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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

手綱引っ張るな、短く持て

2015-04-20 18:28:05 | 馬が好き
夕方には強い雨と風になるとかいう予報のなか、乗馬にいく。
きょうの馬は、サンダルフォン。
私がよく乗ってるイメージがあると、人から言われたけど、こないだ二週連続で乗っただけのことで、まだ通算四度目である。
きょうは、馬が少ないのか、人が多いのか、部班組は二人一組で1頭に乗る。
ああ、新しいひとも来てて、調馬索もやるようだ、馬も大変だろうが、先生たちが大変な季節だ。
ということで、馬装して、先乗っていいよと一鞍目を後輩に譲る。
「この馬初めてです、どんな馬ですか」と訊かれるので、なんとも言いようがないので、「すげえ動くよ」と答える。
答えになってない気もするが、まちがってもいないはず。背中がよく動くし、乗って楽しい印象を私はもっている。
おもしろい馬だよ、と言ったんぢゃ、主観的すぎて相手ももっと困るだろうし。
ところが部班の一鞍目を見ていると、あまり動いてる感じがしない。
前の馬に追いついちゃうくらいの勢いはあるみたいだけど、アタマ上げたり回転のとき外向いたりで、どうみても乗りやすそうぢゃない。駈歩もトボトボした感じに見える(ナンチャッテ駈歩?)。
こりゃ、やっつけなきゃいけないな、ゆるくなさそうだぞと思いながら、乗り替わる。それにしてもクビのあたりの汗だけはすごいよ、泡になっちゃってる。

(きょう、馬場でほとんど写真撮ってない。手ぇ放すヒマがなかった。)
アブミなおして、常歩。手綱短めに持って、脚ドンと入れて、反応をたしかめる、前出たらホメる。拳をジワッと使ってみる、隅角では奥のほうまで押し込んでみる、アタマ下げてくれそうだったら、すぐ明確にかえす、そのままの状態で歩き続けたらホメる。
列になって、といっても3頭立てだけど、真ん中につける、軽速歩スタート。元気よく歩かせる。
「手綱をもって馬とつなひきをする、つなひきは常に引き分けになるように、すこし馬が勝って前につれってくれるくらいでもかまわない」ということで綱引きするんだけど、アタマあげられるとこちらもやりにくいので、ときどき馬のクチをこっちにもってきちゃう。
引っ張ると引っ張りかえされるので、なるべく力使わない状態を目指す。こりゃ綱引きぢゃないな、釣りで糸垂らしてるときのような気になる。
幸い元気いっぱいそうだし、むりに動かそうと脚使ったりする必要はないので、リズム一定に保つことを心掛けて、そーっと抑えるようなつもりで乗る。
斜めに手前を替えるときに、隅角では内の脚つかって強く回転して、斜線上ではすこし手をゆるめると、気持ちよく歩度が伸びる感じがする。
んぢゃ、アブミあげで輪乗りで速歩。意外と乗れるような気がする。リズム変わると乗りにくいので、一定になることを目指す、ブランコこいでるつもりでこっちから動いていく。
一定のリズムであるっててくれれば、以前より反撞で身体全体が揺れる気がする。馬と自分がぶつかってるんぢゃなくて、そのまま背骨も頭も揺られてる感じ。
「からだのパーツを増やして。右の骨盤、左の骨盤、まんなか、脚のそれぞれの関節、肩、ひじ、それぞれ別々に動かせること意識して」ということで、鞍の上でときどきわざとモゾモゾ動いてみる。こういうとき、ほっぽっといても前進しつづけてくれてる馬はラクだ。
アブミを履いて正反撞。どうもアブミ履いたときのほうが、膝があがるのかなんなのか、馬の上にいることがヘタだ。

「馬が前に出て、前でハミを感じるように。出ている口を正しい場所に少し直すならいいが、それ以上引いて口をなかに巻き込んではいけない。ツルクビにしてはいけない。」
「手綱を引いてはいけない、短く持ってコンタクトを保つ。手綱を引くと、馬のクビが短く縮めることになる、馬のクビは長いまま前に置いておく。」
ということで、乗りやすく馬を丸くできないかとゴソゴソやっていたインチキハミうけを注意される。
んぢゃ、駈歩。わりと軽く出るので、ナンチャッテ駈歩にならないように、何歩か勢いよく走らせる。
輪乗りを詰める。半径が小さくなってくると馬が止まってしまうので、駈歩のリズムをつくりながら小さくする。リズムつくるには、人間が自分で動いてく。
詰めた駈歩を強く維持しようと脚をドンドンやってると、「馬は十分頑張っているので、人間それ以上がんばりすぎない」と言われてしまう。うーむ、馬の顔もうちょっときっちり内向けたいし、右に倒れそうなのできるだけ真っ直ぐ立て直したいし、やりたいこといっぱいで忙しい。
駈歩詰めようとしてると、また「手綱を引かない、手綱を短く持ってコンタクトを保つ、馬のクビ前にいるの感じながら」と指摘される、引っ張って押さえつけてどうにかしようとすんのは相当な悪癖だね、こりゃ。
輪乗りを開く。一歩一歩外へ踏み出していくように開く、脚を使おうとして脚を短くしてはいけない、脚を長くしたまま内から圧しだす。
そのまま蹄跡へ。蹄跡に出たとこで、駈歩が速歩に落ちてしまう。慌てて圧してもどうにもならんので、速歩で坐って詰めてコンタクトつよくして改めて駈歩だす。また手綱が長くなってたのかもしれない。
手前かえて、また輪乗りの駈歩、詰めて開いてを繰り返す。
最後、蹄跡を軽速歩する。なるべく元気よく、でもゆったりとしたいし、アタマは前下方に下げてってもらいたいんだけどな、ときどき思ったより急ぎ足になる気がするし、アタマ上げそうになる。
そんなところで、練習おしまい。クビからなにから汗びっしょりだ、サンダルフォン。そんなにプレッシャーかけたつもりはないんだけど。
あとで担当者にきいたところ、この時期いつもそうなんだ(大汗かく)ということらしい、それならと安心して、陽気はよくないけど、丸洗いする。

しばらく牽き馬してると、ほかのひとにサンダルフォンの感想きかれて、「おもしろいし、楽しい」と答える。
何がおもしろくて、どこどう楽しいのか訊かれるんだけど、それには明快な答えがない。
帰る道すがら考えてたんだけど、まず個人的には動き大きいわりには乗っていける気がして、もしかして今うまく乗れてるかもって一瞬が多く訪れる気がする。きょうも駈歩でも速歩でも、そんなときリラックスして笑ってた。馬のうえでヘラヘラ笑うのはヘンな人だと思われるので慎みましょう。
それから、やっぱ、こっちがジャマさえしなければ、なんぼでも前に出てくれそう、って感じがある。これは乗ってておもしろくて楽しい。ハネたり止まったりイヤがったりしたら、馬がわるいんぢゃなくて、こちらが間違ってるんだ、と思うと馬に試されてる気がして、真剣に乗るけど。
あとは、馬がカッカしたりテンパったりするそぶりがないことかな、わりと安心して上にいることができるしね。
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蝶のみちゆき

2015-04-17 20:23:11 | マンガ
高浜寛 平成27年2月 リイド社
前回の北杜夫の本に蝶の話がいっぱいあったから、そのつながりで、というわけではなく。
先日、谷口ジローのマンガを買おうとしたときに、すぐ近くにあったんで、あ、良さそうと思って、手にとったもの。
著者名だけで、予備知識もなんも知らずに、読んでみようと思うのは、そうはないんだけど。
(ったく、そのわりには、買ったマンガを1カ月ちかくも積ん読のはよしなさい、って自分でも思う。)
時代が江戸から明治に変わるころの、長崎丸山の遊郭が舞台、評判高き遊女の几帳太夫がヒロイン。
「堪忍え えらい待たせもしてからに 会いとおした」なんてセリフの響きのよさに導かれて物語世界に引き込まれていくんだが。
セリフとか画の魅力だけぢゃなくて、読み進むほど、物語のつくりに、おー、そうかあ、と思わされることが多く、その深みが心地よい。
最後まで読んだあと、たまらず最初にもどってアタマっから読み直すことになった。
(※4月22日追記 だから、やっぱマンガは、完結したもの一気に読むに限る、と私は思う。)
傑作。

…どうでもいいけど、読んでたら作中にでてきたもんで、ふとカステラが食べたくなって、次の日に食べた。
そういうことさせるのは、作品にすごい力があるってことかもと思わされたが、ただ単に私が腹減らしてただけなのかも。
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どくとるマンボウ昆虫記

2015-04-15 07:38:40 | 読んだ本
北杜夫 昭和41年 新潮文庫版
ぼつぼつ読み返そうとしている北杜夫、こないだの博物誌に触発されたというわけではないが、今回はこれ、昆虫記。
なんだろ、エッセイ集ってことでいいのかな、虫に対する思い入れにあふれた。
著者の虫好き、特に蝶が好きなことは、いろんな著書からもうかがい知れるんだけど。
冒頭の「人はなぜ虫を集めるのか」のなかで、
>さよう、子供たちは本能的に虫をとらえる。それらが美しく、奇妙で動いたり飛んだり跳ねたりするからだ。
と言って、虫をおっかけることについては全面的に肯定してる。
>トンボがいたら、とか子供たちよ、追いかけろ。それが子供であり、残された最後の本能というものだ。
とも言ってる。
虫のことは私にはよくわからないというか、その魅力が理解できないとこあるんだけど。
それにしても、すっごい久しぶりに読み返してみたら、けっこう独特のユーモアがおもしろいんだ、この本。
ウスバキチョウとか、ヒメウスバシロチョウとか、ウスバシロチョウの美しさについて、
>それにしても、なんという上品な姿だろう。彼女らは目に立つ化粧を一切しない。素顔のうつくしさ、なにげなく覗かせた襟足の清楚さだ。そしてどことなく弱々しく、ひっそりと暮しているかこわれ者のかげりがある。旦那に指輪ひとつ買ってくれとは言いださぬ古風な女の風情がある。
なあんて書いてるんだけど、最後の一文なんか、ホント笑わされる。
カブトムシの類をとりにいく段では、
>糖蜜採集法というのもある。これは黒砂糖と焼酎などを煮つめたものを、クヌギのざらざらした幹にぬっておき、夜になって集まってくるカナブン、クワガタムシ、カブトムシ、さては夜蛾のたぐいを採集するのである。べつのびんにはベルモットとジンをまぜたものを入れておき、これは自分で飲む。そうすると、夜の雑木林の童話じみたもののけが余計身に迫るのだ。
ってあるけど、そうか、マティーニを飲みながら行くのが大人の昆虫採集というものかと、私なんかは蒙を啓かれた。
ウスバカゲロウのところでは、
>(略)ウスバカゲロウが薄翅蜉蝣であるとはつゆ知らなかった。てっきり薄馬鹿下郎と思いこんでいた。
と、嘘だか本気だかわかんないトボケ方をして、そのあとに昆虫とは関係ないバカ談義をしている。
>(略)文学的にいえば、バカには二種あり、始末に困るバカと、人類の栄光を支えてくれるバカとがある。更に真理を述べれば、人類はすべて程度の異なるバカから構成されており、それ以外の人間はただの一人もいない。
って書きっぷりだけど、そんなシニカルには聞こえず、どっちかっていうと、気取らずにバカになろうよって言ってるような雰囲気がある。
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10年目、とは意識せずに、乗馬する

2015-04-13 20:21:22 | 馬が好き
乗馬にいく。
タイトルには、たいした意味はない。帰ってきてから、タイトルを考えてたときに、そういえば私が乗馬を始めた(再開した)のは、2006年の4月だから、もう10年目に突入かあと思ったもので。(札幌で3年、美浦で4年、いまのとこ来て3年目に突入。)
朝、ウチを出るときから、雨。桜も散ったというのに、気温が10度くらいまでしか上がらなくて、2月並の陽気だという。ただ私の乗馬時の体感はあいかわらずなので、シャツの袖をまくって乗ることになる。

きょうの馬は、マイネルミレニアム。
動かないことないんだけど、意外とてごわい1頭だと思う。
愛想ないしなーとか思ってると、近づいてきてベーッと舌だしたりして、可愛さアピール。ずるいぞ。

馬装してるときはおとなしかったんだけど、乗ろうとしたとき、なにか怖がってるようなとこあって、ピタッと駐立してくんない。
人の手を借りて乗る、情けないなあ。(ホントは逃げるスキをみせる前に飛び乗っちゃいたいんだけど、自分ひとりで飛び乗れない。)
馬場に入ったらウォーミングアップ。この馬乗ると、つい急がせちゃうような感じになるんで、ゆっくり大きく歩けないか、自分の身体を動かしてみる。

ぢゃあ部班をやろう、なんと本日は9頭もいる、大盛況だ。(4月に入った新人はまだ来てないのに。)
適当に後ろのほうを狙ったら、前から6番目。あー気楽だ。
常歩を元気よくできるまでやるんで、いつもより長い。
自分が馬のジャマして(馬の背中の動きに反して)ないか、手綱を無意味に引っ張ってないか、気をつける。馬と一緒に動いてないと、手綱を引っ張ることになる。
馬と一緒に動いてく。下見ない、手綱指先だけで持たない、おしりグリグリしない、前に進めたかったら脚。ああ、速歩になっちゃう、私はもっとノッシノッシと常歩させたいのに。
んぢゃ、速歩スタート、軽速歩。すぐスピードあげて、ピッチが速くなっちゃいそうなので、ゆっくりとした軽速歩を人間のほうでとろうとする。
正反撞のときも同じ、「乗りにくい馬に乗るんぢゃなくて、自分の乗りやすいように馬を自分のリズムに引き込む」と言われる。
「隅角で遅くならない、リズムを変えない、常に同じリズムで馬が動いているのが、馬が軽く乗りやすく感じられるこつ」と言われる。
前の馬がわりと隅角を内回りしちゃうようなとこあるんだけど、私はなるべく奥まで押し込む。そこでできた距離の差をそのあと歩度伸ばして縮める(大勢なんで距離開くと迷惑になる)、自分で勝手に忙しくしてるだけなんだけど。

速歩で、2騎右へ進めとか、3騎左へ進めとか、繰り返す。私は6番目なんで、どっちのときも前の馬をみて曲がる号令を出す役回り、マイネルミレニアムはスピードの調節が可能なんで、曲がったあとも横の馬を見ていかようにも併せられるので、けっこう楽しい。
しかし、ハミうけがあまりピタッとこないなあ。手をガチャガチャいじると余計おかしくなるので、安定させることのほうを意識する。手でいじるんぢゃなくて、馬と重心を一致させるほうで解決したい。安定させるには、座りがよくなきゃねえ、座りってのは馬と同じくらい動くことなんだけどってのが、最近のテーマだ。
んぢゃ、駈歩。出るし、前に行く気配ビシバシだけど、前の馬に追いついちゃいそうなとこで速歩になっちゃう。隅角で距離あけたりして、駈歩を継続する。そのうち、詰めても強い駈歩できるようになった。
駈歩楽しい、やっぱりこの馬駈歩がいちばん乗りやすい。一歩ずつ脚の関節が動くの意識する、胸の前広くする、外の脚引きすぎるとアブミの踏み方があやしくなるけど。
主に当然隅角を利用してだけど、ときどきは直線でも、内の手綱開くようにして、馬に内方姿勢というか丸くなってもらうように求める。そしたら、そこで安定させること考える。
でも、やっぱときどきアタマをブンブンふられちゃうな、むずかしいねえ。
けっこう駈歩長くやって、おわり。駈歩のあとの速歩は勢いがあるので、そこに自分の身体を動き止めずに乗っていくのもテーマなんだけど、どうしても姿勢が崩れる、あーあ、まだまだだねえ。

腹帯ゆるめてクールダウンの常歩して、おしまい。
手入れしてるとき、たてがみにブラシかけると、なんかすごい気にしてブルブル首をふる。ヘアスタイル乱れるから触んぢゃねーよ、ってか?

リンゴやると、あんまりうまくなさそうに食う。
それを隣で見てた栄燐ちゃんが、身を乗り出して、頂戴ちょうだいする。
鎖がギシギシして切れちゃうんぢゃないかと心配する勢いである。(もちろん、知らない仲でもあるまいしで、お裾分けする。)
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バースデイ・ストーリーズ

2015-04-11 20:36:19 | 読んだ本
村上春樹編訳 2006年発行・2013年再版 中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー版
以前、村上春樹さんが集めて訳した『恋しくて』ってアンソロジーを読んだら、かなりおもしろかったので、それに先がけて出されていたという、本書を読みたくなった。
ほんとは、最初に(2006年に)出たオリジナルのやつを読みたくて、探したんだが、どこにも見当たらないので、いまでもわりと簡単に手に入る、この村上春樹翻訳ライブラリーってシリーズのなかのものでガマンすることにした。
そのかわり、新たに二篇(『波打ち際の近くで』と『ライド』)が追加収録されてるってことなので、新しい版もあながちわるいものでもない。
テーマは誕生日で、誕生日をめぐる物語であって、わりと最近のものを村上さんが集めてくれた。
村上さんは本職の作家なので、自分でもひとつ短編を書いてつけくわえている。書きたくなるんだろうな、きっと。
でも、私としては、その短編より、「訳者あとがき」のほうが好きだったりする。うん、これはいい文章だ。
収録作と著者は、それぞれ以下のとおり。
「ムーア人」ラッセル・バンクス
「ダンダン」デニス・ジョンソン
「ティモシーの誕生日」ウィリアム・トレヴァー
「バースデイ・ケーキ」ダニエル・ライオンズ
「皮膚のない皇帝」リンダ・セクソン
「ダイス・ゲーム」ポール・セロー
「永遠に頭上に」デイヴィッド・フォスター・ウォレス
「慈悲の天使、怒りの天使」イーサン・ケイニン
「バースデイ・プレゼント」アンドレア・リー
「風呂」レイモンド・カーヴァー
「波打ち際の近くで」クレア・キーガン
「ライド」ルイス・ロビンソン
「バースデイ・ガール」村上春樹
コメント (2)
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