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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

学問のすゝめ

2012-08-17 19:49:14 | 読んだ本
福沢諭吉 1942年発行・1978年改版 岩波文庫版
きのうから、学問つながりである。
私が持っているのは、1986年2月の第46刷である。
もとは、明治五年から九年までに、時に断続しつつ出版された17編の小冊子からなってるんである。
明治の文章なんで、いまとちょっと違う。
「~せざるべからざるものなり」とか言われちゃうと、肯定してんだか否定してんだか一瞬わかんない。
でも、けっこう読みやすい。今回あらためて読み直してそう思った。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という始まりはあまりに有名。
だけど、世のなかには、賢い人もいる一方愚かな人もいる、貧乏な人もいれば金持ちもいる、身分の高い人も低い人もいる、それはどうして差が出てきちゃうのかっていえば、学ぶか学ばないか次第なんである、っつーことだな。
でも、学問ってのは、ただ難しい字や文を読んだりするだけぢゃなくて、物事の道理を理解して、今日的な役に立たなきゃいけない、って所謂実学をすすめてる。
昨日の「新・学問論」でも、いまの大学は役に立たないことばっかりで社会に出てから実学を学ぶことになるみたいなことあったけど、日本って百年くらい何も進歩してないんぢゃないかなって気がする。
第十二編にいわく、
>学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。
って。
それはそうと、人の上に人を造らず~とか言ってるけど、だからって、むやみに平等バンザイっていうわけぢゃなくて、学ばない人に対しては厳しいのが本書のいいところ。
江戸から明治になって、士農工商の身分はなくなったんだけど、だからって、勝手なことすんなって言ってる。
>凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極は恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして妄(みだり)に傍の富める人を怨み、甚だしきは徒党を結び強訴一揆などとて乱妨に及ぶことあり。
と指摘したあとに、
>かかる愚民を支配するには、迚(とて)も道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛(から)き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災(わざわい)なり。
なんて、ビシッと言ってるとこには、今回じつに久しぶりに読み返したんだけど、思わず赤鉛筆で線を引きたくなった。
平成の御代、21世紀のわが国にも通じることぢゃない、政府がどうのこうの言うけど、バカな国民のうえにはしょーもない政府しかできないのよ。
このことは、繰り返し出てくる。
第七編にも、
>国の政体に由って定まりし法は、仮令(たと)い或いは愚なるも或いは不便なるも、妄(みだり)にこれを破るの理なし。
として、権力は人民より約束して政府に与えたんだから、政府のやることが気に入らんからっていちいちワガママ言うなって、議会制民主主義の原則(かな?)を言ってる。

全17編(17って、もしかして憲法十七条に由来してる?って今回ふと思った。近代的な考え方してる著者はそんなことにこだわるとは思わないけど、御成敗式目が17の倍数の51条からなるように、17という数字は日本人の思想に影響というか支配を及ぼしてるって説を思い出したもんで)にわたって、やっぱ読みやすいなって気はする。
で、解説(この文庫では「後記」)によれば、読みやすい文章にするために著者は苦心したんだそうな。
このへん、きのうの「新・学問論」にあった、アカデミズムとジャーナリズムの相互乗入れを、明治維新直後において意識してたんぢゃないかと、私は思う。
やっぱ、福沢諭吉先生は、エライ。
コメント
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