見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

博物館に初もうで2012+総合文化展など(東京国立博物館)

2012-01-14 23:07:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
 すっかり定着した感のある東博の『博物館に初もうで』企画。特別展『北京故宮博物院200選』の混み具合の偵察を兼ねて、1/8(日)に見てきた。

■本館 特別1室・特別2室 東京国立博物館140周年特集陳列『天翔ける龍』(2012年1月2日~1月29日)

 まずはお楽しみの干支企画。『十六羅漢像(第十四尊者)』(平安時代・11世紀)には、大口を開けて羅漢を仰ぎ見る龍が描かれているが、この龍、鼻が長い。ディズニーキャラのグーフィーみたいだ。別の『十六羅漢像(第十五尊者)』(南宋時代・12世紀)は、出現した龍に怯えて、小童が羅漢の衣に隠れようとしている。あ、よくあるパターンの原型になった図像か。キャプションに「金大受筆、南宋時代・12世紀」とあるので、落款を探したら、右上方に墨書らしきものがあったけど、読めなかった。この龍は、むしろちょっと受け口な感じがする。

 今年のポスターは曽我直庵の『龍図』だが、私は、ぬっと顔を出した岩佐又兵衛の龍図が好きだ。ふくらませた鼻の穴に、憎めない愛嬌がある。もとは六曲一双(10図)の屏風で、東博は、水牛に乗る老子、龍、虎の3図を所蔵しているそうだ。

 見上げるばかりの巨大な書「龍飛鳳舞」には「御筆」とあったので、何天皇?と思って近づいたら、清の康熙帝の筆だった。折り目正しく、しかも雄渾な楷書。やっぱり机の上で書いたのかな。一字書くごとに、両脇に控えた宦官が、うやうやしく料紙をずらしたりしたんだろうなあ…と想像してしまった。紙は薄手で、表面がつるつるしているように感じられた。ほか、自在置物の龍など。2室には磁器、工芸、考古ものなど。

■その他の総合文化展(平常展)

 国宝室は雪舟の『秋冬山水図』2幅。また「新年特別公開」で、一般の展示室に国宝の『古今和歌集(元永本)』が出ていたりした。衝撃的によかったのは『日月山水図屏風』(室町時代・16世紀)。同じ名前で呼ばれる河内長野の金剛寺の屏風と、どっちが古いんだろう?と思ったら、後者は「15世紀半ばとする説から、16世紀後半とする意見も」(Wiki)あって定まらないらしい。今回、見ることのできた『日月山水図屏風』は、金剛寺の屏風ほど装飾的でないが、茫洋として、抽象絵画みたいなダイナミックな魅力がある。e国宝に図像あり。そうか、左右は、元来別の作品であったのか。

 今期は「書」が贅沢。特別展のレポートでも触れたが、書の三蹟(三跡)、小野道風・藤原佐理・藤原行成の作品がまとめて見られるのは、めったにない機会で、興奮した。もしかして、特別展に出陳されている中国の書に対抗意識を燃やしている? 絵画も、2階に『太公望・文王図』や『長恨歌図屏風』があり、1階に横山大観筆『五柳先生』を出しているのは、特別展を見に来る中国系のお客さん(実際、多かった)を当て込んだかな?と思ったが、そんな配慮がなくても、もともと日本美術における中国の影響は圧倒的だな…。

■本館 特別5室 故宮VR『《紫禁城・天子の宮殿》-北京故宮博物院200選 特別版』(2012年1月2日~2月19日)

 最後に、本館1階の奥の部屋で上映中のVR(バーチャルリアル)プログラム。以前、印刷博物館で故宮VRを見たことがあったので(記事)、それと同じかな?と思ったが、コンテンツが増えていて、より面白かった。印刷博物館バージョンは、太和殿の前庭と太和殿の中(玉座周辺)だけだったが、今回は、西太后が垂簾聴政をおこなった養心殿の東暖閣や、乾隆帝の書斎・西暖閣の三希堂などを覗くことができる。

 ふだんは予約制のシアターで上映されるVRだが、今回のプログラムは流しっぱなしで、会場出入り自由。この形式のほうが見やすくていいんだけどな。

※最後に、久しぶりに東博の「特別展」情報を見たら、秋にまた『中国 王朝の至宝』展があるらしい。「歴代王朝の都ないし中心地域に焦点を当て」って、どのへんの時代と地域になるんだろう? 個人的には塞北と江南押しなんだが…。
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佐藤玄々の龍頭観音(東京国立博物館)

2012-01-14 10:29:00 | なごみ写真帖
本格的な仕事始めの1週間を終えて、ぐったりの週末。今日も東博は特別展『北京故宮博物院200選』や特集陳列『博物館に初もうで』で賑わっていることだろう。

常設展(総合文化展)で、珍しいものを見た。彫刻家・佐藤朝山(玄々)作の『龍頭観音』。
佐藤玄々は、日本橋三越本店の天女(まごころ)像の作者である。

全体像。


観音像。どこかで見たお顔なのは、法隆寺夢殿の救世観音を模している。


龍。全体に品のある彩色で美しい。


これ、好きだなー。ときどき展示してほしい。東博が近代彫刻をどのくらい所蔵しているのか知らないが、1~2作品しか展示スペースがないから、なかなか機会がないのだろうけど。

展示キャプションに「山田徳蔵氏寄贈」とあったので、何者?と思って検索してみたら、これがまた面白い人物だった。世の中には、まだまだ私の知らないことが多数ある…。
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(3)清明上河図を見る/北京故宮博物院200選(東京国立博物館)

2012-01-12 23:56:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展『北京故宮博物院200選』(2012年1月2日~2012年2月19日)

 これは備忘のために書いておくだけの記。「朝イチ」をねらうつもりで(早起きできず)10:30頃に来たら、もう『清明上河図』は230分待ちと言われた。入館待ちの間に「今日も9:40に開館いたしましたが、その時点で120分待ちでした」みたいな説明をしてくれた。いったい、どうなっているんだか。

 その他の展示を見終えて、たぶん会場を出たのが13:00過ぎ。午前中は1階まで伸びていた特別公開『清明上河図』の待ち列は、少し短くなって、2階ロビーが最後尾になった。待ち時間は約120分だという。ふだんなら、馬鹿馬鹿しくて絶対あきらめるところだが、朝の230分に比べれば、まだ許容できるような気がして、しばらく迷った末に、列に並ぶことにした。

 時計を見ていなかったので、正確には分からないが、係員の表示は最大所要時間で、実際には、もう少し短い待ち時間で済んだのではないかと思う。展示ケースの前に到達すると「立ち止まらずにお進みください」の声に促され、2~3分で観覧は終了してしまう。うーむ。まあ「ホンモノを見た」という自己満足は残るけど…。

 感想としては、意外と小さい作品だった。縦幅24.8cm。調べたら『伴大納言絵巻』が31.5cm、『春日権現験記絵』が40.0~41.5cmだから、ひとまわり小さいという印象は間違っていないと思う。そこに800人近い人びとがごちゃごちゃと群れ集っているのだから、当然、細密描写になる。

 『清明上河図』というと、虹橋(太鼓橋)もしくは楼門をくぐった街中の繁華な光景が、まず思い浮かぶのだが、前半は、のどかな農村風景で、これが意外と長い。藁ぶきや土壁の家が、木々の間にぽつぽつと見え隠れし、人の姿の多さが、街の近いことを感じさせる。このへんは、現代の中国を旅していて出会う光景と、あまり変わらない気がする。

 突然、現れる運河の泊と大きな船。この船の描写に感嘆する。正直なところ、都市の街並みや大勢の人びとを描いたというだけなら、日本の絵巻や洛中洛外図に、同様に面白い作品はいくらでもあると思うのだ。しかし、こんなふうに巨大で、しかも精密に描かれた船は、日本の古い絵画にはないと思う(構造的に正しく描かれているのかどうかは、船舶工学の専門家に聞いてみたい)。あと、楼門とか商家の造りも精緻で、画家は、人間よりも、こういう構造物を描くことが好きなタイプではないかと思った。たとえていうと、ジブリのアニメみたいな。

 人体表現には、わりと無頓着で、みんな角ばっていて(怒り肩でガタイがいい)動きが少ない。圧倒的に男性が多いが、髭面は少ない。…というのは、いま、図録を眺めながら感じていることで、現場では、ほとんど何も考える暇がなかった。原品を見て思ったのは、要所要所に意外と色彩が使われていること。それから、楼門を過ぎたあたりから、店の看板などに、ずいぶん文字が見えること。気になったのは、楼門の手前、驢馬に引かれて進む荷車が、風呂敷のような布で荷を覆っているが、この風呂敷一面に草書らしき文字が書かれていること。何が書いてあるのか、読み解けないのかな。

 こういう作品こそ、有料でもいいから高精細のデジタル版をiPadやパソコン上で、心ゆくまで見せてくれないだろうか。時間を忘れるくらい楽しいだろうと思う。当面は特設サイト「北京故宮博物院200選」で遊ぶのみ。

 最後にお土産は『皇帝ポストカードセット』(10枚、800円)を買ってみた。乾隆帝6枚+雍正帝4枚。皇帝としての人気(認知度)の反映かな。
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(2)清朝宮廷コレクション/北京故宮博物院200選(東京国立博物館)

2012-01-11 23:54:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展『北京故宮博物院200選』(2012年1月2日~2012年2月19日)

 第2部会場の入口は、第1部会場からの流れと、特別展示『清明上河図』を見終わった流れが合流するので、激混み。冒頭には、清朝皇帝の『明黄色彩雲金龍文緙絲朝袍』(いわゆる龍袍)が飾られていて、第1会場とはガラリと時代が変わることを示している。うーん、宋→元→清か。明代の割愛は、やむを得ないところだろう。皇帝の龍袍には、12の美徳のしるしが表されており、中には「虎と猿を描いた一対の壺」なんていうのもあって、探してしまった(裾にあり)。

 この部屋は、工芸や服飾・宝飾が中心なので、軽く流すことにした。もっとも、紀元前16世紀の玉製品とか、よく考えると、気が遠くなるような品もあった。汝窯の天青釉の青磁盤、風船のように丸々した、めずらしい形の耀州窯の唐草文瓶など(ともに宋代)に混じり、堆朱・存星・琺瑯などの工芸品が、わずかに明代の文華を主張していた。むかし年賀状の図案に使ったことのある豆彩鶏文杯(景徳鎮窯)を見つけたが、これも明・成化年間の品。

 次の部屋に移ると、壁面に沿ったケースに『康煕帝南巡図巻』11、12巻が! これはよく見たかったので、列に並び、ケースに張り付いてじっくり鑑賞。そろそろ疲れた観客は、脇を流れていくのがありがたい。図録の解説によれば、全12巻のうち9巻が現存し、北京故宮博物院は、1、9、10、11、12巻を所蔵。2、4巻がギメ美術館、3、7巻がメトロポリタン美術館に所蔵されているそうだ。返してほしいだろうなー、中国。いつか買い戻してしまうのかしら。ストーリー性のある日本の絵巻と違って、異時同図法とか使わないのだな。当たり前だが、皇帝は1巻に1回しか出てこない。皇帝を一般人より「少し大きめ」に描くのは、宗教画の感覚に近いように思う。

 それから、無茶苦茶たのしみにしていた『雍正帝行楽図像冊』。その前に『雍正帝耕織図画冊』というのもあって、宋代の「耕織図」に感銘を受けた康煕帝が新たな「耕織図」を作らせ、息子の雍正帝が、その作中人物に自分と后妃らを当てはめて作成したのが本作である。46枚が現存しており、中国語サイトで検索すると、ほぼ全図の画像を見ることができるようだ。本展には1枚だけの出品だが、痩せた手足をあらわにして水を汲み上げる半裸の老人が大中華皇帝のコスプレ(アイコラ)って…。似合いすぎる。薄い髪は髷に結い、足元には、ご丁寧に団扇と麦わら帽子のアイテムまで。もうちょっとましな図像もあるのだが、この1枚を選んだセンスが素晴らしい。

 『行楽図像冊』は8枚を展示。No.113~117は一連の図冊で、モンゴル族、ラマ僧など、かなりぶっ飛んだ扮装を楽しんでいる。写真パネルしかなかったけれど、西洋風の服装でルイ14世ふうの鬘をかぶり、槍を片手に虎を追いつめる姿も、この図冊のもの。No.118~120は主に室内で、伝統的な漢民族の文人を気取る。妙に神経の行きとどいた視線や所作が、逆に「ヤラセ」っぽくて、じわじわと可笑しい。火鉢の縁に足を上げて暖を取る「じじむさい」仕草とか、大好きだ。そして、どう見てもいちばん似合うのは、最下層の農夫や漁夫の姿なのだが、雍正帝本人は、どう思っていたのだろう。

 続いて登場は乾隆帝。『乾隆帝是一是二図軸』の裏に回ると、画中に描かれた玉器や青銅器が集められて、再現されている。円卓もあるのがすごい。そして、この円卓、回るんだな…。さらに三希堂の再現展示。これは、前日に本館1階でVR(バーチャルリアリティ)プログラム『紫禁城・天子の宮殿』を見ておいてよかった。これ、ほんとに全部持ってきちゃったのか。それから『乾隆帝紫光閣遊宴画巻』を見ては、あの紫光閣だ!(280幅の功臣像が掲げられた)と心浮き立ち、ド派手な『乾隆帝文殊菩薩画像』にときめき(もとは承徳の普寧寺に伝来したのか)、『乾隆帝大閲像軸』を見上げて、放心する。感無量だ。よくよく見ると、馬の胴が長すぎて、縮尺が少しおかしい。小柄な蒙古馬だったとしても、である。しかし、十分に近寄って見ると、皇帝の威厳に圧倒されて、馬のデッサンはまるで気にならない。それより、手綱と鞭を持つ指先の描写が、驚くほど繊細で巧い。顔とともに、イタリア人画家、郎世寧の筆なのかもしれない。

 最後は「掻き集め」的なのだが、新疆の青玉とか、日本ふうな花鳥文の漆器箱とか、天文儀器と置時計とか、『万国来朝図軸』にさりげなく描かれた琉球の使節団とか、ひとつひとつ豊かな物語を感じさせる品が集められている。200選の最後を飾るのは『乾隆帝生春詩意北京図軸』。紫禁城の瑠璃瓦も城下の民家の屋根も白い雪に覆われた、北京の初春を描く。季節もぴったり、祝意に満ちた、いい〆めの作品である。ふと「あらたしき としのはじめの はつはるの 今日ふるゆきの いやしけよごと」を思い出した。

※特別展示『清明上河図』観覧の記に続く。
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(1)宋元書画の至宝/北京故宮博物院200選(東京国立博物館)

2012-01-09 23:59:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展『北京故宮博物院200選』(2012年1月2日~2012年2月19日)

 「休日はやめたほうが無難」という忠告を受けていたのだが、平日に休暇を取れるかどうか分からないので、とりあえず行ってみた。朝、10:30頃到着したら、すでに入館待ち50分、『清明上河図』を見る列は230分待ちの列だという。うえ~日本人って、こんなに中国好きだったっけ?と怪しむ。

 まあ(今日は)『清明上河図』は見られなくてもいいや、ほかにもたくさん名品が来ているようだし、と気を取り直して、会場に入る。第1室は、いきなり中国文明の「至宝」ともいうべき宋代の書画。書は、宋の四大家、蘇軾・黄庭堅・米芾(べいふつ)・蔡襄のうち、後三者の作品を見ることができた。いや~眼福で、テンション上がりまくり。いちばん好きなのは、黄庭堅の『草書諸上座帖巻』かな。7メートルに及ぶ長大な書巻だが、文字を追っていて、飽きない。2008年、江戸博の『北京故宮 書の名宝展』でも見ているので、二度目になるが、やっぱり好きだ。巻末の自跋は読みやすい行書なので、「拍盲小鬼子往往見便下口、如瞎驢喫草様」など、分かったような分からないような気持ちで、眺めていた。

 前日、この展覧会の混み具合の偵察に来たのだが、平常展で、日本の三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)の書を見た。私はスピード感のある佐理の書が好きなのだが、この黄庭堅の書には、なんとなく似たものを感じる。敢えて言えば、力業(わざ)でねじ伏せる感のある道風の書は米芾(べいふつ)に似ていて、誰が見ても端正で美しい行成の書は蔡襄かな、なんて結びつけてみた。これは素人の戯れ事なので、ご寛恕を。それにしても、彼らの書に比べると、徽宗の書は(画も)神経質で癖があるなあ。なんでこんな芸術家が天子に生まれちゃったんだか、と思う。

 宋の絵画は、いかにも日本人好みな(東山御物です、と言われたら納得してしまいそうな)小品あり、画巻や大画面の作品もあり。『夜合花図冊』は前者の例で、団扇形の画面に、トキワレンゲの白い花が写実的に描かれている。しばらく眺めていて、葉の一部が虫食いで茶ばんでいることに気づいた。葉脈とか、細い枝の節くれだった様子とか、描写が細かい。

 李迪の『楓鷹雉鶏図軸』は、大画面に獲物の雉を狙う鷹と、狙われて叢に逃げ込む雉の緊迫した場面を描いたもの。雪村に似たようなモチーフの絵がなかったかな。そうそう、『鷹山水図屏風』だった(ウサギを狙う鷹の図)とあとで調べて思い出した。

 隣室も引き続き、書画。時代は少し進んで元代。解説によれば「中国絵画の本家中の本家となった元代文人画は、皇帝たちの愛するところとなり、それゆえほとんど(日本に)伝来することなく現在に至り、その存在や価値も知られることがありませんでした」という。なるほど。確かに、日本で元代絵画を見る機会は(仏画を除き)宋代絵画以上に少ないかもしれない。代表的な作家は趙孟頫(もうふ)/子昂。南宋の皇族でありながら、元朝に仕えたことで、裏切り者の汚名を着せられた。そのため、却って江南文化の伝統を重んじ、特に書は王羲之の正統的な書法を継承した。そう言われて、『行書洛神賦巻』を見ると、丸くてコロコロした感じの「一」とか「之」が、王羲之の書体に似ているような気がする。

 絵画は、趙孟頫の『水村図巻』、朱徳潤の『秀野軒図巻』など、高い山に囲まれない、ひろびろと開けた眺望が新鮮。遠近法をねじまげたような高い木を前景に置くこともしない。こういう元代文人画(13-14世紀)が、18世紀日本の池大雅や与謝蕪村の淵源となるらしいが、その間には、もうひとひねりかふたひねりの歴史がなければならないだろう。

 さて、第1部の最終コーナーが、”神品”『清明上河図』の特別展示室である。展示ケースに張り付いて見るには(立ち止まれないので、所要2~3分)、そのための待ち列に並ばなければならない。しかし、列に並ばないと全く見られないわけではなくて、後方から最前列の観客の肩越しに「チラ見」することはできる。ケースが深いので、画幅全体を見ることは難しいが(比較的身長が高いほうなら)上3分の2くらいまでは見られる。後方通路だと、いつまでも同じ場所に立ち止まっていても怒られないので、私は、けっこうこれで満足した。結局、あとで列に並んだのだが…。

 この「北京故宮博物院200選」を選ぶにあたっては、いろいろな選択が考えられたと思うが、宋元書画の逸品に相当部分(リストで見るとNo.1~44かな)を割いてくれたことには、本当に感謝したい。それにしても『清明上河図』の特別出品って、日中のどっちが言い出して、どういうふうに交渉が進んだのか、興味津々。ちょっとした外交上のかけひきだったんじゃないかと思う。いつの日か、裏話として聞いてみたい。

※以下、(2)第2部:清朝宮廷コレクション、(3)『清明上河図』は、別稿に続く。

展覧会特設サイト
『清明上河図』全体の拡大画像あり。これ、展覧会終了後もWeb上に残して!!

1089(トーハク)ブログ
昨年から気づいてはいたのだが、大和文華館にいらした塚本麿充さんが東博の東洋室担当になられたようで、時折、中国美術の記事を書いているのが嬉しい。愛読してます。
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なんとなく雑然/「平清盛」展(江戸東京博物館)

2012-01-08 23:52:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
江戸東京博物館 NHK大河ドラマ50年特別展『平清盛』(2012年1月2日~2月5日)

 今日(1/8)から始まった大河ドラマ『平清盛』、初回はかなり好印象だった。今年は1年間、楽しめそうな予感がする。ドラマの感想は折りを見て書くことにして、まずは関連展から。

 大河ドラマ関連展は、いつから始まったのだろう? 私は、2007年の『風林火山』以来、ドラマの評価とは無関係に、ほぼ皆勤している。私は戦国時代にも幕末にもあまり詳しくないので、この数年の展示は、それなりに新しい発見があって、面白かった。しかし『平清盛』の舞台となる時代は、逆に私には馴染みが深すぎて、いろいろと雑な展示だなーと感じてしまった。

 「第1章 平氏隆盛の足跡」は、清盛の父・忠盛の時代に始まり、保元・平治の乱を経て、平氏が権力を掌握していく過程を時系列順に紹介する。基本は、奈良絵本の平家物語と古記録の江戸時代写本で(言葉は悪いが)誤魔化しているので、あ、なるほどねーと思っていると、突然、『平治物語絵巻断簡』(鎌倉時代、MIHOミュージアム)が紛れ込んでいたりする。あと、おや、ボストン美術館所蔵の『平治物語絵巻 三条殿焼討』だ?!と思ったら、東博が所蔵する模本だった(狩野栄信・狩野養信・養福筆。画像あり)。かなり質のいい模本だと思うのだが、あまり展示されないのは、やっぱり描写が残虐すぎるからだろうか。ついでに、国会図書館にも住吉広行筆の模本がある(画像あり)ことを知ったので、メモしておこう。

 細かいことに文句を言っておくと、「中右記」保延元年8月19日~21日条に、平忠盛の海賊追討の功によって清盛が従四位下に叙せられたという記事があり、わざわざパネルに書き下し文も掲げてあるのに、開いているページには、21日の最後の1行しか見えていなかった。確かに清盛の名前は最後の行にあるんだけどさ…。

 古記録類は全部模本か、と思っていたら、突然、京都大学所蔵の『兵範記』(平信範の日記。重文)が現れたりするので、あなどれない。『天子摂関御影』もホンモノだった(南北朝時代、三の丸尚蔵館蔵、現在は「大臣巻」公開)。あわせて陽明文庫の『天子御影』(安土桃山時代の模本)も並んでいる。公開箇所は、鳥羽院、崇徳院、後白河院の3名。「大臣巻」の平清盛と、崇徳院、後白河院の顔立ちを、つい比べてしまう。

 安楽寿院の鳥羽法皇・美福門院・八条院像の三幅対とか、法住寺跡(京博の近隣)から出土した武具の断片とか、京博の十二天図(「月天」1幅だけ)などが、京都から来ていたのは嬉しかった。東博の青磁の名品「銘:馬蝗絆」が出ていたのは、何故?と思ったが、そうか、平重盛所持という言い伝えがあるのか。

 平家納経は、清盛願文のほか、3件(法華経巻四、巻十九、巻二十六)と模本1件。金色を基調とした「法師功徳品巻十九」がいちばんきれいだと思った。銀色は、残念ながら劣化が激しいのだ。でも、正月休みに本展を見に来た友人の話でも、平家納経のコーナーには、あまり人が留まらないのが不思議。いちばん人が溜まっているのが、年表や人物紹介のパネルの前だったりする。やっぱり、この時代って、現代人には馴染みが薄いのかな。

 楽しかったのは、初めて見る絵巻や奈良絵本の中に、意外と魅力的な作品(素朴絵系の)があったこと。『滝口縁起絵巻』(室町時代、京都・清涼寺)かわいかったぞ。『奈良絵本「築島」貼交屏風』(17世紀、大阪青山歴史文学博物館)は、日本民藝館の『築嶋物語絵巻』と同系統の絵ではないかと思った。もうちょっと間近でよく見てみたい。

※常設展示会場では『絵で楽しむ忠臣蔵』『歴史の中の龍』(ともに、2011年12月3日~2012年1月29日)開催中。前者は、歌川国芳描く義士シリーズが、やっぱりカッコいい!

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修理のバトンリレー/時をこえる仏像(飯泉太子宗)

2012-01-07 23:57:37 | 読んだもの(書籍)
○飯泉太子宗『時をこえる仏像:修復師の仕事』(ちくまプリマー新書) 筑摩書房 2011.12

  『壊れても仏像:文化財修復のはなし』(白水社、2009)の著者の飯泉太子宗さんの新著である。前著と重なる話題が多いが、前著が基本的に「仏像」(いつ、誰が、どんなふうに作ったの?)をテーマにしていたのに比べると、本書は、より多く「修復師という仕事」を語ることが主題になっている。

 著者自身のことも少し詳しく語られていて、中学生か高校生の頃、西岡常一さんの『木のいのち木のこころ』を読んだのが、文化財の修理という仕事を初めて知ったきっかけだという。それで、一気に修復師になろうと決意したわけではなく、「世の中にはいろいろな仕事があるな、と思った程度」だったが、一方で、今でもぼんやり内容を覚えているのは、どこで影響をうけたのかもしれない、ともいう。まあ、そんなものかもしれない。

 むしろ、祖父母が築200年(ええ!)の茅葺きの古民家に住んでいて、小中学生の頃は、父親に修繕の手伝いをやらされた、という話に感銘を受けた。修復師という仕事を選ぶべくして選んだ、という感じがした。面白かったのは高校時代。キリスト教の全寮制の高校で「営繕部」に所属し、窓とか棚とか、学校の備品を修理していたという。変わった学校だけど、こういう教育はいいな。修道院の伝統を引いているのだろうか。あと、ものを造るのが好きな人には「創作(自己表現)好き」と「修理好き」タイプがあり、著者は後者であるという。当然といえば当然だが、いまどきは、前者ばかりが脚光を浴びて、後者を軽んじ過ぎではないかと思う。

 大学卒業後は、美術院国宝修理所で経験を積み、現在は関東の田舎(茨城県桜川市)で仕事をしている、というのは前著にも書かれていた。国宝や重文を扱う機会の多い国宝修理所のほうが、修復師として、やりがいがあるのじゃないか、と勝手に憶測するのだが、著者は、今の仕事が自分に合っている、という。大企業や大学病院に勤めるばかりが仕事じゃなくて、町工場や町医者という選択もあるのだと思う。美術院時代に、唐招提寺の千手観音の修理にも関わったらしいが、1000本近い脇手を外して、ひたすら表面の漆箔の剥落止め(1日何本も進まない)という単調な仕事はきつかった、という回想には苦笑してしまった。

 著者は、自分の修理が100年は保ってほしい、と書いている。100年というのは、自分の人生よりも長い射程で、自分の仕事の責任を考えるということだ。あらゆる「仕事」のサイクルが短くなって、1年とか半年とか、甚だしいと1ヵ月かそこらで、結果を出し、評価されることが当たり前になってる現在、こういう仕事があることを思い出すのは、なんだか嬉しい。

 別の言い方では、著者は修復師の仕事を「バトンリレー」に喩えている。外れた部材を接着剤でくっつけてしまうような修理は、よくない修理の代表例に挙げられるが、もとの部材が紛失せず、次の修理のタイミングまで伝わる利点もある。常に万全の修理を受けられればいいが、戦争や災害など緊急の際は仕方ない。次の修理者はぶつぶつ言いながら修理したとしても、それはそれでいいのではないか、というのは、いかにも現場に立った、大らかな意見で、いいなあと思った。
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中世を生きた人びと/寺社勢力(黒田俊雄)

2012-01-06 01:28:30 | 読んだもの(書籍)
○黒田俊雄『寺社勢力:もう一つの中世社会』(岩波新書) 岩波書店 1980.4

 年末に神田の三省堂で見つけた「アンコール復刊」の1冊。平安時代の中頃から戦国時代の末まで、600年間にわたり、「中世とともに興隆し、中世とともに衰退した」寺社勢力の実態について論ずる。私は、日本中世史に詳しくないので、難しいかなと思ったが、読み始めたら、時間を忘れるくらい面白かった。

 読み終えて、あらためて表紙を見て「もう一つの」って何だっけ?と首をひねった。「まえがき」に戻ってみたら、「今日一般になされているように中世の社会と国家のしくみを武士と農民を主軸に理解するのでなく、とかく社会の例外的な存在と扱われがちな寺社勢力」の歴史を「もう一つの異なった中世として描き出そうとした」と説明されていた。そうかー。本書の刊行された1980年には「武士と農民を主軸」とする日本史が圧倒的に主流だったんだな、ということを、しみじみ感じた。今日では、ずいぶん違っているのではなかろうか。

 私は学生時代に「武士と農民を主軸」とする日本史を、あまりきちんと学んでこなかった。そのため、今でも武家政権の指導者とか画期的イベントについての知識は、情けないほど乏しい。その一方、寺社詣好きと古美術好きが幸いして、本書を読んでいると、ところどころで知っている人名(僧侶)・地名(寺社)に出会うのが、楽しくてしかたなかった。

 ただし、本書は、著名な人物のエピソードを掘り起こしながら語るタイプの歴史書ではない。「中世前史」を語る冒頭こそ、9世紀初頭、渡唐して、新しい仏教をもたらした空海・最澄にスポットを当て、両者の個性の違いに言及するが、その後はむしろ「寺院大衆」とはどういう集団であったか、「真言宗」「天台宗」「南都諸宗」などの教団にどんな個性と特色があったか、寺院内あるいは寺院相互の抗争の類型はいかなるものであったか、寺院における決定(大衆僉議=だいしゅせんぎ)」では、具体的にどのような手続きが取られたか、等々が語られていく。僧侶たちの装束、所作、言葉(定型化した応答)などが、目の前に生き生きと浮かぶようで楽しい。

 「寺社勢力」が興隆をきわめた10世紀から12世紀、南都・北嶺を中核とする大寺院の周縁部に「聖」という言葉で総称される寺院外の宗教家の活動があったこと、また顕密仏教の内部からの改革運動や、異端的な宗教運動があったことにも、本書は目配りを怠らない。空也、法然、貞慶、高弁(明恵)などの活動は、この段で語られる。また、地方の寺院、貴族の氏寺、村堂・町堂、別所・草庵、さらに寺院と結びついた大小の神社にも、それぞれの生活があり、帰依者や篤信者があった。

 本書を読むと、中世とは、もちろん生きていくには大変な時代だったろうと思うのだが、大小さまざまな集団が共存し、学僧などある種の人々(あくまで「例外的な存在」なのかな~)は、意外と自由に往来していたように思われ、一面では、律令制の古代よりも、幕藩体制の近世よりも、のびのびした空気が感じられる。

 時代を追っていくと、13世紀末から14世紀は、公武の政治的安定が保たれ、寺社もその平穏に浴していた時代。叡尊、忍性、一遍など革新の第二波が現れる一方、禅宗の繁栄など、変容と混沌の兆しが見え始める。14~15世紀には、福神信仰、神秘主義の流行。寺院勢力に決定的な打撃を与えたもののひとつは一向一揆であり、もうひとつは戦国大名の領国支配と軍事支配だった。そして、最終的に信長・秀吉の登場により、天下は「統一権力の制圧下」になり、「一切の中世的社会勢力は滅亡」したと本書は結ばれる。著者の「中世」に対する愛着と哀惜が強く感じられる一文である。

 短い「あとがき」は、多くの問題を読者に投げかけているが、ここには一つだけ引いておこう。「寺社勢力は新しい権力にとって、その支配体制に組みこむことのできない異質の、独立的な存在であった」という指摘。そうであれば、寺社勢力とは、最も中世らしい勢力であったと言えるかもしれない。近世初期、多くの寺社が再建され、幕藩体制に照応した宗教体制が確立した。しかし、それを、中世の寺社勢力の末裔と見誤ってはならない。本書は、厚い霧の彼方に去ってしまった中世という時代を、しばし身近に引き寄せてくれる1冊である。
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金融化の迷宮/金融が乗っ取る世界経済(R・ドーア)

2012-01-03 23:20:59 | 読んだもの(書籍)
○ロナルド・ドーア『金融が乗っ取る世界経済:21世紀の憂鬱』(中公新書) 中央公論社 2011.10

 もともと経済は私の苦手分野であるが、最近は、さらにその程度が激しくなってきた。ニュース記事を読んでいても、何が起きているのか、全然分からない。いまの世界経済は、私がかつて高校で習ったような実体経済から、遠く離れたところに行ってしまったようだ。その変化をひとことで言えば、経済の「金融化」である。

 本書の第1部は「金融化」の中味を説明して、以下のように言う(抄録)。(1)先進工業国の総所得において、金融業に携わる人の取り分が大きくなる、(2)金融派生商品(デリバティブ)など新技術の導入によって、金融業者の仲介活動が複雑化し、投機的になっていく、(3)企業経営者の社会的責任が、株主という対象のみに絞られていく、(4)各国政府にとって「国際的競争力強化」の優先順位が上昇し、国民に対する「証券文化」の奨励に重点が置かれていく。

 これだけ読むと、だから?何か問題でも?と感じる読者もいると思う。投機的な「証券文化」が絶対悪だとは、著者も言っていない。しかし、第2部では、長期的な金融化傾向が生み出した社会現象を論じ、(1)格差拡大、(2)不確実性・不安の増大、(3)知的能力資源の配分への影響、(4)信用と人間関係の歪みを指摘する。

 ここでは(1)と(2)の解説だけ引こう。「金融化」以前の市場経済でも、複雑で専門的な仕事のできる人と、簡単な仕事しかできない人の収入格差は、労働市場の市場原理によって、どこまでも開いていくはずだった。しかし、実際の社会では「慣習」の力(同じ国民の間に甚だしい貧富の差があってはいけないという「社会的通念」)によって、一定の幅に抑えられてきた。「証券文化」は、この慣習を侵食しつつある。また、市場の圧力に起因する「選択肢の拡大」は、現役世代の雇用・賃金だけでなく、老後の生活をも不確実性に満ちたものにしてしまった。「投資家にならず、単なる貯蓄家に留まることが当たり前」だった世界への未練を感じるのは「私一人だけだろうか」と著者は慨嘆する。

 いや。やっぱり、90年代このかた、日本の社会は、アングロ・サクソン社会の基準に照らした「立ち遅れ」を取り戻そうとして、捨ててはいけない「慣習」や「安定」を捨ててきたのではないかと思う。第1部に詳述されているとおり、1990年には英国でも、法人企業のステークホルダーは、株主だけでなく「従業員、顧客、下請企業、債権者、地域社会および一般社会」と考えられていた。ところが、97年には「経営者および取締役会の最高の義務は、企業の株主に対するそれである」に変わっている。いったい何が起きているんだ、これは。

 そして、その尻馬に乗るように、この10年、日本の総理大臣も「貯蓄から投資へ」を説き、「リスク・テーク」の勇気を国民に奨励してきた。その結果が、いまの日本である。著者は、国家経済のパフォーマンスの測り方について、国民所得の成長率を他国と比べる方法(成長)とは別に、「格差拡大があまりなかったか、生活水準が上がったか、教育・医療・福祉制度が強化されたか」(進歩)というメルクマールがあることを挙げ、前者は小人の、後者は君子の捉え方である、と述べている。国家経済だけでなく、地方自治体も、企業も、教育機関も、もう一回この「君子の捉え方」を再考すべき時期なのではないかと思う。

 しかし、第3部、弊害是正をめぐる各国金融省庁や国際機関の試みについて読むと、あまり気持ちが晴れない。金融経済は、過度なリスク・テークに関し、個人にも企業にも、制裁や調整が働かないシステムであるというのだ。まず、個人トレーダーは、賭けに勝てば莫大なボーナスを手にすることができ、自分の失敗で会社が潰れても、何年間も生活に困らない。また、巨大すぎる法人企業は、倒産の社会的影響が大きいため、失敗しても公的資金で救われる可能性が大きいという。ええ~駄目じゃん…。

 結局、門外漢にとっては謎が多く、憂鬱が深まるばかりの読書であったが、経済の「金融化」を是とした「リスク・テーク」奨励には、眉に唾をつけて対処していこうと思った。
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万福寺に初詣/隠元禅師と黄檗文化の魅力(日本橋高島屋)

2012-01-02 23:28:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本橋高島屋 萬福寺 開創350周年記念『隠元禅師と黄檗文化の魅力』(2011年12月27日~2012年1月16日)

 明けましておめでとうございます。2012年もどうぞよろしく。

 今年は1月2日から東博の特別展が始まったり、いろいろ気になる展覧会があったのだが、大好きな万福寺(※以下、この表記で)の東京出開帳(?)ということで、初詣がわりに行ってみた。ネットの情報で、韋駄天立像が来ることは分かっていたが、あとは書画中心かな~と思っていた。デパートの催しだし。

 そうしたら、広い会場の一角は寺院のお堂を模し、手前には、礼拝用の楽器、奥の須弥壇ふうの展示台には、韋駄天立像と華光菩薩像が並んでいた。おお、華光菩薩に初詣ができるなんて(中華ファンとしては)ラッキー!と心の中で叫んだ。でも、万福寺では、全く離れたお堂に安置されている韋駄天と華光菩薩が、こうして並ぶのは珍妙だよなあ、と苦笑したが、あとで、日野の正明寺にも同じような並びがあったことを思い出した。

 二像の並び(外側)には、巨幅の『達磨像』と『関羽像(関聖帝君像)』。がきデカのこまわりくんみたいな悪相の関羽像は、2009~2010年の『道教の美術』展で見逃し、2011年、九州国立博物館の『黄檗』展で、ようやく見ることのできた因縁の作品。全く期待もしていなかったデパートの会場で再会してしまうのだから、妙なものだ。大きな靴の一方を掲げた達磨像は、すっかり「再会」のつもりでいたが、実は初見だった。『黄檗』展の図録の印象が、あまりに強烈だったもので。

 さらに両脇には、万福寺大雄宝殿の十八羅漢像から左右に3体ずつ。展示台が低いので、間近に眺めることができて嬉しい。迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)尊者というのでしょうか、足を崩した遊戯坐(ゆげざ)が優雅。でもこれは、膝のあたりに本(折本だな)を持ち、学問にいそしむ姿なのだそうだ。託迦(はんたか)尊者は、左手に掲げた鉢の中から龍を呼び出すところ。身を屈めた小さな龍が、フィギュアっぽくてかわいい。尊者の右手にあるのは、龍から取り上げた玉なのだろうか。

 会場内に流れる梵唄(ぼんばい)を楽しみながら、書画のセクションへ。ここでは、隠元禅師や黄檗僧の書画もさることながら、万福寺にゆかりの深い若冲にスポットが当たっていたのが、予想外だった(高島屋のサイトにはそんな情報はなかったので)。

 万福寺23世住持の肖像『蒲庵浄英像』は、若冲が還暦以後、改元ごとに年齢を加算した典拠とされる作品だが、写実と省略の共存が、絵画としてもすごく面白い。草堂寺の『隠元豆・玉蜀黍図』も出ている。隠元豆は、まさに隠元禅師が17世紀に持ち込んだもの、トウモロコシもWikiを見たら16世紀末の伝来で、本格的に栽培されたのは「明治初期」だというから、ずいぶん異国風な野菜だったんだろうな、若冲の時代には。

 若冲に影響を与えたといわれる鶴亭や蘭渓(河村)若芝の作品もたくさん出ていて、面白かった。若芝の『石灯籠図』、気持ちわるい絵だけど、気になる。

 地味なところで、あ、宝蔵院(万福寺の隣)の鉄眼版一切経の版木だ、と思ったら、『旧鉄眼版一切経版木』(愛知・長福寺)というキャプションがついていた。なぜ愛知に?と思って、いま調べているけど謎である。

 それから、隠元禅師の年譜を見ていたら、このひとは62歳で日本に来て、ついに本国には戻らず、82歳で没している。すごいな、この決断と行動力。元旦に、さまざまなセカンド・ライフに踏み出した先輩たちの年賀状を眺めたり、私も「現役」時代があと10年を切ったなあ、定年後はどう過ごそうか、などと考えたりしていたので、余計に感慨深かったのだ。

※残念だったのは、会場内に設けられた煎茶席がお休みだったこと。詳しくは高島屋のサイトで。

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