村上春樹 2015年9月 スイッチ・パブリッシング
つい最近でた、エッセイ集。
小説を書くことについて自らの考えをまとめて語ったもの、ということになるか。
読みやすい感じがするのは、全般的に語り口調だってことがひとつの要因になっているとみて、まちがいなさそう。
ほんと、なにか講演をやったのかと、初出を確かめてしまった。(もちろん(?)違った。)
「MONKEY」という刊行物に連載していたものらしい。
スイッチ・パブリッシングって出版元の名前も、私は聞いたことなかったんだけど、MONKEYは翻訳でおなじみの柴田元幸さんが起ち上げた文芸誌らしい。巻末にバックナンバーの宣伝があったんだけど、なんだか読みたくなってきた。
それはそうと。
本書を一読したところの感想は、とても丁寧な書きものだなって印象を、まずもった。
それは語り口だけぢゃなくて、あちこちに、断定しない、あるいは留保する、違ってたら悪いんだけど、みたいな村上さんの口ぶりがみられるからぢゃないかと思う。
それは、本書で村上さんが言おうとしていることが、何度も繰り返されてるように、「個人的」なとか、「実感」というところに根ざしてるからで、「こうすればベストセラーは書けるぅー! (だから(騙されたと思って)この本、買えぇー)」みたいなのとは無縁というか対極というか、だからぢゃないかと。
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける―長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出
というコンテンツのいくつかの字面をみると、なんか小説の書き方読本のようにも見えなくもないけど、そういうハウツー本ではない。
っていうより、もっと何ていうか、生き方みたいなものの指南書っていったほうが近いような気がする。
自由に生きる、あるいは、強く生きる、ってことのためにはどうしたらいいのか、とか、そういう問題意識をもってるひとのほうが、文章うまくなりてーって人よりは役に立つのでは?
それでもなんでも、デビュー直後のころ、今後どうやって小説家としてやっていくかを考えてるときに、
>そしてどういう小説を自分が描きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書きたいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極星みたいに光って浮んでいかわけです。(略)(p.97)
みたいに進むべき道が見えていたと語ってるところなんかは、とても興味深い。
デビュー作書いたあとに北極星がみえる、それを才能というんぢゃないかと。
>いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションです。僕の経験から言って、スマートでコンパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。(略)(p.116)
みたいな見解も、とてもおもしろい。アタマが良くて、器用なひとなら(たとえ本業が違う仕事であっても?)、おっと言わせる小説をひとつふたつ書くことはできるけど、そういうひとは長く小説家であることはない、というようなことがあるのも、そのへんの物事の捉え方・考え方の違いからきてるらしい。
とりあえず、まだ一回しか読んでないけど、たいへん気に入った本だとはいえます。(繰り返し読むかどうかは、わかんない。)
つい最近でた、エッセイ集。
小説を書くことについて自らの考えをまとめて語ったもの、ということになるか。
読みやすい感じがするのは、全般的に語り口調だってことがひとつの要因になっているとみて、まちがいなさそう。
ほんと、なにか講演をやったのかと、初出を確かめてしまった。(もちろん(?)違った。)
「MONKEY」という刊行物に連載していたものらしい。
スイッチ・パブリッシングって出版元の名前も、私は聞いたことなかったんだけど、MONKEYは翻訳でおなじみの柴田元幸さんが起ち上げた文芸誌らしい。巻末にバックナンバーの宣伝があったんだけど、なんだか読みたくなってきた。
それはそうと。
本書を一読したところの感想は、とても丁寧な書きものだなって印象を、まずもった。
それは語り口だけぢゃなくて、あちこちに、断定しない、あるいは留保する、違ってたら悪いんだけど、みたいな村上さんの口ぶりがみられるからぢゃないかと思う。
それは、本書で村上さんが言おうとしていることが、何度も繰り返されてるように、「個人的」なとか、「実感」というところに根ざしてるからで、「こうすればベストセラーは書けるぅー! (だから(騙されたと思って)この本、買えぇー)」みたいなのとは無縁というか対極というか、だからぢゃないかと。
第一回 小説家は寛容な人種なのか
第二回 小説家になった頃
第三回 文学賞について
第四回 オリジナリティーについて
第五回 さて、何を書けばいいのか?
第六回 時間を味方につける―長編小説を書くこと
第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回 学校について
第九回 どんな人物を登場させようか?
第十回 誰のために書くのか?
第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア
第十二回 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出
というコンテンツのいくつかの字面をみると、なんか小説の書き方読本のようにも見えなくもないけど、そういうハウツー本ではない。
っていうより、もっと何ていうか、生き方みたいなものの指南書っていったほうが近いような気がする。
自由に生きる、あるいは、強く生きる、ってことのためにはどうしたらいいのか、とか、そういう問題意識をもってるひとのほうが、文章うまくなりてーって人よりは役に立つのでは?
それでもなんでも、デビュー直後のころ、今後どうやって小説家としてやっていくかを考えてるときに、
>そしてどういう小説を自分が描きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書きたいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極星みたいに光って浮んでいかわけです。(略)(p.97)
みたいに進むべき道が見えていたと語ってるところなんかは、とても興味深い。
デビュー作書いたあとに北極星がみえる、それを才能というんぢゃないかと。
>いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションです。僕の経験から言って、スマートでコンパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。(略)(p.116)
みたいな見解も、とてもおもしろい。アタマが良くて、器用なひとなら(たとえ本業が違う仕事であっても?)、おっと言わせる小説をひとつふたつ書くことはできるけど、そういうひとは長く小説家であることはない、というようなことがあるのも、そのへんの物事の捉え方・考え方の違いからきてるらしい。
とりあえず、まだ一回しか読んでないけど、たいへん気に入った本だとはいえます。(繰り返し読むかどうかは、わかんない。)