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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ベスト・オブ・映画欠席裁判

2019-07-15 17:48:43 | 読んだ本

町山智浩・柳下毅一郎 2012年 文春文庫版
これは4月くらいに買った中古の文庫なんだけれども、2002年・04年・07年の『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判・2・3』単行本三冊の再編集版なんだという。
先日も録画しといた「モンキーボーン」って映画観たりして、町山さんの解説はおもしろいなと思ったわけだが。
本書は、著者みずからが「漫才」って称してる、掛け合い型の映画評である。
とっても過激、狭い業界だろうにそんなこと言っちゃってだいじょうぶなの、ってくらいスゴイこと言ってる。
>ハリソン・フォードって最近はどんな映画のどんな場面でもあの表情だからね。世界の支配者になれる聖杯を渡された時も同じ顔。顔面麻痺か?(p.146「男のツボを知り尽くした『チャーリーズ・エンジェル』」)
ってのもよくぞ言ったもんだが、
>ブラッカイマーの映画って予告篇以上のことは絶対に起きない。客がチケットを買えば商売は終わりで、来た客をさらに満足させる必要はないと思ってる。(p.127「『コヨーテ・アグリー』に妄想爆発!」
なんてのも、誰のこと言ってんのか私にはわかんないけど、厳しい。
>僕も何本か字幕やったことあるけど、はっきり言っていい商売だと思ったな。文芸翻訳なんて三カ月ヒイヒイ格闘して六百枚訳してやっと100万円ですよ。ナッチは一週間で適当に訳してウン十万円もらってるんですから。(p.205「『ギャング・オブ・ニューヨーク』の主役は誰なのよ?」)
とか、出演者や制作者以外にも矢は飛んでいくんで、油断なんない、それがおもしろいんだが。
町山さんは、2005年時点で、
>いやあ、今年は本当に面白い映画がないね。これからは夏休みでご家族向けの大作ばかりになるから、ますますロクな映画がなくなるな。失敗したよ、映画評論家なんかになっちまってさ。(p.364「『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』は銀河版『巨人の星』である!」)
なんて嘆いてますけど。
あらためて言われてみるとそうだなと思うんだが、特に邦画においてレベルが低くなってて、それは観客の側にもわるいところがあるみたい。
>でも実際、最近、映画も小説も「行間」がなくなってるよね。
>言葉じゃなくて描写とストーリーにテーマを語らせると「で、何が言いたいわけ? わかんなーい!」って言うバカが増えてるんだな。昔は映画や小説のテーマは絶対に表面には見えないものだったのに。(p.302「小説読んだことも、映画観たこともない人のために『世界の中心で、愛をさけぶ』はあった!」)
とか、
>いや、どうも監督は「全部セリフでわかりやすく説明してやらなきゃ観客にはわからないんだ」と信じてるみたい。(略)
>観客に自主的に考えさせる隙をいっさい与えないんですよ。
>最近の小説やマンガもみんな同じだけどね。「悲しい」とか書き手の感情がそのまま書いてある。それこそ夕日や風景に託して言外に語るという和歌や俳句の伝統はどこに行っちゃったんだ? (p.451「『ALWAYS三丁目の夕日』は皿洗いしながらでもOK! 『クラッシュ』すると桶屋が儲かる?」)
とかって、嘆いている。映像で語るってことをしないんぢゃ、映画って表現方法をとる意味ないじゃんってことなんだが。
画の撮りかたとかって表面的なことだけぢゃなくて、テーマに関わることも現在の映画はダメになっちゃってて、
>映画はお子様向けのおとぎ話やお茶の間で楽しく見られるテレビと違って、現実の笑っちゃうような残酷さを見せて人生を学ばせてくれるもんだよ。
>(略)昔の映画は1本観ると確実に少しだけ成長したような気にさせてくれたもんだよ。
>そんなこと映画に求める人はもう全然いなくなったと思いますよ。(略)自分を否定したり、考え直すことを迫るような映画は観たがらない。(p.537「『映画欠席裁判』単行本第3巻あとがき」)
なんて言ってますが、たしかにそんな感じはする。

コメント
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