昨年(2011年)に続き、二度目の大津祭に来てしまった。縁ができるとこんなものかな。
京都の祇園祭に比べると、ずっとのんびりしていて、全体に街が暗いので、提灯(もちろん電灯だけど)の明かりが際立って、懐かしい感じがする。

宵宮の楽しさは、曳山(町内)によって異なるお囃子を聴き比べて歩くところ。

子どもたちが叩いているのは「鉦」。博物館の展示ケースでしか見たことがなかったこの楽器の音色が耳に、というより体に沁み通っていく。

祇園祭ほどではないが、ときどき、こんなしつらえをしている旧家も見かける。

同じ家の一階。昨年のアルバムを見たら、昨年はこの人物画屏風がニ階に飾られていた。

ひととおり曳山を見てまわり、最後に到着したのが西行桜狸山。ところが、からくり(人形)だけで、昨年、印象的だった「狸面」がない。あれ?どうして?と思い、聞いてみようと思っているところに、サアッと雨が落ちてきたので、あきらめて、駅に急いだ。あとで昨年のアルバムを確かめたら、からくりと狸面は、別の家に飾られていたようだ。
翌日の本祭は見られなかったけど、ちま吉ウェブサイトによれば、よく晴れたみたい。よかったね。縁があったら、また来年。
京都の祇園祭に比べると、ずっとのんびりしていて、全体に街が暗いので、提灯(もちろん電灯だけど)の明かりが際立って、懐かしい感じがする。

宵宮の楽しさは、曳山(町内)によって異なるお囃子を聴き比べて歩くところ。

子どもたちが叩いているのは「鉦」。博物館の展示ケースでしか見たことがなかったこの楽器の音色が耳に、というより体に沁み通っていく。

祇園祭ほどではないが、ときどき、こんなしつらえをしている旧家も見かける。

同じ家の一階。昨年のアルバムを見たら、昨年はこの人物画屏風がニ階に飾られていた。

ひととおり曳山を見てまわり、最後に到着したのが西行桜狸山。ところが、からくり(人形)だけで、昨年、印象的だった「狸面」がない。あれ?どうして?と思い、聞いてみようと思っているところに、サアッと雨が落ちてきたので、あきらめて、駅に急いだ。あとで昨年のアルバムを確かめたら、からくりと狸面は、別の家に飾られていたようだ。
翌日の本祭は見られなかったけど、ちま吉ウェブサイトによれば、よく晴れたみたい。よかったね。縁があったら、また来年。