見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2018年10月@関西:ほとけの世界にたゆたう(中之島香雪美術館)

2018-10-14 23:50:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
中之島香雪美術館 開館記念展『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~ IV ほとけの世界にたゆたう』(2018年10月6日~12月2日)

 10月関西旅行最終日は、東京に帰るだけのつもりだったが、時間に余裕があったので、見仏三昧の仕上げにこの展覧会に寄った。村山龍平コレクションから、今期は仏教美術の名品を紹介するもの。全5期の開館記念展の中で最も楽しみにしていた特集である。

 入口には、まぶしく輝く金色の五鈷杵(平安時代)。今朝、高野山を下ってきた身として、しみじみ感慨深く眺める。次に銅造の菩薩半跏思惟像。これも鍍金が全身によく残っている。天衣や瓔珞を別素材で造って取り付けた跡があることから、朝鮮半島の作と推定されるという解説を興味深く読んだ。導入部は、まあ普通のコレクションだと思ったが、仏画の並びに入るあたりから個性が出てくる。仏画は南北朝~室町時代の作が目立った。

 『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(室町時代)は、縦長の画面に金色の阿弥陀如来と、それを取り巻く金色の二十五菩薩が雲に乗って浮かんでいるところ。全体に女性的でやさしい画面で、菩薩たちの小さな赤い唇がかわいい。高野山報恩院から寄進され、下難波村大門坊に伝わったものだという。『帰来迎図』(南北朝時代)は、阿弥陀如来と菩薩たちが、往生者を蓮台に乗せて捧げ持ち、浄土へ帰っていくところ。画面の右下に家の屋根と二鬼(?)が見え、阿弥陀の一行は左上に向けて飛び去っていく。右上の雲の上で袈裟を来た僧形の人々(?)が見守っている。帰来迎を単独で描いた絵画は珍しく、村山コレクションは、類例の少ない作品を含むという特色があるそうだ。『千手観音二十八部衆像』(南北朝~室町)も、にぎやかで妖しげで面白かった。千手観音の脇手が妙に生々しく、二十八部衆もそれぞれ個性的でよい。水の中から飛び出すような龍王とか、猛禽の顔をした迦楼羅とか。左右には風神・雷神。なぜか上部には北斗七星。赤やピンクの暖色が目立つ。

 彫像もたくさん出ていた。中国・天龍山石窟に由来すると思われる菩薩頭部や獅子頭部などが数点。それから露出展示の展示台の上に、いくつかの仏像が乗っていた。『邑子一百人造 如来三尊像』は北魏時代の石仏。釈迦仏の両脇に小さな脇侍仏を配する。ピンクがかった石で、赤や緑の彩色の名残を感じた。巡路でいうと裏側に、やや異国風の華やかな仏像が4躯並んでいたので、ぐるりとまわってみた。解説を読んだら、なんと中国・金時代の木造仏だというのに驚く。

 4躯ともよく似ているが、観音菩薩・勢至菩薩と名前のついた2躯は、飾りも少なく、やや鈍重な感じがする。菩薩立像とだけ呼ばれている2躯は、複雑な天衣のまとい方、衣のひだ、胸の瓔珞など、仕事が細かい。顔は角ばっていて、鼻は丸く、眉はあまり高くなく、のっぺりしている。あまり理想化されない、時代を超えてどこかにいそうな人間に近い顔だ。兵馬俑の顔を見て感じる印象に近いかもしれない。図録の解説に、山西地域で制作された可能性があると説かれているのは納得できる。山西省は、比較的古い木造仏が残っている地域なので。

 平安~鎌倉時代の小さな神像のコレクションも面白かった。しかし私は、仏像は持ちたいと思うが、神像は怖くて所有できないなあ。『稚児観音縁起絵巻』は、ううむ、老僧と稚児(観音の化身)の愛情が信仰に昇華する物語と思ってよいのだろうか。

 コレクションの形成を考えるため、摸本もいくつか出ていた。桜井香雲が模写した『沙門地獄草紙』には「栢(柏)」の朱文方印が写されている。これは、村山龍平、益田鈍翁らと美術品の蒐集を競った柏木貨一郎の所蔵印だという。柏木貨一郎という名前は初めて覚えたが、興味深い人のようだ。『絵因果経』の摸本も面白かったが、これは鎌倉時代の写なのか。降魔成道の場面が百鬼夜行図みたいで、江戸ものかと思った。
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見仏旅行2018:高野山宿坊の食事

2018-10-13 23:15:50 | 食べたもの(銘菓・名産)
高野山を訪ねるのは、2015年の「開創1200年記念法会」以来だが、前回は日帰り(大阪泊)だったので、宿坊に泊まるのは5年ぶりである。今回も楽天トラベルで予約できる宿坊の中から、アクセスと値段を考えて、密厳院(みつごんいん)さんにした。刈萱堂のすぐ隣り。というか、刈萱堂は同院の所属なのだという。



中庭の大きな池を2階の部屋から見下ろす。



食事は部屋に運んでいただいた。固形燃料で温めたアツアツのお鍋が贅沢で美味。今年の干支のお守り付き。



朝食。大きながんもどきが美味しい。ちなみに前回泊まった宿坊はこちら



食事を終えて寺務所に電話すると「お粗末様でした」とおっしゃる。常に申し訳ないくらい腰の低い応対をしていただいた。大浴場もゆったり使わせていただき、くつろげた。

なお、密厳院の開祖は興教大師覚鑁(かくばん)である。あ、紀州・根来寺の…くらいしか知らなかったので、Wikiを読んでみたら、むちゃくちゃエキセントリックで面白いお坊さんであることが分かった。朝のおつとめのとき、須弥壇の後ろに祀られている弘法大師と興教大師(伝説に似合わず、温和なお姿)にもお参りさせていただいた。

朝のおつとめは、ご住職らしい年嵩のお坊さんが導師の座に着き、若いお坊さんが従うのだが、二人とも声がよくて聞き惚れた。外国人のお客さんが全くいなかったのは、たまたまかもしれないが、逆に珍しい気がした。
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2018年10月@関西:“もののふ”と高野山(霊宝館)、高野山散歩

2018-10-12 22:28:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
高野山霊宝館 第39回大宝蔵展『高野山の名宝 “もののふ”と高野山』(2018年7月14日~10月8日)

 三連休初日は奈良を観光して、大阪・難波に泊まった。翌日は高野山へ。南海高野線、ケーブル、バスを順調に乗り継いで、10時半頃には山上に着いた。予約済みの宿坊に荷物を預けて観光に出発する。今回の関西旅行の最大の目的は高野山霊宝館で、山内の諸寺院に伝わる、戦国大名など「もののふ」ゆかりの品を展示中なのだ(-10/8終了)。

 巡路は常設展示からで、新館のエントランスには梵鐘が2件。1つは弘安3年銘を持つ、河内国高安郡(八尾)教興寺のもの。修理本願に西大寺叡尊の名前がある。もう1つは永正元年、比叡山東坂本・生源寺のもの。信長の焼き討ちのときに高野山に移されたという。また結縁大師と呼ばれる弘法大師坐像があって、ちょっと映画『空海 KU-KAI』の染谷将太くんを思わせる顔立ちだった。と思ったら、向かい側に映画のポスターが張ってあって、にやにやしてしまった。

 次は大好きな展示室で、入るとすぐ巨大な阿弥陀仏坐像と不動明王立像(合体不動)が目に入る。奥の展示スペースには、江戸時代の愛染明王、平安時代の大日如来、お腹まわりのふくよかな(腕は細い)如意輪観音。どん詰まりには、執金剛神立像と深沙大将立像が並ぶ。執金剛神は、長い柄の金剛杵を握りしめる手首、跳ね上げた右足の親指とくるぶしなど、神経のゆきとどいた表現と同時に、全体に調和のとれた美しさがある。こういう若々しい肉体を持つ労働者が、作者快慶の工房で働いていたのかなあと想像する。これに比べると、深沙大将の肉体表現は、やや誇張が目立つ。

 そして、これも大好きな快慶作の四天王立像。見るからに強そうで美しくて、カッコいい!! 筆と巻物を携えた広目天さえも武闘派のオーラが強烈に出ている。添えられた解説を読むと、霊宝館の推しは広目天と多聞天のようだが、私は、動きの大きい増長天も好きだ。左から右へ視点を異動させながら眺めると、どの角度からもカッコよく、アニメーションを見るような楽しさがある。

 新館は第2室と第3室が特別展示。どこかで見たことのある武士の肖像や書状、寄進状が並んでいる。『風林火山』『真田丸』『おんな城主直虎』など、好きな大河ドラマを思い出す名前がチラホラ見えて嬉しい。蓮華定院所蔵の『太閤秀吉像』は左上に「真田安房守昌幸」という署名と花押があり、昌幸旧蔵の秀吉像として伝わっている。ほんとかな? 蓮華定院は、昌幸と幸村(信繁)が高野山に幽閉された際に蟄居した寺院なのだ。このほか『真田信幸(之)像』『真田幸村(信繁)像』『真田幸村書状(天野詣りことわり状)』などを出陳していて、相変わらず真田は大人気。

 武田信玄ゆかりの成慶院が所蔵する『武田二十四将図』(江戸時代)には、山本勘助、馬場美濃、小山田、高坂、真田源太左衛門(幸隆の嫡男)、真田兵部(幸隆の次男)などがいた。金剛峯寺所蔵の『家康公三河十六將伝記図』(江戸時代)は、井伊直政についての「世々遠州井伊谷の領主なり」「今川の為に亡され」云々という記述をしみじみ読んでしまった。また、『豊臣秀吉刀狩朱印状』をじっくり読んだのも初めてのことだった。百姓向けなのに、異国(唐土)の先例を引いているのが面白い。

 本館・紫雲殿に入ると正面には、見上げるような異形の仏を描いた巨大な仏画が掛かっていた。『五大力菩薩像』(平安時代・有志八幡講所蔵)の「竜王吼」と「無畏十力吼」である。あ!前期に来れば「金剛吼」が見られたんだ!と少し後悔したが仕方ない。次の機会を待つことにしよう。白描『五大力菩薩像』(鎌倉時代)もなかなか大きい。『五大力菩薩像』と同じ尊格を描いているのに、微妙に違うところがあるのが興味深かった。成慶院所蔵の『十王図』は、特に個性のない普通の十王図だと思ったら、武田信廉の筆だった。仏画も「もののふ」つながりで選ばれているんだな、と気づく。平清盛が奉納した『両界曼荼羅(血曼荼羅)』は彩色複製縮小版が展示されていた。これら全て、ガラスケースなしの露出展示なので、普通の博物館の展示にない迫力を、ひしひしと肌に感じる。

 ちょっと面白かったのは『一切経秀衡公御寄付状』。高野山には、藤原清衡が中尊寺に奉納した『紺紙金銀交書一切経』4200巻が寺宝として収蔵されている。これは豊臣秀次が中尊寺から略奪し、高野山に寄進するに際し、秀衛の寄進状を偽造させたのではないかと考えられているそうだ。最後の展示室・放光閣は古い仏像に混じる、加藤景雲(1874-1943)作の狩場明神像がよかった。

■大門→壇上伽藍→金剛峯寺→奥の院

 お昼は蕎麦屋で簡単に済ませ、食後は大門まで歩いた後、壇上伽藍と金剛峯寺を西側から順に拝観。2015年の「高野山開創1200年」に合わせて再建された中門の二天王(増長天と広目天)に再会した。





 前回は、開創1200年記念法会の期間中だったので、どこも大混雑だった記憶がある。今回はご朱印もスムーズにいただけた。金堂の内部は、木村武山筆の壁画で荘厳されており、須弥壇の裏側に描かれた苦行の釈迦がちょっとイケメン。ツインテールの六臂弁財天はかわいくてカッコいい。本尊は秘仏だが、須弥壇の脇侍仏たちが印象的だった。四頭の白象が蓮華座を支える普賢菩薩や、降三世明王らしい憤怒の明王像がいらした。

 そろそろ夕方だが、奥の院へ向かう。一の橋口でバスを降り、苔むした墓と供養塔を眺めながら参道を歩く。この夏の台風の影響か、ところどころで杉の大木が折れたり倒れたりしており、そのあおりで転倒した墓石もあり、痛ましかった。目についた「もののふ」の墓所を2つ。徳川四天王のうち、榊原康政墓所と、



本多忠勝墓所である。



※参考:高野山奥之院かなり完璧ガイド(個人サイト)(詳しい!次回はこれを見ながら歩こう)
 
 奥の院に参拝し、空海さんにご挨拶をして、本日の予定を終了。10月とは思えないほど暑かったので、一の橋の近くの洒落たカフェ「光海珈琲」で水分と甘味を補給した。



 そして、宿坊の密厳院に戻ったものの、また冷たい飲み物が欲しくなり、寺務所の方に聞いたら、近くのコンビニを教えてくれた。壇上伽藍の中門近くに24時間営業のコンビニができたのは知っていたが、こちらは裏通りの小さなコンビニで、いかにも地元住民向けの品揃えだった。いいお店を覚えた。高野山に来たら、また寄りたい。
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2018年10月@関西:興福寺、元興寺、高麗(大和文華館)

2018-10-08 23:52:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
興福寺・国宝館 特別展示『(1)邂逅-「志度寺縁起絵」』(2018年10月1日~10月31日)『(2)再会-興福寺の梵天・帝釈天』(2018年10月1日~11月15日)

 この三連休の関西行きは、かなり前から決めていた。それなのに、直前になって大型台風の通過が伝えられたので、旅行を取りやめようか真剣に悩んだ。イチかバチかで決行した結果、雨には全く降られず、かえって夏が戻ったような暑さに悩まされた。

 初日は奈良の興福寺へ。翌日の10月7日(日)に中金堂の落慶法要が予定されているのは知っていたが、今回は予定が合わなかったのと、一般公開は10月20日からだというので様子見のみ。それでも境内に入ると、無粋な覆屋が取り払われて、真新しい堂宇が姿を現しているのを見たときは、不思議な感じがした。



 金色の(はずの)鴟尾はまだ白布で覆われていて、靴下を穿いてるみたい。



 私は、その中金堂の南側にある無料休憩所にまっすぐ駆け込む。中金堂落慶記念のお弁当2種類が、今年の春から期間限定(3月3日~10月28日)で販売されているのだ。半年間あれば、絶対食べられるだろうと気楽な気持ちでいたのに、まだ一度もGETできていない。休憩所内を覗くと、奥の冷蔵ケースに並んでいるのを発見。この旅行の最重要ミッション達成である。土曜日なので、お弁当は「興」バージョンのはずだが、白木の弁当箱には「興」「福」2種類の焼印が見える。落慶法要期間は2種類とも販売しているのだそうだ。ん~どっちも食べたいけど「福」にする。お昼にはまだ早いが、買い逃しては元も子もないので、お弁当をぶらさげて、国宝館の拝観に赴く。

 国宝館は比較的空いていて、ゆっくり見ることができた。巡路の最後に特別展示のコーナーがあり、まず香川県・志度寺所蔵の『志度寺縁起絵』。全6幅のうち、大職冠・藤原鎌足ゆかりの「海女の珠取り説話」にちなむ第2幅・第3幅が、前後期に分けて展示されている。現在の展示は第2幅と思われるが、画面の最上段には海原に浮かぶ帆船。中段には唐風の宮殿が描かれる。竜宮?と思ったら、本当に唐の宮殿だった。鎌足の娘は美貌ゆえに唐の高宗に請われて海を渡り、その妃になっていたという設定なのだ。下段は日本の邸宅かと思ったら、鎌足の娘の屋敷だった。

 その隣りには、2躯の天部像。左の帝釈天立像(根津美術館)は、もとは右の帝釈天立像(興福寺)と一組であったが、明治期に興福寺を離れたもの。今年1月、根津美術館での「再会」に続き、今回は帝釈天のお里帰りによる「再会」が実現した。ちょうど帝釈天の正面には、十大弟子や八部衆立像が並ぶ細長い展示室の入口が開けていて、帝釈天は、一番奥の五部浄像と正対するような位置関係である。根津美術館の奥まった展示室より、こちらのほうが仏像の安置場所としては落ち着く感じがする。そして、根津美術館より、展示位置が高いので、帝釈天の衣や甲冑に描かれた文様(金泥?)が目の前にあって目立つ。

 再び無料休憩所に戻って、休憩スペースでお弁当をいただく。美味! 特に串打ち豆(相輪見立て)が甘くて美味しかった。



元興寺・法輪館 創建千三百年記念・秋季特別展『大元興寺展』(2018年9月13日~11月11日)

 平成30年(2018)が養老2年(718)に元興寺が平城京に創建されてから1300年になることを記念し、関連文化財を一堂に集め、元興寺の歴史を概観する展覧会を開催。旅行に出かける直前にこの展覧会のことを知ったので、久しぶりに元興寺を訪ねた。いつも人の多い興福寺や東大寺に比べると、荒れ寺かと思うような風情で、のんびりできた。





 展示品では「板絵」の阿弥陀三尊坐像や地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)が面白かった。絵馬のように使われたのではないかという。板彫千体地蔵菩薩立像は、板を15cmほどのヒト形に彫り抜き、地蔵菩薩の顔や袈裟を描いたもの。大寺院の檀那とは違った階層の人々の信仰の実態が感じられる。また、大伽藍を誇った古代の大寺院が、都市寺院として残ってきたという歴史も面白いと思った。最後に「総合文化財センター」(2016年11月開所)の紹介があり、走査型電子顕微鏡や蛍光X線回析装置など、最先端の機器の説明に感心した。

大和文華館 特別展『建国1100年 高麗-金属工芸の輝きと信仰-』(2018年10月6日~11月11日)

  高麗(918-1392)は、朝鮮半島の歴史の中でも文化・美術において成熟した時代であり、金属を用いた仏教文物が盛んに制作された。近年の韓国における新たな発見や研究を踏まえながら、高麗の金属工芸が持つ魅力に眼を向ける。見もののひとつは、精巧な象嵌が見どころの『鉄地金銀象嵌鏡架』(愛知県美術館)だろう。1体または2体の小さな金銅仏を収めた、マッチ箱のような小仏龕も魅力的だった。いずれも装飾過多にならない、節度ある美意識が可憐で好ましい。
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密教の美麗と迫力/京都・醍醐寺(サントリー美術館)

2018-10-04 23:44:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』(2018年9月19日~11月11日)

 今年の春、久しぶりに醍醐寺を訪ねて、桜と密教美術を堪能した。そのとき(三宝院だったと思う)美麗な如意輪観音坐像の写真を載せたチラシが置いてあったので、何か特別公開でもやっているのか?と喰いついたのだが、ずっと先の展覧会のチラシと分かって、がっかりした記憶がある。めぐりめぐって、その展覧会を見に来ることができてよかった。なお本展は、2016年、中国の上海博物館(上海)と陝西歴史博物館(西安)で初の醍醐寺展が開催され、広く好評を博したことを記念する展覧会でもあるという。ああ、日本の仏教美術の中でも、真言密教は親和性が高いだろうなあ、きっと。

 会場の入口は、黒一色の目隠しの壁に長方形の窓が刳り抜かれ、ピンク色の桜の枝が嵌め込まれている。中に入るとすぐ、メインビジュアルの如意輪観音坐像(平安時代)。背景には大きな白い球体。花と月の間に浮かぶ金色の観音さま。いや素晴らしく美しかった。正面から見ると、首の傾げ方、右の立膝と六本の腕のつくる角度が絶妙。どの手も指先まで美しく、寝かせた左足の足の裏に、立てた右足を重ねる、その長い指まで色っぽい。伝来についての解説は少なかったが、図録を読むと、清瀧宮の社殿内に准胝観音とともに清瀧権現の本地仏として安置されていたもので、清瀧宮が勧請されたときに他所から移設されたとみられる。そもそも醍醐寺は、理源大師聖宝(832-909)が准胝・如意輪観音像を祀ったことに始まるとされ、特別な仏様なのである。この如意輪観音、調べたら、2014年に奈良博『国宝 醍醐寺のすべて』でお会いしているようだ。このとき見た2躯の如意輪観音のうち、やや小柄な鎌倉時代の像のほうは、今年の春に霊宝館でお会いした。

 まずは日本に真言密教をもたらした空海と、醍醐寺の開祖・聖宝の紹介から。江戸時代につくられた聖宝坐像は、鎌倉時代の作を模したもので、親しみやすく品格ある肖像彫刻。次に真言密教の修行に必要な、両界曼荼羅図、密教法具(珍しい九鈷杵!)、山水屏風(鎌倉時代)などが並ぶ。そして、仏画と仏像の細い通路の両側に名品がズラズラと。仏画は『梨帝母像』『閻魔天像』が見られて幸せ。どちらも線が柔らかく、色も少なくて素朴な味わいがある。でも巧い。『五秘密像』(鎌倉~南北朝)も可愛かった。緑とピンクを基調として、暖かみのある仏画が多い。

 『五大尊像』(鎌倉時代)5幅並び(-10/15)を見ることができたのも嬉しい。どれも甲乙つけがたくカッコいい!!! しかし、醍醐寺展と聞いて、最初にチェックしたのは『太元帥法本尊像』6幅が出るかどうかで、九州会場しか出ないと分かったときは落胆した。まあデカい会場でないと無理だからなあ…。他にも絵画は九州会場のみ出品がかなりある。

 仏像は、快慶作の不動明王坐像、帝釈天騎象像、閻魔天騎牛像などバラエティに富む。檀像ふうの小さな虚空蔵菩薩像(聖観音像)は、彫りにメリハリがあり、印象が強い。寺内に現存する仏像のうち最も古いものと見られている。第1会場の最後を飾るのが、五大明王像。平安時代のイメージをくつがえす独創的な造形で、大威徳明王の牛がかわいい。醍醐寺では霊宝館の仏像館でお会いした。

 さて、あとは何が来ているんだろう?と思いながら階段に向かうと、階段下のホールには、巨大な薬師如来と小さな両脇侍(日光・月光菩薩立像)がいらっしゃった。背景には緑の薄布を垂らし、天井の高い空間をうまく使った演出である。この薬師さまにも霊宝館で何度か会っている。武骨で茫洋とした印象が強かったが、台座のそばまで近づいて、斜め下から見上げてみると、けっこう鼻筋の通った、理知的なお顔をしていることが分かった。

 第2会場は、主に南北朝・室町時代以降、醍醐寺の法脈を守った人々。醍醐寺の僧侶たちに加え、足利義満の書状や織田信長の黒印状など。きわめつけは、豊臣秀吉と醍醐寺の間を取り持ち、三宝院を復興した義演だろう。三宝院からは『柳草花図』の襖絵が出ていた。現地で見ているか、記憶にないけど、新しさを感じるデザインだった。会場の出口にも黒い目隠し壁のガラスの小窓に桜の枝(造花?)があしらわれていて、三宝院の、秀吉ゆかりのしだれ桜を後世に残すため、クローン技術が用いられているという説明が興味深かった(※参考:住友林業「その桜を救うことは…」)。

 来春の九州会場も行きたいなあ…。
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個人蔵と地方仏多め/仏像の姿(かたち)(三井記念美術館)

2018-10-03 22:57:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『「仏像の姿(かたち)」~微笑む・飾る・踊る~』(2018年9月15日~11月25日)

 展覧会趣旨に力が入っているので、一部をそのまま引用しておく。…仏像の作者である「仏師」の豊かな感性と独創性、そして高度な技術に光を当て、特に仏像の「顔」「装飾」「動きとポーズ」を切り口に、日本人の心と創造力を様々な角度からご覧いただくことに挑戦します。…まさに「仏師がアーティストになる瞬間」を、本展覧会でぜひご体感ください。

 多くの有名な仏像は、今日でも信仰の対象となっているので、よくも悪くも、ここまで「作品」という位相に押し込めた展覧会は珍しいのではないか。それが実現できたのは、有名寺院の本尊クラスの仏像を避け、個人蔵や博物館蔵を中心に集めたためではないかと思う。

 冒頭には室町時代の迦陵頻伽立像(個人蔵)が出ていて、いきなり衝撃を受けた。昨年、京都の細見美術館で開催された『末法』展に出ていたものだ。しかし『末法』展では、何か禍々しい印象を受けたのに(演出のせい?)今回は普通に見ることができた。ぐるりと一回りできるので、背面を見て、なるほどこの角度で光背に付いていたのかと考えたりした。解説によれば、鎌倉・覚園寺の薬師三尊像の光背に付されていた可能性が指摘されているそうだ。

 第1展示室は小像が多く、個人蔵のほか、東博や金沢文庫(称名寺)、芸大所蔵の金銅仏(飛鳥時代)などが出ていて、出陳先の傾向に納得した。岐阜・臨川寺の菩薩坐像(平安時代)2躯は初めて見るもので、菩薩らしからぬ力のこもった顔つきに惹かれた。三重・瀬古区の十一面観音立像(平安時代)も優雅な檀像スタイルをぶちこわす豪快さが好き。地方仏は面白い。

 本展は、作品としての仏像を見るポイントとして「顔」「装飾」「動きとポーズ」を挙げる。「装飾」のセクションには、彩色や截金、宝冠や光背などの金工芸を見どころとする仏像が並ぶ。東博所蔵の阿弥陀如来立像(泉涌寺伝来)は、意識したことがなかったが、光背と台座がすごくよい。奈良・春覚寺(調べたら山の中である)の地蔵菩薩立像は截金が美麗。そして、鎌倉時代の弥勒菩薩立像(個人蔵)は、忘れもしない、『末法』展のメインビジュアルだった弥勒菩薩像である。円光に放射光を組み合わせた光背が、ちょっとデカダンなくらいに美しくて、今回、光背を裏側から見た写真が添えられているのが、すごく嬉しかった。なお、この弥勒菩薩像は2016年に金沢文庫の企画展『国宝でよみとく神仏のすがた』にも出品されていることを書き留めておこう。

 「動きとポーズ」はやはり天部と明王が面白い。滋賀・長命寺の広目天立像、滋賀・春日神社の天部立像、滋賀・光照寺の持国天・多聞天立像(いずれも平安時代)など、近江の古仏がたくさん来ていて嬉しかった。不動明王は、埼玉・地蔵院のもの(鎌倉時代)が、前髪をなびかせ、右手の剣を肩にかつぐような自由なポーズで面白かった。珍しいところでは、奈良博の走り大黒こと伽藍神立像(鎌倉時代)が来ていたり、小田原文化財団の雷神立像(南北朝時代)を初めて見た。

 あと、大阪・長圓寺の、顔が横に広がったような十一面観音立像(平安時代)と、腰から上しかない滋賀・荘厳寺の聖観音坐像(平安時代)も好きだったので、ここにメモしておく。

 茶室・如庵を模した展示室3は、床の間に『絹本着色如意輪観音像』(紺地に金の如意輪観音像)を掛け、『根来塗日の丸盆』に『金銅牡丹透彫柄香炉』を合わせ(赤と金)、巨大な『木造蓮弁(唐招提寺伝来)』に『木造化仏(唐招提寺伝来)』を載せるなど、とことんやり尽くした演出で楽しかった。

 最後の展示室6は、東京藝術大学保存修復彫刻研究室(籔内佐斗司教授)とのコラボで、芸大の学生による模刻・修復作品や、その過程をまとめたポスターが展示されていた。だいたい春の芸大コレクション展を見に行くと、別会場で研究報告発表展をやっているので、私は何度か見たことがあるが、全く新たな客層にアピールするのはいいことだと思う。
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劣化する大国/トランプのアメリカに住む(吉見俊哉)

2018-10-02 23:22:19 | 読んだもの(書籍)
〇吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(岩波新書) 岩波書店 2018.9

 著者は2017年9月から18年6月までの10か月間、ハーバード大学で教えるために渡米し、トランプ政権の1年目から2年目のアメリカを体験した。本書は、著者が滞在することになったライシャワー邸を取り巻く豊かな自然、日本から送った小包6箱(中身は本と資料)のうち4箱が途中で消えてしまったトラブルなど、身辺雑記的な記述を織り交ぜながら、メディアを通して見る今日のアメリカと、著者の思索を通して歴史的・地理的パースペクティブの中に浮かび上がるアメリカが、重層的に語られている。堀田善衛の『インドで考えたこと』など、いくつかの新書の名著を思い出すスタイルである。

 以下に印象的な記述を拾っていくが、はじめに哲学者ローティの「予言的批判」が参照される。ローティによれば、かつてアメリカの左翼的知性は、マルクス主義よりも、市場主義の是正と富の公正な再分配に取り組んでいた。しかし、70年代以降の知識人が、文化をめぐる抽象的な理論に囚われ、経済的格差の問題に背を向けてきた結果、社会は内側から劣化し、過去半世紀の改善の成果が台無しになりつつある。日本を代表するカルチュラル・スタディーズの研究者である著者は「私はこのローティの批判を真摯に受け止めなければならない」と言う。ただし、文化や理論についての議論を停止するのではなく、「理論自体を未来への回路としていく道」を探すという困難な課題設定の下に、本書は書き進められていく。

 第1章は「ポスト真実」をテーマに、2016年の大統領選におけるロシアの関与疑惑と偽ニュースの影響を、公表されている調査をもとに検証する。偽ニュースとインターネット(ソーシャルメディア)の親和性は恐ろしいほどで、しかも「こうした自己閉塞的な政治的ファンタジーへの回路が、高度なアルゴリズムによって精密に設計可能になっている」という指摘は悪夢的である。このディストピアを人間は回避することができるのだろうか。

 第2章は「星条旗とスポーツの間」で、アメリカの国旗・国歌の歴史が興味深く、公定の国歌とは別に、人気の高い「国民歌」(「アメリカ」「コロンビア万歳」など)があるというのは、実は多くの国家に当てはまるのではないか。後日談として、想田和弘監督のドキュメンタリー映画『ザ・ビッグハウス』への言及があり、アメリカにおける「スポーツ」と「軍事」と「宗教」の共振関係、さらにこれは「アメリカの大学についての映画」だという指摘が面白かった。やっぱりこの映画、見に行こう。

 第3章を後回しにして、第4章は「性と銃のトライアングル」、すなわちトランプ政権下で続出したセクハラ問題と銃乱射事件を考える。著者は、アメリカ開拓が処女地の征服として表象されているとおり、この倒錯から出発した国が、内部に隠蔽してきた暴力と虐待の記憶、そして他者への恐怖が、二つの事件の根底にあると考える。これは、かなり文化的コンテキストの読みの問題になり、賛否が分かれるかもしれないが、興味深かった。

 第5章は「反転したアメリカンドリーム」で、日本から送った船便小包の紛失をマクラに、公共インフラの壊滅的な劣化と、トランプ支持層と言われるラストベルトの労働者の「貧困の文化」を考える。20世紀の大衆にとっての「アメリカンドリーム」は、無一文から億万長者になることではなく、全ての国民が中産階級的な生活に到達することだった(この指摘は、習近平の掲げる「中国夢」を思い出させる)。しかし、今日、中産階級的な生活に慣れた白人労働者たちは、貧困への転落に怯えている。彼らが求めているのは「生活」と「誇り」で、IT産業の下請けになるよりも「汗を流して自分の腕で稼ぎたがっている」という。彼らの気持ちは分かるが、コミュニティの立て直しの難しさを感じた。

 第6章は「アメリカの鏡・北朝鮮」で、核を徹底的に拒絶した日本の戦後と、巨大な核を持つことでアメリカと対峙しようとした北朝鮮が対比的に語られる。また、冷戦構造の中で、日本人に親米意識を根付かせるために送り込まれたライシャワー大使の功罪が論じられている。戦前の日本が成し遂げた近代化を積極的に肯定し、アジアの中で日本に特権的な地位を与えることで、近隣諸国に対する侵略を免罪した、という指摘は重い。今日でも、ケネディ・ライシャワー戦略の罠に嵌っている日本人は多いのではないかと思う。

 さて、第3章「ハーバードで教える」は、もっぱら著者の体験に基づく。契約文化ならではのシラバスの重要性、授業における第三のアクターとしてのTAの役割、単なる感想ではなく構造化された学生による授業評価など、日本の大学がいくら外形的な制度を取り入れても「似て非なる」ハーバードの教育システムが紹介されている。特に、決定権を持つ職員(教員ではない)がいることの重要性には、何十回でも同意したい。日本では大学の諸機能の専門職化が進んでいないため、職員は教授陣の了解なしに物事を決めることを避け、教員は無数の会議で疲弊していく。この非効率性を改めるには、いったいどこから手を付ければいいのだろうか。

 終章は、1993-94年のメキシコ滞在に関する旧稿。著者の意図とは異なるかもしれないが、曲がりくねった路地で出会う聖人を祭るパレードなど、エキゾチックな風景が印象に残った。
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