森浩一 1999年 中公文庫版
これは、丸谷才一さんの随筆集『双六で東海道』を読んだときに、タイトルもそのもの「森浩一さんの研究を推薦する」という一篇があって、そこで紹介されてたんで、3月ころに買い求めた古本。
森浩一さんの食の研究はイグ・ノーベル賞の資格があるのではという妙な褒めかたに始まるんだが、
>(略)わたしは何かくさくさしたり、厭になつたりしたとき、気をまぎらすために、ピアソラの曲を聴くとか、クリムトのデッサン集を見るとかするのと同じ調子で、この本を読むことがある。(『双六で東海道』p.231)
と、やはりどうしても読んでみなくてはと思わされる上手な書きようされてんで、読みたくなった、ピアソラの曲とかクリムトの絵とか私は興味ないけどね。
丸谷さんが「日本の代表的な考古学者」というように、本業は考古学で、二十代のときに堺市の百舌鳥古墳群でいたすけ古墳の保存運動をしたそうで、
>(略)多少手前味噌でいえば、これが日本の市民による遺跡保存運動のはしりである。
>僕は今でも、生涯に一度も遺跡の保存運動をしていない考古学者なんて本物とは思っていない。(p.240-241)
というようにフィールドワークを大事にされてたようだ。
もっとも本書では、そっから、保存運動の重要性を新聞紙面に執筆したら、担当記者にうどんすきを御馳走になって、それが自分のうどん好きのルーツかも、みたいに展開されてくから油断ならない。
なので、多岐にわたる食材をとりあつかうどの項目でも、古文書とか木簡とかに、当時の税として農作物だか獲れた魚だかがいくつ収められたみたいな記録がある、みたいな専門的な話があって、そういうのと、自分がいつどこで食べた料理はうまかったみたいな話題の配分のバランスが絶妙なんで、おもしろい。
景行天皇って戦後の古代史のなかではそれほど注目されてないけど、日本書紀や風土記をみれば同時代の他の天皇に比べて食の探求者である、なんて話とか興味深い。
景行天皇の子が日本武尊だけど、九州や東国への遠征には膳夫(かしわで)という料理人を同行させていて、
>当時の平定活動では、もちろん武術にたけた勇者も必要だったが、はじめて行った土地や出会った人にたいして、その人たちが見たこともないような、あるいは驚くようなご馳走をして味方につけることは重要な戦略だった。
>天皇や皇子、あるいは豪族たちの料理人は天皇たちの食欲を満たすためにだけ必要だったのではなく、政略の手段としても必要だったのである。(p.202)
とかって解説、勉強になるなあ、学校の歴史の授業もたまにはこういうこと教えてくれればいいのにと思う。
ウナギの項では、
>夏とウナギの結びつきは今に始まったことではなく、よく知られているように、『万葉集』巻第十六に「痩せたる人を嗤咲ふ歌二首」がある。作者は大伴家持、制作の年はわからないとされている。
> 石麿にわれ物申す夏痩に吉といふ物ぞ武奈伎取り食せ(三八五三) (p.217)
なんて話があって、歌のだいたいの意味は「やせの石麻呂よ、夏痩せによく効くのがあるんだ、ムナギを獲って食べればよい」だっていうんだけど。
鰻の古代の発音は「ムナギ」だったってのはいいとして、大伴家持が痩せたひとを戯れに笑う歌を詠んだってのが、なんだ和歌ってのはなんでもありなんじゃん、大伴家持ってひともべつに気難しいひとぢゃなかったんか、とかって気にさせられて、国語の教科書もたまにはこういう歌をのっけりゃいいのになんて思う。
さて、丸谷さんがイグ・ノーベル賞に推薦しているのは、その食べたものを記録して統計をとっているとこで、べつの私家版の著書では実に1981年から2001年、著者52歳から73歳までのあいだの毎日の記録をとり、食材ごとの年間平均を出しているという。
本書でも、話題の食材ごとにご自分の実績をだしてくる、たとえば、
>「わが食物史の記録」では、イワシは魚のなかでは毎年断トツの一位、何年かの統計を紹介しよう、これにはお正月に食べるゴマメもくわえた。
>九四年は一〇一回(二位はタイ八二回)、九三年は一三九回(二位はタイ九一回)、九二年は一一三回((略)二位はサケ九九回)、九一年は一五五回(二位はタイ一〇〇回)、九〇年は一二一回(二位はサケ九四回)である。このほか、練り物(天プラ)の材料やダシにもイワシが使われることがあるから、もっと多く食べていることになる。(p.270-271)
という調子である、魚が好きなのは読んでてなんとなくわかるんだけど、なかでもイワシってとこがいいやね。
あと、関西の居酒屋では「アテ」が日常語で、東京の人がつくった辞典類には「アテ」がなかったりするけど、
>この本ではできるだけ僕が使っている言葉で書く。辞書をひいてかっこよく“酒のさかな”などと標準語なるものに直したりはしない。(p.43)
って宣言してて、料理の名前や食材についても自分の日常的な発音に沿って表記してるのも、丸谷さんのいう「文章がいいので」につながる、イキイキしたとこだと感じられる。
この文庫のもとは1995年と1997年の二冊の単行本らしく、初出は中央公論に1994年から1996年に月イチ連載されたもの。
コンテンツは以下のとおり。
1.「わが食物史の記録」ができるまで
2.サケ・シャケ
3.サメとフカとワニ
4.鮎と年魚
5.水無月と氷と氷室
6.マクワウリとシロウリ
7.キュウリとニガウリ
8.アワビ
9.アジとムロアジ
10.ハスとレンコン
11.ブリ
12.フグ
13.大根
14.コブ・コンブ
15.イノシシ
16.カツオ
17.料理人
18.「倭人伝」の生菜
19.ウナギ
20.水
21.うどん
22.うどんと麺類
23.石焼ピビンバ
24.イワシ
25.豆腐
26.サバ
27.おスシ