kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

色々と

2019-02-12 | 陸上競技

数日間、色々とあって少し出かけています。日曜日から。それにより月曜日と火曜日の練習に関しては選手に任せることに。どんな状態かは常に気になります。それでも自分達でできなければいけないのは当然の話です。

月曜日の朝、天気予報をみると小雨が降っている感じがありました。雨雲ズームレーダーをみると確かに雨雲がかかっている。グランドが緩くなると練習が思うようにできない部分が出てきます。私がいませんから室内での練習もできるかどうか不安はありました。練習内容に関してではなく「設備面で練習ができるか」というのが最大の心配事でした。

確認すると降っているとのことでした。が、グランドは使えそうだと。こういう状況であればもうやり切るしかないと思います。その場にいれば臨機応変に対応できる部分がありますがそれは難しい。その時その時にしっかりと判断してもらう。それはそれで選手が考えるという機会になる。ここ最近ずっと書いていますがその辺りの部分の力を伸ばしたいと思います。

これが「練習をしたくない」という選手が集まっていたら適度に手を抜いたり練習計画を楽な方に変更する形になると思います。顧問が居ないからラッキーだという考え方になる。今はその辺りは大丈夫だと思っています。以前は私が居ない時に部室から出てこなかったりする者もいたようでした。赴任当初ですが。私がいるからきちんとやる、いなければやらない。そこに何か意味があるかどうか。誰のためにもならないと思います。

心配する部分はありましたが12時前後の練習をが終わったという報告がありました。一安心。流石に先日指摘していますからここは抜かりなく。キャプテンと3年生から連絡がありました。走った状態も含めて報告。走り自体は良かったようです。ずっと霧雨のような感じだったが問題なくできたと。

練習で加速段階についての練習をかなり入れていました。ここで時間を要したようです。普段はそこまで時間が取れませんからアリかなと思いますね。その種目の中でスパイクを履いてやるにはちょっとやりにくいものがあります。その部分は今後1セットくらいにして欲しいと。後ろ向きな発言ではなく前向きに捉えてのことだと思います。

こうやってやっていく中で選手側からの提案があるというのはありがたいと思います。実際にやっているのは私ではありません。選手がやらないと分からないことが多くあります。必要な要素だとしてもその量をどうするかはやはり本人達の感覚の問題です。きちんと調整できるといいなと思います。

更に土曜日に120が走れなかったのでどこかで入れておく方が良いと伝えていました。ここも相談して練習の一番最後のスプリントメニューを120DM-120-60にしたとのこと。ここも完全に任せるつもりでしてからそれでいいと思います。考えた結果決めたメニューであれば問題ありません。適当に入れるのは問題ですがある程度考えて入れたのであればこちらは何もいう必要はないと思います。

とりあえず月曜日の練習は乗り切れたと思います。どれくらい動きに変化があるかは分かりませんが。それでもこうやって取り組んでいく中で見えてくることがあると思います。少しずつ少しずつ。良い方向に進めばと思います。

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楽しい練習?

2019-02-10 | 陸上競技

思う事を。

前の記事にも少し触れました。土曜日の練習に参加した他校の選手が「hoshoの練習は楽しい」と行っていました。陸上競技を本気でやるならhoshoで練習する方が絶対にいい、と。

まー社交辞令という意味もあると思います。それでもこういう言葉を聞くと嬉しいですね。しかし、うちの練習が、「楽しい」というのはどうなのか。この日も含めて毎回毎回遊んでいるわけではありません。どちらかというと負荷は強い。「楽しい」と言っていた選手、この日は途中からヘロヘロでした。コケるんじゃないかと心配で何度も声をかけました。補強も含めて無理はさせないようにしましたが。

うちの練習は普通だと思っています。競技志向で練習後を進めています。強くなるためにどうするかを最優先事項に置いて取り組んでいる。練習途中で手を抜いたり妥協したりするのはぜったいにやりません。参加して走っていたら良いよというスタンスではない。こういう指導方針の中でもやっているので「そんなに本気でやりたくはない」「気軽に身体を動かせたらいい」という気持ちではできないかもしれません。

今のご時世、そんなに競技に対して本気でやる子供達が少なくなっている気はします。陸上部には所属したい。しかし、上のレベルを目指したいという気持ちは少ない。ひょっとしたら当初は「強くなりたい」という気持ちが大きかったのかもしれません。それがその環境に慣れてしまっていつのまにか「それなり」で良くなってしまうのかもしれない。他の県は分かりませんが我が県では「中学時代のベスト記録」を更新できる女子は然程多くありません。それが何を意味するのか。どこでもやっても同じかもしれませんが明らかな違う部分があると思っています。

うちは「どうすれば強くなれるか」を常に私が考えています。それが私にできる子供達を育てる「ツール」だから。この一年間でその色はこれまで以上に強くなっていると思います。「こんなに本気でやるつもりはなかった」という言葉を聞くこともあります。そういうパターンの時は続けていくことが難しくなるのかなと。根本は「単なる運動」ではないからです。強くなろうと思えば様々な事が必要になっていきます。やはり「好きかどうか」というのは大きいのかなと思います。誰かから強制されてやるものではない。

別の他校の選手にも聞いてみました。以前から何回かうちの練習に参加してくれているけど、楽しいと思えるか?という話。返答は「考えることも多くて試行錯誤しながらの練習という感じですが、それも速くなるためだと思うとすごく楽しいです!!」でした。いや、なかなか嬉しい評価です。うちの選手はその事をどう感じているのか(笑)。それでも前向きに取り組んでいる姿は見受けられます。

キャプテンが他校の選手が「楽しい」と言った場面にいたので聞いてみました。すると「これまでの陸上の練習の中で今が一番楽しい」と言っていました。ここにどのような意味があるのか。

たしかに少し前までは「強くなりたいのであればやるしかない」というスタンスでした。やっている内容は大きく変わりません。しかし、パターンを固定化して徹底して同じドリルをやる。いわゆる「型にはめる」練習だったのかもしれません。強くなりたいという気持ちがあっても退屈な練習だったのかなと。まーそんな事を言っている選手は強くならないのでは??という考えでやっていた部分があったと思います。

しかし、それが今は少し変わっているかなと思います。多様化する練習パターンの中で感覚を作りたい。何が自分に合うか分からないので色々な形で取り組む。根本的には考えて動きを作っていく流れにしています。それに対して「楽しい」と思えるのかどうかです。

考えてやりなさい。それはすごく自主性を尊重した言葉に聞こえます。しかし、「考えるための方策」を何も知らないまま「考えなさい」は無責任だと思います。それは指導ではない。放任です。私はきちんと考えてやらせたいと思っています。選手が自分で考えてそれが最初から分かるくらいなら誰も苦労しません。方向性を示してそこに向かって何をするか。そしてこちらもその場でできている事、できていない事を伝えていかなければいけない。その中で初めて「考える」という意味が出てくるのだと思います。

練習に来てくれた他校の選手やうちの選手が「楽しい」と言ってくれることはやはり誇らしいですね。決して楽しい内容ではないと思いますが。それに対しても本人達が「楽しい」と思って取り組めるのであれば大きな意味があると思います。ワイワイやってふざけ合って楽しいというのとは全く違います。自分達の練習と向き合う楽しさが生まれてきたのかなと思っています。

変化はあります。間違いなくあります。走り自体も大きく変わってきています。もう一歩。そこが踏み出せたら驚く結果になると思います。なんとかしたいですね。こんなハードな練習を「楽しい」と言ってくれる選手のためにも私自身しっかりと考えなければいけないと思います。

本当の意味での楽しい。そこに出会えた気がします。今でもうちの練習が「楽しい」というのはなかなかだと思いますが(笑)。見守ってください。

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雨でも走る

2019-02-10 | 陸上競技

土曜日。この日は屋外で走れるだろうと考えていました。練習計画を数日分まとめて作っておかなければいけない状態だったのもあります。この数日間の中で練習のバランスを取りたいと考えていました。

朝から少し雨が落ちていました。本当に弱い雨。これくらいなら大丈夫だろうと考えていました。学校に着いたときにグランドに降りてみましたが全く問題なく使えそうな感じがありました。それでもアップに関しては室内の方が良いかなと思ったので若干のメニュー変更。体幹強化サーキットは寝転がってやる部分もあるので小雨でも濡れてしまうかなと。一応気を使います。

外部から個人的に練習参加する選手もいたので一応最大限の練習はしたいなと思っていました。うちの練習に好んで来るというのもかなり変わっているのではないかと思いますが。室内でバランス系をやってから体幹強化サーキット。さらに手押し車を。これだけで予定よりかなりロスしました。移動する時間が出てくるのでその分のロス。元々予定を3時間半くらいで考えていましたがそれでも長くなると飽きるので。

この時点でかなり暑いと言っていました。室内ですから。室内で練習を続けてもいいかなと思ってはいたのですがやはり外で走ろうということに。若干グランドは緩いなという感じでした。出来るかなという感じではありましたが。これまでであれば絶対に走らない状態です。それでもこの日は強行しました。

ハードルドリルver2から始めました。グランドに水が浮いています。それでも表面だけなので問題なし。私は室内に置いてある荷物を少しずつ運ぶ。ここの練習に関しては自分達でできるようになっていなければいけません。意識すればできることです。ここれまでは過保護だったのかなという気はしています。関わり過ぎる部分があったのかなと。考える能力を奪ってしまわないようにしたい。

この日は加速段階の動きもやりたいと思っていました。が、ゆるい。うーん。やろう!ということにして押し切りました。基本的にこういう状態だと加速段階でパワーを使ってしまいます。更に足が流れる。これではやりたい動きができません。そこで「水の上を走るトカゲ」の動画を見せる。私がやりたい動きのイメージなので。特にこういうグランド状態であれば尚更です。スタート5本と前半マークも実施。

更に合流走まで。この時点で雨は止んでいました。走りにくい環境ではあったと思います。その状況に応じて何ができるかというのは大きいかなという気はしています。走れないと決めつけない。スタート5歩などで泥ハネをしていました。女子選手の顔に少し土がついていたりする。この日はやると決めていたので絶対にやる。汚れるというのは気にしない。お客さんが来ているのでそれもプラスに使わせてもらいながら。

本当は120をやりたかったのですがさすがに厳しいなと感じたので相談。自分達で判断して折り返しの形でやることに。T走は無理だと判断してDM走で。こうやって対応する力は多少なりと身についているのかなと。かなり負荷をかけることができました。

休まずに補強を。セラバンド歩行。これはうちの選手が最も嫌う練習。この日は間に補強を挟むことができなかったので2サイクル。1サイクル終わった時点でやり終えたという表情になっていたMにその事を伝えると絶望感が全面に漂っていました。初めてやる他校の選手はやるだけで苦しんでいました。うちの選手、私がやると言い出したらやるのが分かっているので諦めて2サイクル実施。立派。更にプレート補強を。

本当はここからスプリントサーキットをしたかったのですがなかなか難しいので若干の変更。DMスキップ、DMシザース、DM走を入れました。走りを段階的に作っていくメニューです。このメニュー1サイクルやった時に明らかにタイミングがズレている者が数名。走りの間にスイッチングを入れるようにと指示をする。それによりやりたい動きが完全にできるようになりました。3サイクル目はスイッチングの事は言わずにいましたがきちんとやっていました。こういう部分は本当に成長していると思います。

大学で続ける選手がこの場に4人いました。だからこそこういう練習は必要だと思います。自分で足りないなと感じた部分に関しては自主的に入れておかないといけない。与えられたメニューだけをやり続けるのでは先には進めません。崩れた動きを戻すという部分もやはり自分でやらないといけない。走りの特徴を理解させたい。ここは私の責任だと考えています。

最後に走りたいなという話をすると前半メニュー後と同じように折り返しをするという事なので任せました。走りたくないと思う部分もあるのかもしれないですがやりきりました。比較的楽しそうにやっていました。このことに関してはまた別に書きたいなとは思います。

練習後、少しだけ話をしました。これから先本気で勝負をしようと思えばやはりきちんと練習を積まないといけない。こういうグランド状況だから練習ができないという判断も必要かもしれません。しかし、関西の高校ならこれくらいのグランド状態なら走ります。雨が降ってもグランドが緩くても走る。服が汚れるから嫌だ、泥ハネで顔や髪に土がつくから嫌だ。そんな気持ちもあるでしょう。しかし、そんな話をしている場合ではない。

走れる可能性があるならしっかりとやる。泥臭い練習というのはうちではなかなかやりません。少しでも緩ければ室内で走らせてきました。しかし、それが本当の意味でのタフさを育てることに繋がらないのではないかと。毎回毎回この手の形ではやりませんが、時としてこういうことも必要なのかなと。バカみたいなことをしていると思われるかもしれませんが私はかなり本気です。

この場にいて近くで見続けています。そこでしか分からないことがあると思っています。分かりにくい部分だと思いますが。

かなりやりました。こういう機会を次につなげてもらいたい。心からそう思います。また書きます。楽しい、については触れておきたいと思うので。

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考えさせる

2019-02-09 | 陸上競技

金曜日。前日の流れから朝練の段階で指示はせず。練習について何か指示を出す前に考えることがあるのではないか。スルー。私はひたすら散歩していました。グランドをグルグル歩く。少しは自分の時間を作ろうかなと。

朝練の終了時に何も言いにこないので一応キャプテンを呼びました。「昨日は報告が遅れてすみませんでした」とのこと。大切な一言だと思います。残念なのは学校に到着してすぐにその事を伝えに私の所へ来るべきだったと思います。呼ばれてから初めて言葉にするというのではなく素早く対応できるといいなと。それでもこういう言葉がきちんと出てくるのは少し考えられるようになったかなと。

日誌を提出したので中身を確認。もう少し詳しく書けないといけない。私が練習を見ていないのであればその様子が伝わるように書く。「普段との練習との違い」について触れていたのは2人だけだったでしょうか。そこを意識させたくてワザワザ別の場所での練習にしたのですが。なかなか難しいですね。

更にその中に「普段よりも声が出ていなかった」と書かれていました。このことに関しては以前から繰り返し何度も話をしています。「声を出したから強くなるわけではない」というのがあるかもしれません。「声を出す」というのは誰にでもできる事です。苦手云々ではなくやろうと思えば必ずできる。今やろうとしていることは「速く走るため」のことです。誰にでもできるわけではない。やればできることをやらない者が「簡単にできないこと」にチャレンジする意味があるのか。順序が逆ではないか。

下級生が付いていくだけという状態ではなかなか上手くいきません。うちのような人数が少ないチームであればそれぞれがきちんと主役にならないといけない。「誰かがやってくれるだろう」という部分があればそこは上手くいかなくなります。

物足りなさがあったのでこちらも文書を作成。それを配布してきちんと話をするように伝えました。それが終わるまでは練習する必要性はないと。日誌にそれぞれの項目について書いて話し合いをするようにしました。練習以前の部分についてきちんと考える時間が必要です。

こういう内容を書くと私の指導を避けようと感じる人も出てくるのは思います。どれだけの人がこのblogを読んでいるのか、誰が読んでいるのかは分かりません。ひょっとしたら進学先を考えている中学生や保護者も見ているかもしれません。

私は預かった選手に対してはきちんと責任を持って向き合いたいと考えています。単純に競技だけをやれば良いとは思わない。技術指導もかなりやります。更にはこういう人間性を育てるという部分にも力を入れています。子供達にとって「避けたい」と思う部分かもしれません。何も言われずに適度に競技をやって適度に青春を送る方が良いかもしれないですから。

しかし、それが本当に楽しいのか。陸上競技はどこでもできます。その内容は千差万別。やるだけなのか、本気でやるのか。そこまで求めていないと言われたらうちは選択肢には入らないと思います。それはそれで仕方ないのかもしれません。勿体ないなと感じる選手を数えきれないくらい見てきましたが、それはそういう選択だったのだと思います。競技も心の育成も、進路も含めて他校には負けない対応をしていけると思ってはいます。そういう想いがあるからこそ中途半端な関わりはしたくないし、するべきではないと思います。

ここも私の考え方を受け入れられないという人もいると思います。否定される考え方ではないと思いますが。信念があってそこを中心に指導をしています。感情論で激怒するというのは基本的にはありません。ここ最近は怒るという事はほぼない。諭すという部分が多いですね。怒って分からせた所でその場しのぎにしかならない気がしています。分からないというのが続くのであればまた別の道を進んでもらう方がお互いのためです。

話が若干逸れていますが本人達が話し終えるまで私は関わらず。話し終えたという報告に来たのですこしだけこちらの考えを伝えました。話が伝わるかどうかというのはかなり大切にしています。理解してもらえるかどうかは別問題ですが。それでも伝え続けないといけないと思います。

18時前くらいから練習をすることに。メニューはどうしたらいいか?と聞きにきたので「今日は一切メニューについては考えていない」と伝える。冷たいかもしれませんが。こうやって話をすればすぐにメニューを提示されるという感覚は持ってもらいたくないので。これは今後に生きてくると思っています。当たり前ではないという部分を大切にしてもらいたい。自分達で考えてやっていました。

こういう感じで書くと問題多発という受け取られ方もすると思います。以前「選手が顔色を伺いながら嫌々やっている」と非難されたことがあります。本当にそうでしょうか?土曜日に少し話をしたのですがキャプテンは「練習が本当に楽しい」と言っていました。この言葉に尽きると思います。この辺りのことはまた別に書きたいと思いますが。

何も言わないでそれなりの練習をやる。適度なメニューを提示してそれをやる。そんなチームでも良いとは思います。が、私はそんな指導はしたくない。考え方の問題だと思います。私が陸上競技に関して勉強するのは好きだというのもありますが、選手に還元していきたいと思うからです。私が子供達の力を伸ばしていくための最大のツールが「陸上競技」というだけ。他に優れた「ツール」を持っているならそれでも良いと思います。

成長するキッカケになると信じています。

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考える機会

2019-02-09 | 陸上競技

木曜日、練習に関しては前の記事にも書いたように別の場所で実施。任せました。

メニュー自体は全てNに考えさせました。本当は3年生が決めるという流れにしていました。少し前に伝えていたのですが提示してこないので前々日にもう一度念押ししても前日に確認。文書化しておきたいと思っていたので。こちらもある程度は実施メニューを把握しておく必要があると思います。今の段階で全てを任せるというのは違うかなと。

任せても良いですが練習の流れをこちらが把握しておく必要があると思っています。これまでの流れに今後の流れを検討する中でもどのように練習を組み立てていくか。また別の機会に練習を自分たちでやってもらわなければいけなくなります。そうであれば1日の練習の流れを把握して次からのメニュー組み立てに生かさなければいけません。

本当は全員で集まってメニューを決めるほうがいいのかもしれません。狙いを明確にしてそれぞれが考えながらやっていく。自分達がやりたい練習というのもあるかもしれません。そうであればそこに向けて準備していくことができます。時間を作ってそこまでやると「練習主体が自分だ」という気づきが生まれるかもしれません。まだまだこちらも余裕がないのかもしれないなと。

練習終了後全く連絡がありませんでした。これに関してはちょっと良くないなと思っています。やはり報告は必要だと思います。何人かに促しました。忘れた頃に「終わりました」という連絡が。内容はほぼそこだけ。うーん。今回何のために「自分達でやる」事を課したのかという部分が全く伝わっていない。こちらが意図する部分が分かってもらえないのであればこういう機会はほぼ無駄になってしまいます。

前の記事にも書いていましたが「意図が伝わるかどうか」というのは大切な事だと思っています。不安があったので「何故別の場所で練習をするのか」に関しては話をしておきました。考える機会を与えたいと思っていたからです。他校がどうなのか分かりませんが、うちは恵まれている部分があると思います。グランドは手狭ですがそれ以外はかなり良いと思っています。駅からは歩いて5分もかかりません。暗くなったら照明が付きます。練習道具は部室の横にあるので使おうと思えばすぐに出せます。

練習計画についてもかなり工夫して配置しています。多くの練習道具を使いながらやりたい動きを様々な形で身につけていくことができる。一応私がグランドにいて気になる所があれば個別に指導します。その環境が「当たり前」ではないという部分をどれだけ感じられるか。そこに関して分かっていかなければいけないと思います。

そうであればやはり「練習」に関してはきちんと報告をする必要性があると思います。更に練習をやってどうだったのか。「良かった」「悪かった」ではない。なにが収穫で次にどう繋げていくのかはやはり必須だと思います。そこが自分達で分かっているのかどうかも今後の練習に繋がっていくと思います。

報告の中に「足が痛いという者もいた」と。ここも大問題だと思います。急性の痛みなのか慢性的なものなのか。痛くてできないという者がいたのならその者は今後のことも含めて個別に報告をしなければいけないのでは?そういう部分の「甘さ」があります。これも求めすぎと言われるのかもしれませんが、やはり「義務」と「権利」の部分から考えると必須なのではないかと思います。

特定の選手に任せすぎだというのは明らかだと思います。うちはいま2年生がほぼいません。そんな状況で特定の者だけが全てを背負うという形になっている。下級生は付いて行くだけのような感じがあります。仕方ないといえばそこまでかもしれません。しかし、それではダメ。その場にいた3年生も手助けをしてあげる必要がある。一人に全てを背負わせるのは良くない。

こういう気配りや支え合うという部分も足りません。「与えられる」ことに慣れすぎているなと感じました。練習に来ればメニューを提示され、動きが悪かったらこちらが修正する。目の前で見ていることに対してはこちらもアプローチしてしまいます。こうやって普段とは異なる環境で何かをする事でいつもは気づかない部分に選手も私も気づくことができます。それは本当に大切なことだと感じています。

細かい事を私が求めすぎると言われるかもしれません。それでも求めます。報告することはやはり必須だと思います。練習内容についてどうだったのかをきちんと報告するのも必須。痛めて走れなかったのであれば今後の練習にも影響してくるのでやはり個別に報告をする必要性はある。特定の者だけが多くの負担をしてはいけないし、周りがそこに気づいて行動できなければいけない。

恵まれた環境の中で何かをしていると気づかないことが多い。こちらも目の届くところであれば手を差し伸べてしまいますから。そうであれば時としてこういう機会は大切なのではないかと思います。考える機会を与えるというのはこの子達のこれからの競技人生だけではなく生活にプラスになる。

もちろん、私的にはかなり「ありえないやろ?!」という感じではありましたが。これにより今後の指導がどうなるかを推察する能力を養わなけばいけません。こんな状態で私が「良く頑張りました」と褒める流れにはなりません。学年関係なくこういう部分に対しては許されないことは許されませんから。

考える機会。今のこの時期だから必要なのかもしれません。取り組みの見直しをしていきたいと思います。もう一度原点に戻ってやり直し。練習云々の前段階を見直したいと感じました。

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当たり前ではないこと2

2019-02-09 | 陸上競技

blogのアプリが新しいものに変わりました。それによりインターフェイスが変わってしまう。ユーザーとしてはいきなりの変更でしたからかなり戸惑いがあります。そしてblogそのものの表示形式も変わってしまいました。赤を基調とした画面にしていたのですが無機質なものに変更されていました。無料でのblogをやっていますからその環境を提供して貰っているだけでありがたいといえばありがたいのですが。

全ての記事を他のblogに移すというのは流石にしんどい。そう考えると与えられた環境下で続けていくしかない。慣れないインターフェイスなので操作性が非常に悪い。編集画面をPCを使って開くとHTMLが挿入されていて改行などをしている。更にPCで書いた記事をアップしようとしてみてみると改行の幅が3行くらい開く。一つ一つ修正しながらアップする。手間が増えた気がします。

全てが自分のやりやすいようにはならない。これまでのアプリの方が使いやすい。慣れているというのもあると思います。

不便を感じさせる。これは選手に意図的に行わせた学外の練習と同じかもしれません。まーblogのアプリに関しては「サービスを提供する」という立場からの物なので同一ではないですが。部活動の指導はサービスとは異なると思っていますし、異なるべきだと思っています。こちらが意図的に何か伝えていくために「不便」「不満」を感じさせることは必要だと思います。

少し内容が変わりますが本を借りて読みした。「AI vs 教科書が読めない子供たち」というタイトルの本です。なかなか考えさせられる内容がでした。それと同時にネットニュースで「授業中に寝ている生徒にやる気がないなら帰れ」と伝えたら「先生に帰れと言われたから帰る」と返答して本当に帰る生徒がいるという現実を受け止めなければいけないというような内容が書かれていました。ここまでくると笑い話では済まないのです。ネタではなく本気で「言われたから帰る」という時代が来ている。

言葉の真意を読む、行間を読むというチカラが著しく低下しているのだと思います。文章を読む力が著しく低下している中でこちらが話をした内容が理解できるとは思いません。私は授業の始めなどに授業内容と関連した話を少ししてから本題に入ることがあります。この「ウォームアップ」としての関連話、ひょっとすると「単なる面白話」で終わっているのではないかという部分が出てきました。語彙が減っているという話ではなく根本的に話を聞くチカラが低下している。繋がりを感じ取ったり推量する力が落ちているのではないか。

何か質問をした時になかなか返答がない。これは答える意思がないというのではなく「本当に何を問われているのか分からない」という可能性があるのではないか。会話がかみ合わないなと思うことが増えてきているなと感じていましたがこういう部分があるのではないか。「1を聞いて10を知る」というのが理想だとしてもそれは不可能なのだと思います。「1を聞いて1を知る」というのさえ危ういのだと思います。

文章を読んだりする時にその情景を思い浮かべながら読む。書かれている内容についてこちらでイメージを浮かべながら読み進める。これは当たり前だと思っていました。だから話を聞いた時になんとなくイメージが伝わる。言葉だけを聞いているのではなくそこから伝わるものがある。それが今はかなり低下してきているのではないか。それは生徒だけではなく大人も同様ではないか。一部分を切り取って「許せない」となる原因はそこにあるのかもしれない。もちろん正解はわからないが。

我々が考えている「当たり前のこと」は既に当たり前ではなくなってきている。学力云々の問題ではない。根本的な何かが間違った方向に進んでいるのだと思う。大抵の内容は教科書に書いてある。しかし、その教科書を読んで理解するという力を育てていない。授業を効率よく進めるために( )抜きのプリントを作る。前後の文脈に関係なくその( )に当てはまる語句を教科書の太字から抜き出して記入すれば成立する。そりゃ教科書は読まなくなる。当然の流れだと思います。

小学校からの英語教育、プログラミング教育。本当に必要なのでしょうか?本来やるべきことは何か。そこを見失っていないか?根本的にやるべき事を飛ばして「新しい事を導入した」という事実を優先していないか?現場の声といってもグランドレベルでその事を感じ取っている人がどれだけいるか。

私は私にできる事をしたい。するしかない。そう思います。「考える」とか「会話する」という能力を様々な場面で磨いていかなければいけないと思います。これまでの「当たり前「は既に理想論に近づいている。考えなければいけないという危機感を持っています。

真面目すぎでしょうか。真剣に考えています。

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当たり前ではないこと

2019-02-08 | 陸上競技

思うことを。

水曜日に練習をしました。ここに関しては前の記事に書きました。トレーニング中心。本来であればもう少し走りたいのですが難しい。更に翌日は学内立ち入り禁止となっていました。グランドを使っての練習ができません。そのような状況下でどうするか。ここは考えないといけないと思います。

自分達で練習をするという事にしました。ここも賛否両論あるのかもしれませんが。自分達で練習計画を立て自分達で移動し、自分達で練習を進める。基本的には自主練の形です。「自主練だから行かなくていい」と思う者がいるならそれはそれで受け止めなければいけないと思います。

学内が使えないなら自主練にすればいいという意見もあると思います。部活動は強制するものではないという考え方からすればまさにその通りだと思います。このご時世です。自主練という形で練習をしたという事を書くだけで批判の対象になる危険性はあります。万が一何かあったらどうするのか。怪我をしたらどうするのか。誰が責任を取るのか。課題となる部分を挙げれば限りなくあると思います

それでも学外で自分達でやる事にしました。この事に関して事前に話をしておく必要があると思っていました。自分達でという形で強制しているではないかと言われるかもしれませんね。確かに。

今の練習、全てが与えられています。練習環境も含めて自分達がやりたいと思えばできる環境にある。練習計画に関してもこちらが毎日毎日考えます。グランド整備も私がやります。それがすでに「当たり前」として成立している。この状態を打破する必要があると思います。まーそれさえも難しい話なのかもしれませんが

普段は保護者に送迎してもらって離れた練習場所に来る。練習道具に関しては私が車に乗せて運ぶ。メニューに関しては何もせずに待っていたら与えられる。そういう部分が分かっているのかどうか。全てが「当たり前」ではない。

「感謝する」という部分。最近感じているのは「感謝しないといけない」と言われているからそういう表現をするだけのパターンが多いのではないか。実際には「やってもらうのが当たり前」という感覚があるので「やってもらえないこと」に関しては不満を感じる。それは「慣れ」だと思います。提供されることに慣れすぎていて「やってもらう」ことが当然としてとらえている。その感覚がないか。

意図的に「自主練」を遠くでやることにしました。電車で移動してそこで練習。駅からは歩く。移動距離としてはそれほど遠くはありません。普段なら車で移動していますから何とも思わない距離。電車で移動する時間も含めてかなり時間がかかるかもしれません。それに対してどう思うか。普段恵まれている環境にあることに気づけるか。

「面倒だ」と思うかもしれません。それも一つの感覚だと思います。私の立場としては「経験させる」という部分が必要だと思っています。通常通りの行動をすればそれで物事をが済む。そうではない形で何かを経験させる。何を感じるか。

強く思っているのは「感じ取る力が劇的に落ちている」という部分。話をしても伝わらないことが多い。この意味がどうか。そんなことはないと思うかもしれません。実際に現場で生徒の変化を見ていると間違いなくあると思います。保護者は常に目の前の自分の子供たちを見るだけになります。多くの生徒の状況を見ている立場からするとやはり大きな変化を感じます。

自分たちでやる。ここを増やしたいと思っています。その中で感じ取りたい。決まったメニューをやるのではない。そこに対する労力はどうなのか。「教員だからやるのが当たり前ではないか」と言われるかもしれない。いやいや、それは間違いなく違う。自分を全て押し殺して何かを提供することを強要されるのは違う。

そこまでは話しませんでしたが。「自分たちでやる」ことで通常「当たり前」だと思っていることの意味を感じ取ってもらいたい。

まとまりませんが。一応記録しておきます。

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できることをやる

2019-02-07 | 陸上競技

水曜日。この日は推薦入試前日。40分の短縮授業。5時間目まで授業をしてから掃除などなど。前の記事ににも書いたのですが微妙な気持でいます。何を持って教育なのか。朝練の間に選手と少し話をしました。雑談ですが。DMを使った練習をしていました。始める前に最近の教育現状について話していました。「何かあったら訴えられる危険性がある」という話。そういう現状に対して「考える機会」を与えることも必要だと思います。

DM投げをしているときに取り損ねることがありました。その時に「そこでやったら先生に当たるんじゃないか?」と言っている選手がいました。また、私が座っている近くで縄跳びを跳ぼうとしてる選手に対して「そこは危ないだろう」と自分たちで注意。短距離ではなく長距離選手ですが(笑)。こうやって「考えて指摘する」というのは必要だと思います。邪魔だから私がどこか別の場所に移動すればいいのですが(笑)。天気も悪く他の場所に移動するのは難しい状況でした。その状況で「どこで何をするのか」を考えるという機会。これも教育だと思います。

天候が悪かったのでグランドで午後の練習をするのは難しい状況。仕方ないですね。練習計画に関しては前日に走ったのもあるので補強中心としていました。強い負荷というよりは多くの負荷をかけるという感じでしょうか。前半は私自身が練習に出ることができなかったので任せていました。これくらいのことはできて当然だと思います。内容がどれくらいだったのかは分かりません。質が下がるようであればやはりそこまで。結局「自分のためにやる」という感覚だと思います。

グランドが使えないのでアスファルトの上でやっていました。場所の指定はしていなかったので自分たちで判断して。バランス系から始めてBCTBDを使った練習も。スクワット系に加えてBDの上でひも付きメディシンを回す練習を。これはきちんとできれば体幹にかなり来ると思います。前日に思いつきでやらせてみましたが思った以上にできました。こうやって色々とパターンを考えながら組み立てていく。飽きないためにも。

BD、県内にはかなり普及しています。いや、間違いなく私が宣伝しています。かなりの貢献度では??他県ではどれくらい使われているのか分かりません。県内の普及率は全国的に見ても高いと思っています。本来的な使用方法とは違うかもしれませんが(笑)。

DM∞、アジリティ、股関節補強をやる。私が練習に到着した時にはこの段階でした。思ったよりも時間がかかっていました。NMには日誌の提出を義務付けています。大学に行っても毎日書くように伝えています。自分の振り返りをする機会を5分だけでもさせたいと思っています。私が練習に行ったときに提出させています。大学で競技をする。これにはこちらも責任があると思っています。走れない状況で大学に送り出すというのはあってはいけない。恩義のあるfjk先生にご迷惑をおかけするわけにはいきません。何よりもうNMが面白くない状況で送り出すのはありえない。そう思ってこちらも対応しています。

シャフトトレーニングをして30分間の「足運びの基礎練習」を。これは前回に引き続き自分たちで必要だと思うことを判断して実施。今回は「壁抜き」を入れました。足運びだけではなくやはり移動の感覚も必要かなと。私は漠然と練習を見るようにしていました。気になったところを指摘する位の感覚。全体を見るように心がけました。

気になったのが「壁抜き」です。ここ最近かなりやっています。以前もあったのですが一生懸命にっているうちに動きに「勘違い」が生まれてきます。腰を進めようとして「押し込む」形になります。それにより骨盤が前後する。やりたい動きから離れてしまいます。これはよくあるパターンだと思っています。腰を移動させようとすればするほどこういう感覚が出てくる。それによりローリングしています。次の脚が遅れてしまいます。反対の腰が進んでいない。ここは注意深く見ておきたいですね。課題。

走れる状況ではなかったのでアスファルトの上でスピードスキップ。進ませます。これも見ていて気付いた部分。膝の引き出しを意識しすぎて前に行きすぎる選手が出ていました。これにより上に力が抜けてしまう。進みたい方向と膝の引き出しの方向が一致しない感じでした。走る方向は膝のスイングによって決まると思っています。そこの部分も注意深く見ておかなければいけないと思います。気づいた部分はすぐにやり直し。

最後に「補強」を15分程度。メニュー表を渡してその中から選択して実施。側筋の練習が不足している感じがあるのでそこの部分を重視。かなり前に作ったメニューなので自分でもどのような種目だったのか思い出せません(笑)。「最近やっていないから必要ない」というものではないと思います。必要なメニューが不足してきていると捉えています。もう一度メニューの見直しをしたいなと。

思うことはあれこれあります。ここに関してはまた別に書きます。多分。

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指導することのリスク

2019-02-06 | 陸上競技

思うことを。

先日、ニュースでかなり取り上げられた件。「教員が生徒に体罰をした」というのがニュースで大々的に放送されていました。ネットニュースにも同じように出ていました。「体罰」は許されないという立場からかなり批判されました。

その後、実際の映像は一部分の切り取りであったという事実が出てきました。実際は生徒側からかなり挑発されそれに我慢できずに手を出してしまった、と。それにより世論は逆転。教員側が可哀想だという部分が出てくる。体罰自体は許されないと思います。そこに至る経緯はどうであっても許されない部分はあるのだと思います。では、挑発されてはめられて動画におさめようとした生徒への対応はどうなるのか?

また福岡の小学校教諭が処分を受けたという話も出ていました。放課後、帰宅を促したが帰らない児童がいたので漢字ドリルを投げて「クラス解散だ」と激怒した、と。それにより児童が恐怖を感じて担任交代、停職6か月。詳細が分からないのでどう評価して良いのか分かりません。モノを投げたのが悪なのか解散と言ったのが悪なのか。「恐怖を感じた」と言われたらやはり処分なのかもしれません。難しい世の中です。

こうなった時に教員側が処罰を受けるというのであれば甘んじて受け入れるしかないのかもしれません。そうであれば指導に従わない児童生徒に対して即効性のある処罰を与えられる権利が必要なのではないか?言い過ぎでしょうか?児童生徒は守られます。何かあった時に打たれるのは間違いなく指導した者。これは非常にしんどい部分だと思います。

今は教員というのは完全にサービス業だと思います。全て児童生徒に合わせてサービスを提供します。学校教育の目的の一つである「社会性を身につける」というのはほぼ実現できないと思っています。社会の仕組みに合わせるというのではなく「自分に合わせない社会が悪い」という価値観の中で生活を送る事ができる。気に入らなければ「保護者に言ってもらおう」と平気で口にする時代です。

一番楽なのは「一切指導しない事」だと思います。何かあってもスルー。指導しない。これも10月くらいにネットニュースに出ていた内容。ある女子生徒が高校生になって「一方通行の授業」を受けて衝撃を受けた。質問を投げかけるわけでもない。誰も質問しない。みんな好き勝手に内職をしている。女子生徒は何度も何度も質問をしてみんなで授業を作ろうとしたが浮いていることに気づいた。周りは誰もそんなことを求めていない。そこで個別に先生に質問をする。その時先生が「以前は発言を促す授業をしようとしていた」「誰も話を聞かない」「みんなが好きなことをする、私は淡々と授業をする。それで給料をもらって定年を迎える」というような感じの漫画だった。

この教員が「もっとみんなで授業をしよう」と投げかけても反応がなかったのかもしれない。もちろん、それでも興味関心を持たせる事が出来なかったという部分に指導力が不足していたのかもしれない。単純にそれだけだろうか。熱心にあれこれやろうとしても反応がなければ熱は失われる。それを全て教員のせいにするというのも違う気はする。

公務員だからという言い方をされるのかもしれない。公立高校では淡々と授業をしても成り立つ。いや、学習意欲が低い私学があればもっとそういう部分になるかもしれない。授業に興味を持たない生徒がいたとしてそれでも授業をしなければいけない。発問して答えられなかったら点数を引くというような流れでやらなければその集団の規律は守れないということもあると思う。まーそういう減点形式であっても「別に卒業できればそれでいい」と思う生徒に対しては一切効力を発揮しないと思うが。

こうやってblogを書く。そこに対して批判が出る可能性だってある。教員がこんなblogを書いている。否定的に捉えている。こんな人間が人前で授業をするのはいいのか?部活動で指導する資格はないのではないか。辞めさせるべきではないか。そう言われる危険性は十分ある。アクションを起こせばそれに対して不快な思いをする人も出てくる。

「病院に行くから練習を休む」と言われたとする。それに対して「休むのは構わないがそれを繰り返していたら強くはならない」と伝える。それに対して「休んでも構わないと言われたので行くのをやめよう」という話になる。そうなった時に「何で練習に来ないのか?」と我々はいう必要があるのか。それは当然のことで声をかけない事が悪なのか。全てが指導する側の責任になるのか。ここについては本当に考えたいと思う。

事なかれ主義で淡々と毎日を過ごしていく事で無難に定年退職を迎えるのかもしれない。それは「仕事」として授業をして与えられた公務を果たしていけば達成できる。しかし、「教育」という考え方からすれば良いことなのかどうか。ダメなものはダメだと教えなければいけないと思う。分からなければ何度も何度も伝えていかなければいけないと思う。が、それにより自分自身の首を絞めることになるのではないか。発言の一つが不適切だと取り上げられてしまう危険性が内在している。恐ろしいことだと思う。

指導をする。ここに対するリスク。今まで以上に感じている。何かをすればパワハラと言われかねない。ダメなものをダメと伝えて「傷ついた」と言われれば処分を受けるのかもしれない。誰も守ってくれない。

考えさせられる。本当に。

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我慢と成長

2019-02-06 | 陸上競技
火曜日。ちょっと思うことがありました。なかなか前進しません。難しいなと思います。我慢をしなければいけない部分が出てくる。ここに対してどう思うのか。諦めてしまうのではなくどう向き合うかなのかなと思っています。時間をかけながらどうするのかを考えていきたいと思います。ここ最近、怒ることが極端に減りました。怒るエネルギーがないのかもしれません。厳しく注意したところでそれが変化を生み出さないのであれば意味がなくなります。我慢と忍耐。今の仕事は「奉仕」を求められます。時間外労働に対しては「業務命令ではない」というスタンスですから。授業中に厳しく指導してそれが「不愉快だ」と思われば訴えられる危険性さえある。リスクしかない。そのような環境下で何を目指すのか。見えません。

練習に関しては「走っておきたい」というのがありました。翌日が雨予報。推薦入試の関係で校舎内立ち入り禁止になります。そうなると何もできなくなる。最悪のことも考えてしっかりと走りたい。3年生にも連絡してぎりぎりの電車から一本早い電車に切り替えてもらいました。極力早く始めておきたいというのがあったので。16時少し前から練習開始。

補強系をやりながら素早く進めていく。「走練習メイン」と位置付けていますがだからといって補強をしないというのは考えられない。トータルバランスだと思います。17時30分までに走練習を終わらせておきたいというのがありました。他の部活動との兼ね合いもあります。ちょっと急ぎ足で練習を。足運びを意識してからハードルドリルver2を。これまではメニュー外に「もも上げ」を入れていましたが、これも含めてハードルドリルだと思うのでメニュー内に入れておきました。「いつも通り」という感じで進めるのでハードルサイドからやり始めました。メニュー表の意味がなくなります。しっかりとみてもらいたい。

ドリルの中の壁までやったところで一旦止めました。雑だからです。これも最初に書いたようにこちらも「我慢」なのかもしれません。しかし、80%の練習をしていたら大きな伸びはありません。中学時代に全国大会に出たとか中国大会に出たという選手が集まっているわけではない。そんな状況での練習ですから「20%のロス」は大きいと思っています。目的意識を持つことを伝えました。それがどうつながっていくのかを考えさせたい。

周りから見れば「普通」の練習かもしれない。、ある程度の目的意識を持って取り組んでいるように映る。しかし、それだけでは困ります。本質的にどうなのか。やるべきことを最大限の力でやっているのか。そこが見えない練習になるのであればやる必要はない。中止にしてもいいなと思います。それくらい「求める水準」は下げたくない。高レベルのことを求めているわけではないですから。

そのままスタート5歩を2サイクル実施。前日の雨の関係で少しゆるいなというのがありました。それでもこの日はやる。地面に穴を掘って出やすいようにしていました。走ると土が掘れるような感じになってしまいます。パワーを使うことになりますがそれでもやる。そのまま課題としている前半マークを2本実施して中間につなげるための60DMを2本。休まずに120DM-120-120-90を。短長は折り返し走の形で。久々に「量を走った」という感じでしょうか。120mを3本走るというのは本当に珍しいですから。きついかもしれませんがやり続ける。

ここまででちょうど17時半。狙ったように時間どおりでした。うちの練習は休まない。あれこれやりながら進めていきます。バリエーションが多いというのもあるかもしれません。狙いを絞りながらやることは多い。

一旦スパイクを脱いで補強。セラバンド歩行とプレート歩行を。走りをつなげるというのではなく間に補強を挟みます。うちの女子が一番嫌うのはセラバンド歩行。いつも大臀筋や中臀筋のあたりが筋肉痛だといっています。「回復する前にまた筋肉痛になる」と。結構やっているのですが慣れないようです。単純なセラバンド歩行からモノを持って行うようにしましたから軸を作る形になるのだと思います。狙い通りの負荷をかける。必須だと思います。持たないと楽をしているのでは??と(笑)。

時間に余裕がある気になったセラバンド歩行をもう1セットやってもいいのではないか?と提案。速攻で拒否。「いつもこのパターンで増やして結局間に合わなくなる」と。確かに。私よりも選手のほうが冷静に判断している部分があります。取りやめ。

ここからは選択練習。「スイッチング重視」と「バランス重視」にしました。前回と異なり、バランス重視にも少しだけスイッチング要素を入れる。「重視」という部分です。偏りが大きくなるとやはりよくないかなと。それぞれが課題を持って取り組む。スプリント要素を取り入れながらやっていきました。これも時間通りに進む。動き的に変化があります。これは大きい。単純に「走っておけ」という練習では絶対にこの変化は生まれないと思います。

最後に往復走。昨年まではほとんどやっていません。今年はきちんと200mにまで対応できる練習をしたい。ショートスプリントのためだけの練習ではなくバランスを考えながらやっていきたいと思っています。ここも大きな変化。手狭なグランドでスプリントで勝負しようと思えばこちらも工夫を必要とすると思います。

ある程度やりきりました。予定していた練習はほぼ消化。選択の練習を増やしています。それが本人たちの「自覚」を生み出すのではないかと思いますね。そういう意味では「成長」があるのかもしれません。成長も課題もすべて含めてやっていかなければいけないというのはあります。我慢のほうが圧倒的に多い気がしますが。

少しずつ少しずつ。気持ちが少し晴れません。
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