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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

今昔続百鬼―雲

2019-10-05 19:11:08 | 読んだ本

京極夏彦 2006年 講談社文庫版
『鉄鼠の檻』とかを読み返してたら、なんかひさしぶりに自分にとって新しい=読んだことないのを読みたくなったので、最近になって買ってみた。
京極堂のシリーズなんだろうとおもったんだが、そうぢゃなかった。
サブタイトルに「多々良先生行状記」ってあって、主人公は妖怪の研究が好きな多々良勝五郎という先生の短編集。
物語の時代は京極堂の一連の事件と同じ昭和25、6年ころで、やっぱそのころぢゃないと妖怪なんてものは出づらいんだろうなとはおもう。
多々良センセイは自称妖怪研究家であって、ちゃんとした先生ではないんだが、それをセンセイと呼ぶのは語り部の「俺」である沼上蓮次。
お化けとか言い伝えが好きな縁で、センセイと知りあいになって、挙句連れ立ってあちこち旅をしてまわるうちに、やっかいな事件に巻き込まれてく。
この「俺」の語りかたが、たぶんに感情的で、なんかそれが『厭な小説』みたいなテイストにつながるようなものあっておもしろいとは思った。
その「俺」にいわせると、多々良先生は、
>慥かにセンセイは何かと要らないことをよく知っている。それが正しい知識かどうかは別にして、語り始めると汲めども尽きぬ無駄な情報が怒濤のように湧き出ずるから、ためになるのか迷惑なのか聞いている方も判らなくなる程である。(p.333)
という調子なんで、京極堂の饒舌っぷりとはまたちがう講釈が聞けるんだが、たしかに関わり合いになるとイライラしそうなキャラで、結局それは、
>思索が妖怪に結びつくや否やセンセイの脳髄は異様に活性化するのだが、妖怪に結びつかないとみるみる萎えてしまうのである。(p.338)
っていう単純明快なとこに起因している、どうでもいいっていえばどうでもいいことに熱心な変人。
で、甲州、信州、上州、出羽と行く先々で大騒ぎして同行者の「俺」は腹を立ててばかりだけど、そこはよくできたおはなしなので、先生のおかげで事件は解決していくんである。
収録作は以下のとおり、どれも妖怪の名前だというけど、聞いたことない、マイナーな感じのものばかり。マイナーって言わないか、マニアック、か。
「岸涯小僧」
「泥田坊」
「手の目」
「古庫裏婆」

コメント
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