丸谷才一 2013年 朝日文庫
これは去年12月にたしか地元の古本ワゴンセールで買った文庫。
『挨拶はむづかしい』(1988年)と『挨拶はたいへんだ』(2004年)との合本だという。
なかみはタイトルから察せられたとおり、丸谷さんがいろんな場で行ったスピーチ、『挨拶はむづかしい』38編、『挨拶はたいへんだ』49編。
結婚式あり、文学賞の贈呈式あり、自身の授賞式あり、告別式あり、しのぶ会あり、いろいろ。
長いあいだ放っておいたのに、読み始めたら、おもしろいし、読みやすいしで、ガンガン読み進むことになった。
読みやすいのは、話し言葉なんでやさしい感じがするってのと、あと、なんつっても著者自身が挨拶するときにはこころがけてたらしく、一編が短いからってのがある。
それにしても、それぞれが短いながらにいいストーリーになってるなと思わされたんだけど、あとがき代わりだと思われる対談で語ってるとこによると、どのような場合でも、ちゃんと事前に原稿を書いていたんだという。
(急にその場で頼まれるようなやつは、基本おことわりらしい。)
つまり、これって雑談集ぢゃなくて、文学だということになる。
無駄に長いのはダメだということに関して、対談相手の野坂昭如が、
>だいたい日本人の挨拶は、前書きが非常に長いでせう。あれはどこからきてゐるんですかね。「祝詞(のりと)」ぢやないんですか。(p.228「〈対談〉日本人の挨拶」)
なんて言ってるのに、丸谷さんは「なるほどさうかもしれない」と同意している。
それどころか、日本人の挨拶はまじないとか儀礼だから無内容でいいのかも、なんて考察してる。
そんな呪術ぢゃなくて、ちゃんと聞き手がいて、会合の意味も踏まえた挨拶をしなきゃならないことについて、
>われわれが今、挨拶の問題で困つてゐるのは、村落共同体的な社会から都市的な社会へ、移りかけてゐるし、あるいは移つてしまつてゐる。ところが言葉の実態はそれに伴つてゐない。(p.243同)
という問題意識をもってて、それで自身の困りようを例示したのが本書なんだという、うーむ。
それはそうと、ときどき、親族の関係の会合における挨拶もあるんだけど、丸谷さんの身内の話ってめずらしいような気がして読んだ。
十歳上の従兄から、
>しかし、二十代の若者である彼が、十代の少年であるわたしに最も情熱的に教へたのは、美と藝術が尊いといふことでした。それは人生において一番大事なもので、それに対して無関心であることは程度の低い恥しいことであり、ましてそれに敵対し対立することは野蛮なことでした。(p.375「兄のやうな従兄弟」)
という教えを受けたなんて話はいいなあ、とても戦前、昭和十年代の日本とは思えない感じ。
あと、どうでもいいけど、石川淳の朝日賞受賞にあたっての祝辞で、
>海内無双の槍の達人とか、当代随一の劍の名手とか、講談にはぞろぞろ出て来ますが、ああいふふうに誰でも褒めてしまふやり方でなく、本式に番付を作るとして、明治維新以後、日本語を使はせていちばん腕が立つのは石川淳ではないか。わたしは本気でさう思つてゐます。(p.130「牛肉と洋書と漢籍」)
っていうとこがあるんだけど、これにはちょっと興味をもたされた、読んでみなくてはって。読んだことあったっけ。