かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ミュージック・ライフ・アーカイブ選集

2025年03月08日 | Music


今日は、久しぶりに千葉県でのゴルフ。
渋滞を懸念して早めに出たら、そうでもなかったので、久しぶりに、海ぼたるへ。
寒かったが、凄いもん作ったもんだ。



雪は、ちらつく程度だったけど、とにかくずっと寒かった。
それでも、たくさんいやっている人がいる。
ゴルフ利用税の、高齢者割引きなるものを初めて受けた。
地方自治体によって、割引が始まる年齢が違うようだ。

帰る途中から結構なみぞれになって、積る前に帰れてよかった。
箱根方面は、軒並み通行止め。



本書は、ネットで情報ゲットし、本屋で購入。

読み応えがあった。
何と695ページ。
しかも、写真はほとんどなく、1970年から1974年までに掲載された記事から厳選された記事のみを掲載。
それでもこのボリューム。
後書きを読むと、最初は、1976年まで収めようとしたというから驚きだ。
MLは、1冊200~300ページだから、本書編纂のために、合計何ページの記事を読んだのか。
ちょうど、パンク登場寸前、クィーンが出たところまで収録できたので、それはそれでよかったのかな。
原稿二次使用の許諾を寄稿者やその遺族から得たようだが、許諾を取れなかった人の名がリストアップされていた。
加藤ミカさんの名前もあったが、どなたか資産管理をしている人はいなかったのだろうか。

この時期、私は、仙台に住んでいて、しかもまだ洋楽に興味を持つ寸前の時期(小学校高学年~中学校低学年)だったから、本書で、当時のリアルな雰囲気を始めて知った感じ。
編者は私より、3歳上とのことだから、この3年の差は、勢いのある洋楽ロック史をINGで見れたかの大きな差だった。
ポスト・ビートルズが誰なのかという議論がなされていた時期で、グラム・ロック・ブームや、ツェペリンの爆発的人気など、当時の熱さが伝わってくる。
ツェペリンの情報が入って来た時は、ペイジ以外は、無名で、他の3人の素性探し記事が多い。
レゲエと今は呼ばれている音楽も、当時は、レガエと呼ばれていたことも初めて知った。
一方、欧米のロックの状況についての記事は、結構正確で、当時の取材力の高さにも驚かされる。
電話ですら使いづらい時代だったろう。

最後の方に、星加さんのビートルズ会見回顧録もあるが、より近過去のものとして貴重。
星加さんとヨーコさん、大島渚監督とヨーコさんの対談記事も貴重。
ヨーコさんの素顔がじょじょに明らかになってきた時期。
それまではすっかり悪女扱いだった。

1974年12月には、クラプトンの来日インタビューがあるが、これも貴重。
コンサートの時以外は、お酒浸りだったようだが、インタビューや、コンサートの時は、しっかりしていた。
当時、東京に住んでいた同年代の友人は、その初来日コンサートに行っており、本当に武道館に姿を現した時には、みな感動のあまり茫然としたと言っていた。
当時のライブに行った話としては、デビッド・ボウイの1973年の初来日にやはり同年代の友人のお姉さんが、わざわざ仙台から東京に行って、みなボウイに吸い込まれるようだったという話を聞いた。
まさにボウイ降臨という感じだったのだろう。

よくぞこれらのスター達が来日してくれていたものだ。
これも、ビートルズが切り開いた道だったのかもしれない。

日本における洋楽ロックの歴史を知りたい人にはうってつけ。
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