中沢新一 2003年 講談社選書メチエ
3月に『熊から王へ』と一緒に手に入れてたんだけど、勉強すんのが億劫で放っておいたのだが、最近読んだ“カイエ・ソバージュ”のIII。
読めばおもしろいんだから、けっこうなことなんだけど。ちなみに2007年で11刷を重ねている、誰がそんなに読むんだろとは、ちょと思う。
2002年4月から7月にかけての大学での講義録ということで、やっぱ読みやすいのはありがたい。
講義の課目名は「比較宗教論」だっていうんだけど、なんせ今回はタイトルにあるとおりテーマが経済である。
残念ながら、私は経済の話が苦手なんで、この本は前の2冊よりは楽しく読み進めなかった。
なんで宗教学なのに経済出てくるかっていうと、たとえば
>(略)経済は暗い生命の動きにまで奥深く根を下ろした、一つの「全体性」をそなえた現象なのです。そして、その全体性のうちの深層の部分で、私たちが「愛」と呼んでいるものと融合しあっています。(p.13)
みたいなことだかららしい。よくわからん。
だいたいこういう哲学の本のなかで経済が出てくると、たいがい贈与とか交換とかって話になるのは、若いときにちょっとかじったとき見たことあった気がするんだが、
>後期旧石器時代の人類の心に発生した「贈与」の思考は、新石器革命による大規模な組織化をへて、一つの巨大な社会原理となったのちに、その極限に浮上してきた「純粋贈与」の思考を発展させて、さまざまな宗教の思考を生み出してきました。(p.72)
だなんて言われると、うまくついてけない、私にはそこまでのジャンプ力がない。
また、
>資本主義において発生する増殖では、自然は資源として扱われ、道具を使って操作される対象に姿を変えています。またこの自然を変形するのを媒介する労働は、時間の長さに換算できるような労働力につくりかえられています。いたるところで分離は進行して、記号や表象をとおしてとらえられるのでないとしたら、なんの意味ももたないモノとしての扱いを受けることになるでしょう。そういう分離を前提として、この増殖はおこります。しかし、それでもこれも悦楽には違いがありません。(p.163)
みたいな話はちんぷんかんぷんに近い。なんせマルクスとか読んだことないからしかたないのか。
ここんとこわかんないと、この先の第4巻、5巻に進めないっぽい気がしてきたんで、どうするかいま迷ってたりする。
あー、それでも、あまり本題ではないみたいなとこで興味をひかれたのは、ラスコーやショーベの洞窟絵画は、生と死の主題があるんだけど、女性の絵が描かれてなかったりすることに触れ、こういう場所では男だけが集まって人類最初の抽象的思考をおこなったのではないかという仮説をたて、
>ここには「ジェンダー」と「知」との関係をめぐる、すぐれて現代的な問題がひそんでいるように見えます。男性的な「知」が抽象的な思考を好むというのは、すでに旧石器時代の狩人たちの間に発生していた傾向なのかも知れません。(p.86)
なんていうところかなあ。
序章 全体性の運動としての「愛」と「経済」
第一章 交換と贈与
第二章 純粋贈与する神
第三章 増殖の秘密
第四章 埋蔵金から聖杯へ
第五章 最後のコルヌコピア
第六章 マルクスの悦楽
第七章 聖霊と資本
終章 荒廃国からの脱出
3月に『熊から王へ』と一緒に手に入れてたんだけど、勉強すんのが億劫で放っておいたのだが、最近読んだ“カイエ・ソバージュ”のIII。
読めばおもしろいんだから、けっこうなことなんだけど。ちなみに2007年で11刷を重ねている、誰がそんなに読むんだろとは、ちょと思う。
2002年4月から7月にかけての大学での講義録ということで、やっぱ読みやすいのはありがたい。
講義の課目名は「比較宗教論」だっていうんだけど、なんせ今回はタイトルにあるとおりテーマが経済である。
残念ながら、私は経済の話が苦手なんで、この本は前の2冊よりは楽しく読み進めなかった。
なんで宗教学なのに経済出てくるかっていうと、たとえば
>(略)経済は暗い生命の動きにまで奥深く根を下ろした、一つの「全体性」をそなえた現象なのです。そして、その全体性のうちの深層の部分で、私たちが「愛」と呼んでいるものと融合しあっています。(p.13)
みたいなことだかららしい。よくわからん。
だいたいこういう哲学の本のなかで経済が出てくると、たいがい贈与とか交換とかって話になるのは、若いときにちょっとかじったとき見たことあった気がするんだが、
>後期旧石器時代の人類の心に発生した「贈与」の思考は、新石器革命による大規模な組織化をへて、一つの巨大な社会原理となったのちに、その極限に浮上してきた「純粋贈与」の思考を発展させて、さまざまな宗教の思考を生み出してきました。(p.72)
だなんて言われると、うまくついてけない、私にはそこまでのジャンプ力がない。
また、
>資本主義において発生する増殖では、自然は資源として扱われ、道具を使って操作される対象に姿を変えています。またこの自然を変形するのを媒介する労働は、時間の長さに換算できるような労働力につくりかえられています。いたるところで分離は進行して、記号や表象をとおしてとらえられるのでないとしたら、なんの意味ももたないモノとしての扱いを受けることになるでしょう。そういう分離を前提として、この増殖はおこります。しかし、それでもこれも悦楽には違いがありません。(p.163)
みたいな話はちんぷんかんぷんに近い。なんせマルクスとか読んだことないからしかたないのか。
ここんとこわかんないと、この先の第4巻、5巻に進めないっぽい気がしてきたんで、どうするかいま迷ってたりする。
あー、それでも、あまり本題ではないみたいなとこで興味をひかれたのは、ラスコーやショーベの洞窟絵画は、生と死の主題があるんだけど、女性の絵が描かれてなかったりすることに触れ、こういう場所では男だけが集まって人類最初の抽象的思考をおこなったのではないかという仮説をたて、
>ここには「ジェンダー」と「知」との関係をめぐる、すぐれて現代的な問題がひそんでいるように見えます。男性的な「知」が抽象的な思考を好むというのは、すでに旧石器時代の狩人たちの間に発生していた傾向なのかも知れません。(p.86)
なんていうところかなあ。
序章 全体性の運動としての「愛」と「経済」
第一章 交換と贈与
第二章 純粋贈与する神
第三章 増殖の秘密
第四章 埋蔵金から聖杯へ
第五章 最後のコルヌコピア
第六章 マルクスの悦楽
第七章 聖霊と資本
終章 荒廃国からの脱出