橋源一郎 1991年 ミデアム出版社
こないだの競馬のはなしのつづき。
作家・高橋源一郎氏が、サンケイスポーツの土日の競馬欄に連載してる(たぶん今もある)コラム『こんなにはずれちゃダメかしら』の単行本。
収録されてるのは、1988年11月19日(土)から1990年末までの、2カ年とちょっとぶん。
当時の私はリアルタイムで読んでたと思うし、けっこう好きだったんで、書籍化されると聞いて即買ったんぢゃないかと思う。
競馬の予想コラムのなにがおもしろいかって言われても困るんだが、本書のなかにおいても著者自身が、
>(略)なぜわざわざ他人の予想なんかを読むんだろう。そんなもの読まずに、さっさと馬券を買えばいいじゃないか。
>もちろん、馬券を買う参考にする時もあるだろう。だが、それだけではあるまい。競馬について、こいつはどんな考えを持ってるのか。顔さえ見たことのないファン同士が、新聞の予想を通じて競馬のおしゃべりをする。それが競馬の予想だと思う。
と書いている一節があり、まあ、そういうことなんである。
このテの本において、私にとっていちばん面白かったのは、大橋巨泉氏の『競馬解体新書』なんだけど、巨泉氏は評論家的スタンスが多かったのに比べて、本書はファン的要素が多くて、そういう色合いのなかで面白いことにかけては白眉だと思う。
(※どうでもいいけど、急に思い出したこと。競馬評論活動から退いた大橋巨泉氏が、ミホノブルボンのダービーだか菊花賞だかのときに、フジテレビの競馬中継に一日だけ復帰した。
そのときに、テレビ局側が、ミホノブルボンの生産牧場はそれほど大きくなくて、種付料の高いのは避けて、ダンディルートの代わりに同系のシャレーで繁殖牝馬をつくり、そこにミルジョージの代わりに同系のマグニテュードをつけて作ったのが、ミホノブルボンだと、理論の正しさと情熱と手段の賢明さをアピールするかのように紹介したんだけど、巨泉氏はひとこと「偶然でしょう」と言い切った。
あれはかっこよかった。)
こういうのを書かせると、世の中には、たいがい、寺山修二のマネというか亜流にすぎないのが多いんだけど、これはかなり独自のおもしろさだと私は思う。
>哲学的な顔つきをしている「マウント」ニゾンの単。(略)相手は、何を考えているかさっぱりわからないメグロアサヒと、考える方はすっかり岡部にまかせているスルーオダイナ。(略)
なんて文章を読むと、いまだに吹き出してしまいそうになる。(最後の部分が特におかしい。)
競馬ファンの視点による、独自の競馬観と言っていい、いろんな理論は実に楽しい。
>あと一歩でオープンという連中である。オープンと準オープンの壁は高く厚い。(略)
>オープンへいくかと思われたダイワゲーブルもどうやらこの「準オープン友の会」入りしたらしい。「友の会」の特徴は毎回勝ち馬が変わる点である。となれば「友の会」会長候補ハーディゴッドの勝つ番か。(略)
なんて書いて(注:現在の勝ったら原則必ず昇級する競走条件制度のなかでは、このような現象は無くなってしまった。)おいて、翌週のコラムで、なぜハーディゴッドの勝つ番なのかという質問に、
>オープンへあと一歩足りない準オープン馬たちは勝ったり負けたりを繰り返しながら、トータルではプラスマイナス0になってしまう。これをぼくは「準オープン馬の成績のエントロピー的死滅理論」と呼んでいるのだが、べつに難しいことはなんにもなくて、前走の「裏切り指数」が大きい馬が今度は走るという単純な理屈なんです。ちなみに「裏切り指数」というのは着順から人気を引いたものです。
だなんて明かしている。秀逸な理論だ。
全編、いま読んでも、とてもおもしろい。
これは、もしかしたら、競馬自体が当時のほうがおもしろかったのかもしれない、という危険な結論もはらんでると推測してしまう。
だって、1989年1月20日のニューイヤーステークスの予想で、「だいたい、この辺の連中は、頼りになりそうでならないやつばっかりだからなあ。」なんて書いてるんだけど、その出馬表が、
1 ダイナフランカー53蛯名正
2 ダイナアルテミス54安田富
3 リンドホシ55的場
4 アドバンスモア54増沢
5 シノクロス54郷原
6 オンワードミズーリ54蛯沢
7 ケープポイント53柏崎
8 オラクルアスカ55岡部
9 アイビートウコウ55中舘
と来たもんだ。そうそう!あるある!って言いたくなっちゃうメンバー構成だ。
アドバンスモアとケープポイントとアイビートウコウあたりが一緒に出てると、今回はどれが一番前に来るんだ、って迷っちゃうし、考えてもわからない。
いまこういうの少ないような気がする。
それはそうと、当時の連載時点からそうだったんだけど、著者の予想より、「ワイフ」の予想のほうが脚光を浴びてたのも、このコラムの大きな一つの特徴だった。
ホクトヘリオスが死ぬほど好きで、競馬場に行くときは枠の色の服でビシッと決めて、「アイノマーチの場合、パドックで目がクリッとしてる時は走る」だなんて独特の相馬眼をしている、「ワイフ」の説はいつもいろんな人に支持されてたと思う。
まあ、いろいろ笑える話がいっぱいではありますが、1990年の有馬記念当日に書かれた、
>わたしは、武豊がおそらく三コーナーで一度は彼を先頭に立たせるのではないかと予想しております。その後は馬群に沈むにせよ、その瞬間は『オグリ!』と叫びたいと思っています。
という、ちょっと哀愁すらただよう、せつなげな一節は、競馬について書かれたあらゆる文章のなかで、私のもっとも好きなもののひとつではあります。
こないだの競馬のはなしのつづき。
作家・高橋源一郎氏が、サンケイスポーツの土日の競馬欄に連載してる(たぶん今もある)コラム『こんなにはずれちゃダメかしら』の単行本。
収録されてるのは、1988年11月19日(土)から1990年末までの、2カ年とちょっとぶん。
当時の私はリアルタイムで読んでたと思うし、けっこう好きだったんで、書籍化されると聞いて即買ったんぢゃないかと思う。
競馬の予想コラムのなにがおもしろいかって言われても困るんだが、本書のなかにおいても著者自身が、
>(略)なぜわざわざ他人の予想なんかを読むんだろう。そんなもの読まずに、さっさと馬券を買えばいいじゃないか。
>もちろん、馬券を買う参考にする時もあるだろう。だが、それだけではあるまい。競馬について、こいつはどんな考えを持ってるのか。顔さえ見たことのないファン同士が、新聞の予想を通じて競馬のおしゃべりをする。それが競馬の予想だと思う。
と書いている一節があり、まあ、そういうことなんである。
このテの本において、私にとっていちばん面白かったのは、大橋巨泉氏の『競馬解体新書』なんだけど、巨泉氏は評論家的スタンスが多かったのに比べて、本書はファン的要素が多くて、そういう色合いのなかで面白いことにかけては白眉だと思う。
(※どうでもいいけど、急に思い出したこと。競馬評論活動から退いた大橋巨泉氏が、ミホノブルボンのダービーだか菊花賞だかのときに、フジテレビの競馬中継に一日だけ復帰した。
そのときに、テレビ局側が、ミホノブルボンの生産牧場はそれほど大きくなくて、種付料の高いのは避けて、ダンディルートの代わりに同系のシャレーで繁殖牝馬をつくり、そこにミルジョージの代わりに同系のマグニテュードをつけて作ったのが、ミホノブルボンだと、理論の正しさと情熱と手段の賢明さをアピールするかのように紹介したんだけど、巨泉氏はひとこと「偶然でしょう」と言い切った。
あれはかっこよかった。)
こういうのを書かせると、世の中には、たいがい、寺山修二のマネというか亜流にすぎないのが多いんだけど、これはかなり独自のおもしろさだと私は思う。
>哲学的な顔つきをしている「マウント」ニゾンの単。(略)相手は、何を考えているかさっぱりわからないメグロアサヒと、考える方はすっかり岡部にまかせているスルーオダイナ。(略)
なんて文章を読むと、いまだに吹き出してしまいそうになる。(最後の部分が特におかしい。)
競馬ファンの視点による、独自の競馬観と言っていい、いろんな理論は実に楽しい。
>あと一歩でオープンという連中である。オープンと準オープンの壁は高く厚い。(略)
>オープンへいくかと思われたダイワゲーブルもどうやらこの「準オープン友の会」入りしたらしい。「友の会」の特徴は毎回勝ち馬が変わる点である。となれば「友の会」会長候補ハーディゴッドの勝つ番か。(略)
なんて書いて(注:現在の勝ったら原則必ず昇級する競走条件制度のなかでは、このような現象は無くなってしまった。)おいて、翌週のコラムで、なぜハーディゴッドの勝つ番なのかという質問に、
>オープンへあと一歩足りない準オープン馬たちは勝ったり負けたりを繰り返しながら、トータルではプラスマイナス0になってしまう。これをぼくは「準オープン馬の成績のエントロピー的死滅理論」と呼んでいるのだが、べつに難しいことはなんにもなくて、前走の「裏切り指数」が大きい馬が今度は走るという単純な理屈なんです。ちなみに「裏切り指数」というのは着順から人気を引いたものです。
だなんて明かしている。秀逸な理論だ。
全編、いま読んでも、とてもおもしろい。
これは、もしかしたら、競馬自体が当時のほうがおもしろかったのかもしれない、という危険な結論もはらんでると推測してしまう。
だって、1989年1月20日のニューイヤーステークスの予想で、「だいたい、この辺の連中は、頼りになりそうでならないやつばっかりだからなあ。」なんて書いてるんだけど、その出馬表が、
1 ダイナフランカー53蛯名正
2 ダイナアルテミス54安田富
3 リンドホシ55的場
4 アドバンスモア54増沢
5 シノクロス54郷原
6 オンワードミズーリ54蛯沢
7 ケープポイント53柏崎
8 オラクルアスカ55岡部
9 アイビートウコウ55中舘
と来たもんだ。そうそう!あるある!って言いたくなっちゃうメンバー構成だ。
アドバンスモアとケープポイントとアイビートウコウあたりが一緒に出てると、今回はどれが一番前に来るんだ、って迷っちゃうし、考えてもわからない。
いまこういうの少ないような気がする。
それはそうと、当時の連載時点からそうだったんだけど、著者の予想より、「ワイフ」の予想のほうが脚光を浴びてたのも、このコラムの大きな一つの特徴だった。
ホクトヘリオスが死ぬほど好きで、競馬場に行くときは枠の色の服でビシッと決めて、「アイノマーチの場合、パドックで目がクリッとしてる時は走る」だなんて独特の相馬眼をしている、「ワイフ」の説はいつもいろんな人に支持されてたと思う。
まあ、いろいろ笑える話がいっぱいではありますが、1990年の有馬記念当日に書かれた、
>わたしは、武豊がおそらく三コーナーで一度は彼を先頭に立たせるのではないかと予想しております。その後は馬群に沈むにせよ、その瞬間は『オグリ!』と叫びたいと思っています。
という、ちょっと哀愁すらただよう、せつなげな一節は、競馬について書かれたあらゆる文章のなかで、私のもっとも好きなもののひとつではあります。