ウォーロード 男たちの誓い

2009-05-14 00:03:55 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ピーター・チャン監督 『ウォーロード 男たちの誓い

 私は、韓流ドラマは全く受け付けなくて、年来の中華芸能ファンである。韓国語は分からないけど、中国語は少し分かるから、というより、これは趣味と文化の問題だと思う。最近は、中国(大陸)ドラマも一生懸命、韓流テイストを取り入れようとしているが、田舎臭さが抜けない。逆に韓国の古装(歴史)ドラマは、底が浅くて見ていられない。やっぱり、中国ドラマは「三国志演義」「水滸伝」以来の伝統に成り立つ、「男人戯」(男性ドラマ)の王道に立ってこそ、持ち味が発揮されるものだと思う。

 本作は、清朝末期、太平天国軍が席捲した江南が舞台。清の将軍パン・チンユン(龐青雲)は、揮下の将兵を全て失い、匪賊の村でチャオ・アルフ(趙二虎)とジャン・ウーヤン(姜午陽)に出会って「投名状」(義兄弟の契り)を交わす。パンは、アルフの一味を率いて再び朝廷に参じ、彼の軍を見殺しにしたホー・クイ(何魁)将軍への復讐と、村の人々に安穏な生活をもたらすため、太平天国軍と連戦する。しかし、堅固に見えた三人の交わりにも、次第に亀裂が生まれていく…。

 というわけで、本作は、大哥パン=ジェット・リー(李連杰)、二哥アルフ=アンディ・ラウ(劉徳華)、三弟ウーヤン=金城武の競演が手に汗握る、典型的な「男人戯」である。血腥さと埃臭さを感じさせる暗い画面。血が飛び散り、斬られた首や手足がころがるリアルな殺戮シーンの連続。これを先に見てしまったら、『レッド・クリフII』なんて、お子様映画は、とても見ていられなかっただろうと思う。

 けれども「男人戯」の要点は、派手なアクションではない。信念のぶつかりあいである。信念を実現するには、時に誇りを捨てたり、裏切りに近い駆け引きも必要になる。それがいちばんよく描かれているのは、蘇州城の攻防であろう。己が軍の兵士を養うため、投降した敵兵の皆殺しを命じる大哥パン。沈鬱な表情のアップが、無言のうちに内心の葛藤を語る。約束が違うことに怒り狂い、鎖に繋がれて、獣のように咆哮する二哥アルフ。両兄の決裂を恐れる一途な三弟ウーヤン。この三者の表情だけで十分なのであって、あんなに首や手足をスパスパ斬り離して見せなくてもいいのに、と思った。

 登場シーンは短いが、蘇州守備軍の首領ホアンの描き方もいい(黄文金という実在の太平天国指導者の一人らしい)。アルフの妻を演じるシュー・ジンレイ(徐静蕾)も邪魔にならない存在感がちょうどいい。

 ネタばれになるが、最後は、一途に投名状を信じたウーヤンに「討たれてやる」パン将軍。よく考えると理解はできるのだが、ちょっと唐突な感じがした。ネット上の批評をいろいろ読んでみたら、インターナショナル版は、オリジナル版を10分程度縮めているそうだ。オリジナル版のほうが、心理描写が丁寧である由。そっちを見てみたいと思う。

 中国・江南地方には行ったことがあって、歌舞音曲と遊蕩の町だと思っていた蘇州に、太平天国の戦乱の跡が数多く残っているのを知ったときは意外だった。映画の中で、アルフの殺害を企てたパンが人を避けて隠れていた建物は、蘇州四大庭園の一、拙政園にある遠香堂だと思う。四方がガラス張りになった珍しい建物である。そうか、あんなところでロケしてるのか…。あと、アルフがホアンを討ち果たす場面(二人で水溜めの中に倒れ込む)は、安徽省南屏村の古民家ではないかと思ったのだが、違うかな。

  なお、私は全く知らなかったが、この映画は、清朝末期に実在した両江総督の馬新貽の暗殺事件をベースにしており、『刺馬(ブラッド・ブラザース)』(1973年・香港)というタイトルで映画化もされているそうだ。これも気になる。見てみたい。

■弁護士坂和章平による「独断」と「偏見」にもとづく映画評論
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-09-52warlords.htm
情報豊富で、いちばん参考になった。

■「投名狀」的諷刺兄弟情(繁体中文)
http://www.march.twmail.net/e-73.html
聞き取れなかった「投名狀」の誓いの言葉の全文あり。

■萍水園~KIDのKitschなブログ~:漫画『投名状/THE WARLORDS』一部公開
http://blog.goo.ne.jp/sailouhei/e/bb1b7ba5a9150004c4d6523805ae4a4b
中華圏では『投名状』のマンガ版が出ているらしい。欲しい! 東方書店で注文したら手に入るかしら。

■南方動漫網《投名狀》爆笑四コマ漫画(繁体中文)
http://big5.southcn.com/gate/big5/cartoon.southcn.com/rg/tmz/content/2007-11/05/content_4269663_2.htm
こんなのもあった、パロディ漫画サイト。日本と変わらないなあ。

■公式サイト(日本語)※音が出ます
http://www.warlords.jp/
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貧相な貧困観/子どもの貧困(阿部彩)

2009-05-13 00:03:18 | 読んだもの(書籍)
○阿部彩『子どもの貧困:日本の不公平を考える』(岩波新書) 岩波書店 2008.11

 いま「貧困」をテーマにした本はブームの感がある。けれども、その中にあって、昨年11月に出た本書は、やや影が薄いように感じられる。これは、日本の社会が、大人の(あるいは、高齢者や女性の)貧困問題に比べて、子どもの貧困に冷淡な証ではないかと思う。

 なぜ子どもの貧困が問題なのか。それは、子ども時代の貧困は、さまざまな不利となって、成長期以降に継続した影響を及ぼすからである。アメリカでは、0~15歳の子どもを対象に、単純な現金給付、現金給付に加えた親の就労支援、就労支援だけ、など、さまざまなタイプのプログラムを提供する比較実験が行われている。その結果は、潤沢な現金給付は0~5歳児の成長に好影響を与えるが、現金給付がなかったり、不十分なプログラムは効果が見られなかったことが報告されている。実に身もフタもない話だが、これが現実なのだ。

 それでは、貧困なのはどのような子どもか。日本の政府の対策は適切であるのか。著者は、母子世帯に育つ子どもの貧困率が高いことに注意を喚起する。日本の母子家庭は(失業率の高い欧米諸国と異なり)典型的なワーキング・プアである。にもかかわらず、政府の対策は母親の「就労支援」に重点が置かれている。むしろ、母親が子どものケアに十分な時間を費やせるような支援(よりよい就労)を増やすべきである、と著者は提言する。ここまでは、型どおりのデータ分析と提言だな、と思って読んだ。

 私が最も興味深く思ったのは、「子どもにとっての『必需品』を考える」の一段である。貧困研究には「相対的剥奪」という概念がある。「この社会で、ふつうの人がふつうに暮らすのに○○は必要ですか」と問い、「必需品」として合意形成がされている項目から遠ざけられている人々を「剥奪状態=貧困」と見なす手法である。

 日本で「子どもの必需品」を調査してみると「人々の支持は筆者が想定したよりもはるかに低かった」という。イギリス人の70%は「お古でない洋服」を「子どもの必需品」と考えるのに、日本では「少なくとも1組の新しい洋服」を33.7%の人たちしか支持しない。イギリス人の89%(高率!)が「自分の本」を支持するのに対して、日本人は「絵本や子ども用の本」を51.2%しか支持しない。これは、文化の違いなのか、生活水準の違いなのか。著者は、原因探究をひとまず棚上げして、「イギリスの子どもは、幸せである」と嘆息する。これは社会学者というより、一個人としての本音だろう。

 まあ、イギリス人の「新鮮なフルーツまたは野菜」94%、「自分用のベッドと毛布」93%、「1週間以上の旅行(1年に1回)」71%なんてのは、そのまま同意できる日本人は少ないと思うんだが…。貧困問題の解決を阻むものとして、「私たちは、まず、この貧相な貧困観を改善させることから始めなければならない」という提言には同意したいと思う。
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講演・上野の博物館・美術館建築について(藤森照信)

2009-05-12 00:05:02 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京国立博物館 記念講演会『上野の博物館・美術館建築について』(講師・藤森照信)

 「国際博物館の日」(5/18)を記念する講演会。昨年の『東京国立博物館のはじまりの日々』(講師・木下直之)に続いて、今年も出かけてみた。木下先生の講演は、写真満載のパワーポイントが楽しかったが、藤森先生は、A4コピーの資料1枚が配られたのみ。でも、話が始まると、スリリングな展開に、たちまち時間を忘れてしまった。名人の落語を聴くみたい。

 初代の国立博物館は、明治14年(1881)ジョサイア・コンドルの設計で竣工。全体が赤レンガで、赤と白のだんだら模様が特徴的な「(インドの)イスラム建築」風だったそうだ(→画像)。これは、当時のイギリス人には、中国や日本の伝統建築の知識が皆無で、近代文明を象徴するヨーロッパと、アジア文明(とりあえず分かっているのはインドまで)の「中間」といえば、イスラムしかなかったためであるらしい。

 コンドルに教えを受けた第1期生は4人。曾禰達蔵、辰野金吾、片山東熊、佐立七次郎。一番年長で成績のよかった曾禰達蔵は、江戸生まれで彰義隊士でもあった。新政府が嫌いで、卒業後、規定の7年だけ工部省に身をおいた後は、在野に下り、慶應義塾大学図書館などを建てる。辰野金吾は旧国技館を建てたが、これもコンドル先生に倣って、イスラム風だったらしい(震災前の東京ってカオスだなー)。片山東熊は長州奇兵隊出身(!)で、山県有朋の知遇を得ていたため、卒業後は出世コースの宮内庁に入る。佐立七次郎はあまり活躍せず。細部は略すが、この4人の「列伝」は、小説にしたいくらい、面白かった。

 さて、その片山東熊が手がけたのが、明治41年(1908)竣工の表慶館。皇太子(のちの大正天皇)のご成婚を祝うため、赤坂離宮と並行して工事が進められた。様式は宮廷建築の典型とされるフランスのネオバロック。けれども、施主の明治天皇は、完成報告の写真帖を見てひとこと「贅沢だ」と洩らしたとか。片山はショックのあまり、病気がちとなってしまう…。藤森先生の、まるでその場を目撃していたような話しぶり、講釈師も顔負けで笑った。

 それから、昭和12年(1937)渡辺仁設計の二代目国立博物館本館が竣工。このときは「和風でいく」という方針のもと、コンペが行われた。前川國男は、敢えてこの方針に反したプランで応募、落選後に展覧会をおこなって話題を呼ぶ。これは師匠のル・コルビュジエに学んだ方法だという。全く建築家って、我が強いなあ。

 昭和34年(1959)ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館竣工。これは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが、世界で初めて作った美術館なのだそうだ。ル・コルビュジエの影響が強い国は、日本、ブラジル、インド。いずれもお弟子さんの人脈を通じて伝播したものである。

 谷口吉郎設計、昭和43年(1968)竣工の東洋館は桂離宮を模したそうだ。へえ~言われてみれば。しかしながら「ちょっと鬱陶しい」には同感。息子の谷口吉生設計の法隆寺宝物館のほうがいいというのにも同感。なお、講演の行われた当の平成館については「見るべきところなし」で素通り。こうして、近代の黎明からグローバルな20世紀までを、個性豊かな建築家たちに着目して語り通した建築史。「この建築は残っていなくてよかった」「実現しなくてよかった」なんて、冗談とも本音ともつかない発言もあり、とても面白かった。

■参考:東京国立博物館の「平成館」の設計者はだれですか?(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216250467

■おさらいにはこの1冊。国立西洋美術館をつくった職人たちの仕事が丁寧すぎて、ル・コルビュジエ先生の不興を買った話も、確か出ていたと思う(→感想


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仏友フォーエバー/見仏記・ゴールデンガイド篇(いとうせいこう、みうらじゅん)

2009-05-11 00:01:50 | 読んだもの(書籍)
○いとうせいこう、みうらじゅん『見仏記:ゴールデンガイド篇』 角川書店 2009.4

 言うまでもないことだが、私は『見仏記』の愛読者である。調べてみたら、第1冊目が単行本として刊行されたのは1993年。16年前のことだ。私もまだ30代の前半でありました。高校の修学旅行の準備学習で仏像の魅力に目覚め、以後、仏像めぐりとご朱印集めを趣味としていた私は、突然の「先達」の出現に驚き、狂喜したのである。

 以後、柴門ふみとか、モデルのはなさんとか、最近では仏像ガールとか何とか、仏像ファンを自称する人々が次々に登場してきたが(※こう並べてみると、メディアが喜ぶのは女性ばかりである)、私が先達とも心の師とも慕うのは、やっぱり、この二人を置いて他にない。ぶっ飛んだ話題の飛躍、ムダな饒舌にページを費やしているように見えて、押さえるべきツボはちゃんと押さえているのだ。仏教(信仰)2に観光8のリアリティ。

 であればこそ、兵庫の鶴林寺では「みうら先生ですか。いつかいらっしゃると思っていました」と"イケジュウ"(イケてる住職)さんに歓迎され、会津では「昨日インターネットでよーく読んでおきました。おまかせください」と"獅子"ことタクシー運転手のNさんをやる気にさせるのである。

 本書に取り上げられた寺は、奈良・京都・福島・和歌山そして兵庫エリア。そうそう、京田辺の観音寺の十一面観音はビューティなんだよなあ。福島・恵隆寺の幕に隠れた巨大な立木観音(8メートル!)も見に行ったなあ。和歌山・道成寺の千手観音は、まさにパーフェクト。「鎌倉が動きで躍動感を出したとすれば、平安は厚みでしょう。体の太さで生命感が出た」という、みうらさんの鑑賞眼も、私にはパーフェクトに感じられた。そして、まだ見ぬ兵庫・浄土寺の阿弥陀三尊や、見たはずなのにあまり記憶のない山科・随心院の金剛薩捶像に対しては、あらたな憧憬を掻き立てられる。

 「あとがき」によれば、本書の刊行を機に見仏の旅は新たなスタートを切るらしい。嬉しい。まだまだ続けてください。「いつかいらっしゃると思っていました」というお寺は、まだたくさんあるはずだから。
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老境に入る/月とメロン(丸谷才一)

2009-05-10 00:05:20 | 読んだもの(書籍)
○丸谷才一『月とメロン』 文藝春秋 2008.5

 雑誌『オール読物』2006年6月号から2007年9月号に連載されたもの。『双六で東海道』の続き。文中、歴史学者・服部之総のエッセイを紹介する段で、「戦前の随筆は無内容であったが」「戦後のそれは内容がなければ読んでもらへなかった」と書いている(正確には、むかし、そのように書いたことがある)という箇所を読んで、にやりとしてしまった。上記の引用の間には「ただし内田百間のそれは無内容の極を内容に変じた恐るべき芸」というカッコ付きの注釈が入る。

 私は「無内容の極」内田百間のエッセイが大好きだが、同時に「内容(知識)の極」みたいな丸谷エッセイも大好きである。丸谷エッセイのネタは、ほとんど読書から成っているが、その博捜ぶりも「恐るべき芸」と言っていい。今回、感銘を受けたのは、音楽学者・小泉文夫の『人はなぜ歌をうたうか』。首狩り族の音楽を調査するため、その部族を訪れる一部始終が書かれてる。この本を、怖がりながら紹介する著者の筆致が絶妙。もうひとつ、出版社の社史を紹介した段も面白い。引用されている、和田芳恵の書いた『筑摩書房の三十年』はすごい。ほとんど小説の文体である。

 1925年生まれの丸谷さんは、今年で84歳になられる。当然のことながら、丸谷さんと同時代を生きてこられた文筆家の多くが、既に鬼籍に入られている。本書によれば、「わたしには、ときどき本を肴に亡友と一杯やりたくなるといふ奇癖」があるそうだ。この本、向井敏ならどういうかしら、篠田一士なら…という具合。また、本書には、加藤周一と安部公房の在りし日のエピソードなども織り込まれている。

 そういえば「無内容」の内田百間も、自分より先に逝った友人(芥川龍之介とか宮城道雄とか)のことを書いたエッセイが多くて、珠玉作も多かった。全然スタイルは違うけれど、老年を生きるって、そういうことなのかもしれない。

 付記。このブログを書き始めて、まもなく5年が満了するが、これが「読んだもの」500件目のエントリーとなった。狙ったわけではないが、20代の頃から愛好している丸谷さんのエッセイで500件を達成するのも、きっと何かの縁で嬉しい。しみじみと祝杯。
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緑風五月秘仏の旅(5):京都・泉涌寺、銀閣寺東求堂

2009-05-09 00:02:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
御寺(みてら)泉涌寺

 秘仏の旅も最終日(5/6)。行き先に悩んだが、結局、京都に出て、駅から近い泉涌寺に向かうことにした。山門をくぐるとすぐ、左手に「楊貴妃観音堂」がある。寛喜2年(1230)に将来された像で、泉涌寺のホームページには「像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれて来た」とある。確かに、華やかに塗り分けられた透かし彫りの宝冠と言い、伏し目がちのまなざしを強調するアイラインと言い、美しいのだが、ギリシャ彫刻みたいなプロポーション重視の現代人の感覚からすると、ピンと来ないかもしれない。私も、ずいぶんむかしに拝観して以来、ずっと再訪していなかった。

 お堂の隅を見ると、この楊貴妃観音を全面的にフィーチャリングしたチラシが置いてあって「聖地寧波」の大きな文字がかぶせてある。あ、奈良博の特別展だ、とすぐに気づいた。まだ刷り上って間もないのか、お堂の受付の方も、同じチラシにしみじみと見入っている。「奈良博にお出になるんですか」と声をおかけしてみたら「そうです。全期間ではないですけどね」とのこと。「(出陳は)初めてですか?」とお聞きしたら、「いや、以前、東京のデパートでやった展示会に出たことがありますね。ええと、美智子さんのご成婚のとき」って、さすがに私もそれは知らない…。堂内では、各種のお札(お守り)を授受いただけるが、楊貴妃に「縁結び」はともかく「良縁」は期待できない気がする、と思いながら、可笑しいので、ひとついただいていく(200円)。

 観音堂の隣りが宝物館の心照殿。第1展示室「泉涌寺の仏画と仏具」は、中国色が濃厚で楽しい。江戸時代の『帝釈天像』は、どう見ても冕冠(べんかん)姿の皇帝像だし、同じく『鬼子母神像』も中国の貴婦人風。中央の『仁王像』は、色とりどりの宝玉をつないだ瓔珞を振り立てて見えを切っている。こんな華やかな仁王は初めてだ。これは三尊形式なのか、たまたま並べた三幅なのか、はっきりしないが面白かった。第2室「女帝・女院の文華」では、なぜかそこにあった『朝鮮通信使歓待図屏風』に惹かれた。狩野益信(1625-1694)筆。右隻に市中の行列、左隻に謁見の図が描かれていて、結構リアルな感じがする。

 仏殿を通り抜け、本堂も拝観。ここは、江戸時代から歴代天皇・皇后の御葬儀を執り行い、今日も皇室との関係が深い寺院である。それにしては、どこを見ても中国色が強いことに驚くとともに、明治の神仏分離令が出たときは、驚天動地だったろうなあ、と感慨に誘われた。

銀閣寺[東山慈照寺]:特別公開「東山文化の原点 国宝東求堂」

 帰りの新幹線まで、まだ時間があったので、急ぎ、銀閣寺へ。この日までの特別公開「東求堂(とうぐどう)」が目的である。拝観はガイドツアー形式のため、次の出発まで少し待つ。私の組は、こじんまりと6人で出発。その前は18人だったというから、これにも運不運がある。本堂では、与謝蕪村や池大雅の襖絵を間近に拝観。庭の銀沙灘・向月台という砂盛りが江戸時代に始まるものであること、月1回作り直しをしていることなど、興味深いお話を聞く。

 渡り廊下を通って、創建当時の遺構とされる東求堂に移る。中を覗くと、思わぬところ(本堂に背を向けた壁のくぼみ ※矢印のあたり)に法体姿の足利義政公像が安置されている。等身大と思われる大きなお像で、いい大人がかくれんぼしているみたいだった。



 奥に進むと四畳半の書院「同仁斎」。明かり障子の下の付書院には、「国宝」の札のついた『君台観左右帳記』の太い巻子と、墨、筆、硯、水瓶などの「唐物」が、決めごとどおりに並べられている。女性ガイドさんのお話では、この東求堂公開は毎年行われているが、今年は観音堂が修復中ということもあって、和尚さんの発案で、特別に唐物飾りを再現してみたのだそうだ。嬉しい。昨年、正木美術館の特別展(東京美術倶楽部)で、ここ東求堂に唐物飾りを再現するプロジェクトをビデオで見たときもうっとりしたが、自分の目で見ることができて、感激もひとしお。ただし、あとで確かめたら『君台観左右帳記』はレプリカです、とのこと。さらに渡り廊下でつながれた弄清亭(ろうせいてい)では、奥田元宋(1912-2003)画伯の襖絵を拝観。寺院って、古いものに新しいものを取りあわせていくことに躊躇がなくて、いいなあ。きびきびしたガイドさんの説明が、とても気持ちよかった。

 バスで京都駅に戻り、予定どおりの新幹線に乗車。格別に実り多かった連休の旅もこれにて終了である。さて、次回は…?
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緑風五月秘仏の旅(4):京都・神護寺虫払い、他

2009-05-08 00:05:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
■三尾:高雄山神護寺~槙尾山西明寺~栂尾山高山寺

 秘仏の旅3日目(5/5)は再び京都へ。さあ今日は、憧れの神護寺「寺宝虫払い」に行くのだ!と思うだけで、遠足前の小学生みたいに興奮が抑えられない(ちなみに鎌倉の建長寺・円覚寺は「宝物風入れ」と呼ぶけれど、こちらは「寺宝虫払い行事」が正式名称である)。私は、鎌倉の「宝物風入れ」の体験を念頭に置いていたので、朝から大変な人出になるのではないかと思っていたが、山城高雄でバスを下りたのは、私ともう1人だけだった。ちょっと拍子抜け。

 新緑の中、長い石段を下り、再び登ると山門である。「寺宝虫払い」参観は、山門をくぐらず、右横の書院で受付をする。下足箱には、先客の靴が10足ほど並んでいた。第1室は8畳ほど。手前(縁側)の襖が取り払われ、三方の壁と襖に仏画や肖像画が掛け渡されている。中央の机には文書類。博物館の展示と違うので、詳しい説明はない。慌てて、受付で貰った「陳列目録」を開く。ただし、これも分かる限りの筆者と製作年代が注記してあるのみ。鎌倉の「宝物風入れ」と違って、けっこう近代ものが多いなあ、と感じた。近代作品の隣りに、南北朝くらい?の仏画が掛けてあったりして、なかなかカオス的である。

 何も説明がないと、自分で落款を確かめよう、という気持ちが湧いてくる。で、第2室の水墨『仁王像』双幅の落款をまじまじと見つめて、おや、これは読める(見覚えがある)と気づいた。丸印に「若冲居士」とあるではいか! うーん、言われてみればそんな気もするが、若冲の水墨人物図(しかも肉体派)ってあまり見たことがないので、真贋がよく分からない。なぜか吽形はネズミを掴み、阿形の手からはネズミが逃げている。読めなかった角印は「藤汝鈞印」または「藤女鈞印」らしい。

 並びの第3室に進むと、白壁の床の間に、左から『源頼朝像』→『後白河法皇尊影』→『平重盛像』が掛かっていた。感動! いや、『文覚起請文』に押された後白河法皇の手形(国宝)とか、冷泉為恭の『山水屏風』とか、真言八祖像の内、赤い唇の空海像とか、他にも見ものはいろいろあるが、私はこの三像のために来たのである。中央の後白河法皇像はやや小さいが、左右二像は、どう見ても書院に不似合いなサイズである。そして、この「写実」というか「迫真」性は尋常でない。私は、源頼朝像の「瞳」の描き方が好きなのだ。色目人みたいに薄茶色の虹彩の中央に黒で瞳を点じている。後白河法皇像も同じ。

 ちょうど、袈裟姿のお坊さんが、旧知らしい若い男性(学芸員?)といろいろ話しているのが聴こえて、興味深かった。加湿器(?)が据えてあったが、やっぱり「虫払い」中の温湿度には気を遣うんだなあ、とか。『平重盛像』はずっと畳まれていた跡がある(鎌倉時代は飾れなかったのだろう)とか。南北朝期の作とする説もあるが、表具屋さんは鎌倉の絵具だと言っている、とか。このお坊さん、小学生くらいの男の子の「どっちが右大臣でどっちが左大臣ですか?」みたいな素朴な質問にも、丁寧に答えていて、好感がもてた。

 神護寺のあとは、清滝川沿いに歩いて、西明寺、高山寺をまわる。高山寺といえば、やっぱり伝運慶作のわんこ(木造犬)。今も明恵上人の訪れを待っているような顔をしている。狭いガラスケースの中から、春夏秋冬、ひたすら窓の外を眺めているんだろうか、と思うとちょっと不憫である。ときどきはケースから出してやってほしい。そうしたら、当たり前に伸びをして、スタスタ歩き出しそうだ。

↓明恵上人遺愛のわんこ像を上から。


春季非公開文化財特別公開:高山寺・茶室「遺香庵」~心光院~実相院~岩倉具視幽棲旧宅

 高山寺で特別公開の茶室「遺香庵」(昭和6年(1931)の作で、どことなくモダニズムっぽい)を見たあと、洛北の公開箇所3件をまわる。心光院は平安後期の阿弥陀坐像、実相院は「床みどり」(板の間に映る新緑)と数々の襖絵、さらに星図屏風など、それぞれ面白かった。ただし、春季恒例(秋季は違った)の学生ガイド、なんとかならないかなあ。拝観料が高いので(1ヶ所800円)、あんまりたどたどしい説明を聞かされると、腹が立ってくるのである。たとえボランティアであっても、ちゃんと勉強してから客の前に立てよ、と言いたい。再び大阪泊。
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緑風五月秘仏の旅(3):天橋立・成相寺

2009-05-07 20:29:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十八番札所 成相山成相寺(京都府宮津市)

 秘仏の旅3日目(5/4)は彦根を離れ、京都駅発の特急「はしだて」に乗り換える。西国三十三所巡礼のおかげで、いろんな列車に乗り、いろんな場所に行くことができてうれしい。先週末に成相寺に来ている巡礼仲間のアドバイスに従い、天橋立駅で周遊切符「天橋立フリー」を購入。観光船→リフト→バスを乗り継ぎ、まっすぐ成相寺へ。急斜面を猛スピードで上がって行くマイクロバスの運転に、怖がりの私はちょっとビビる。バスを下り、山吹と石楠花が咲き乱れる石段を上がると、本堂である。

 ほとんど待たずにご朱印をいただき、内陣に上がって、お厨子の前でご本尊を拝観。マイクを持った女性が「羽衣伝説の地、天の橋立にふさわしく、美人観音と呼ばれております」と、のんびりした案内を繰り返している。私の巡礼仲間の間では「美人かどうか分からないが、スタイル抜群」という評判が立っていた。なるほど、お顔立ちは黒く磨滅して定かでないが、裳(スカート)の裾がきゅっとすぼまり、腰高のプロポーションが強調されている感じがする。観音様の足もとには、なぜかミニサイズの獅子(狛犬?)が6匹(3対)鎮座していた。素朴な尊像とは対照的に、内陣の荘厳は豪華絢爛。「砂擦りの藤」という形容があるけれど、天蓋から垂れ下がった金の瓔珞は、床に届きそうだった。

 各所で展望を楽しみながら下山。丹後一宮・元伊勢籠神社(このじんじゃ)のご朱印もいただき、セットで国分寺跡にも寄りたかったのだが、今回は、天の橋立を歩き通してみたい(前回はサイクリング)と思っていたので、丹後国分寺跡は割愛。けれど、天の橋立踏破も智恩寺拝観も、思ったほどの時間がかからず、帰りの特急「タンゴエクスプローラー」も指定が取れたので、1時間ほど余ってしまった。そこで、駅舎隣りの立ち寄り湯「智恵の湯」(入湯料700円+タオル購入200円)で一休み。広々とした湯船に浸かって、極楽気分。最後に「タンゴエクスプローラー」の指定席が最後尾の展望席だったことにも、にんまりしてしまった。この旅行、ハズレがなくて、いいことばっかりだな~と幸せを噛みしめる。大阪・中津泊。
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