見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2012秋@関西:弘法大師行状絵巻の世界(東寺宝物館)

2012-10-31 23:00:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
東寺(教王護国寺)宝物館 秋期特別公開『弘法大師行状絵巻の世界-東寺と弘法大師空海-』(2012年9月20日~11月25日)

 10月初めに関西に来た時、この展覧会の前期を見ようとして、タッチの差で入館できなかった。心残りだったので、再チャレンジ。南北朝時代に作られた『弘法大師行状絵巻』12巻を、前後期に分けて全巻展示する展覧会である。10/22から後期が始まっている。

 後期は巻7~12の展示だというが、行ってみると初めに、いきなり巻9「講堂起工」の場面が開いていて、とまどう。奥に入ると巻8「東寺勅給」と巻7「高野結界」。巻8は、隣りに江戸時代の模本(金蓮院本)が並べてあったが、ものすごい改変というか再構成が施してあって、比較が面白かった。カメラ目線の牛が妙にデカいし、板間が全面畳敷きになっているし、装束も建築も全体に美々しく派手になっている。朱塗りの「朱」色もずいぶん違う(模本はオレンジ色に近い)。

 2階に上がると、巻10、11、12。巻7と10~12は、キャプションに「重要文化財」の表示がなかったので、はじめ、原本なのか模本なのか、よく分からなかった。というのも『弘法大師行状絵巻』といえば、原本にしろ模本にしろ、前半の空海入唐の場面を展示するのがお決まりで、後半の図像を見た記憶が全くなかったのだ。巻11は、承和10年の「東寺潅頂」の巻で、開いてる場面だけで、ざっと100人を超す華やかな大行列が続く。左の先頭は楽人たち(左右、オレンジと緑の装束)、続いて束帯姿の公家、僧侶は数人ずつ異なる色の袈裟を付ける。輿にかつがれた実恵。供奉の僧と童子が従い、見物の人々がこれを追う。巻12は、寛治2年の白河院の高野山臨幸だという。院は、丑の刻(午前2時)に高野政所を出立し、徒歩で登山したという。では、松明を持った侍臣たちに案内される、紫の装束の貴人が白河院か。まだ法体ではないんだな。

 おなじみの絵巻前半を見るより、かえって面白かったかもしれない。前期に観覧できなかったのは、結果的にラッキーだったのかも、と宝物館本尊(?)の千手観音像に感謝しながら、雨あがりの京都を後にした。
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2012秋@関西:宸翰(しんかん) 天皇の書(京博)

2012-10-31 21:49:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『宸翰(しんかん)天皇の書-御手(みて)が織りなす至高の美-』(2012年10月13日~11月25日)

 企画を知った時から友人と「渋いよね~」と言い合っていた。臆面もなく、こういう展覧会を開いてしまう京博が大好きである。分かりやすい「鑑賞ガイド」を置いたり、いろいろ工夫をしているけれど、どう考えても入館者数狙いの企画とは思えない。

 構成は、まず「宸翰のかたちと種類」で、時代を無視して名品に触れ、典型を学ぶ。後陽成天皇の大字「龍虎」「梅竹」は分かりやすくていいなあ。→次、早くも「書の手本 三筆と三跡」。空海の平素の走り書き(六行分)の断簡が美しくて見とれる。行成の『書簡(本能寺切)』は「水」や「楽」の字が優美で好き。「伝・行成筆」ばかり見ていると、印象が混乱してこのひとの真価が分からなくなってしまう。意識して真筆だけ見るように心がけたい。ここは同時代(平安前期)の天皇の宸翰として、後朱雀天皇の短い消息が展示されているが、これともう1点しか伝わらないそうだ。真面目そうな人柄のしのばれる筆跡である。「当今御筆 長久五年」という添え書きも同時代人によるのだと思うと、感慨深かった。

 次「宸翰様のはじまり」→「きらめく個性」と続き、嵯峨、高倉、後白河、後鳥羽、花園…と、書風も人柄も(治世の有り様も)個性豊かな天皇が次々登場。嵯峨天皇って「三筆」の一人に数えられているけど、『光定戒牒』が唯一の遺墨なのか。楷書・行書・草書を自在に行き来する見事な筆跡だが、巧みすぎて厭味に感じられるのは、乾隆帝みたいだ。近衛家熈がこれを双鉤填墨で写しているが、臨模にしか見えない。すごい。

 私は高倉天皇の「唯一の遺墨」だという消息に惹かれた。異母兄の守覚法親王に宛てたもので、平明で穏やかな筆跡である。身内宛てのせいか、癖のある書体を隠そうとしていないところに好感が持てる。

 後白河院は例の『文覚四十五箇条起請文』、後鳥羽院も『御手印置文』。後白河院の手形が、長い指を行儀よく揃えているのに対し、後鳥羽院は、指の間を広げて、ぺたりと両手を押しあてているのが、なんだか生々しい(死の直前だったと言うしな)。花園天皇の書風はいいな~。

 中央の大展示室では「書の達人 伏見天皇」を特集。和漢の書を自在にこなしたというが、前期は漢文が目立つ。後期(11/6~)は、もう少し仮名文字が増えるようだ。ただし、小野道風筆『屏風土代』と伏見天皇による臨模を並べて見ることができるのは前期のみ。なぜか、漢詩の順序が一致しないのが不思議だった。

 後半「個性を受けつぐ」→「新しい書を求めて」は南北朝に入る。後醍醐天皇を筆頭とする「情熱の赤」の南朝の書風、「理知の青」の北朝の書風が合体して「個性の紫」を生み出す、という見立てが面白かった(いま記憶で書いているので、間違っていたらすみません)。私は、光厳、崇光など北朝の書をいいと思った。どんな生涯をすごし、どんな事蹟を残した天皇か、よく知らなくても、遺墨を見ていると、不思議になつかしく感じられてくる。

 最後の「新時代の書」は、江戸から一気に近代まで。大正天皇の一行書「仁智明達」が素晴らしくいい。床の間に飾りたい。最後は昭和天皇で〆る。

 あまりに面白くて、時間の経つのをすっかり忘れた。非常に多くの宸翰を残している天皇もいれば、わずか1点、または数点しか残していない天皇もいるんだなあ、と初めて知った。時代によるわけでもなく、必ずしも生涯の長さや書の巧拙によるわけでもないらしい。それと、仁和寺が「天皇家のアーカイブ」として果たしてきた役割の大きさを感じた。

 開館(9:30)とほぼ同時に入ったのだが、気がつけばもう12時過ぎ…。がーん。大津歴博行きは断念。強くなってきた雨空を見ながら、次の行き先を考える。
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