作詞・作曲:荻野目洋子 2020年8月 NHKみんなのうた
最近のとある日の、昼過ぎだったか、たまたまテレビをつけると(正確には観てた録画を終了してテレビ画面に戻ると)教育テレビにチャンネルがあってて、なんか歌が流れてた。
ふーん「みんなのうた」だろうなってのはなんとなくわかるんだけど、次の瞬間、きこえてくる声にビリビリっと私のなかの何かが反応した。
これは、もしかして、いや、そうに違いないって、私にとってこのひとの声は特別なんだ、絶対まちがいない。
見たの曲の途中からだったんで、いったい何なんだこの歌はー、と、もどかしく見てるうちに、この番組の曲はわりと短いんで、やがて終わりに近づき、画面の隅に「虫のつぶやき」ってタイトルが出た。
そして、もちろん「うた」は、やっぱ『ジャングル・ダンス』のおひとぢゃないですか! いいねえ、うれしい、トクした気分、なにやってんすかこんなとこで、いろんな感情が渦巻いて混乱してしまった。
ちゃんとアタマから聴きたいな、できればじっくりと、なんて思ったくせに、忙しさにかまけるほど忙しくはないが、忘れっぽいのでしばらく放置していたが、何日かして、そうだ、いまの時代、どっか動画あるだろ、なんて思って探したら、上のが見つかった、めでたしめでたし。
ついでなんで、もうすこし何かないかと探したら、なんと下のようなものまで見つけることができてしまった。
こういうの観られるなんて、幸せ!
堀井憲一郎 2020年7月 東京ニュース通信社
私の好きなライター、ホリイ氏の新しいものが出たと知ったので、さっそく買って読んだ。
タイトルはなんのこっちゃと思わせて、なかみはそのまんまで、テレビドラマのレビューというか、この女優はこういうところがいいねみたいな話の数々。
なーんだ、とっつきやすそうにみえて実は深い若者文化論でもブッテくれるんぢゃないかと、ちょっと期待したんだが、ちがった。
私はテレビあんまりみないし、特にドラマってほとんどみないから、書いてあることの意味はほとんどわからない。
それでも、ふんふん、そういうものかと、読んでっちゃうんだから不思議なものだ。
だいたいドラマのなかみの前に、俳優の名前と顔が一致しないよ、一部しか。
なかには、あー名前知らないけど見たことある顔だね、ってひともいるけど、ほかのそういう俳優と並ばれたら、もう見分けがつかない。
(悲しいね、若い人の顔の見分けができないのは、そういう認識能力が落ちているかららしいし。)
高畑充希については、私はほとんど知らなかったんで、JRAのCMに出てから顔がわかるようになった程度。
そのお芝居については断片的な映像を見るくらいなんだけど、なんだかやたらと目を丸くするひとだなという印象がある。
本書ではホリイ氏が役によってみせる顔の違いについて、
>ヘアスタイルやメイクだけの問題ではなく、目の力だとおもう。
>おそらく「黒目をどんな状態にするか」ということを意識的に操っていて、それで表情を変えているのだろう。そういう不思議な部分に惹かれていってしまう。
>高畑充希が、2010年代の若者の不安をしっかり引き受けてくれている気がする。(p.18)
なんて言って、ホメている、ホメているんだろうな。
んー、そーかー、きっと同世代の若いひとは、そういう顔をみて、なんか感情の動きを共感できるんだろうな、それでイイと思うんだろう。
現実世界でああいう演技の顔する人と出っくわしたら、私なんかは、自分の思ったことを言葉にできないで変な顔するような奴だな、なんて受け取るんぢゃないかという気がするが。
ところで、全然べつの、有村架純の『中学聖日記』の話題のなかで、ホリイ氏は、
>人の心、恋する心をきちんと描こうとしているので、セリフでの説明が少ない。その表情の変化を追っていかないといけない。いろんな気持ちが言葉では説明されないのだ。たしかに恋愛とはそういうものだろう。
>画面を見ずに音を聞いてるだけでは、肝心の部分をけっこう見逃してしまう。そういうドラマだった。(p.99)
と言って、ホメている、ホメているんだろうな、「とても丁寧に作られていた」って書いてるんだし。
そーかー、表情でなんかしようと思うと、そういう目になるのかなって気がしてきた、私のなかでは新垣結衣という女優さんもやたらと目を丸くする印象があるので、なんかそういうのが流行りなのかなと。
まあ、なんせあまりドラマとか観ないので、よくわかってはいないんだが、なんか人間というよりもアニメのキャラクターの動きみたいな感じするんだけど、そういうのも立派な芸なんだろう、きっと。
人の顔ささておき、ドラマのテーマにふれて、ときどき著者が、
>大人に比べて若者はいろんな部分で劣るかもしれない。
>ただそのまっすぐなおもいは、世界をよい方向へ変える可能性を持っている。(p.74)
とか、
>わが社会のチーム仕事のむずかしさは、責任者はいるものの、強力なリーダーシップを取らないぶん、責任の所在があいまいになってしまうところにある。(略)空気が人を動かしているからだ。(p.80)
みたいな言説をあやつるとき、お、現代のドラマにみる日本社会の課題、みたいな展開を期待するんだが、本書は役者の魅力について語るのがメインなんで、そっちのほうへは行かない。
どうでもいいけど、全体的にパラパラとした感じの本で、いつもに比べたら、なんか改行でページ数増やしてるようにすら見えるんだけど、あとがきによればインターネット記事として書いたコラムが元だということなので、そういう環境だとそうなるのかもしれない。
それでも、ネットで読めと言わずに、紙の本にしてくれるところが私としてはうれしいが。
コンテンツは以下のとおり。
高畑充希が演じる役はなぜ忖度できない若者ばかりなのか
生田斗真の「働いたら負けだ」とおもわせる力
木村拓哉が演じる役には世界を変えてしまう力がある
多部未華子の役どころは、真面目に見られる女子の苦悩を一手に引き受けている
驚くほど幅の広い役を演じるフェミニンな深田恭子の魅力
小芝風花が見せる居場所を与えられない若者の苦悩
ああいう人に私もなりたいとおもわせる吉高由里子の力
ひたすら切なく古風な香り、有村架純の役どころ
二階堂ふみが醸し出す妖しい世界
石原さとみの演じる役は、なかなか幸せにはなれていない
戸田恵梨香の「どんな役でもやれる」という役割
新垣結衣が演じる役は、世界を明瞭にして、すべてを受け入れる
綾瀬はるかの役柄は「自己肯定していく力」が魅力
配役を通してこれからの大河ドラマを考える
注目度が半端ではない朝ドラヒロインの世界
…って、驚いた。私の使ってるパソコンの日本語入力・漢字変換はバカでちっとも学習しないんだけど、上記の俳優の名前の部分だけはすべて一発で正しく変換した。
「ふみ」とか「さとみ」とかはムリヤリ漢字当ててきそうなものをサラッと仮名で返してきたし。
「辞書に載ってる名前」ってことなの?
五木寛之 平成11年 幻冬舎文庫版
ちょっと前に、村上春樹の『猫を棄てる』という著者曰く「個人的な文章」を読んだんだけど。
父親について語り、要するに「この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎない(p.94)」という話なんだが、そのなかで、
>言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。(p.96)
という箇所があって、読んでるときに、あれ? なんかこういう言い表しかた、どっかで聞いたような気が、って思って、今回読んでみたのが本書。
最新の文庫の帯によれば、「総計320万部超の大ロングセラー」ってことだけど、私は書名や何かの引用で聞いたことはあったけど読んだことなかったので、さっそく買いに行ったのが先月。
すごいね、単行本は一九九八年発行らしいけど、書店の文庫売り場に平積みになってた、令和2年6月で46版だ、文庫。
(どうも近頃、新刊書店はもちろん古本屋でも見つからない本ばっかり求めてたので、ちゃんと流通しつづけているものがあると驚くような体質になっている。)
読んでくと、あった、あった、ありましたよ、「一滴」が。
>存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。ときに跳びはね、ときに歌い、ときに黙々と海へ動いていくのである。(略)
>私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。(p.46)
うーむ、似てるってば似てるような気も。まあ、いいや。
で、本書のなかみについては、遅ればせもいい加減にしろというくらい今さら読んだ私がどうこう紹介するようなものでもないっしょ。
全体的な印象としては、なんか仏教関係の書物みたいだなー、って感じがした。
実際、仏教について語られてるところもあって、おもしろいのは親鸞や蓮如が現代に生きてたらどうしただろうって話で、それも
>親鸞はテレビに出ただろうか? おそらく出ないでしょう。(略)では蓮如はどうか。蓮如ならワイドショーにも出たかもしれない。(p.302)
なんて例えば論をあげてるのは、両者ともよく知らない私なんかでも、なんか妙にわかりやすい気がする。
あと、言葉の力ってことについての話のなかで、お医者さんの例をだして、
>ぼくの知りあいのお医者さんで、そのあたりの患者さんとの呼吸をよくわかっている人がいます。戦後まもなく東京で開業して以来五十年、町のホームドクターとして大勢の患者さんをみてこられているのですが、そのお医者さんは、診察開始十秒が勝負だと言います。十秒間で、つまり、患者さんが最初に発する言葉や表情から、医者は病状に関するインスピレーションを得なければいけないし、またお医者さんは自分の言葉や態度から、相手の信頼を勝ちえなければならないのだそうです。(p.216)
っていうところがあるんだけど、なるほどそういうものかと思った。
(最近になって、つまんないことで新しい医者へ行く機会が一度ならずあった、診察券が増えてく一方だ。)
どうでもいいけど、ラジオで発表したのを収めたって章があって、当然語り口調に近いわかりやすい文章なんだけど、すぐ近くで「ぼくたちが」と「私たちは」の両方を使ってるとこがあって、なぜと気になったんだけど、たぶん「ぼくたち」は個人に近いもの、「私たち」は戦後日本人全般って感じで言ってると思われ、上手だなという感じがした。
コンテンツは以下のとおり。
人はみな大河の一滴
滄浪の水が濁るとき
反常識のすすめ
ラジオ深夜一夜物語
応仁の乱からのメッセージ