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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

明治のお屋敷は高台にあり/地図と愉しむ東京歴史散歩:地形篇(竹内正浩)

2015-11-15 23:52:11 | 読んだもの(書籍)
○竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩:地形篇』(中公新書 カラー版) 中央公論新社 2013.7

 NHKが2008年から断続的に放送してきた番組『ブラタモリ』は、今年4月から日本全国を舞台にするようになって、依然好調のようだ。私は、なかなか放送時間に視聴できないのだが、オンデマンドでチェックするようにしている。番組で、タモリさんがしばしば自称するのが「高低差ファン」。私もタモリさんほどではないが、地形の「高低差」は気になる性質で、これまでにも『タモリのTOKYO坂道美学入門』や『東京の階段』を読んできた。著者の『地形で読み解く鉄道路線の謎:首都圏編』(JTBパブリッシング、2015)も今年読んだが、本書は読み逃していた。発売当時は札幌に住んでいたので、東京ものには食指が動かなかったのだと思う。

 本書第1部は「東京の不思議な地形を歩く」と題して、東京の地形を概観する。はじめのほうに地形の標高を等高線と色の濃淡で分かりやすく表現した「皇居の地形(内堀・外堀の周辺)」「上野から芝にいたる地形(寛永寺~皇居~増上寺)」「五街道と地形(千住~品川」などの地図があって、東京の地形が、だんだん広域まで頭に入るように仕掛けられている。

 東京の地形は基本的に西高東低。しかし西部の台地は、深い谷がいくつも入り組んだ複雑な地形をしている。江戸時代の五街道のうち、尾根筋の高台を通っていたのは中山道と甲州道中、低地を通っていたのは東海道と日光道中(奥州街道は宇都宮まで日光道中と同じルート)で、徳川家康の深謀遠慮が働いているという。万一江戸城が落城したときは、半蔵門から脱出して甲州道中を西進し、甲斐の甲府城を拠点に再挙する計画だったのだ。谷より尾根道の方が軍略上有利なことは言うまでもない。おお~私は長年、甲州街道の近くに住んでいたが、江戸の都市計画には疎くて、考えたこともなかった。

 JR御茶ノ水駅付近の神田川は深い渓谷になっており、これを伊達政宗が普請したという伝説も、あわせて読むと面白い。政宗が奥州方面から攻め寄せ、本郷台地に布陣すれば、江戸城の本丸を見下ろすことができる。江戸城の北東の守りを固めるため、台地を二分する工事を請け負って、謀反の意思がないことを示したという。ただしこれは「伝説」であるとのこと。

 水にまつわる話も面白くて、江戸城(現在の皇居)のお堀は、半蔵門から玉川上水を取り入れ、南北をめぐって、一定以上の水位になると、堰き止められた土橋から隣りのお堀に流れ込み、最終的に日比谷堀(濠)から江戸湊に流れ込むようになっていた。地形の高低差を利用した設計であるという。東京の郊外、練馬区の三宝寺池、杉並区の善福寺池、三鷹市の井の頭池の水面がだいたい同じくらいであるというのにも興味をひかれた。直接水が行き来しているとは思えないが、地下水位が似ているのかもしれない、という。地形が読めると、普通の人に見えないことがたくさん見えてくるのだなあ。

 第2部は「東京お屋敷山物語」。第1部の最後に、歴史ある商店街の多くが、関東大震災後に川や湿地帯を埋め立ててできたものだと書かれている。戸越銀座しかり、谷中のよみせ通りしかり。一方、明治の都心の一等地で高台を占めていたのは、軍部か学校か寺社でなければ有力者のお屋敷だった。江戸時代の大名は回遊式庭園をつくる必要から低地や崖下を好んだが、明治30年代前半、水道が開通すると、高台への豪邸建設ラッシュが起きたという。

 本書は巻末に187件の華族・元老・元勲・富豪などのお屋敷をリストアップし、地図と標高(笑)と現在の用途などが一覧できるようになっている。知らない事だらけで、いろいろと驚いた。まずその広壮なこと。それだけ貧富の差が大きかったということになるのかな。それから、持ち主が転々と変わったお屋敷がけっこうあること。いま庭園美術館になっている朝香宮邸は、鳩彦(やすひこ)王が皇籍を離脱したあと、外務大臣公邸となって吉田茂が住んでいたのか。古河庭園の古河邸が、もと陸奥宗光邸だったことも、五島美術館の五島慶太邸が田健治郎邸だったことも知らなかった。

 富豪(実業家)は浮沈が激しいので、お屋敷もずいぶん動いている。さらに、今では忘れられた大富豪の名前もあって興味深かった。のちに三菱ヶ原と呼ばれる丸の内の更地の入札を三菱と争ったという渡辺治右エ門。知らないなあ。須藤吉左衛門も知らない。煙草王・村井吉兵衛の邸宅跡は都立日比谷高校になっていて、当時の正門や洋館が残っているそうだ。見てみたい。いま人気の朝ドラ『あさが来た』の主人公の父親のモデルは三井高益で、京都から東京の小石川に家を移して、小石川三井家と呼ばれた。この跡地は文京区立第三中学校になっているとのこと。ああ、伝通院のあたりか。

 一番驚いたのは土佐藩・山内家の別邸(のち本邸)。これが、かつて私の住んでいた家に近い代々幡村代々木(初台駅付近)にあることは、最近、今尾恵介著『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』で知ったばかりであったが、岸田劉生が大正4年に描いた『道路と土手と塀(切通之写生)』(国立近代美術館所蔵 ※画像あり)が、山内邸の南側の坂を描いたものだという(画面左側が山内侯爵邸の外壁)。驚いた。青空と剥き出しの土の道の対比が荒々しく、どこの田舎道を描いたんだろう、と思っていたので。大正年間の代々幡って、こんな風景だったのか。そして、描かれた場所に関する知識を持ってしまうと、絵画に対する印象も少し変わるなあ。
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丸善ジュンク堂「民主主義ブックフェア」問題備忘録

2015-11-14 22:44:26 | 街の本屋さん
MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店におけるフェア再開について(2015年11月13日)

 事の起こりを整理しておくと、丸善ジュンク堂書店渋谷店が9月20日頃からブックフェア「自由と民主主義のための必読書50」を開始し、10月19日から書店員がツイッターで「夏の参院選まで闘います!」などと発信した。これに対し、選書が偏っていると批判を受けたことと、書店員が(規則に反して)非公式のツイッターアカウントを開設していたことを問題視し、同店は10月21日にブックフェアの棚を「自主的に」撤去。内容を見直し、11月13日から「今、民主主義について考える49冊」に変更して再開した。

朝日新聞:ジュンク堂民主主義フェアを見直し 店員ツイートに批判(2015/10/23)

The Huffington Post:丸善ジュンク堂、民主主義フェアを再開 外された本は...【前回との比較一覧】(2015/11/13)

 結局、最初の選書リストから40冊が外され、別の本に差し替えられた。以下に全部転記してみたのだが、どう見ても最初の選書のほうが魅力的である。メディアや街頭で活躍している著者だけでなく、古典作品も含めて、いまの日本で起きている事柄と強くリンクしている。差し替え版のほうは、いかにも「キーワード:民主主義」で検索してみたら出来ました、という無難なリストで、書店員の顔や書店の個性が全く見えない。まあ渋谷店がターゲットとする「売れ筋」は、ハイエクやアレントではなく、池上彰あたりなのかもしれないが。

 最初のリストは、明示的なキーワードに「自由と民主主義」がついていない本について、「お客さん、実はこの本は自由と民主主義を考える視点から読めるんですよ!」とささやかれているようで、「なるほど、そこか!」と書店員さんと無言で会話する面白さがある。書店や図書館のブックフェアの楽しみは、そういうキャッチボールではないのか。だから「偏っていない」ブックフェアなんて、全然面白くない。私は、日本の書店がこぞって嫌韓・嫌中本で棚を埋めているような状況にはうんざりしていたが、いま敢えて嫌韓・嫌中本フェアをやる書店がいたら、それは(消極的にだけど)支持してもいい。

 そして、フェアであってもなくてもいいから、ここに載るくらいの本はちゃんと棚に常備しておいてほしい。丸善ジュンク堂の名前にかけて。私が望むのはそれだけです。

※私の読書記録があるものはリンクしておく。

■「必読書50」には選ばれたが「49冊」からは外れた本(40冊)
・SEALDs 民主主義ってこれだ!(SEALDs)
・時代の正体:権力はかくも暴走する(神奈川新聞「時代の正体」取材班
右傾化する日本政治(中野晃一)
社会を変えるには(小熊英二)
・私たちは"99%"だ!:ドキュメント ウォール街を占拠せよ(『オキュパイ!ガゼット』編集部
・デモいこ!:声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える(TwitNoNukes)
・デモ!オキュパイ!未来のための直接行動(三一書房編集部)
・日本人は民主主義を捨てたがっているのか?(想田和弘)
・ぼくらの瀕死のデモクラシー(枝川公一)
・革命のつくり方(港千尋)
・希望の政治学:テロルか偽善か(布施哲)
・希望はなぜ嫌われるのか:民主主義の取り戻し方(コリン・ヘイ)
・立憲主義について:成立過程と現代(佐藤幸治)
・日本国憲法 新装版(学術文庫編集部)
・増補新版 法とは何か(長谷部恭男)
・読むための日本国憲法(東京新聞政治部編)
・憲法とは何か(長谷部恭男)
・国家の暴走:安倍政権の世論操作術(古賀茂明)
・タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか:護憲的改憲論という立場(小林節)
・憲法は、政府に対する命令である。(ダグラス・スミス)
・悪あがきのすすめ(辛淑玉)
・検証・法治国家崩壊(吉田敏治他)
・ソフト・パワー(ジョセフ・ナイ)
・隷属への道(F.A.ハイエク)
・リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください:井上達夫の法哲学入門(井上哲夫)
・キング牧師(辻内鑑人、中條献)
・I Have a Dream!(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
・戦争プロパガンダ 10の法則(アンヌ・モレリ)
・ヒトラー演説:熱狂の真実(高田博行)
劇画ヒットラー(水木しげる)
・独裁者のためのハンドブック(ブルース・ブエノ・デ・メスキータ、アラスター・スミス)
・永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編(カント)
・アメリカのデモクラシー(1上下、2上下)(トクヴィル)
・国家(上下)(プラトン)
・自由論(ジョン・スチュワート・ミル)
・一九八四年 新装版(ジョージ・オーウェル)
・動物農場(ジョージ・オーウェル)
・精読 アレント『全体主義の起源』(牧野雅彦)
・イェルサレムのアイヒマン:アクの陳腐さについて(ハンナ・アレント)
・人間の条件(ハンナ・アレント)

■「必読書50」「49冊」ともに選ばれた本(15冊)
若者のための政治マニュアル(山口二郎)
ぼくらの民主主義なんだぜ(高橋源一郎)
・統治新論(大竹弘二)
・民主主義の条件(砂原庸介)
輿論と世論(佐藤卓己)
・デモクラシーとは何か(R.A.ダール)
・民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた(朝日新聞『カオスの深淵』取材班)
・哲学する民主主義(ロバート D.パットナム)
・18歳が政治を変える!(高橋亮平)
民主主義ってなんだ?(高橋源一郎、SEALDs)
・来るべき民主主義(國分功一郎)
・アメリカを占拠せよ!(ノーム・チョムスキー)
・香港バリケード(遠藤誉)
・世界を動かした21の演説(クリス・アボット)
・「デモ」とは何か(五野井郁夫)

■「49冊」のみに選ばれた本(34冊)
・はじめてのデモクラシー講義(岡田憲治)
・民主主義という不思議な仕組み(佐々木毅)
・民主主義(文部省)
・自由と民主主義をもうやめる(佐伯啓思)
〈私〉時代のデモクラシー(宇野重規)
・民主主義のつくり方(宇野重規)
・ポピュリズムを考える(吉田徹)
・民主主義とは何なのか(長谷川三千子)
・リベラリズム/デモクラシー 第2版(阪本昌成)
・ダール、デモクラシーを語る(ロバート A.ダール)
・民主主義理論の現在(イアン・シャビロ)
・銃を持つ民主主義(松尾文夫)
・日本とフランス二つの民主主義(薬師院仁志)
・民主主義対民主主義 原著第2版(アレンド・レイプハルト)
・国家はなぜ衰退するのか 上(ダロン・アセモグル)
・国家はなぜ衰退するのか 下(ダロン・アセモグル)
・野党とは何か(吉田徹)
・政治をあきらめない理由(ジェリー・ストーカー)
・デモクラシー(バーナード・クリック)
・民主主義の本質と価値(ハンス・ケルゼン)
・池上彰の選挙と政治がゼロからわかる本(池上彰)
・選挙は誰のためにあるのか。(松田馨)
・多数決を疑う(坂井豊貴)
・きめ方の論理(佐伯胖)
・選挙のパラドクス(ウィリアム・パウンドストーン)
・選挙の経済学(ブライアン・カプラン)
・熟議の日(ブルース・アッカマン)
・人々の声が響き合うとき(ジェイムズ S.フィシュキン)
・そうだったのか日本現代史(池上彰)
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一遍と歩く(東京国立博物館)+常設展

2015-11-13 00:00:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館・本館 特別1室・特別2室 『一遍と歩く 一遍聖絵にみる聖地と信仰』(2015年11月3日~12月13日)

 特別展と一緒に見てきた常設展。この秋、横浜方面で国宝『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)の展示があることは聞いていたが、東博でも関連展示が行われているとは知らなかった。東博の展示リストには『一遍聖絵 巻第七』(国宝)があがっている。え?東博が『一遍聖絵』を持ってるんだっけ?と思った私の疑問は、「1089ブログ」で担当研究員さんの解説を読んで氷解した。そもそも国宝『一遍聖絵』全12巻は神奈川県の遊行寺(清浄光寺)が所蔵する。しかし巻七だけは、遊行寺と東博に2巻伝わっているのである。上記のブログによれば「もとは1巻だったのですが、これがいつしか分断され(絵巻にはよくあることです)、模写で補われつつ、2巻に仕立てられました」とのこと。だから、どちらも「本物」である。

 『一遍聖絵』は、上人らの信仰者集団らしい真摯な表情もいいし、変化に富む風景描写もいいし、人々の暮らしのすぐそばに自然に描き込まれた病者の姿も好きだ。巻七は特に出色の巻で、全面開けてあるのが嬉しい。太っ腹に撮影も可。東博の国宝室で展示されたこともあったみたい(2006年の記事)。なお、各館のスケジュールは以下のとおり。

・遊行寺宝物館(2015年10月10日~12月14日)11/16まで全12巻展示(全段ではない)11/20より1, 7, 11, 12巻展示
・神奈川県立歴史博物館(2015年11月21日~12月13日)4, 5, 6, 10巻展示
・神奈川県立金沢文庫(2015年11月19日~12月13日)2, 3, 8, 9巻展示

 4館制覇すると遊行寺宝物館で景品がもらえるスタンプラリーも開催中。東博で台紙をもらって、最初のスタンプを押してきた。

 その他、今月の常設展示は珍しい作品が出ていて見どころが多かった。国宝室には平安時代(12世紀)の『千手観音像』。輪郭線を目立たせず、暈かしで表現された丸みのある腕が生々しい。現地では十分に見えなかったが「e国宝」のサイトで見たら、冠も瓔珞も、一面に截金を用いた衣も華やか。院政期の美学を感じさせる。向かって右に婆藪仙(ばすうせん)、左に功徳天(吉祥天)を従えるが、婆藪仙の顔が小さすぎて、バランスが狂っているのが妖しい。国立博物館に入るまでの由来がよく分からないのだが、誰が持っていたのだろう。

 東洋館8室の『中国書画精華-日本における受容と発展-』(2015年9月8日~11月29日)は絵画が展示替えになった。『猿図』とか『栗鼠図』とか梁楷筆『出山釈迦図』『雪景山水図』など、宋元絵画は見慣れた作品が多かったが、目についたのは明清絵画のほうだった。明・張路筆『漁夫図』(護国寺蔵)は、画面右上に三角形の黒い岩が張り出しており、その背後を漁夫を乗せた小舟が横切っていく。まさに網を水面に投げようとする漁夫。竿で舟を操る連れの者。

 清・銭杜筆『撫宋元明諸家山水図冊』も嬉しかった。先日、大和文華館の『蘇州の見る夢』展で『燕園十六景図冊』という作品を見て、名前を覚えたばかりの画家だったので。この作品もいいなあ。大好き。


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熊野の妖怪とコメットX/たそがれの人間(佐藤春夫)

2015-11-12 00:12:51 | 読んだもの(書籍)
○佐藤春夫著、東雅夫編『たそがれの人間:佐藤春夫怪異小品集』(平凡社ライブラリー) 平凡社 2015.7

 佐藤春夫は、ほとんど読んだことのない作家なのだが、なんとなく趣味が合いそうな気がして本書を手に取った。約30編の小品が三つのセクションに分けて収録されている。はじめの「化物屋敷を転々と」は、屋敷や場所にまつわる怪異譚が9編。心覚えのエッセイみたいなものから、かなり作品として彫琢されたものもある。全編読み終わって振り返ると、この章がいちばん怪異小説らしかった。

 次の「世はさまざまの怪奇談」は13編。フォークロアを再話したものが面白い。「『鉄砲左平次』序(ついで)にも一つ」という作品は、前段は左平次という鉄砲名人の話で「僕の地方(紀伊国か?)の温泉のある所で、民話のように伝わっているもの」と断られている。後段は僕の友人の一人が「信州の諏訪の紡績工場で事務員をしていた」時の話で、たぶん編者は後段を気に入って、このアンソロジーに入れたのだと思う。便所で縊死した女工の凄惨な話。

 「山妖海妖」は熊野の海山に住む妖怪の話が次から次と繰り広げられる。妖怪と人間の会話に土地柄があふれている。河童をカンカラコボシ(河原)と呼び、ボシ(法師)は人間を呼ぶ蔑称であるとか「暗愚カンカラコボシめ」と罵るとか。悪口雑言を「人魚の口をきく」というとか。熊野の人魚はずる賢くて口が汚い。海には海犬(波の上を飛ぶように早く這う)がいたり、二畳敷もあるアカエイの主がいたり、もちろん幽霊船も出る。水死体に遭ったときはそれなりの礼儀作法がある。こうした怪奇談は、怖いけれど太古の神秘に触れるような愉悦もある。さすがは黄泉国に通じるといわれる熊野。著者は現・新宮市の生まれだそうだ。「柱時計に噛まれた話」「道灌山」は都会風の近代的な怪異譚で、オチがつかないので、漠とした不安が余韻として残る。

 最後の「文豪たちの幻想と怪奇」には、谷崎潤一郎、与謝野晶子などの文学者との交友が語られた作品群。怪奇趣味は薄い。標題作品「たそがれの人間」(タイトルに「」がつく)には、「いずれ自滅すべき種族」を自称する「少年作家T・I」が描かれている。その次の「コメット・X」を合わせて、これは!と思ったのは、冒頭の「化物屋敷」シリーズに「石垣」という名前で登場するのが稲垣足穂である、というネタバレを読んでいたためだ。世間的には全く馬鹿で、それがために「まじりけのない芸術家」だった若き日の足穂を、著者は愛情込めて描いている。

 「永く相おもふ」は与謝野寛、晶子、そして堀口大学が登場するが、狂言まわしになっているのが、森鴎外の遺品の陶印「ゆめみるひと」である。私はかつて鴎外文庫に親しんだことがあるので、懐かしく興味深かった。
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こう見てヨシ!をもう一度/驚くべき日本美術(山下裕二、橋本麻里)

2015-11-11 00:43:33 | 読んだもの(書籍)
○山下裕二、橋本麻里『驚くべき日本美術』(知のトレッキング叢書) 集英社インターナショナル 2015.10

 いま日本美術をめぐって八面六臂の活躍を続けている、美術史家の山下裕二先生と美術ライターの橋本麻里さんの本。対談だと思って読み始めたら、ちょっと違った。あとで書店で付けてもらった包装を剥いでみたら、表紙(カバー)には、山下裕二「講師」・橋本麻里「聞き手」と、お二人の役割が小さく添えてあった。読みやすい対談スタイルで書かれているが、主に講義を受け持つのは山下先生である。

 第一部では、日本美術に出会うためのポイントが示される。大事なのは「実物を見る」こと。印刷図版から受け取るイメージを裏切る大きさや色味を体験して驚くこと。障壁画であれば空間構成や光の変化も含めて体感すること(難しいけど)。そして、日本美術にアクセスするキーワードとして「生理的曲線」「筆ネイティブ」「美しい畸形」「泡沫」が示される。実際には、こう要約するとこぼれ落ちてしまうところに示唆に富むコメントがあり、具体的な作品と著者の体験が生き生きと紹介されている。カラー図版が豊富に掲載されているのもありがたい。しかも色味の再現にかなり気を使っていると感じられる。

 長澤蘆雪の『白象黒牛図屏風』について、「屏風は真ん中から開いていくのです」という発言にはハッとした。そうすると、最初に目に入るのは中央の二扇(二面)なんだな。これからは「開ける」動きを想像して画面を見るようにしよう。また茶碗は飲んでみなければ分からないという話もよかった。長次郎の茶碗は「手の隙間」に合わせた造形だから手にぴったりくる。これに対して、光悦は「俺様茶碗」(笑)。好きだけどね。「音楽は何も経験がなくても、聴いた瞬間にすごいと思える。(略)でも美術は何の経験もなくて、いきなり感動できるものではないんです」と言いながら、知識や体験の蓄積を棚上げして虚心坦懐に作品に向き合うことの大切さを説く。なんだか禅の心得みたいだけど、共感する。

 第二部は、山下先生の経験に寄り添いながら日本美術との出合い方を考える。これが非常に面白い。切手収集に熱中した少年時代から、『少年マガジン』で横尾忠則に出会い『ガロ』でつげ義春を知る。大学では授業に出ず、琴ばかり弾いていた。(音楽史学科がないので)美術史学科に進み、辻惟雄門下となる。大学院で、先行研究の少なかった式部輝忠についての論文を書き、これがアメリカでの『韃靼人狩猟図』発見につながる。のち出光美術館が購入し、現在は九州国立博物館の保管になっているという。出光美術館所蔵の能阿弥筆『四季花鳥図屏風』にもかかわる。美術史って、全く超俗的な研究に見えて、ある作品が美術館に所蔵される契機になるというかたちで、けっこう生々しく社会とかかわっているのだな。

 1996年、赤瀬川原平さんと初めて会って「日本美術応援団」シリーズが始まる。この本の刊行が2000年。橋本麻里さんが触れているけど「こう見てヨシ!」という帯のコピーは強く印象に残っている。実は没になった回があるそうで、激怒させた相手は三十三間堂。ええ~その対談の記録、残っていないんだろうか。こっそり読みたい。ちなみに、みうらじゅん&いとうせいこうのお二人も、「見仏記」の取材で激怒させた相手があると話していたなあ。山下先生はみうらじゅん氏と同い歳で、若い頃から「まぶしい存在」として仰ぎ見てきたと語っている。

 2002年に東博・京博で開催された「雪舟展」の開催準備が1996年から始まる。私はこの頃、朝日カルチャーか何かで山下裕二先生の講義を受講して「雪舟展では『慧可断臂図』をどーんと中央に置きたい」みたいな話を聞いた記憶がある。ところが「2002年が近づくにつれ、東博・京博の官僚的なところから僕にプレッシャーがかかって」「ああいう反国立博物館的な発言を繰り返しているような人間ははずせ」ということで、雪舟展の準備委員会から外されてしまう。へえ~国立博物館の裏側って、こういう政治的な闘争があるのか。気持ち悪い。

 山下先生が自由にプロデュースしたという2000年の「GENGA」展、2002年の「雪村展」もよく覚えている。水墨画に全然興味がなかった私が、だんだんこのジャンルに引き入れられていったのは、これらの展覧会を通して、自由な楽しみ方を学んだことが大きい。2000年には京博で若冲展もあって、「日本美術に対する需要が決定的に変わった年」と位置づけられている。確か、若冲展が開かれる(でも東京に巡回はしない)という情報も、私は開催の1、2年前に山下先生の講義で聞いたはずだ。まだインターネットが日常化していなくて、口コミが重要だった時代。

 最後は、空前の日本美術ブームの中で、誰も見に来なくていい、好きな作品だけを並べて解説も一切なし、という展覧会をやりたいという宣言で結ばれる。それって、近代の実業家コレクションのありかたが、かなり近いような気がする。本文には岡本太郎、会田誠、山口晃など現代美術にも言及あり。
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秦の文化と人々の生活/始皇帝と大兵馬俑(東京国立博物館)

2015-11-08 23:10:20 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 特別展『始皇帝と大兵馬俑』(2015年10月27日~2016年2月21日)

 始皇帝陵の兵馬俑が発見されたのは1974年。私は中学生だった。Wikiに「世界的な大ニュースとなった」とあるけれど、当時の記憶は全くない。ただ、なんとなく何かすごいものがあるらしいという程度の認識で、1981年に初めての中国旅行で始皇帝陵を訪れ、そのスケールに度肝を抜かれた経験がある。情報が少ないというのは、ある意味幸せなことだった。

 今では「始皇帝陵の兵馬俑」の何たるかを知らない日本人はほとんどいないだろう。11年目になるこのブログを振り返っても、2004年に上野の森美術館『大兵馬俑展』、2006年に江戸東京博物館『驚異の地下帝国 始皇帝と彩色兵馬俑展』があり、2007年の東博『悠久の美-中国国家博物館名品展』では武士俑、2012年の東博『中国 王朝の至宝』では跪射俑、跪俑が出陳されている。だから新しい発見はそんなにないだろうと思いながら見に行った。そして、実際そのとおりなのだが、兵馬俑発見から40年経っても、始皇帝陵の発掘が地道に続けられていることが感慨深かった。

 展覧会としては兵馬俑よりも、その前段にある春秋戦国~秦時代の各種文物が面白かった。西周時代(前10~前9世紀)の玉胸飾り、きれいだったなあ。蓋の上で蝦蟇と犬がにらみ合う陶製の動物形容器(戦国時代、前5~前3世紀)、何だあれはw 象嵌の帯鉤(バックル)も美しかった。

 秦は北方遊牧民族の影響を受けて、建国前後から金を多用しており、美しい金製品もたくさん出ていた。驚いたのは、玉剣(柄と刃が一体となっている)に透かし彫りの金の鞘。韓城市梁帯村27号墓出土とある。西安市の東北、南北に流れる黄河の西岸にあたるようだ。この展覧会、図録か出品リストに出土年を入れてほしかったなあ。宝鶏市で出土した『金円形装飾』は、碁石のように中央部がやや膨らんだ金の円盤で、裏面には真一文字の棒が通っている。革帯などに装飾として取り付けたとのこと。西洋美術館の『黄金伝説展』で見たブルガリアのヴァルナ遺跡の発掘品にも、こんな金の円盤があったことを思い出した。

 それから、秦の帝都・咸陽の暮らしを想像させる品々もずいぶん発掘されているのだな。量産された玩具と思われる陶鈴。円形のものや魚形のものがある。陶器を成形するときの「当て具」や瓦当に文様をつける「范(型)」は、これらを使っていた職人の存在を感じさせる。秦国の瓦当は鹿とか虎とか絵柄が面白い。都市インフラに用いられた取水口や水道管(全て陶製)にも感心した。技術水準、高いなあ。それから「墓誌」と説明されていたが、平瓦に二人の職人の名前と出身地だけを引っ掻いた傷のような文字で記したもの。始皇帝陵の造営工事の途中で死亡した者の集団墓地遺跡で見つかったものだという。諸星大二郎のマンガで使ってほしいネタだ…。

 さて後半。まず始皇帝陵の陪葬坑で1980年に見つかった銅車馬2件。どちらも四頭立てで、1号の御者は立って、車蓋つきの輿に乗る。2号の御者は、屋根付きの輿の御者台に座る。どちらも複製だが、きわめて精巧で迫真の域に達している。中国の複製技術はあなどれない。また、当時の御者って高度な専門技術職だったんだろうなと思った。壁に展示されていた修復作業の白黒写真を見ると、人々の服装や表情から発掘当時(1980年)の中国を思い出して懐かしかった。これらの写真が図録に収録されていないのがとても残念。

 そして最後の兵馬俑展示エリアへは、特設のスロープを上がっていく。バルコニー状の高い位置に立つと、正面の壁には始皇帝陵の外観イメージ。その下に複製の兵馬俑軍団(中国で特注したもの)が多数並んでいる。それらを背景にして、「本物」の文物が点々と展示されている。大型の俑は、将軍俑、軍吏俑、歩兵俑、立射俑、跪射俑、騎兵俑+軍馬、御者俑。将軍俑は10体程度しか出現していないというが、前にも見たことがある。跪射俑も覚えがあった。これら、海外の博物館等に貸し出すときは、いつも同じものが行くのかな。そして、どれも手が大きく、表情が豊かなことを感じた。今回初めて見たのは、恰幅のよい雑技俑。上半身裸で、スカートのような短い袴を穿いている。左脇と腹の前に垂直に組み合わせた竿を支えていたと考えられている。これは正倉院の「墨絵弾弓図」を思い出さざるを得ない!

 あと青銅製の、雁にしては微妙に首の長い水鳥。これは初見だろうか。かつて青銅製の鶴が来たことは覚えているのだが。咸陽市出土の小さな騎馬俑も可愛らしかった。会場にはデジタル復元した彩色兵馬俑のビデオが流れていて、これも面白かった。しかし、出土時には彩色が残っていても、空気に触れるとあっという間に消えてしまって、なかなか保存できなかった(近年ようやく保存技術が開発された)というのが、美しい伝説のようだと思った。

 展示室の最後には複製兵馬俑と写真が撮れるサービスあり。いまや中国の始皇帝陵と兵馬俑坑は、世界中のお客を引き寄せる一大観光地だが、そうやって稼いだ収入が、地道な発掘研究の資金になっているのかもしれないと思うと、少し学ぶべきところがあるかもしれない。
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奈良のうまいごはん

2015-11-06 22:10:03 | 食べたもの(銘菓・名産)
西大寺駅の駅ナカにある和食カフェ「幡(ばん)・INOUE」。移動途中にさっと簡単な食事をしたいときに重宝している。最近は、こういうバランスの取れた食事がありがたい。



「奈良にうまいものなし」といわれるけど、そんなことないよー。
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オランダからイギリスへ/ヨーロッパ覇権史(玉木俊明)

2015-11-05 21:40:40 | 読んだもの(書籍)
○玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』(ちくま新書) 筑摩書房 2015.10

 著者に寄れば、ヨーロッパ中心主義は19世紀に生まれた。今日の世界はアメリカの影響力が強いと思われているが、アメリカはヨーロッパから派生した地域と考えられる。したがって、われわれは今なお「ヨーロッパ化」が進行する世界に生きている。本書は、古典古代のヨーロッパからルネサンスをざっと概観したのち、16世紀後半の「軍事革命」から近代国家の成立、ヨーロッパの対外拡張を主に経済史の観点から扱ったものである。

 軍事革命とは、火器の導入により大幅に戦術が変わり、軍隊の大規模化・近代化が行われたことを言う。ヨーロッパの火器は、まず「新世界の征服」に絶大な貢献をした。そして、火器を効率的に使用するための身体動作が編み出され、軍隊の規律が重視されるようになった。このことは、日本の例(長篠の合戦、あるいは鳥羽伏見の戦い)を考えても納得がいく。戦争を効率的に遂行しようという努力は、ヨーロッパが合理的な社会になってゆくことに貢献した。さらに「人権」という思想も「人間がしばしば戦争で殺されるからこそ、一人一人の権利を守るべきだという意識」から生まれたと著者は説く。うーん、軍事技術がそこまでの社会変化をもたらすものか迷う一方で、あるかもしれないなあ、とも思う。

 重要なことは、軍事革命によって戦争が巨大化すると、国家の財政規模が膨らみ、財務・経済システムの刷新を促した。これによって、15世紀末から16世紀初頭にかけて「近代世界システム」が成立する。これは、工業国(ヨーロッパ)が原材料供給国を支配・収奪することによって、持続的な経済成長を実現するシステムである。17世紀に最初の「ヘゲモニー(覇権)国家」となったのはオランダだった。オランダは貿易によって繁栄したといわれるが、正確には、海運業によって繁栄を謳歌した。自国の生産物を外国に輸出して儲けたのではなく、「商品を運搬すること」によって利益を上げたのである。なるほど。日本とオランダの貿易も、別にオランダ商品ばかりがもたらされたのではなく、中国や東南アジアの物産が運ばれてきていたことを思い出す。オランダは地方分権制を基本とし、さらにオランダの商人たちは、他国に散らばることで、商業情報を各地に伝え、均質的な商業世界をヨーロッパ全域に広げた。

 オランダに先立って、ヨーロッパの外に乗り出した国にポルトガルとスペインがあった。彼らが目指したのは大西洋貿易と南北アメリカ大陸の植民地獲得であり、オランダ、フランス、イギリスもこれに続いた。そして、史上最大の帝国となったのは、18世紀のイギリスである。著者はその背景に、財政金融システムの中央集権化、綿業の発展、海運業の発展をあげる。オランダ商人はさまざまなノウハウをもって移動しながら、それを自国の富の形成に活かさなかった。一方、イギリス商人は現地に同化せず、イギリスに富を持ち帰った。この差は面白い。しろうとの直感では、オランダ商人の行動のほうが「ヨーロッパ的」に感じられる。

 19世紀になると、ヨーロッパは本格的にアジアに進出する。ここで著者は、ウォーラースティンの近代世界システム論もマルクス経済学者も「輸送(商品連鎖)コスト」を問題にしていないことを指摘する。どんなに素晴らしい商品を製造したところで、販売できなければ企業は倒産する。少なくとも近世においては、輸送手段を握っている地域は、それを握られている地域を従属させることができた。これも面白い指摘である。19世紀には、アジア~ヨーロッパ間の航海日数は短縮され(中間での地域商人の活動は締め出され)、そのほとんどをイギリス商人が担うようになって、イギリス海洋帝国の支配が完了する。最後に、今日の世界は近代世界システムの終焉(非ヨーロッパ化)に向かっているが、新しい姿はまだ見えないと結ばれている。

 経済の観点からヨーロッパ史を見るというのは、知らないことが多くて面白かった。税制とかね~。イギリスには17世紀から消費税(間接税)があったのか。しかし生活必需品は無税だったので、貧民の負担は軽く、社会の安定化につながった、という記述を読むと、日本の「近代化」にはまだまだ時間がかかるのかなあ、と慨嘆する。国によって政策や文化の違いがあるのも面白い。覇権を握った国の政策が正解、あるいは勝者というのは皮相な見方で、多様性の存在こそがヨーロッパなのだと思う。
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科学技術政策の100年/私の1960年代(山本義隆)

2015-11-04 22:44:08 | 読んだもの(書籍)
○山本義隆『私の1960年代』 金曜日 2015.10

 昨年2014年10月に行われた講演を下敷きにしたもの。講演のあと、雑誌『週刊金曜日』から活字にしないかと誘われて、加筆して本書となった。以上の経緯は「2015年8月 2015年安保闘争の渦中で」と付記された「はじめに」に書かれている。

 著者は1941年生まれ。1960年に東京大学に入学し、安保闘争を経験した。1962年、物理学科に進学し、大学管理法(大管法)闘争に遭遇する。大学院に進み、素粒子論の研究をしながら、ベトナム反戦運動にかかわる。1968年1月、医学部の研修医制度をめぐって東大闘争が始まり、6月、安田講堂が占拠される。講堂の雑用係をしていた著者は、10月、「東大全共闘代表」に選出される。69年1月、機動隊によって安田講堂バリケードは解除され、9月に著者は逮捕される。70年10月に保釈され、71年3月に再逮捕。再保釈後は大学に戻らず、零細なソフトウェア会社を経て、予備校の仕事をしながら、科学思想史の研究と執筆を続ける。

 以上が本書に書かれている著者のおおよその軌跡であり、この間に、我が国の近現代史を踏まえて科学技術についてのさまざまな思索が入る。明治維新とともに帝国大学は、国家が必要とする官僚と技術者を育成するために生まれた。帝国大学教授は、学問ではなく国家に仕えていた。そして、日本の科学は、日清・日露戦争を経て日本が帝国主義国家に成り上っていく中で、明確に「軍事」に力点が置かれていた。それはまあ、そうだろう。ここまでは驚かない。

 問題は、その科学が、敗戦後いかなる反省もなく、民主主義と平和国家に不可欠なものとして祭り上げられ続けたことであり、そのことを批判的に見る著者の誠実さに打たれる。戦後においても公害患者は、国の経済復興のためには私的利益を放棄すべきだという強い社会通念と戦わなければならなかった。原発も同様である。原子力発電が、化学工業とどう決定的に違うのか、「安全」を主張する解析がどの点で疑わしいのかは、非常に納得がいった。

 東大全共闘の「1960年代」の資料として読んでもむろん面白い。60年安保闘争のとき、教養学部の自治委員会でアジっていたのは、哲学者の加藤尚武さんと近代政治史の坂野潤治さんだとか、お茶の水女子大出身で新聞研の研究生(この制度、当時からあったのか)だった所美都子さんの逸話とか、知らないことがいろいろあった。占拠された安田講堂が、広く開放され、誰でも中に入ることができ、徹底的な議論の場となっていたことを読んで、いまの大学が実現しようとしている「コモンズ」の機能そのものじゃないか、と思ったりした。

 もっと古い科学史でいうと、文部省科学研究費(通称、科研費)というのが、1938年(昭和13年)生産力と戦力の増強を図り、経済と軍事の要請に応えるために創設されたというのが、ちょっと衝撃だった。当時の文部大臣は、陸軍大将の荒木貞夫である。私は東大の事務職員だったことがあるので、かつて工学部の学科名が「造兵」「火薬」など、身も蓋もないほど軍事科学的だったことは聞きかじっていた。しかし、戦時下の東京帝国大学が「規模を縮小するのではなく、拡充の一途を辿っていた」ことを、関係者はよくよく認識しておくべきだと思う。今後、東大がどちらの方向に向かうかを考える上で。あと、これは東大の話ではないが、戦時下では「日本主義科学」(日本的性格を有つ科学技術)ということが提唱されていたのだという。これ、表明しているのが物理学者の長岡半太郎なんだなあ。

 どんなに優秀な科学者、技術者も、うっかりすると狂信的な国家主義者にからめとられてしまう。やっぱり人間には批判精神が必要だし、批判精神を養うには、歴史と人文科学的な教養が必要なのではないかと思った。私は、元来、全共闘の1960年代というのが大嫌いだった。しかし、2015年安保闘争を経験する中で、感じ方が少し変わってきた。本書は、1960年代の意味を再考するのに大変いいテキストだと思う。
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2015年10月:展覧会など拾遺

2015-11-04 00:14:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
9月末から10月にかけて、レポートを書けていない展覧会の備忘録。

江戸東京博物館 特別展『徳川の城~天守と御殿~』(2015年8月4日~9月27日)
 江戸城、名古屋城、駿府城、二条城など「徳川の城」の魅力に迫る展覧会で、城絵図が大量に出ていた。

千葉市美術館 開館20周年記念『唐画もん-武禅にろう苑、若冲も』(2015年9月8日~10月18日)
 江戸中期の大坂で活躍した「唐画師(からえし)」たちを取り上げる。「近年、同時代の京都画壇が脚光を浴びる一方で、大坂の絵師たちの豊かな営みにも徐々に注目が集まっています」と対抗意識満々。そうは言っても、墨江武禅(すみのえぶぜん)も林閬苑(はやしろうえん)もほとんど知らない画家だった。面白い作品もあったが、個人的にいまいち消化不良。

永青文庫 特別展『春画展』(2015年9月19日~12月23日)
 鎌倉時代(13世紀)の『小柴垣草紙絵巻』が最初の2週間(9/19~10/4)だけ出ていると聞いて、慌てて飛んで行った。覚悟したとおり、入館まで40分くらい並んだ。4階の第1展示室(いつも細川家伝来の名宝が飾ってあるところ)が肉筆の名品特集になっている。想像したより、かなり古色のついた絵巻だった。人混みで春画を見るのはもっと恥ずかしいかと思っていたが、混雑しすぎて、周囲に気を配る余裕もなかった。高級な春画では、男女の顔も手足も「浮世絵ふう」にデフォルメされているのに、局部だけ執拗にリアルに描いているのがちぐはぐで不思議だった。少年マンガにエロが持ち込まれた当初も一部にこういう画風があったような。

神奈川歴史博物館 特別展『没後100年 五姓田義松-最後の天才-』(2015年9月19日~11月8日)
 洋画のパイオニア、五姓田義松(ごせだよしまつ、1855-1915)を特集。同館は、2008年にも特別展『五姓田のすべて』を開催しているが、たぶん新出資料も含めた大回顧展になっている。私は、彼のような写実を突き進むタイプの画家が好きなので、とても面白かった。「義松作品すべて見せます!」というコンセプト(無茶)で、小さなスケッチ片もたくさん展示されている。主催者の熱量が伝わってくる展示だった。10月前半には販売開始と言っていた展示図録は、結局10月23日から売り始めたらしい。

神奈川近代文学館 特別展『生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ―『遠野物語』から『海上の道』まで』(2015年10月3日~11月23日)
 柳田国男は、日本民俗学の創始者というだけでは捉えきれない側面があって、一筋縄ではいかない人物というイメージがあるが、晩年の写真はいい顔をしている。生い立ちの話が面白く、実弟・松岡映丘の写真もあった。

米沢嘉博記念図書館 『江口寿史展 KING OF POP Side B』(2015年10月9日~2016年2月7日)
 同館1階の展示コーナーで開催中(入場無料)。「すすめ!!パイレーツ」の生原稿に感無量。私は、サザンオールスターズのデビューも「スターウォーズ」第1作も「パイレーツ」のネタで知ってから、本物に触れた。そのくらい、江口寿史の感度は先端を行っていたのである。「江口寿史展 KING OF POP」(Side A)は全国巡回中で、川崎市民ミュージアムでは12月5日から。展示と物販を楽しみにしている。

11/10拾遺の拾遺を追記。

武蔵野市立吉祥寺美術館 『生誕200年記念 伊豆の長八-幕末・明治の空前絶後の鏝絵師』(2015年9月5日~10月18日)
 一度ホンモノを見たいと思っていた伊豆の長八こと入江長八(1815-1889)の鏝絵(こてえ)を東京で見ることができて大満足。建物の装飾だけかと思ったら、塑像や絵画作品もたくさん残っていると初めて知った。天鈿女命と猿田彦とか神功皇后とか、神話に題材をとった作品が多いのは、明治のはじめという時代の反映なのだろうな。

国立公文書館 平成27年秋の特別展『災害に学ぶ-明治から現代へ-』(2015年9月19日~10月12日)
 明治以降の災害(地震、噴火、台風、洪水など)を紹介する。近代初期の災害だと、ビジュアルな一次資料があまりないので、報告書の文面に引きつけられるが、大正の関東大震災くらいになると、写真が多数残っているので、文字資料よりそっちに関心が向いてしまう(文字資料を残すことも大切なのだけど)。関東大震災の延焼地図によると、本郷の東大キャンパスはその境界線くらいにあるのだな。もう少し運がよければ、図書館も焼け残ったのに。
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