kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

きっかけを与える

2020-02-13 | 陸上競技
前の記事も微妙でしたが。水曜日の午後は練習の初めにミーティングを実施することにしました。こちらもある程度の「覚悟」を持って。「競技力」としてはかなり上がって来ていると感じています。が、そこに足りない部分もある。ちょっとした飛躍を目指すのではなく大きく伸びるためには今のままでは難しい。

ミーティングでkytbnで見た練習の様子を何度も繰り返し見せました。技術的な練習ではなく「往復走」での姿を見て何度も何度も。同じ高校生です。競技力に差はありますが年暦的には差はありません。その選手達が必死に「日本一」を目指す練習の雰囲気。これを私は目の前で見てきました。うちの選手にどれだけ話をしても伝わらないのであれば動画を見ることで少しでも雰囲気を感じられるのではないかなと。

走る前に全員が声を出して自分たちを鼓舞しています。走り始めると最大スピードで走り抜ける。その後も誰一人下を向く事がない。待ち時間もそれほどないですがずっと声を出して鼓舞し続ける。「出し切るよ」「行けるよ」とそれぞれが大きな声で言葉にしている。明確な目標があってそこに向かって進んでいるチームだなと強く感じました。

これまで私が何度も伝えてきました。それでも実感が湧かない。当然です。「本物」を見ていないのですから。自分達は「一生懸命にやっている」と思ってやっています。だから私に何を言われても入らない。が、こうやぅて「本当に必死になっている選手」の姿を見る事で気づく事がある。明確な差があります。

この練習の様子を見た時に「この子達は自分達は頑張っていると思っていないな」と感じていました。強くなるために、日本一になるために「当たり前のことをしている」と思ってやっている。特別なことではないのです。自分達が強くなるために声を出すのは当たり前。雰囲気が暗くなれば練習の質が下がる。そうなれば良い練習にならない。だから「当たり前」になる。

そもそも練習自体が楽しくて仕方ないという感じでした。普通の高校生ではない。でも彼女達にとってそれは「日常の一コマ」でしかない。特別な練習ではなく楽しみながらやっているのです。「好き」という次元はとうの昔に飛び越えて「楽しくて仕方ない」という表情でした。自分自身を磨く時間が楽しいのだと思います。

ハイアップの動画も。走っているだけではない部分。途中力の差があって離れていく選手がいます。それに対して怪我をして走れない選手がずっと声かけをしています。「離れるな!」と絶叫している。人生がかかった最後のレースを応援するかのような大きな声(笑)。

これは動画に撮っていなかったので補足説明をしたのですが走り終わった選手が疲れているのにしゃがみ込む訳でもなく後ろを振り返って「ラスト頑張れ〜!!」と全員で応援している。自分のことだけではない。チームとしてみんなで強くなろうという雰囲気しかない。

最高の練習の組み立ての中で練習をしているだけではなく、選手自身が強くなるための「考え方」「姿勢」で取り組んでいる。強くならない理由がありません。

その動画を見せ続けました。私がこの日に感じたことを言葉にして伝えながら。ここから何を感じ取るかは人それぞれだと思います。きっかけは与えました。同じ高校生でも「取り組みの姿勢」や「考え方」が全く違う。それを目の当たりにした時にどう感じるか。山口県という小さな枠組みの中で考えていたら先には進みません。持っている力を全て引き出せるかどうか。そういう練習をしたいのです。

動画を見てその後、日誌に自分達で感想を書いてから練習にしました。これで変わらないのであれば今後何をやっても無理だと思います。これも感覚。感じ取る能力。

今更ながらysd先生、mtm先生、sgy先生に感謝です。技術的な部分だけではなく「チームとしての在り方」についても学ばせてもらいました。何とかしてチームを変えたいと思います。
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話をする

2020-02-13 | 陸上競技
水曜日。前日のことがあったので様子を見ることに。

朝の段階で陸上競技部全体を見ていて気づいたことを投げかけました。短距離と長距離は基本的た全くの別行動です。一緒に何かをすることはありません。しかし、やはり同じ集団として扱われる。うちがきちんとした行動をしなければ長距離に迷惑をかけることになりますし。逆もまた然り。

朝練習が始まる。長距離が先に始まる。この日は様子を見ていました。雨が降り始めたのでグランドではなく部室棟の軒下で実施。1階で長距離、2階で短距離。短距離はDMを使った補強。前日話をしたにも関わらず声が出ません。「やればできることをやる」という話をし続けています。声を出すことはできます。長距離が全体で体操をしていますが声を出すのは数人。上級生のみという感じでした。

滅多に全体で話すことはないのですが集合させて話をすることに。練習前に他の人が長距離について指摘がありました。2年生はきちんと挨拶をしていたが他は...、と。こちらから挨拶をしても返ってこなかったようです。この日の朝の出来事。一事が万事。体操や補強での「やるだけ感」が繋がっています。

数多くある活動の中から自分で選んで陸上競技部に所属しているはずです。うちの学校は全員加入制ですが「選択する権利」は与えられています。最初の段階で「部としての方針」は示しています。それが分かって入ってくるのであればそれに従ってもらわなければいけない。

うちは競技をする部活動です。サークル的なことをやるつもりは一切ありません。ある程度の規律は必要です。以前「生活指導するなら技術指導をしておけばいい」というコメントがありました。生活指導をしているから「強豪校にならないのだ」というコメントもありました。そういう考え方もあるのでしょう。否定する気はありませんが私達の視点とは異なります。

「声を出す」ことで速く走れるようになるのか?と言われるかもしれません。逆に問いたい。「やればできる」事をやらないのに「やってもできないかもしれない」事を達成できるのか。基本的な事をやらずに難しい事をやる事はプラスになるのか。

こういう考え方をして指導をしていたら「選手が陸上競技の楽しさとは別のところでやりたくなくなる」と言われるかもしれません。繰り返しになりますがサークル的な活動をするなら「身体を動かす楽しさ」を感じさせる事がメインになるかもしれません。競技をする部分とは意味合いが違ってくる」のではないか。

先日訪問したkytbn。「kytbnで陸上競技がしたい」と中学部から上がってきたそうです。決して足が速かったわけではない。100mが16秒くらいからスタートした。それでも周りに必死についていく。周りの選手も仲間として声を掛け合う。競技力云々ではなく「速くなりたい」という必死な想いがあるからチームとしての目標を共有できるのだと思います。

「競技力」だけではない。「取り組む姿勢」だと思っています。だからこそ「やればできる」ことに関しては徹底的に求めたい。土台となる部分をどれだけ丁寧に身につけさせるか。これは部としての方針です。サークル的な活動をする気はありません。

体操の時に声を出さない。それでも練習は回ります。きちんとやる数人が引っ張っていけばなんとなく形になる。本質的な変化がなくても表面的に活動できる。それがどれだけ分かるか。

本来であれば「ゼロトレランス」で対応する方がいいのかもしれません。「1か0か」で判断する。枠組みに収まらない場合は全てアウトとする。私はそこまでは徹底していません。甘いかもしれませんが。それが緩みを生み出す原因かもしれない。完全に「ゼロトレランス」でやるほどの厳しさが足りない。とはいえ現場としてはそこまではできない。グレーな部分がある。

指導するという中でも譲れないことはあると思っています。根幹を成す部分に関してはやはり徹底したい。この部分がどれだけなのか。意味を理解するというのが大変なのかもしれませんが。

まとまりませんが。
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