見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

江戸のダンディズム(根津美術館)+江戸の悪(太田記念美術館)

2015-06-11 21:41:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 『江戸のダンディズム-刀から印籠まで-』(2015年5月30日~7月20日)

 刀剣の拵(こしらえ)や印籠など、男性の装身具に注目した展覧会。ということになっているが、冒頭には、刀剣の「拵」ではなく、刀剣そのものがずらりと並んでおり、若い女性を中心とした刀剣ブームを絶対意識しているよな、と思わせる。しかし根津美術館のコレクションに、こんなに刀剣があるとは知らなかった。こんなブームが来なければ、見る機会もなかったと思うので、感謝。私は刀剣にはあまり興味がないが、刃文の「乱れ刃」は美しいと思う。刀身には彫刻などない、シンプルなものがよい。今回の展示品では「銘 武蔵大掾藤原忠広/元和十年二月十八日」の脇指がよかった。

 それから「銘 月山貞一造之/明治三十六年春」は、平家の重宝「小烏丸(こがらすまる)」を明治時代に写したもの。Wikiによれば「日本の刀剣が直刀から反りのある湾刀へ変化する過渡期の平安時代中期頃の作と推定され、日本刀の変遷を知る上で貴重な資料である。どこまで史実か分からないが、桓武天皇にさかのぼる由来も興味深い。「壇ノ浦の戦い後行方不明になったとされたが、その後天明5年(1785年)になり、平氏一門の流れを汲む伊勢氏で保管されていることが判明し」(中略)「明治維新後に伊勢家より対馬国の宗氏に買い取られた後、明治15年(1882年)に宗家当主の宗重正伯爵より明治天皇に献上された」のだそうだ。刀身は直刀ではなく反りがあるが、Wikiによれば「刀身全体の長さの半分以上が両刃」である。スッと尖った先端の形状が、他の桃山~江戸の刀(鎬造/しのぎづくり)と全く違う。会場の解説パネルを見て「菖蒲造」というのが近いかな、と思ったが、これはまた違うジャンルの刀剣をいう用語らしい。「断ち切ることに適さず、刺突に適した形状」というのは納得できる。刀剣の形状が違うということは、戦い方もずいぶん違っただろうと思う。

 思わず「江戸」と関係のない、古い時代の刀剣の姿に深入りしてしまった。印籠では、塩見政誠作「落款印章蒔絵印籠」(江戸・18世紀)が欲しいと思った。画家や文人の落款を全面にあしらったもので、現代のミュージアムグッズにもありそう。牧谿、易元吉、王摩詰の名前を確認した。「伽噺図揃金具」は、刀の鍔など、男性の装いにかかわる小さな金具類が、全ておとぎ話のモチーフで統一されている。雀とハサミとか、流れ下る桃とか、さりげない感じがよかった。

 展示室2「唐詩の書」は、そんなにあるのかしらと思ったが、和漢朗詠集の断簡はたくさんあるのだな。伝・藤原佐理筆「白氏詩巻」は整いすぎた感じがする。古筆の模写らしい。野舟道間(やしゅうどうかん)筆「杜詩」が気に入ったが、元時代の人で、これが唯一の遺品。石室善玖の「寒山詩」(南北時代)もよかった。のびやかな一の字が好き。展示室5は「北野天神縁起絵巻」(根津本)の巻4-6。
 
太田記念美術館 『江戸の悪』(2015年6月2日~6月26日)

 根津美術館から歩いて移動。土曜の午後の美術館は、驚くほど混んでいた。やっぱり「悪」とか「妖怪」とか、みんな好きだなあ。ポスターが「血まみれ芳年」こと月岡芳年の作品だったので、血みどろ作品ばっかりだったらどうしよう、とおそるおそる出かけたのだが、それほどではなかった。芳年が特殊すぎるのだな。

 伝説上・架空の人物から当時の江戸を騒がした実在の大盗賊・小悪党まで、江戸の「悪い人」たちが大集合。しかし、芝居のヒーローとして描かれたものは、だいたい小ざっぱりとして男っぷりがいい。作品には星の数で悪人度が示されていて面白かった。四谷怪談の民谷伊右衛門は、もちろん最上級の星五つ。

 美人画ばかり描いていたと思っていた楊洲周延に、けっこう「悪」を描いた作品があったのが印象的だった。「盛衰記西八条別館の図」は美女を侍らせる平清盛の図。いやがる白拍子の手を引いて、どこぞに連れ込もうという趣き。「玉藻前」は凄艶で怖い。展示図録はなし。展示リストも「ありません」とつれなかったが、ホームページには掲載されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三種聴き比べ/声明を楽しむ(国立劇場)

2015-06-10 21:05:01 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 第3回伝統芸能の魅力・声明を楽しむ(6月6日、11:00~)

 なんとなく気になるけれど敷居の高い伝統芸能について、解説つきで比較的短時間・安価なプログラムを提供するシリーズ。いい試みだと思う。幕が開くと、舞台上には10人ほどの僧侶が横一列に並んでいて、短めの一曲を唱える。あとで浄土宗縁山流の皆さんだと分かった。続いて、講師の茂手木潔子先生が登場し、声明について解説する。仏様に捧げる声の音楽には、宗派によっていろいろな呼び名があるが、国立劇場では設立以来「声明(しょうみょう)」で統一しているとのこと。声明は、西洋音楽のように絶対的な音階に基づくのではなく、はじめに声を出す人の音が基準になるので、演じるたびに微妙に旋律が変わるという(※音楽用語は不正確です)。日本の僧侶がヨーロッパの教会で声明を演じた際、石造の建物は、音の反響が木造と全く違うので苦労した、という話も面白かった。

 続いて今日の主役である浄土宗縁山流の僧侶三人が登場し、同派の特徴的な節回しを実演してみせる。縁山流は徳川将軍家の菩提寺である増上寺に伝わるもので、はじめは天台宗の僧侶を京都から連れてきて、法会で声明を演じさせていたが(そのための声明長屋なる宿泊施設?もあった)、やがて「江戸」独自の声明が、1650年頃に成立した。家康の文化的野心が見えて面白い。増上寺には文化センターの役割があったのかな。絵画では狩野家との結びつきも強かったはず。聞かせてもらった旋律は、非常に技巧的で、長唄や小唄など、江戸の世俗的な音曲のもとになったというのも分かる気がした。

 さらに舞台には三人ずつ二組の僧侶が登場した。スツール(背もたれのない丸椅子)に腰を下ろした、と書こうと思ったが、あれは平安時代の節会等で使われた「草とん(そうとん)」かも知れない。向かって左、天台宗の僧侶は、明るい薄茶色の衣に同色の袈裟。中央、浄土宗縁山流の僧侶は黒紗の衣に濃茶一色の袈裟。右、真言宗豊山派の僧侶は、黒の衣に格子のはっきりした袈裟。袈裟のつけ方もそれぞれ微妙に違っていて面白い。

 そして「四智梵語讃」という同じ曲を、各宗派の旋律で聞きくらべる。天台宗は、いかにも平安時代の貴族の好みを思わせ、音の起伏が少なく、急がず慌てず、ゆったりと音を引っ張る。「公演では30分もすると、ほとんどのお客さんが寝てます」と嘆いて(?)笑いを誘っていたが、確かに私も天台宗の声明公演では眠気に勝てなかった経験あり。それに比べると、縁山流は江戸文化だなあ。なんというか、せわしない。真言宗豊山派は、縁山流ほど短気ではないが、装飾音をちりばめて、キラキラと華やか。個人的に、いちばん好きなのは真言宗かな。

 三組とも後ろの二人は鳴り物を抱えていた。シンバルみたいな「鈸(はち)」と、銅鑼みたいな「鐃(にょう)」。これも宗派によって、形や鳴らし方が少しずつ違う。鐃(にょう)は、響かせ過ぎないという点は一致していて、本体を身体に密着させ、撥は押し付けるように叩く(弾ませない)。縁山流は、袈裟の紐の一部が胸の前に垂れているのを利用し、その上から叩くという念の入れよう。鈸(はち)は、楽器の縁を擦り合わせるようにして音を出す。真言宗では左手の鈸(はち)を動かさず、右手だけ円を描くように動かす。

 最後に客席も声を出して、縁山流の節回しをうたってみるワークショップもあって、面白かった。阿弥陀様に聞こえるように、とにかく大きな声を出すのが修行です、とおっしゃっていたな。

 休憩後の第二部。縁山流のお坊さんが華やかな法衣と袈裟に着替えて再登場。「四智梵語讃」「散華」「伽陀」「開経偈」「歎仏頌」「笏念仏」「唱礼」「讃嘆」「同称十年」を唱える。笙、篳篥と龍笛も混じって、楽しかった。短かったこともあるが、旋律に変化があるので、確かに天台声明ほど眠くならない。なお、舞台の奥には、増上寺から持ってきていただいたという山越しの来迎阿弥陀図が掛けてあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美少女・美少年/高畠華宵(松本品子編)

2015-06-09 23:27:12 | 読んだもの(書籍)
○松本品子編『高畠華宵:大正・昭和・レトロビューティー』 河出書房新社 2011.12新装版

 最近、弥生美術館に『日本の妖美 橘小夢展』を見に行ったとき、久しぶりに常設展もゆっくり見た。隣接の竹久夢二美術館もよかったが、高畠華宵が妙に面白くて、参考資料を2冊も買ってしまった。これはその1冊。

 高畠華宵(1888-1966)はWikiでは「大正から昭和初期に活躍した、日本の画家」ということになっている。竹久夢二(1884-1934)と生年は近いが、ずっと長生きした。夢二のほうが芸術家(画家・詩人)として高く評価されており、知名度も高いと思う。華宵は通俗雑誌の挿し絵や商品広告など、商業美術で人気を博した画家のイメージが強い(私の場合)。しかし、その「人気」の度合が並大抵のものでなかったということを、弥生美術館の展示で、あらためて認識した。

 華宵の描く女性像は、戦後の少女マンガの直系の先祖ではないかと思う。特徴的な三白眼は、目を大きく印象的に見せる描き方だ。小さく結ばれたおちょぼ口は喜怒哀楽の表情を隠し、見る者の気持ちを騒がせる。それから、女性らしいやわらかな肉づきを感じさせる曲線美。神経のゆきとどいた手先のポーズ。これらは、70年代から90年代くらいまでの少女マンガの定番的な絵柄にとてもよく似ている。

 華宵は美少年も描いている。それも本書に収録されているのは、腹掛けにふんどしで、後ろから見るとほぼ裸体だったり、危ない嗜好の持ち主だったんじゃないか、と思うもの多し。やはり三白眼とおちょぼ口の超美少年で、エロい。そういうところも、ある種の少女マンガ的である。

 華宵先生、とにかく大変な人気だったらしい。本書には「華宵便箋」とか「華宵浴衣」の当時の広告がそのまま収録されていて興味深い。それ以上に目をむいたのは、華宵御殿と呼ばれた自宅(鎌倉の稲村ヶ崎にあった)でくつろぐご本人の写真である。前髪がいくぶん後退した普通のおじさんが、どてら(?)姿で座り、膝の上の手紙を読んでいる。花頭窓みたいな入口の奥は寝室らしく、レースつきのカーテンが左右に垂れている。ほかにも、スーツ姿で机に向かい(卓上にはアールデコ風のランプ)(額に手を当てて、アンニュイな雰囲気)で「仕事中」の華宵など、「やらせ」感が強くて、笑いがこみあげてくる。まあ、姉さん被りで仮装している写真もあるくらいだから、「やらせ」というより、本人が「演技」したがったんだろうけど。面白いなあ、このひと。

 戦後は絵本や児童書の挿絵を描いているが、戦前とはずいぶん絵柄が違う。エロティシズムが影をひそめ、生真面目で硬質な感じ。世相の変化についていくのに苦労をしたんだろうな。当時の児童書はわりあい長く読み継がれていて、私はこの頃の華宵の絵本を、それとは知らずに読んで育った記憶がある。やがて仕事はほとんどなくなり、失意のうちに渡米するが、生活は困窮し、自殺を考えるほど追いつめられた。それでも晩年には再評価の機運が高まり、弥生美術館の開館も見届けて逝去したというから、少し安堵する。

 本書にはゆかりの二氏のインタビューが収められている。ひとりは門下生の森武彦氏。十二歳で家出して神戸から華宵に会いに来たというから、行動力がある。「現在、弥生美術館副館長」という注記を見て、エエエと驚いた。もうひとりは古賀三枝子氏。生涯独身だった華宵が、唯一アトリエに入ることを許した女性だという。こちらは「現在、弥生美術館館長」と知って、さらに驚いた。周囲の人たちを含めて、ほんとに面白いなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊びの哲学/中国人はつらいよ(大木康)

2015-06-08 20:35:53 | 読んだもの(書籍)
○大木康『中国人はつらいよ-その悲惨と悦楽:伝統から彼らの実像を知る』(PHP新書) PHP研究所 2015.2

 PHP社の出版ラインナップを見ると「嫌中嫌韓本」の嫌疑をかけられている(私は読んでいない)本とか、タイトルから見て「日本すごい」を言いたいらしい本が並んでいるが、本書はその類ではない。著者は明清「軟文学」を専門とする中国文学の研究者。本書は伝統を踏まえつつ、中国人のメンタリティを解説したもの。

 序章において著者はいう。総じて言えることは中国の人々は元気である。時に文句を言いつつも、日々を前向きに、楽しそうに生きている。実は、みなかなり厳しい状況の中で生きているにもかかわらずである。…ここは全面的に同意。しかし中国人の、いつも元気で前向きな様子に苛立つというか、辟易する日本人も多いのではないかと思う。そういう人は、残念ながら中国文化との相性が悪い。私は彼らの明るさ、たくましさが嫌いではない(少なくとも少し離れて見ている限りは)。

 中国に生きる人々の苦労はどこからくるのか。著者は「官」と「民」の間の深い溝、皇帝を頂点とする官僚機構が庶民を搾取してきた歴史を、俗文学の逸話を織り交ぜつつ語る。そんな社会で人々が生きていく拠り所となったのが「宗族」ネットワークである。それぞれの宗族内部には強い団結力が働くが、宗族どうしはきわめて排他的である。孫文は中国人は「散砂の民」であると言い、中国には家族主義、宗族主義はあっても国家主義がないと述べたという。これは直感的にすごく分かる。中国人の「反日」を糾弾する日本人を私があまり信用しないのは、中国人が(いくら政府に教育されても)「国家主義」を身につけるとは思えないからである。

 中国人にとっては血縁地縁の外にいる人間は人間ではない。いったん知り合って、人間関係の枠の中に入ったら、とことん尽くすが、赤の他人には遠慮も尊重もしない。やはり中国文学研究者の加藤徹さんも同じようなことを書かれていたと思う。あまり共感はできないが、言いたいことは分かる。中国(人)とつきあうには、押さえておくべき文化だと思う。著者の同僚の中国人研究者は、中国には父親とか母親とか上司とか具体的な人がいるだけで、抽象的な、それぞれ基本的人権を持った人間というのものがいない、と語っていたそうだ。ゆきとどいた自己省察だと思う。

 さて、著者の専門の文学の話。中国文学は「不平不満」の文学である。一見「楽しみ」を詠んでるように見えても、その裏には悲観的な人生観がある。しかし、歴史的に見ると(とりわけ詩について)唐の中期ごろを境に悲観的文学から楽観的文学への変化が見られるという。おお、そうなのか。一般的な日本人は、唐までの詩しか読まないからなあ。

 そして、中国人が見出した「遊び」と「楽しみ」、漢詩、玩物、美食、美人、庭園などについて詳しく紹介する。生きにくい社会の分析で始まりながら、最後は「楽しみ」のカタログに落ち着くところが、やっぱり著者も中国人的メンタリティの持ち主だと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腐敗とのたたかい/日本酒の近現代史(鈴木芳行)

2015-06-07 17:53:46 | 読んだもの(書籍)
○鈴木芳行『日本酒の近現代史:酒造地の誕生』(歴史文化ライブラリー401) 吉川弘文館 2015.5

 以前読んだ飯野亮一氏の『居酒屋の誕生』は、酒を飲ませる店の話が主であったが、上方から江戸へ船で運ばれてくる「下り酒」など、酒の造り手にかかわる話も少し出てきて興味深かった。今度は造る側の歴史を知りたくて、本書を手に取った。

 はじめに江戸時代以前の日本酒づくりをさらりと概観する。戦国時代前期には、天野山金剛寺の天野酒など寺院でつくられる銘酒が知られていた。この中から、奈良の正暦寺で諸白(濾過された澄み酒)が創製され、奈良町中の寺院で諸白づくりが盛んに行われた。戦国末期から江戸初期には、寺院に代わり、都市の町方の酒造家が登場する。この頃、新たに加わったのが「火入れ」(風味の調整と腐敗防止)という技術である。ちなみにパスツールが低温殺菌法を発明する300年も前のこと。これはもっと評価されてよい。

 元禄時代には伊丹において「寒づくり三段仕込み」が成立する。発酵には夏の暑い時期が仕込みの適期だが、腐敗を避けるには冬季のほうが望ましい。このあたり、腐敗という言葉が何度も繰り返され、日本酒って腐るものだったんだ、という当たり前の事実を再認識する。

 江戸時代前期、酒造業は(伊丹を除き)東日本が優勢だったが、西日本に有力酒造地が次々誕生していく。銘水「宮水」(西宮の水)の発見によって、灘の酒造業が最盛期を迎えるのは文化・文政頃。伏見酒の登場はさらに遅くて、大倉恒吉商店(月桂冠)の奮闘によって、明治後半から急成長する。大倉商店は、従来の樽取引に対抗し、「衛生無害防腐剤ナシ」の封かんつき瓶詰め清酒で評判を得る。ここでも腐敗が焦点になっている。なお、一升ビンが普及するのは関東大震災以後(樽造りに必要な木材が高騰したため)、腐造(腐敗)問題が終結するのは、科学的な日本酒造りが進む昭和初期を待たなければならない。漠然と「伝統」だと思っていることの始まりって、意外と新しいんだな。

 また、広島県の内陸部にある西条の酒造業が発展の機運をつかむのは、山陽鉄道の開通だった。賀茂鶴、美味いよね。広島酒の銘酒ぶりが喧伝されるのは大正初め頃からだという。そういえば、ドラマ「マッサン」で、亀山政春が妻のエリーを連れて、実家の造り酒屋(広島)に帰国するのも大正の中頃の設定だった。広島酒の全国商品化にあたっては、三浦仙三郎という功労者がいた。初めて聞く名前だが憶えておこう。Wikiによれば、竹鶴政孝(マッサンのモデル)の父親・竹鶴敬次郎は、三浦とともに広島で酒づくりの改良に取り組んだ蔵元たちのメンバーの一人だったともある。

 戦後は「四季醸造」(寒造りに限定せず、一年間を通して仕込み、生産増加を図る)が実現し、機械化が進展した。不思議というか面白いのは、有力な酒造地が、再び東日本優勢に反転していることだ。平成24年の出荷量では、兵庫、京都は別格として、そのあとに新潟、埼玉、秋田が続いている。そうだなあ、私が関東人のせいかもしれないが、美味い日本酒というと、北日本のイメージがある。埼玉はちょっと意外。

 それにしても「吟醸」とか「寒造り」とか伝統的な修辞を使われると、イメージだけで美味しそうに感じるのだが、実際は技術の進歩や機械化があってこそ、今日、安全で美味しいお酒が飲めるんだなあと思った。乾杯。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21世紀の海禁策/中国のインターネット史(山谷剛史)

2015-06-06 22:23:56 | 読んだもの(書籍)
○山谷剛史『中国のインターネット史:ワールドワイドウェブからの独立』(星海社新書) 星海社 2015.2

 中国やアジアを専門とするITライターである著者が、足掛け14年の観察をもとにして書いた中国インターネット史。まず「前史」は、80年代のテレビの普及から始まる。テレビの普及とともにテレビゲーム(ファミコン互換機)も普及。90年代にはVCDが普及したが、2000年以降はDVDに取ってかわられる。パソコンは、90年代前半には一部の教育機関や行政機関に導入されるようになり、99年には中国を代表する電脳街・中関村ができた。私は、90年代の後半から最近まで、年に1回は中国旅行に行っていたので、本書に書いてある風景を、断片的にだが見聞きしてきた記憶がある。

 中国のインターネットが一般に開放されたのは1995年、ユーザーが顕著に増え出すのは1997年以降のことだという。思い返してみると、私も職場で、つねにインターネットにつないだPCを供与されたのは1995年頃だった。自宅でインターネットを使い始めたのは2000年頃だったから、中国のインターネットユーザーと、あまり時間差がないことが分かる。2000年には、新浪、捜狐、網易、百度などのネット関連企業が立ち上がる。私は、ようやく多言語を扱えるようになってきた日本語ウィンドウズPCで、これらの中国語サイトを見に行って、わくわくしていたものだ。

 2002年から2005年までに中国のインターネット人口は急激に増加し、2006年頃から中高年も、主に投資ビジネスのためにインターネットを利用するようになる。2008年の北京オリンピックを経て、経済発展は留まるところを知らず、SNSが普及し、携帯やスマホからのインターネット利用が増加し、新たな技術、新たなサービスが刻々と人々の暮らしを変えていく。わずか20年のタイムスパンであるが、チャットソフト「QQ」とか「超級女声」ブームとかニセiPhoneとか、あったあった、という懐かしい話題も多かった。

 一方、本書から初めて認識したこともある。中国におけるインターネットの普及は、政府の強い指導の下に実現したものであること。90年代後半、金橋工程(市民がインターネットを利用できる環境をつくる)など「金」を冠した複数の「金字工程」による総合的な情報化が、国策として進められた。そして、ネット統制のための法整備も、情報化の推進と不離不即に行われていた。日本とは、そもそも通ってきたコースが違うんだな(日本では、個別サービスにおける禁止事項が先にあり、サービスの普及に従って法整備に発展した)。

 インターネット黎明期の統制はゆるやかだったが、2006年には人民日報がネット世論を研究し始め、現在まで人民日報はネット世論を観測する機能を持っている、というのも初耳。ただの新聞社じゃないんだな。しかし、政治がどんなに苛烈でも、何とかやっていくのが中国人民の伝統。中国のインターネットユーザーにとって、政府による統制は自明の前提なので、禁忌に触れそうな書き込みがあると「和諧されちゃうよ!(被和諧)」というのだそうだ。検閲ソフトを萌え擬人化した「グリーンダムたん」というキャラも作られている。

 圧倒的多数の中国人は、政治にも社会問題にも強い関心はない。だから、GoogleやFacebookやTwitterなど西側のサービスが使えなくても、中国独自のサービスだけで、どうやら十分満足しているらしい。なんか明清の繁栄を保った海禁政策みたいだ。しかしどんな大国も世界の情報を遮断してしまったら、国力が衰退するのではないかと思うが、そこは中国の場合、エリートはどんどん海外雄飛して活躍し、一般民衆は国境内に閉じ込めておくというダブルスタンダード政策なんだろうな。振り返って、日本は自由なインターネットの利用が許されているけれど、多くの日本人は日本語サービスしか利用していないから同じことなんじゃないかと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

必見!室町~江戸の日本美術史/ドラッカー・コレクション(千葉市美術館)

2015-06-02 21:25:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 開館20周年記念記念展『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画 「マネジメントの父」が愛した日本の美』(2015年5月19日~6月28日)

 ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)といえば「マネジメントの父」と呼ばれる経営学の泰斗、というくらいのことは私でも知っている。しかし経営だの経済だのには本当に興味がなくて、ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(もしドラ)が「小説」であるということさえ、さっきWikipedeiaで初めて知った。まして、そのドラッカー先生が日本の水墨画のコレクターだったとは、この展覧会の宣伝を目にするまで全く知らなかった。

 けれども、なんとなく気になる匂いを嗅ぎつけて見に行き、驚愕した。日本美術ファン必見の展覧会だと思う。国内コレクションを中心とする名品展だと、ある程度、旧知の作品が混じるので、時間がなければ斜め見することもできるが、今回の展示品110件余は、ほぼ私の知らない作品ばかりだった。最初期の雪村、晩年の蕭白。秋月等観に海北友松も! 特に室町~桃山の水墨画をこんなにまとめて見られる機会は、そうあるもんじゃない。

 展示の冒頭は山水画が中心で、次に「花と鳥」(動物画)、それから「聖なる者のイメージ」(仏画、人物画)が集められている。ドラッカーの山水画の好みは、風景の中に人物(牧童や漁夫、高士など)が小さく書き込まれたものが多く、中国の伝統に近い気がした。動物画、人物画のセクションには、江戸の絵画もかなり集められている。若冲、蘆雪、谷文晁、英一蝶や久隅守景もあり。山本梅逸の清新な『花鳥図』とか渋いなあ。でも名前で買っているわけじゃないんだろうな。さらに、江戸の禅画(白隠、仙)、文人画と続く。

 秋月等観の『育王山図』は縦長の画面にそびえ立つ山塊(霞かもしくは月光に朦朧と浮かんでいる)を描き、中国絵画っぽい(というか雪舟っぽいのかも)。「蛇足」印の『山水図』も画面の奥へ積み上がっていくような山など、空間構成が面白い。牧松の『山水図』は浮遊感があって、江戸の文人画のさきがけみたい。玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぼう)の『蘭石図』は、ただの墨線みたいに抽象化された蘭葉ののびやかさが目を引く。

 解説によれば、ドラッカー・コレクションの三分の一は江戸時代の文人画(南画)であるそうだ。ドラッカーは、文人たちの出現に「氏や冨や武士の体制とは異なる、学問と芸術に基づく日本で初めての実力社会」すなわち最初の「近代」社会の誕生を見ていたという。ううむ、江戸の文人画の価値を、こんなふうに文明史的に説いてくれる批評家はなかなかいない。

 池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂、彭城百川、木村蒹葭堂も。貫名海屋の『山水図』は、明清の新しい中国絵画を思わせる。中村竹洞の『夏冬山水図』「夏雲欲雨」「寒厳積雪」と題した二幅対で、黒と白の対比が抽象画のようで、江戸時代の画家が描いたとは思えない作品だった。安村敏信先生がブログ「萬美術屋」でこの作品を取り上げていて嬉しい。横井金谷の『月夜山水図』『蜀道積雪図』もよかった。前者はかなり抽象的。金谷の絵は「アメリカのコレクションに多く、日本をしのぐ人気」だという。日本に残っている作品だけで日本美術を語ると、偏る面があるかもしれない。

 会場には、ドラッカー氏の著書や原稿、遺品なども展示されており、興味深かった(ここに来るまでは、何の興味もなかった人物なのに)。昭和61年(1986)には、根津美術館や大阪市立美術館でドラッカー・コレクションの水墨画の展覧会が行われている。今回の公開は、それ以来、ほぼ30年ぶりだという。いやー素人美術ファンとしては知らないはずだわ。ドラッカーには『日本画の中の日本人』など、日本美術についての著作があることを知り、読んでみたくなった。そして、美術論だけでなく、マネジメント論も読んでみようかしら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目で見るグローバルヒストリー/大英博物館展(東京都美術館)

2015-06-01 23:29:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京都美術館 特別展『大英博物館展-100のモノが語る世界の歴史』(2015年4月18日~6月28日)

 ふだんの自分の関心からは遠かったので、あまり期待せずに見に行ったら、面白かった。100の作品、というより「モノ」を通じて「200万年前から現代に至る人類の創造の歴史を読み解こうとする試みだ」という。入場してすぐ「プロローグ」で目に入るのは古代エジプトの人型の棺桶。なるほど、大英博物館といえば、エジプトのミイラである。歩み寄りかけて、ぎょっとなったのは、隣りに並んでいる、四足を踏ん張った、少し胴長の大きな木製のライオン。背中の蓋が開くらしい。「参考展示」の注釈がついていて、実は日本のみんぱく(国立民族学博物館)が所蔵する、現代ガーナのライオン型棺桶だと分かった。ガラスケースの中に展示された木彫りのビール瓶とナマズも、棺桶の小型レプリカだと分かって、さらにびっくりした。ガーナには、故人にゆかりの品物や動物のかたちの棺桶を造る習慣があるそうだ。

 これで、エジプトのミイラの棺とか、ギリシャ彫刻とか、メソポタミアの粘土板とか、古代文明の遺物と向き合う厳粛な気分が軽く脱臼してしまった。確かに今の私たちにとって、それらは貴重な文化財かもしれないが、当時の人々にとっては「日用品」の一部だったものもあるのだ。

 本編の最初の展示は、200万~180万年前の作といわれる礫石器である。この頃、人類は、自然界にあるものとは異なる何かを自ら創り始めた。生活を高めるための道具。見て楽しい(?)動物の姿を模した芸術品。各室には、年表と世界地図が掲げられ、展示品が「いつ」「どこで」作られたものかを示す。ただし面白いのは、1万年以上前の槍先と紀元前5000年頃の縄文土器と19~20世紀に採集されたアボリジニの編み籠が一緒に並んでいることだ。

 別の部屋でも紀元前のアメリカ先住民のパイプ、100-500年頃のマヤ文明の儀式用ベルト、100-300年頃のガンダーラ石仏、700年頃のウマイヤ朝カリフの金貨などが並んでいる。壁の年表と世界地図によって、類似する品物が、異なる地域で異なる年代に制作されていることや、ある大陸に有名な古代文明が存在した頃、別の地域では何が起きていたかを確かめる。今まで習ったことのない、全く新しい「世界史」像が目の前に開けていくような感じだった。縄文土器や柿右衛門の陶器、木版画など「日本」の創作物を、世界の歴史の中に位置づけて眺める経験も新鮮だった。本展に選ばれた100の創作物は、どれも異なる価値を持っており、「Aの文明はBの文明より優れている」という優劣論の馬鹿馬鹿しさが実感できる。

 展示は、単線的ではないにしろ、少しずつ歩みを進めて、ついに現代に至る。クレジットカードにソーラーランプ。そして、ロシア革命の絵皿、アフガニスタンの戦争柄の絨毯、銃器の部品で作られたアート作品「母」像。人類の歴史が、明るく希望に満ちた面ばかりでなかったことに、本展はきちんと言及している。

 100の「モノ」によって語り進められてきた人類の歴史。「エピローグ」では、本展の担当学芸員が選んだ101番目の「モノ」として、紙管を用いた避難所用の間仕切りが取り上げられていた。この選択はとてもいい。「プロローグ」と「エピローグ」で放映されている大英博物館館長のビデオメッセージも感銘深くて、大英博物館に行きたくなってしまった。

[追記]このあと、西洋美術館で『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』(2015年3月3日~5月31日)を見てきたことを付け加えておく。たぶん単独でレポートを書いているヒマがないので。嗜虐的な美形のアポロが魅力的だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスショー"Fantasy on Ice 2015 幕張"

2015-06-01 01:23:06 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2015 in 幕張(2015年5月30日16:00~、5月31日13:00~)

 2010年に初めて見に行ったアイスショーがこのファンタジー・オン・アイス。海外男子スケーターに贔屓が多い私には、いつも大満足の出演者で、以来、2011年、2014年と新潟へ見に行った。今年は新潟公演がないので、どうしよう、いちばん近い幕張に行くか、と考えていたら、4月末に羽生結弦選手の参加が決まったとたん、あらかたチケットがなくなってしまった。慌てて二日目は最安のB席をなんとか購入できたが、千秋楽もあきらめきれず、チケット売買サイトでSS席を手に入れた。

 まず二日目(土曜日)。開場の少し前に到着すると恐ろしい人数が並んでいる。圧倒的に女性で、40~50代くらいが多い(他人のことは言えないが)。聞くともなしに会話を聞いていると、羽生くんのファン多いなあ。新潟や札幌などの地方公演だと、もう少し男性や地元のおじいちゃんおばあちゃんもいたんだけど、首都圏は客層が違う。

 この日の席は3階の最後列だった。選手には遠いが、視界が広くて、リンク全体が見渡せたのは利点。前日のツイッター情報で、選手の登場順やプログラムが分かってしまうのは、いいんだか悪いんだか。自分は(下調べもできて)ありがたいと思っている。

 華やかなオープニングに続いて、一番手は樋口新葉ちゃん。運動量の多いアップテンポの曲で弾けまくる。村上佳菜子ちゃんが出て来た頃を思い出した。次がジュベールの「TIME」。これ動画で見たときは、奇抜な衣装しか印象に残らなかったんだけど、こんな素敵なプロ(ちょっと前衛的)だったのか。ジュベールは後半では、アーティストのシェネルさんとコラボ。

 個人的にいちばん見応えがあったのは、ジョニー・ウィアーとステファン・ランビエール。ジョニーは前半が「カルメン」で後半の曲は「クリープ」というのか。どちらも黒の衣装だけど、テイストが全然違う。前者は、闘牛士の凛々しさと同時に、ときどき獰猛な牛そのものを思わせた。男と女の闘争劇である「カルメン」の全ストーリーが凝縮されているようで、魂を持っていかれた。後者は、上半身がタンクトップ、腰から下にロングスカートのような布をまとう。逞しく、華麗。考えてみると、フィギュアスケートだけでなく既存のスポーツって、どれも「男」「女」の枠で競われているけど、ジョニーは完全に違う次元にいて、とても素敵だ。

 ランビエールの「Sense」は演劇の舞台のように文学的だった。さっき歌詞の日本語訳を見つけて、氷上の演技を記憶の中で反芻している。後半の「誰も寝てはならぬ」がまた、オペラ「トゥーランドット」を怒濤のようによみがえらせて…リュウの献身とか、愛に目覚めるトゥーランドット姫とか、いろんなことを思い出して、涙がこぼれそうになった。本当に感動的だと拍手も忘れる。プルシェンコの「カルミナブラーナ」は、今の彼にしか表現できない重厚感。ただ、構成はもう少し練ってほしい気がする。進化を楽しみに見守りたい。後半は「ロクサーヌのタンゴ」で、なんだかローマの皇帝が身分を隠していかがわしい娼家に現れたみたいに思った。

 ハビエル・フェルナンデスは、帽子を扱う「黒い罠」とコメディタッチのビゼー「闘牛士」。芸達者だなあ。ピンクのジャケットのジェフリー・バトルは「Uptown funk」。さっき当日のテレビ放映の動画を見たら「32歳」って紹介されていたのが信じられない。アイスダンスはタチアナ・ボロソジャル&マキシム・トランコフとアンナ・カッペリーニ&ルカ・ラノッテ。どちらもよかった~。

 日本人スケーターのことを省略するのは申し訳ないが、たくさん情報は上がっているから、必要なときは他人のブログやツイートで探せるだろう。羽生くんの1プロ目、初日と二日目は「Vertigo(ヴァーティゴ)」で、千秋楽は「Hello, I love you(ハロー・アイ・ラヴ・ユー)」だった。どっちも記憶にあるので探したら、前者は2011年のファンタジー・オン・アイスで、後者は2012年のプリンス・アイス・ワールドで見ているんだな。でも当時は、正直、端正な曲のほうが似合うのになあと思っていた。こんなにカッコよくなるとは…。二日目の腰振り、千秋楽のTシャツ脱いで客席に投げ込みプレゼント、楽しませてもらいました。2プロ目はシェネルさんとのコラボでしっとり「ビリーヴ」。千秋楽のフィナーレのジャンプ大会も面白かったなあ。他のスケーターが見ている前では二度失敗して、さすがに終演の時間もあるので、全員退場になるかと思ったら(このとき、羽生くんの腰のあたりをプルシェンコがポンと叩いて、元気づけているように見えた)ひとりだけリンクに残って、再挑戦して、とうとう四回転を成功させ、そのまま連続ジャンプも決めてみせたこと。退場した選手の何人かは出入口の幕を開けたまま、様子をうかがっていた。

 宇野昌磨くんもフィナーレのジャンプ大会は失敗の連続だったけど、こうして度胸と本番での強さを身につけていくんだろうな(今シーズンのSPはパワフルで男前でとっても楽しみ)。織田くんが意外にも(失礼)ジャンプを決めたり、大人のランビエールが挑戦に加わったり、やっぱり千秋楽のフィナーレは楽しさ倍増だということがよく分かった。

 お客さんもいい雰囲気だったな。感心したのは、羽生くんのTシャツプレゼントで阿鼻叫喚になっても、その直後にアイスダンス(ボロ&トラ?)の演技が始まったら、さっと切り換えて、声援と拍手を送っていたこと。花束やプレゼントの投げ入れを禁止している点で、競技会よりアイスショーのほうが進行が整然としている。

 プログラムはあまり買わないのだけど、今回は昨年のFaOI公演の写真が入っていたり、ランビエールの長文インタビューが興味深い内容。「スノー・キング」のTシャツも買えてうれしかった。そして、いまチケット売買サイトで神戸公演のチケットを探している。オペラ公演並みの金額なら取ってしまいそう…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする