丸谷才一 1976年 文春文庫版
これはちょっと前にネットで何冊かまとめて買った古本のうちのひとつ。
後年編まれたエッセイ傑作選の文庫『腹を抱へる』に何篇かが収録されてたんだが、それによると、
>「女性対男性」は、「週刊女性」一九六五年十一月から一九七〇年三月まで、足掛け六年(計二百六回)にわたり連載された。そのうち、五十篇が、一九七〇年「女性対男性 会話のおしゃれ読本」として文藝春秋より刊行され、ベストセラーとなった。いわば、丸谷さんの「雑文」の原点である。
ということらしい、そういわれちゃうと読んでないのはあるまじきことという気がしてきたので手に入れた。
それにしても、芥川賞とったのが1968年だから、そのころだし古い話だ。本文中にも、ハガキが5円から7円に値上げになった、なんて話題が出てくるけど。
副題の「会話のおしゃれ読本」というのにあるとおり、「ぼく」と「女友達」の会話という形をとっている。
だいたい昔も今も変わらないことのように、想像どおり女性が自由奔放な話し方をして男性がモノゴトに理屈をつけて賢くみられようとするみたいなやりとりが多い。
>一体、女性の話というのは、こんなふうに、時間的・空間的制約を無視して思いがけない方角へゆくことがしょっちゅうなのである。(p.211)
というふうに感じられる女性に対して、
>(略)ぼくはもうすこし説得力のある論理を展開しなければならないと考えて(略)(p.140)
みたいなスタンスで対応するパターンが基本のようだけど、それでも、
>(略)しかしぼくという男は、女性に対してはなんと親切な男であろうか、頭をしぼって彼女のリクツに都合のいいような例をいっしょうけんめい探していたのである。(p.215)
というように、女友達の話に同調してあげようとするやさしさがある「ぼく」なのである。
女友達の性格の設定も、そんなミーハーなだけというわけではなく、
>(略)女友達は食べ物の話になるとコーフンする癖があるということを(略)(p.288)
ってのは、まあ普通だけれど、意外なことに、
>(略)わざとむずかしいことばを使った。彼女は、むずかしいことばを使われると、何となくコーフンするくせがあるのだ。(p.205)
なんていう一面も持ってたりすることになってる。
男のほうもやさしいだけぢゃなく、
>一体、男には、女の人に悪趣味な話を聞かせて喜ぶという傾向があるものです。(p.130)
ということを自ら承知しつつ、失礼のないように、適度な距離感をもって、いろんな話題を提供している。
それぞれの章にはタイトルはついてなくて、最初の一文にその回の内容が紹介されている形式になっている。なんのことだか読んでみたくなるひとつの技法といえるでしょう。
目次を全部並べるのは量おおいからやめとくけど、いくつか例をあげると以下のとおり。
・マッチの話からシャネルの5番の話になりました
・縁日の話からノーベル賞の話になりました
・千円札の話から華族の話になりました
・テレビ選挙の話から豚肉の話になりました
・欲求不満の話から飛行機の話になりました
・将棋の話からてんぷらの話になりました