山野浩一・白井透・吉田照哉・高橋源一郎 1992年 ミデアム出版社
競馬つながり。
「競馬を考えるシリーズ1」ってなってるけど、2以降があるのかどうかは知らない。
4名の座談会を収めた形式の本なんだけど、言っちゃあなんだけど、雑な感じの本なんだ。あまり読み返すようなものぢゃない。(実際、いちど読んだっきり、ずっとほっぽっておいた。)
たとえば、参加者の発言のなかで「いま馬連があれして半々ぐらいですか(略)」「やはりこのところのブームで押し切ってしまったのが、いまのところあれなんじゃないですか」とか、「あれ」をそのまま文中に置いとくのなんかは、ちゃんと編集して明確な言葉にしてもらいたい。
まあ、細かいことはいいとして、出版された1992年は、その年の4月にJRAから「外国産馬の出走制限緩和策 五カ年計画」が発表されたんで、そのことがメインテーマ。
いまとなっては昔話になってしまったが。
当時の「五カ年計画」ってのは、ひとつには、マル混合競走の編成率を、平成2年25%、平成3年30%だったものを、段階的に増やして、平成8年に65%にするというもの。もうひとつは、マル混合の重賞競走を、平成2年47競走、平成3年の50競走から、平成8年には105競走にする。(全重賞競走数は当時108競走だった。マル混合にしない残りの3競走は、父内国産限定なんだろう。)あと、マル国際競走を、ジャパンカップと富士ステークスの2つだけなのから、17競走にするというもの。
で、国内の競馬関係者は、余計なものが海外から入ってこないほうがいいに決まってるので、みんな反対だったんだが、これだけ開放したらどうなるのか、開放すべきか否かという議論はかまびすしかった。
現在、外国産馬が走れる競走の数がどうなっているかは周知のとおり(それにしても、マル混合競走は平地競走の55%程度にとどまってるってのは、意外といえば意外か。)なので、いまこの本の内容をふりかえってみてもしかたない。自説の言いたい放題の部分もあるしね。
前回の「サラブレッド・ビジネス」との関連でいえば、生産者である吉田照哉氏が、
>シンジケートは六十口で持っていて、一人や二人が売ろうとしていたら買い支えちゃうんです。(略)そのうちだれかが、うちは二百万で売っているのを、百五十万でいいやと売っちゃうと、うちはそれを買ってしまって、百五十万のものが市場に出回らないようにしていた。
なんて発言してるけど、それは日本の特殊事情ぢゃなくて、欧米でも当たり前のこと、サラブレッドの世界の基本だったってことは確認できた。
今回読み直してみて注目したのは、国際化やサラブレッドの取引のことよりも、むしろ中央競馬の厩舎のこと。
馬主である吉田照哉氏が主に発言している、以下のような点。
>日本はほとんどのめぼしいバイヤーが、当歳のうちに自分の馬房の分だけを決めちゃうわけですよね。だから二歳馬でよっぽどいい馬が出てないかぎり、実需に基づいたセリの値段てのはなんです。(略)ふつうの馬だったら調教師さんが当歳馬のうちにみんな、これだけは入厩できるなという分を決めちゃってるんですよ。(略)
(引用者注:二歳というのは、現在の1歳のこと。)
>(略)最近は、厩舎に入るのが三歳(引用者注:これも今の2歳のこと)の五月から十月、十一月になっちゃって、牧場でも調教しなければならなくなった。これがヨーロッパの場合ですと、二歳(同注:1歳)の九月か十月に入厩して、ブレーキングから初期調教と呼ばれるものは厩舎が全部やるんです。そういうのを日本では、牧場がやらなければならない。日本のいまの厩舎の数を効率的に使うためには、そうなっているわけです。
>日本は厩務員が馬をやっているというのがけっこう多いんですよね。(略)馬の手入れから、ヘタすると調教師さんがいないと調教のメニューもとか。だからまるで調教師ですよね。(略)札幌に馬房三つとか二つと言ったら、調教師さんだって一人の人間が二、三カ所に分かれるわけにいかないから、ちゃんと弟子を育てて、厩舎をうまくいかせる。
競馬つながり。
「競馬を考えるシリーズ1」ってなってるけど、2以降があるのかどうかは知らない。
4名の座談会を収めた形式の本なんだけど、言っちゃあなんだけど、雑な感じの本なんだ。あまり読み返すようなものぢゃない。(実際、いちど読んだっきり、ずっとほっぽっておいた。)
たとえば、参加者の発言のなかで「いま馬連があれして半々ぐらいですか(略)」「やはりこのところのブームで押し切ってしまったのが、いまのところあれなんじゃないですか」とか、「あれ」をそのまま文中に置いとくのなんかは、ちゃんと編集して明確な言葉にしてもらいたい。
まあ、細かいことはいいとして、出版された1992年は、その年の4月にJRAから「外国産馬の出走制限緩和策 五カ年計画」が発表されたんで、そのことがメインテーマ。
いまとなっては昔話になってしまったが。
当時の「五カ年計画」ってのは、ひとつには、マル混合競走の編成率を、平成2年25%、平成3年30%だったものを、段階的に増やして、平成8年に65%にするというもの。もうひとつは、マル混合の重賞競走を、平成2年47競走、平成3年の50競走から、平成8年には105競走にする。(全重賞競走数は当時108競走だった。マル混合にしない残りの3競走は、父内国産限定なんだろう。)あと、マル国際競走を、ジャパンカップと富士ステークスの2つだけなのから、17競走にするというもの。
で、国内の競馬関係者は、余計なものが海外から入ってこないほうがいいに決まってるので、みんな反対だったんだが、これだけ開放したらどうなるのか、開放すべきか否かという議論はかまびすしかった。
現在、外国産馬が走れる競走の数がどうなっているかは周知のとおり(それにしても、マル混合競走は平地競走の55%程度にとどまってるってのは、意外といえば意外か。)なので、いまこの本の内容をふりかえってみてもしかたない。自説の言いたい放題の部分もあるしね。
前回の「サラブレッド・ビジネス」との関連でいえば、生産者である吉田照哉氏が、
>シンジケートは六十口で持っていて、一人や二人が売ろうとしていたら買い支えちゃうんです。(略)そのうちだれかが、うちは二百万で売っているのを、百五十万でいいやと売っちゃうと、うちはそれを買ってしまって、百五十万のものが市場に出回らないようにしていた。
なんて発言してるけど、それは日本の特殊事情ぢゃなくて、欧米でも当たり前のこと、サラブレッドの世界の基本だったってことは確認できた。
今回読み直してみて注目したのは、国際化やサラブレッドの取引のことよりも、むしろ中央競馬の厩舎のこと。
馬主である吉田照哉氏が主に発言している、以下のような点。
>日本はほとんどのめぼしいバイヤーが、当歳のうちに自分の馬房の分だけを決めちゃうわけですよね。だから二歳馬でよっぽどいい馬が出てないかぎり、実需に基づいたセリの値段てのはなんです。(略)ふつうの馬だったら調教師さんが当歳馬のうちにみんな、これだけは入厩できるなという分を決めちゃってるんですよ。(略)
(引用者注:二歳というのは、現在の1歳のこと。)
>(略)最近は、厩舎に入るのが三歳(引用者注:これも今の2歳のこと)の五月から十月、十一月になっちゃって、牧場でも調教しなければならなくなった。これがヨーロッパの場合ですと、二歳(同注:1歳)の九月か十月に入厩して、ブレーキングから初期調教と呼ばれるものは厩舎が全部やるんです。そういうのを日本では、牧場がやらなければならない。日本のいまの厩舎の数を効率的に使うためには、そうなっているわけです。
>日本は厩務員が馬をやっているというのがけっこう多いんですよね。(略)馬の手入れから、ヘタすると調教師さんがいないと調教のメニューもとか。だからまるで調教師ですよね。(略)札幌に馬房三つとか二つと言ったら、調教師さんだって一人の人間が二、三カ所に分かれるわけにいかないから、ちゃんと弟子を育てて、厩舎をうまくいかせる。